年金物語 2004.05.22
えー昨今、国会議員のだれそれは・・・某大臣は・・・首相は・・・あるいは野党党首は国民年金を納めていない、いや加入していなかったのだ、などなどうるさいことでございます。
うるさいとは五月蝿と書きます。五月だから騒いでいるのでしょうか?、
ことの始まりとなった女優にかっこいい啖呵をきって欲しいところです
ザケンジャネーヨ!人を呪わば穴ふたつたあオメーノことだ
ついでに年金未納で党首を辞任したプロ市民の頭を引っぱたいて欲しいところです 
ま、それはさておき本日は年金のお話
といってもいかに有利な方法を考えようとか、払わないで済む方法とか、あるいは年金制度のあるべき姿を考えようとか、年金未納の政治家をいかに断罪しようとかなんてこととは・・・・まったく無縁のお話でございます。

では始まり始まり、
私のオヤジは明治45年生まれ、若いとき保険を積み立てしていて満50歳になったときそのお金をもらいました。そのとき払い戻しを受けたお金が、なんと『金1000円』でありました。千円です。千円札が一枚!
1000

日本銀行券
★★千円

★★DE6289000
戦後のインフレで若いとき一生懸命積み立てた老後の蓄えは吹けば飛ぶお札一枚になってしまったのです。 それでも両親は「戦争で保険会社がつぶれないだけ良かった」なんて言っていたのを思い出します。
両親はその千円を大事に神棚に上げて拝んだものです。若いとき苦労して積み立てた大金がたった千円か!と怒ることもなく、自嘲することもなく、人生生き永らえたことを感謝しておりました。中学生だった私はそんな二人を立派だというよりとかわいそうだと思いました。

しかしそのことからいろいろなことが分かります。
まず、明治45年生まれの人の若い頃は50歳というのは老齢であると認識していたということです。(実際にオヤジが定年退職したのは55歳の時でした)
次に、オヤジが若いときは1000円あれば老後の蓄えになると思っていたということでしょう。
戦後のインフレとその後の物価上昇により昭和35年の1000円は今のせいぜい3万円くらいだったと思います。物価上昇については統計局参照のこと

私が子供の頃、近所に年寄りがいたかといいますと、そりゃいました。しかしまず80歳とかそれ以上という方がいたという記憶がありません。近所で何年間も中気で寝ていたおじいさんが70くらいだったと思います。
私が子供の頃、我が家には両親と兄弟とオヤジの母、つまり私の祖母がいましたが、この祖母が明治15年生まれで、亡くなったのは75歳くらいのときと記憶しています。そのときはもうよぼよぼでした。よく地面をなめるといいますが、歩くときは杖をついて背中が本当にまるく曲がってしまっていました。今あのような老人を見ることはまずありません。

今では70歳と言えばまだ元気はつらつで、スポーツやさまざまな趣味あるいはボランティアでより年上の方の世話を焼いている方なんて珍しくありません。家内の母上もとうに70を過ぎて80に近いのです。一度ゲートボールというものをしてみたのですが『バカバカしい』とのことでして、それ以降二度とやらず今も元気に農作業をしております。冗談抜きに私より長生きするのではないか?とさえ感じます。
もちろん10歳くらいの子供の時の記憶なんてあてになりませんが、高齢者がいなかったのは間違いありません。新聞でも40過ぎれば初老とか老妻という表現がまかり通っていたのです。今私は50代半ば、初老という自覚はまったくありません。私を意味する時に白髪の絵を使っていますが、実際はもうちっと若いのです。まんが『サザエさん』の父(波平)とは比較にならないほど若いと思います。
髪の毛だけはいい勝負かもしれません  しかしそれは国家機密となっております。
家内は50歳ちょっと、まんが『さざえさん』のおかあさん(舟さん)よりは見た目も中身もはるかに若いことは保証します。そして私の娘はサザエさんよりも年上、息子はカツオよりも年上で既に社会人であります。
人口ピラミッド
小学校の時、中学生だった姉が教科書の人口ピラミッドという絵を見せてくれました。そのときの日本の人口はエジプトのピラミッドの如く安定した三角形をしておりました。私はその絵を見てまさにそのとおりだと実感しました。たくさんの赤ちゃんが生まれるけれど、生まれた瞬間からだんだんと病気、事故、栄養失調といったことで死んでいく、そして成人に達するのは7割とかだったのです。

