主語なき民よ2001.10.18
日本語は主語がなくとも通じます。例えばふだんの日常会話では「おれ」「私」「君」「あなた」がなくとも話が通じて生活、仕事が進んじゃうのも事実。
むしろ、主語が多すぎると煩わしく感じます。「フロ、飯、寝る」を「俺は風呂に入るぞ。妻よ、したくせい。」「私は夕飯を食べたい。あなた用意してちょうだいな。」「それがしは眠くなった。君は布団を敷いたかや?」と言ってたら疲れてしまいそう。
話したことには責任持たなくちゃね!
でも、主語がなくても良いかといえばそんなことありません。大事なことには主語を省略しないでほしいものです。誰がそう思ったのか、誰がするのか、誰が責任をとるのかを明確にする必要がある場合は、主語をはっきりしてください。
例えば気になるものとして報道で第三者の意見として伝えるケースがありますね、
旭日新聞、テレビ麻日がよくいいます。「中国が・・・・・」、「韓国が・・・・」ってね、、
本当は自分が言いたいからじゃないんですか?自分が言いたいことなんだけど自分で責任をとりたくないからそう言っているとしか思えません。
およそ責任ある報道機関、いえいえふつうの大人なら自らの責任で話し、書かなくてはいけません。それが正しければそれは語ったものの誉れであり、間違いであれば語った者はその責任をとらねばなりません。世の中そういうものです。自分の考えを自分を主語にして自分の言葉で語りませんか。

テレビ報道は「私は」もしくは「テレビ○○は」で始まりましょう。記事は「我々は」で始まりましょう。
決して「○○チャンが言ってたよ」と言ってはなりません。
同じく、議会の決議に関しても、
議員さんは「党の決定だから」と言ってはいけません。「私は日本のために決断した。」と言いましょう。

不肖、私、このホームページの一語一句すべて私が決断し私の責任で書いてます。
決して中国、韓国、株主、支援者、恐妻の意向によるものではありません。
それはなんと自由なことでありましょうか?そしてなんと不自由なことでありましょうか!


実は「主語なき民よ」とインプットして変換したら「守護亡き民」となりました。
何かを暗示するようです。(^^)


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