ものの見方考え方2001.10.28
昔から、「ものの見方考え方」と銘打った本は沢山あります。某社会主義者が書いたくだらないものから、松下幸之助翁が書かれた名著まで十指に余るでしょう。ここに拙文で末席を汚させてもらいます。

私は過去30年間製造業に従事してきました。製造業あるいはその中で品質改善といった業務における価値観、判断基準、手法は普遍的でありいかなる業種、側面においても適用できると考えています。もし、通用できないならばその業務、職務においては権益を守ろうとするなど普遍的でない体質があるためでしょう。

問題があったとき、その現象や影響をとらえて考えるのでなく、その原因、さらにはそのまた原因を究明しなくては問題は解決しません。なに、大層なことを言っているのではありません。品質改善、平たく言えば不良対策はその積み重ねです。この製造業においてもっとも基礎的な考え方が世の中の不具合の対策に使われないのは不思議なことです。
なんにでもセオリーってありますね! 不良対策といいますとネガティブですから新製品開発を例に挙げましょう。新製品を作るには当然市場からの要求があります。この要求を具体的なものにしないと設計ができません。要求仕様を具体的にしたら設計はこれを実現するために法規制、費用、生産性などを考慮して具体的に図面化します。この図面はインプットである要求仕様を満たしているのか検証しなくてはなりません。要求仕様だけでなくお客さんが間違った使いかた、あるいは想定外の条件下で危険がないかなどを検討します。通常これは妥当性検討と呼びます。この手法は製造業だけでなく教育、防衛、海外援助にも当然使えます。
(詳しくはISO9000を勉強してください。)

学校で習ったことを社会に出てそのままの形で使うということはあまりないでしょう。
カラオケに五線符やは必要ありません。ギターでもしなくちゃG7なんて使いません。微分方程式を社会で使う人は何パーセントいるでしょうか?そこまでいかなくとも三角関数を使う人って何パーセントいますかね?5パーセントはいないんじゃないかな?歴史だって鎌倉幕府設立が何年か?フランス革命の時の王様はルイ何世?なんてことは日常生活で必要ありません。
いや、私は学問がいらないとは言いません。誤解しないで続きを読んでください。
学ぶべきことは考え方、問題解決法であるということです。問題解決法は普遍的なものでありそれが身につけば生活していく上で役に立つし、それ以前に必要不可欠なものだということです。
また各種原理、原則は業種、学問分野を越えて共通するものがあります。例えば物理学のエネルギー不変の法則と経営学の貸借対照表とは同じです。
その他「エントロピー増大の法則」とか「カルノーサイクル」とか「角運動量保存の法則」などと他分野で全く類似の原則に出くわして「おっ」と思うことがあるでしょう。

また、もうひとつ認識しておきたいのは物事の価値判断で常識といいますか、まったくの門外漢、子供が考えてもおかしいことは間違っているということです。唯一例外は人間の認識範囲外の原子物理学とか宇宙の運動くらいでしょう。

そうか、常識で考えるべきよね 現実社会で問題があった時、実は日常沢山の問題が起きているのですが、以上を踏まえて考えて対処すればよいのです。
そのとおり実行できないのは無用なしがらみ、既得権の壁、感情論、思い込みなど公平な対策にとって意味のないことなのです。 単純な疑問に対して政治家がしたり顔で「素人は困る」といったなら、その政治家は何かに汚染されています。官僚が「○○と調整する」と言ったなら裏のつながりをかんぐります。

テロ制裁支援はいけないとおっしゃる方、そう主張する政党があります。
物事を単純化しますと、隣の家に強盗が入りました。警察が犯人を追って山狩りしようと言った時、「私は危険なところに行きません。」ということでしょうか?
タリバンを攻撃して近隣の民間人に被害がでている。だから空爆はいけないとおしゃる方がいます。ミュンヘンオリンピックでテロ犯が選手を人質に立てこもりました。西ドイツ(当時)は強行突破して犯人を無力化しました。このために選手も数名死亡しました。この戦法を非難することは可能です。ではあなたがそれを決定する立場だったらいかがなさいますか?
正直に言いますと私も突撃命令を下す勇気はありません。でも決断できないものは政治指導者になってはいけないのです。
ちょっと毛色が違いますが、法務大臣は死刑執行の決定をします。嫌がってしない方が多いそうです。日本の法に基づき、死刑判決が出た者に対しての死刑執行を命令できない方は法務大臣にならないでほしいと考える私は異常ですか?

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