もちろん当時は結核による大量死はなくなっていました。とはいえ決して無縁ではありませんでした。 友人の何人かは結核になり入院しました。一人は入院が長引き、学校が一年遅れになった奴がいます。
毎年ツベルクリン検査というのをやりまして、この結果が陰性ですとBCGということになります。これまた痛くて、皆必死に腕を傷つけたりこすったりしてツベルクリンの反応を大きくしようとしたものです。
当時の年寄り、会社勤め以外の人には定年というのはありませんでしたが、となりの大工は50代半ばで息子に代を譲るといって隠居しました。隠居といっても別宅があったりはなれの別室があるわけじゃありません。もう仕事はしないよという意味でございまして、まあ家でゴロゴロして孫守りとか庭の手入れとか近所で将棋をさして時を過ごすという暮らしをしたというわけです。そして悲しいことに60を少し過ぎたとき、脳溢血で死んじゃいました。
最初の誕生日を迎える前に死んじゃう赤ちゃん、疫痢で死んだ小学校の同級生、二十歳過ぎで事故で死んだ近所の人、60過ぎでアットいうまに死んじゃう人、身近にそんな人々を見ておりますと人口ピラミッドが三角形、人間歳をとるとともにだんだんと死んで人口が減っていくということが実感としてあったわけです。
今、過労死とか突然死なんていわれますが、昔のほうが死亡率も高く、寿命が短かったことは間違いありません。厚生労働省のデータがそれを証明しています。 よって反論は認めない。
そういった時代、隠居した老人(といっても60前後なのだが)をどうして養っていたのか?
立派な年金制度があったわけじゃあありません。
子どもが親を養ったのであります。・・・・しかも長男が
いやあ、これは私の好みにあいませんでしたね、
mankomatta.gif 私は兄弟が、女三人男一人という非常に悲しい境遇であったのです。親を養うのが嫌いだということ以前に、これは私が古里を離れられないということを意味したのです。
集団就職列車というのは私が高校を出る前になくなっていましたが、当時中学校や高校を卒業する9割の男も女も都会に出て行ったのです。
私の姉も当時花形産業であった化学繊維のメーカーに入りました。本人はかっこよく糸姫と自称していましたが、簡単に言えば糸巻きの女工でしょう。
しかし私の地元では『長男は災難』と言いました。なにしろ一般サラリーマンや職人では親の遺産など期待できませんし、親の面倒を見なくてはならないという悪条件でございます。更に住所移動の自由がききません。友人や同級生が都会に出て行くのを指を加えて見送るしかありませんでした。
そしてなんとか地元の企業を探して就職し、親といっしょに暮らすほかありませんでした。
高度成長前の田舎で就職する会社を見付けるというのは大変困難だったのです。他方、都会に出て行くということであれば、就職口はたくさんあったのです。
もっともオヤジは戦争に行っていたので恩給というのがありました。ありがたいことです。
私が40歳の頃、囲碁に狂っていたことは何度も申し上げております。当時、私はいくつもの囲碁クラブ、碁会所に出入りしておりましたが、そういったところの中心はやはり定年退職者が多くを占めていました。40歳の私は若い方からかぞえて何番目といったところです。
『ヒカルの碁』が書かれてすこしは若い人に囲碁が流行ったのはそれからズット後のこと、
そんな碁会所にはヒマと金のある70歳とか80歳というかくしゃくたる方々がたくさんいらっしゃいました。インパールに行っていた陸軍中尉とか内地で新兵を訓練していた陸軍少尉だったとか、国鉄で鈴なりの乗客を運んでいた機関士とか、経歴はさまざまでした。戦後はまたみなさんは混乱期、高度成長期を公務員とか会社員とか自営業とかさまざまな苦労をされたわけですが、老後は囲碁クラブでは悪口を叩きあい仲悪く(?)過ごすことができたわけです。
そんなところでお正月に囲碁大会を開催しようとすると三が日あるいは松の内はだめで、いつも成人の日頃になりました。なぜか?お正月は忙しいから?とんでもない、お正月は海外旅行に行くというメンバーが多く、大会が開けないのです。
優雅な人生を送ることができたのです。まことのご同慶の至りであります。
戦争に行かれてそれは大変なことだったでしょうし、戦後の混乱時はそれまた大変だったことでしょう。そういう人生を送られた方は少しは安泰な老後を過ごす権利はあると思います。
でも彼らが安穏とした老後を過ごすことができたのは彼らががんばったからではなく、彼らを支える人々が大勢いたからです。・・・その中には私も入っていたわけです。
今から15年前はまだ人口ピラミッドが安定していたようです。


