戦後ってなんでしょう?2001.11.23
日本では事あるごとに「戦後」「戦後」という言葉を聞きます。一体戦後って何でしょうか?
昔の経済白書(1956)で「もはや戦後ではない」と書かれましたがこりゃ単なるレトリック
戦後とは何かと日本人大多数に聞けば当然第二次大戦後(正しくは太平洋戦争あるいは大東亜戦争なんですけどね)と答えるでしょうね。昭和20年8月15日に終戦を迎えてから戦争がなかったような認識ですね?
一体、過去55年間に世界で幾たびの戦争があったのかご存知でしょうか?
ご存知ない方にもある方にも参考までに上げますと、(革命、クーデターは省略)
- 1946:中国内戦激化
- 1948:イスラエル独立戦争(第一次中東戦争)
- 1950〜1953:朝鮮戦争勃発
- 1954:ベトナム独立戦争
- 1956:スエズ戦争(第二次中東戦争)
- 1958:アルジェリア独立戦争
- 1959:キューバ革命
- 1960:コンゴ動乱
- 1962:キューバ危機
- 1964:トンキン湾事件(北ベトナムが米駆逐艦を攻撃)
- 1965:印パ戦争
- 1966:文化大革命(中国内戦)
- 1967:第三次中東戦争
- 1968:ソ連軍チェコ侵入(プラハの春)
- 1969:中ソがダマンスキー島での武力衝突
- 1971:第三次印パ戦争
- 1973:ベトナム平和調印
- 1973:第4次中東戦争
- 1979:中越戦争(中国軍がベトナム侵攻)
- 1979:ソ連アフガン侵攻
- 1980:イランイラク戦争
- 1982:フォークランド戦争(イギリス対アルゼンチン)
- 1983:グレナダ侵攻
- 1990:イラク軍クェート侵攻
- 1991:湾岸戦争
- 1991:ユーゴ軍クロアチア軍全面戦争
- 1992:ボスニア動乱
- 1994:ルワンダ内戦
- 1996:北朝鮮潜水艦による韓国侵入事件
- ・・・・・・
世界は戦争で満ちているのです。まさしく平和とは戦争と戦争の間に過ぎません。歴史というキャンバスは戦争で塗りつぶされており、あちこちに塗り漏れとして平和があるのです。平和で塗りつぶされていてあちこちに戦争のしみがあるのではありません。この事実を理解しないと日本の将来どころか現在を危うくします。
ある本でアメリカで「戦争後・・・」といったとたん、「どの戦争をいっているんだい?」と聞かれたと書いてありました。
日本人以外は平和というものはわずかであり、戦争が多くを占めているということを肌で知っているのです。
俗に平和ボケと言う言葉がありますが、これは平和でボケたんじゃありません。戦争があることを知らないで平和だと思っているボケを言います。
グローバリズムとか外国と仲良くとかわけの分からないことをおっしゃる方がいますが、世界を見渡せば戦争ゴロゴロでとてもみんな仲良くなんて発想はでてきません。
はっきり申し上げます。
戦後はありません。もちろん太平洋戦争後という使い方はあるでしょう。でも世界は常に戦争が満ち溢れ、常に戦中なのです。
太平洋戦争を空前絶後のできごとと認識してはいけないよ!戦争はいつでもどこでもある。我々はすべてにできごとを相対化して認識し、変革と争いが世界の定常状態であることを実感しなければならない。
たった一度、太平洋戦争で負けちゃったから考えを180度変えるのは間違いです。別に戦争を仕掛けて勝つ必要はありません。必要なのは戦争を仕掛けられてもこれに対処できる体制を整えておくことです。
「仮想敵国を定めちゃいかん」ですって、中国、韓国みんな日本を仮想敵国にして研究してますよ。当然我々もそれらから攻められたときいかに防衛するかという研究をするのは独立国として当然です。こんなの軍国主義とか右翼とか関係ありません。日本が共産主義国家になったって独立維持のためにやらねばならないことなのです。
バカ言っちゃいけません。
「戦後、平和憲法によって日本は守られた」ということは全くの勘違い、いえ詭弁であると断言します。
「太平洋戦争後、日本はみそっかすとしてアメリカの後ろに隠れて戦争に近づかず影から眺めていた」というのが真相です。反論どうぞ!
今は戦後ではない。常に戦中である。
我々は危険に満ちた急流をいかだくだりしているのである。
岩にぶつからないように、転覆しないように気を配り、対応することが平和を守ることだ。
神に祈るだけの無為の徒を、神は決して救ってくれないであろう。
今日はすこし感情的でしたかね?
でも、最後は格調高かったでしょう?
独り言の目次にもどる