国語の力と論理的な考え方2001.12.12
今日はまじめな話です。
世の中にはどう考えてもおかしいと思える話にだまされる人がいます。
それは知能指数や学歴に関係ないようです。
オウム事件に関わった人の多くは東大、京大出身者や在学生、NASDAの科学者、弁護士、医者、あるいは警察幹部とそうそうたる人たちでした。
あるいは学校の先生はインテリの典型でありましょうが、その多くがなぜ捏造された事実を信じて活動しているのでしょうか?
『平和運動』に関わっている方々もそうでありましょう。アフガン支援で出港していく自衛艦に向かって『死んで来い!』なんていうのは論理的でもなく、倫理的でもありません。
いったいどうしてこんなことが起きるのでしょうか??

仮説提案です。これは日本の国語教育に問題があるのではないでしょうか?
いえ、偏向教育なんてこととは違います。
国語の教育はまず実用的な文章を書くことを小学生、中学生、あるいは高校と鍛えなくてはならないと考えます。
実は大学あるいは高校を出てきてすぐにまともな文章を書ける人って少ないんですよね、
むずかしい文章じゃなくて、人にものを頼む文章とか、お礼の文章とか、あるいは業務上のEメールなんかまともに書けません。
国語は日常使う文章を徹底して教えるべきです。
具体的には手紙の書き方、現在ならEメールの書き方、取扱説明書の書き方、人に物を頼む文章、借用証、そういったものを徹底して教えるべきです。
そこでは主語・述語を明確に、5W1Hを漏らさずに、ていねいかつ無駄ない文章を教える。私の持論ですが、一行の長さとか漢字の割合とか、複文・重文を避ける知恵とかいったものを教えなくてはなりません。
詩や小説などの文学は国語とは別の科目とすべきかもしれません。

実用的な文章を書くことが社会人の必要条件よ! 『Technical English』という本があります。
英語の本ですが、内容は機械の説明書を書く、何かの仕事の手順を書いてみる組織図を書かせるといったことが盛りだくさんです。
作文にしても休みの日なになにをしたというのでなく、○○について1000字でまとめろと言った具合です。
こういった教科をとった人と『岩走るたるみの上の早蕨の・・・・』しかやっていない人では論理的思考力が格段に違うはずです。
いえ、私は百人一首も万葉集も小説も重要な文化であると考えますが、同時にあるいはそれ以上に実用文が重要だと信じています。
『日本語は論理的な思考に向かない』なんて暴論を吐く人もいますが、そうじゃありません。『実用的、論理的な日本語を教えていない』んです。
ぜひ『Technical English』買ってみてください。平易な英語ですから英語の勉強にもなります。
実用文が縦横無尽に扱えるならば、その結果 頭の思考が論理的かつ実務的になり常識と言うものが文字とおり身に付くはずです。
そういった訓練を繰り返すことにより、あやしい理屈にだまされないようになると思います。

教育とは学問じゃありません。寺子屋の『読み書きソロバン』のように生きるための術を学ぶことからはじめるべきです。
江戸時代、あるいはギリシア時代そうであったように高度な学問、芸術は余裕のある人が学べばよいのです。
『そりゃ差別だ!』なんて言っちゃいけません。その言葉、まともな文章を書けるようになってから言ってください。
実はこれ、今日会社で上長から『接続詞がおかしいぞ』と言われてハタと気がついたのでした。(^^)

本日の結論
論理的な思考ができない方に、理を説いても無駄です。
まず、実用的な日本語を教える必要があります。



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