最小悪の選択2001.11.27
私が一番好きな酒! 飲み屋に入って日本酒を頼むとしましょう。おれは〆張鶴が好きなんだがといってもないときはない。「じゃあ、しょうがない越の寒梅でもいいや」って時ありますよね。
★冗談抜きに「越の寒梅」よりの「シメハリ」が美味い。新潟の方は幸せです。
というか社会生活ではやむなく代用品あるいは次善の策を採用するということがママありますよね。
政治だって同じです。民主主義ですから一人一人が意思を持っています。極端から極端までばらついているでしょうし、同じ意見となるとどれもが少数意見となってしまうでしょう。でも何事かを成し遂げようとするとみなの意見をまとめなくてはなりません。
取るべき方法としては似たような意見の人はまとまって、より多数意見となり主導権を取るよう動きます。そしてその周辺にいる人はより自分に近い意見について少しでも自分の要求を通そうとするのではないでしょうか?
政党とはそういうものと思います。

選挙でも同じです。自分の考えと同じ候補者、政党がない、だから棄権するという方もいるかもしれません。でもそれはやめませんか?
棄権してしまえばあなたの意思はまったく国政に反映されません。候補者の中で一番自分の考えに近い人に入れれば少しでもあなたの意思は国政に反映されます。たとえ投票した人が当選しなくとも結果として有権者の考えが明示されるわけです。
私は当選した人は自分に投票した人の意見のみを実現するのではなく、投票結果を反映する義務を負うと考えます。甘いかな?
具体的事例を挙げると、
かっての赤軍は分裂に分裂を繰り返し、それぞれのグループはすべて少数となっていきました。彼らは自分たちの考えをなぜ集約してより社会に受け入れられるようにすることができなかったのでしょうか?
純粋だったと言う人もいるかもしれませんが、私は単に妥協するという知恵がなく、社会への適応性がなかったんだと思います。
自由党、保守党なんかもどうして分裂するんでしょう?大同小異ならよりグループをまとめたほうが自分たちの意志を通せるし、大臣の椅子だって取れるでしょうが?

プロの囲碁棋士の話にありました。「対戦相手が不得意とする戦法が自分の得意とする戦法なら当然それを採用する。それができないなら相手が不得意な戦法で自分の不得意な戦法を採用する。」
とにかく社会生活では妥協が必須です。人生は妥協の達人でないとつまらないものを引いてしまいがち。最善策が取れないならすこしでも条件のよいものを取るには最小悪の選択をしなくてはなりません。
アールオアナッシングというのは見た目はかっこいいかもしれないけどしたたかな生き方ではないと思います。人生においても国家レベルにおいても一時の感情で自分を見失ってはいけません。少しでも良い条件を得る努力をしなくちゃ!
最小悪の選択と言いますとネガティブな趣がありますが、ポジティブに言えば最大善の選択です。

本日の教訓:
最善策が不可能ならば、せめて最小悪の選択をしよう!

なんか、だんだんまともなことを言うようになってきた。もっと過激にならねば!

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