シミュレーション2001.10.25

シミュレーションという言葉をよく聞きますね!?
日本人には発音が難しく実は私も注意しないとシュミレーションとなってしまいます。辞書によりますと「模擬実験、データを基に現実の場面を想定しモデルで事象の変化、進展を予測する方法」とあります。現在はシミュレーションゲーム花盛りです。テレビゲームができる前から沢山のシミュレーションゲームがありました。人生ゲーム、野球盤、紙の上でさいころを振る戦争ゲーム、碁や将棋も歴史を遡ればシミュレーションゲームだったそうです。
実物で試験しようとしてもすぐにはできない、金がかかる、人の命がかかる、戦争のように取り返しがつかないことなどなどにシミュレーションで検討し結果を実践(実戦?)に応用するわけです。例えば飛行機パイロットや自動車教習所で初めに触るのはシミュレーターといいます。
ORとはオペレーションリサーチ直訳すれば作戦研究でありまして、第二次大戦のときにカミカゼに対応するにはどうしたらよいのか?ノルマンジー上陸作戦を成功させるにはどうすべきかといったことを検討するのに用い、現在は企業戦略の手法として定番です。
もう、ちょっと考えましょうよ!
戦争から沢山の手法が企業活動に応用されています。これを嫌がる方がいるかもしれませんのでひとこと、
はっきり言って戦争からきた言葉をすべてなくすなんてことは不可能です。それどころか組織論において戦争からきた考え方手法を取り去ったら何も残らないかもしれません。
例を挙げましょう、
会社の事業部、これは英語でdivsion(師団)です。起源はナポレオンの戦法に対応するために生まれました。
会社の下部組織を班とかチームとかいいますがこりゃ軍隊の組織名です。師団、旅団、連隊、大隊、中隊、小隊若干呼び名は変わっても会社組織そのものですね。
ちなみに前に述べましたカミカゼ対策は大型艦はジグザグ航行し、小型艦は直進して対空砲火をするのがよく、ノルマンジーは広い範囲で上陸作戦を行うのでなく、集中的な大規模上陸作戦がよいと言う結論だったそうであります。
で、本日のテーマは実はなぜシミュレーションをしないのか?ということです。
アガサおばさんの小説に「なぜエバンスに頼まなかった?」というのがありますが、社眠党、民酒党の方の思想を拝聴しますと「なぜシミュレーションをしないのか?」と言いたいものが多々あります。
今アフガンでのタリバン攻撃で各メディア、各党議論さかんですが議論のための議論でなく、そのアイデア・意見・手段がどのような結果をもたらすかということはシミュレーションをすれば簡単です。恥をかかないように一人で、あるいは自党内でじっくり検討ください。
いえ、シミュレーションなんてスパコンもパソコンも要りません。紙と鉛筆と種々データがあれば、インプット、プロセス、アウトプットの発生事象を可能性を考えて羅列すればいいんです。

もう、ちょっと考えましょうよ!タリバンと話し合え!ということが可能かどうか?、可能としてどのような結論が導き出せるか?その結論はアメリカ、日本を含む同盟国が受入できるか?ということを十分吟味したうえで、いけるとなったら国会で発言するなり、党の見解として表明してください。
ちなみにタリバンと話し合うことはかなり困難でしょう。万一話し合いができた時は言葉に注意しましょう。「塩ジイ」同様「オマルジイ」なんて言ったらヒンシュクを買う前にカラシニコフの7.7mm弾をいただくでしょうね!

平和を守るということは、話し合いをしましょう、かわいそうな子供たちを救いましょう、中国のみなさんお許しください、韓国のみなさん私たちの祖先は悪うございましたで実現できるのか?
「中国の平和」「韓国の平和」が実現できても日本人を含めた世界平和は実現できるのでしょうか?
恐怖政治で押さえつけ戦争がないのも平和と言うのなら実現可能性はありますね、ウン。

アメリカの空爆は国家テロだ!
うーん、これはシミュレーション以前です。国家テロと言う言葉はラングーン事件とか、キムヨンヒの飛行機爆破を実行した北朝鮮などに対して使う言葉だよ(;;)

武器を持たせると使いたくなる
命がかかっている仕事につく方々にこのような無神経な言葉を使うのは抵抗を感じるとまず申し上げておきましょう。
どのような時に、どのように使いたくなるんでしょうか?誰に対して使うのでしょうか?自分たちが攻撃された時にどうすればよいのでしょうか?
シミュレーションまでいかず、なぜを5回も繰り返せば発言の偽善性が現れてしまいます。
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