2001年も終わりです2001.11.27
あっ、というまに今年も終わり、
会社で2000年問題を騒いでいたのはもう2年も前になります。
当時、家内や子供たちに水と石油を備蓄しておけなんて言っていたので、あとで大変からかわれました。

それはさておき、今年もいろいろありました。
世田谷一家殺人事件で年が開け、小学校殺人、雅子様ご出産、同時多発テロ、アフガンのタリバン政権崩壊、不審船などなど、

常に努力! 2001年といえば、「2001年宇宙の旅」なんてSFありましたね。はじめて映画を見たとき、2001年は永遠にこないような気がしました。
すでに私たちは2001年を過ぎてしまうところです。現実はSFを超えたのでしょうか?現実は過去の延長にあり、未来は永遠に来ないのでしょうか?
「2001年・・」の作者アーサーCクラークの本に「未来のプロフィル」というのがあります。これまた1958年著という年代ものですが、今読んでもその輝きは失っていません。
なぜこの本は50年近くたっても古びないのでしょうか?
なぜ、この本に書いてあることは永遠に未来なのでしょうか?
この本の序文は「未来を予言することは不可能だ」で始まり、「未来について確実な唯一の事実は、それが途方もなく風変わりのものになるだろう、ということである」で終わっています。
「2001年宇宙の旅」が常に未来であり続けるのはクラークのその限りない想像力にあるに違いありません。

私が子供のころは昨日より今日、今日より明日は進んでいるという希望がありました。それは社会的にも、個人的にもそういった希望、願いがあったわけです。たとえば社会的には水道を各家庭にほしい、道路は舗装してほしいと願い、個人的には衣類や食生活をすこしでも向上させたいという希望(必要)があり、そうなることを願い、努力してきたのです。
いつの間にか、未来は大人にとっても子供にとっても今日よりよいもの、あるいは憧れではなくなってしまいました。
悲しいことです。
なぜなら、人は目標を持ちチャレンジすることにより、強くなり進歩するからです。保守的になった瞬間進歩は止まり後退が始まります。
あっ、これ政治的な保守的、革新的とは関係ありません。革新政党がその教義から抜け出せず保守的になっていることは周知の事実
人類は個人としても、全体としても明日への希望を持ち続けなければなりません。
ケネディがニューフロンティアを唱えて40年、今また私たちは新しい松明に火をともし新しい地平を目指そうではありませんか!

2002年ニューフロンティアを目指して

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