そんな経験を踏まえて私の結論です。
国家規模であろうと、家庭規模で考えようと、支えられる人と支える人の比率がすべてを決します。
今まさに定年を迎えようとしている人たち、それには私も入りますが、年金が欲しいという人よりもその原資を払う人が少なくなれば年金制度は破綻します。
日本の人口減少が続く限り、年金制度が崩壊するのは確実です。今手直ししても10年後はまた崩れるでしょう。

おお、あなたご不満がありましょうか?
でも一番先に不満を提示する権利は、一度たりとも年金を未納せず、一生懸命働いてきて、年金受給の年齢がドンドン先伸びになる私のほうにありそうです。
でもね、結局ない袖は振れないのです。

同時にもうひとつのことを申し上げます。
『100年もつ年金制度』とか『100年先を見据えた年金制度』なんて言葉が新聞で見かけます。

そんなことありえませんよ、

今から100年前、つまり明治30年あるいは明治40年頃、あるいは日露戦争の勃発時に、今の日本を想像できますか?
人口、経済、産業、都市あるいはメガロポリスの発生、交通機関の変遷、将来アメリカを相手にした戦争が起こりそれに負けて政治体制が変わり・・・・・・バーっとその後の歴史を考えて『今後100年を見据えた年金制度』を考えられるでしょうか?
このページにある人口ピラミッドの絵で1930年を見て70年後を想像できた人がいるでしょうか?

タイトルと中身が異なるのは『日本人よ誇りを持て』の常 
出張の電車の中でうつらうつらしながら霞のかかった頭で考えたことであります。



年金物語 2 2004.07.31
毎度バカバカしいお話でございます。
私は年金をもらえるのだろうか?老後は悠々自適に過ごせるのだろうか?などと出張の電車や飛行機の中で考えたことを、つれづれ書いたものであります。
oldman1.gif なにせ霞のかかった頭なものですから論理が通っているとは思えず・・・


年金とは簡単に言えば働かない人を養う方法である。 誰が? 働いている人が養うのが当然である。
仮にここに一人しかいないとすると、年金という考えはありえない。若い時自分が食べる分の2倍働いてもそれを蓄えておくことができなければ、年老いてから余剰分を使うことができない。
動物あるいは多くの未開部族、楢山節考の世界であれば、個人で自立して生きていけない者は存在が許されず死ぬしかない。この場合は人間の労働成果と消費はタイムラグがない。
昔は世界中どこでも死ぬまで働くのが普通だったし、また寿命が短く、余剰生産も少ないからそれは当然だった。

一人で生きているのではなく家族規模で生活している場合、生産に余剰があればその余剰を労働しない人に配分することができる。もちろん見返りがなくては支給する意味がない。老人の知恵とかまだ労働力となっていない子供の世話をする程度の労働力はあり存在意義を認められた場合だろう。
deino.gif
骨折し治癒したテラノサウルスが見つかった結果、彼らは怪我をした仲間(家族?)を養っていたことが分かったそうだ。
年金制度や医療保険制度を発明したのは人間ではなく恐竜だったのだ!

現実の社会には一人しかいないわけではなく、一家族しかいないわけでもない。非常に多数いる。だからこそ若い時に働いた余剰分を積み立てておいて、年老いてから消費するという考えが生まれ、余剰分を信託しておいて必要になったときに配分を受けるという社会的規模の仕組みが年金である。
社会的規模とは家族レベルでないことである。
さて、現実社会の働く人、働かない人に分けてどういった仕組み(スキーム)で養っていくべきか考えた時に、その方法はこれまた多種多様である。
しかし何事も原資があってもお話である。
人間の人生を養われる時期を幼年、養う時期を成年、再び養われる時期を老人と分けたとしていったいそれぞれが何歳から何歳で、また人口割合はどうなっているのか?
ということを考えないと年金という論議はできない。
ちまたでは出生率を広報しなかったのはなんたらかんたらと論議されていたが、本当はそんな些事にあるのではない。
厚生労働省の2003年人口動態統計で、1人の女性が一生の間に産む子供の平均数を示す「合計特殊出生率」が初めて1・3を下回り、1・29となることが10日、分かった。厚労省が近く確定値を公表する。1・32だった02年から大幅に低下し、少子化が予想を上回るスピードで進行していることを示した。
 国が年金など社会保障制度の前提として想定していた水準も下回り、政策見直しを迫られるのは必至。今回の年金制度改革で政府与党は「現役世代の手取り年収の50%の給付水準維持」を約束したが、このままの勢いで少子化が進めば実現は困難な状況になる。
 厚労省の国立社会保障・人口問題研究所が02年に公表した将来推計人口(中位推計)は、03年の合計特殊出生率を1・32とし、07年に1・30台で底を打って、50年までに1・39程度まで緩やかに回復するとみていた。
 今国会で成立した年金制度改革関連法はこの数字をベースに将来の総人口を推計し、負担と給付の額を試算している。
04年6月10日 報道

