社民党の考察2001.12.14
本日は社民党の行動、戦略に関する考察です。
実はこれ社民党今川議員の掲示板で外国人参政権について議論していたテーマへの投稿だったのですが、12月14日なぜか?掲示板への投稿ができなくなりましたのでここに掲示いたします。
反論をお待ちします。

生物がそうであるようにいかなる組織もその最終目的は永続である。政党にしても同様と考える。
ソ連が崩壊し、中国が依然開発途上にある現実を踏まえると社民党が政党として存続するためにいかなる戦略をとるべきかは1990年代の最重要課題であった。
社民党は保有しているリソース(金・人材など)、支持層、世界的な主義思想の盛衰などを検討した結果、自らの力ではこれを実現することは困難であるという結論に達したことは疑う余地はない。
他の政党、各種団体、従来の組織労働者ではない国民の階層の支援あるいはそれらとの共同戦線が不可欠なことは明白であった。しかしどの思想、あるいは団体と共闘するかの選択は自らの存在意義に関わる重大な問題です。
ここで、彼らは先例を研究した。
自動車から農産物の貿易自由化、あるいは金融証券の自由化、大規模小売店舗、外国人弁護士活動など過去の事例をみれば日本政府が外国からの圧力にきわめて脆弱なことは明らか。社民党はこれに倣い自党の存続のために外圧を利用するという戦略を採用しました。
この戦略の是非はありましょう。選択の誤りあるいは運用のミスは逆効果となる可能性があります。
しかし、議席の絶対数が少ない現状を踏まえればこの戦略はきわめて効果的であり、効率的であることは間違いありません。
なにしろ、日本では左派系の意見は右派系の意見の10倍の効果があり、外国人の意見はさらにその10倍あるという調査があります。(これはウソです)またリベラル派の行為は保守派の行為より容認するという国民感情もこの政策に有利に働きます。
その証拠は石原知事の言葉尻を捕らえて云々することはあっても、社民党議員の失言で辞職せよと表明したメディアはありませんでした。
この戦略のうえに戦術が検討され取捨検討されたわけです。
今議題となっている外国人参政権は目的ではなく運動の手段です。実現したとして単純に計算してそれはせいぜい数十万票であり、かつ全国に分散しています。すべて得たとしても一ないし二議席にしかなりません。
しかし現在、在日外国人は選挙権がなくともご存知のように日本政府に対する圧力団体、世論のオピニオンリーダーとして機能しています。同様に外国の首脳の発言は日本政府の首脳の発言より国民に与える影響は大きいのです。それは日本のODA、すなわち国民の税金で援助してもらってる国でさえもそうなのです。日本のメディアも日本人の発言より外国人の発言をありがたがるという風潮があります。日本国民が主体性がない、あるいは国家の誇りを持たないことは社民党のこの戦略に有利に働き、彼らがその力を利用するのは当然の選択でありました。
一方一般国民の実態を見ますと投票率がきわめて低く政治に参画する意識もなく政治的な力を行使しない。消費税やPKOといった過去の重大イベント時においてさえ投票率の向上はありません。日本の一般的有権者はもはや政治的な権利を放棄したも同然です。
社民党の戦略、戦術はこの現状分析と仮定の上に立案し実行されてきました。
外国人参政権もこれにより注目を集め支持を得られると見込んでいるからです。
破産や不正があった銀行や企業は星の数ほどありますが、外国人の企業のほうが国内の企業よりも国民の注目を集めるならばそれに関わった活動することは国民の注目を集め有利に働くと考えられます。本来の目的からいってそういった選択肢を採用することは適切な戦術であろうかと考えます。
このような戦略に基づいた過去数年の南京虐殺、教科書問題、慰安婦問題、靖国参拝などの戦術はそれなりに効果があったと判断します。
しかし彼らもこの戦術がいつまでも続けれられる戦法でないことは承知しています。
特に確固たる証拠がない時は論敵にその瑕疵を突かれた場合致命的な痛手を受けます。現実にそのようなケースも発生しました。例えば慰安婦問題においてはその存在が否定され、論点をはぐらかすという戦術により回避してきました。
最近、皇孫がお生まれになる直前に憲法1章改正というアドバルーンをあげましたが、国民感情からこれはまずかったようです。このため内親王お誕生直後すぐさまこれを喜ぶ談話を発表してリカバリーをはかりました。
これらの結果から判明してきたことは日本国民は彼らが予想したほど自虐的でなく、また納税に伴なう権利意識を持っていたことです。特に小林よしのり氏などによる虚偽の歴史観の批判・断罪、あるいはインターネットによるナショナリズム高揚のうねりも見られます。現実的な問題としては不況下にある日本の財政あるいは国民一人一人の税負担から考えると中国などへのODAは明らかに偏っていると考えられてもおかしくありません。
このように手段として取った運動あるいはキャンペーンがかえって組織に対する刺となるものさえ見られます。今後は確固たる根拠があるもののみを採用して活動を進めないと本体組織あるいは目的をスポイルしてしまう危険もあると認識しているでしょう。
さらに現在はマスメディアだけでなくインターネットなどにより情報はすぐに全世界に伝わります。社民党首脳が北京で人民解放軍を謁観してこれを称えた発言がすぐさま日本国内に伝わってしまいました。国外と国内へのオピニオンの使い分けも今後より困難になろうかと考えます。これらについては今後戦術を見直さなくてはならないと考えます。
彼らも戦術の選択の適切性、戦法の強度、方向性については試行錯誤の状態にあるのかと考えます。あるいは外圧頼りの戦略自体を改める可能性もあります。 今後、日本人の国民感情を受け止めた常識的・穏健な主義と運動様式を身に付けることを期待したいと思います。しかしながら、少数派になればなるほど過激となるのは歴史の教えるところです。そういった意味で現状の規模では彼ら自身が戦略・手段の選択に非常に揺れ動いており今後の政策が非常に注目されるところです。危険な状態にあるといっても良い。現在の各議員の行動はこの試行錯誤状況にあるのではないでしょうか?
百貨店政党ではなくフェミニズム政党に特化すべきという論をどこかで見かけました。しかしフェミニズムのような個別テーマ志向の政党はそれが達成されてしまえば存在意義を失います。ですから政党として恒久的に存続できるための正当性を持ちつづけなくてはなりません。それが過去・現在にわたる最大の問題なのです。


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