平和とは何か?2001.10.17
平和を守るとか、平和憲法とか、平和主義とか「平和」が好きな人は多い。
平和とは何か?
昔からいろいろな定義が言われてきた。平和とは戦争と戦争の間を言うというものもある。でも冷戦というのもあった。実弾が飛び交うだけが戦争ではない。いつ頭上に核兵器が落ちてくるかを気にしているのは平和ではないのは確かである。すると戦争状態でないことを平和というのか、でもテロにおびえて暮らすのも平和とはいえない。
どれどれ、広辞苑によると平和とは「(1)平やかにやわらぐこと、おだやかでかわりのないこと(2)戦争がなくて世が安穏であること」とありました。
今までのところで何かお気づきになりましたか?
つまり平和とは形ある物ではなくて状態であるということです。
平和って守るもんじゃなく、築くもんんですよ! すると平和を守るということは何かが壊れないように大事にしまっておいたりするということでなく、移ろい変わりゆく世界、社会に合わせていろいろな対応をしなくちゃならないということが分かります。

もうひとつ気づいてほしいんですが、平和とは初めからあるものではなく、築くものであるということです。
何もしないでいれば平和でいられると思っている方がいる。そういった考えを俗に平和ボケといいます。古今東西の歴史をひもとけばそれは勘違いであることが分かります。平和とは有事を起こさないように日々の努力の結果ですよ。
第二次大戦後50年間の日本の平和はなんといってもアメリカの核の傘と米ソのバランスに依存していた事は否定できない。決して平和憲法とか護憲運動によるものではない。

胸に手を当てて考えてみよう。社民党、朝日新聞のいうとおりにして平和が維持できるのか?世界の歴史、中国の歴史、韓国の歴史を見よ!歴史は常に戦争に明け暮れ多くの民が殺され、流浪を繰り返しているではないか!何もしなかったなら日本は今も西欧の植民地であったかもしれない。そして日本が独立国でなかったら今でもアジア・アフリカの国々は西欧の植民地であったろう。
戦争にまみれた世界で唯一の例外は日本である。この50年間だけではなく、弥生から現在まで人口が半減とか4分の1に減るとかいう中国の歴史によくある事態はなかったのだ。日本だけが平和のバックグラウンドの中にわずかな戦争があったのだ。これを当然と思うから平和ボケが蔓延する。
しかし、弥生や平安時代はとうの昔、元寇以降、日本は離れ小島ではなく世界は狭くなっている。
この激動の国際社会の中で、日本の平和を確保しなくてはならない。過ちは繰り返しませんという繰言だけでは平和を保てず国を滅ぼしてしまう。過去50年の平和運動こそが誤りであったのだ今こそ過去50年の過ちを繰り返えしてはならない。

話はそれるが平和憲法という言葉に意味あるのか疑問です。いったい平和憲法ってなんですか?平和が物でなく状態であるならば真の平和憲法とは日本の政治外交は国際状況に対応して臨機応変であれ!、勇気を持ってこれに当たれというものであるはずだ。一方的に諸国民の信義に依存しては平和は保てないのです。
集団安全保障とは現実世界の妥協である。これを無視して理想論を言ったところで意味はない。

国家安全保障において理想論を語るのは無知ではなく犯罪である。

現実の世界では平和は一方的な思い込みではなく国家間の妥協、牽制、恫喝のバランスでかろうじて保たれる状態に過ぎない。
現実世界では平和を愛する人は役に立たず、平和を築く人のみが有用である。
おっと、この真理を分からない人のほうが日本じゃ大多数なんですよね!困ったもんだ(**;

世の中には「良心的兵役拒否国家」とか「非武装中立」という言葉を使う方がいます。論理的にありえないと思いますが皆さんいかがお考えでしょうか?
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