詳しいデータはこちら
一体、日本の人口構成とか平均寿命などを考えた時、年金という制度はどういったものにしないと成り立たないのか?崩壊するのか?を考えると結論は簡単だ。
支える人の負担を大きくし、支えられる人の受給を少なくするしかないということだ。
それは多くの人にとって受け入れがたいものである。まして年金未払いなどしたこともなくまじめに働いてまじめに納めてきた人は馬鹿を見たと思うかもしれない。
 目の前に優雅な年金生活者を見ていればいるほど・・・・

自民党や政府の年金制度を批判することはたやすい。しかし民主党が何を唱えようと、共産党が奇術を提言しようとその方法論ではなく、数学的(というより算数的に)INとOUTがバランスしたものでないと成り立たないのである。人口構成が変化するタイムラグを活用したり、自分の存命中はことなかれと逃れようとしてもまず無理だろう。

現在の年金論議で私が不思議に思っていることは、
なぜ『少子化時代には戦後50年間存在しえたような年金制度はありえない、国民全員に犠牲を払ってほしいと言わないのか?』ということだ。
年金問題とは厚生労働省のデータの遅れとか、政策の違い、ムダ使い、徴収漏れなどで解決するものではない。
  • 民主党がいうように、
    「年金を一元化し、年金保険料の無駄づかいをなくし、一定の年金給付を保障する」ことはできるはずがない。
    もっとも皆が一律に乏しい年金をもらう場合はマニフェストを満たすのかもしれない? 
  • 共産党のいう
    「歳出の見直しと税制の民主的改革で、雇用と所得を守る政策への転換で年金の支え手をふやす」ということが可能か?
  • 一応義理で社民党を付け加えておくと
    「受給と負担のバランスに配慮し、誰もが安心して「暮らせる」年金制度」なのだそうだ、
    まあ、泡沫政党はどうでもよいか? 


人口推移

少子化は上図の通り事実だし、今後一層進行するだろう。それに目をつぶるわけにはいかない。
しかしそれは決定的な悪なのか?悪い点しかもたらさないのか?
ひるがえって少子化が進まないほうが良いといえるのだろうか?
man7.gif 考えてみてくれ!
子どもが終戦直後のベビーブーム同様に生まれたほうがいいのか?
それは過密をもたらすだろうし、その人々が消費する食料、エネルギーはどこから調達するのか?
低質なエネルギーはSOX・NOXそしてばいじんを生み出すだろう。
地球環境問題が叫ばれている現在、無制限な人口増加は環境破壊の最たるものだ。
生活様式の根本的改革がないのなら、廃棄物量は人口に比例するだろう。

その結果は今の中国になるのだろうか?

少子化が問題だと言うのなら、どういったシナリオが理想なのか示して欲しい。
バブル崩壊というのは諸因はあるだろうけど、日本の経済は永遠に膨れるものではないというだけじゃないか?
どこまでも膨れるものがあるはずがない。唯一例外は宇宙だけだ。

国家レベルでは無策なのだが、一人一人の日本人は無意識にこの日本のおかれた地政的制約から人口や経済はこうあるべきだというのを感じ取り個人レベルで実践しているだけではないのだろうか?
競争社会を拒否し、自然を残そうとしているのではないのだろうか?
『100年もつ年金制度をつくろう』と語るボケがいる。
それは勘違いで目的と手段を履き違えている。
本当は『国家100年の計を立てよう。そのとき年金制度はどうするか?』ではないのか


年金問題とは年金制度の破綻などではなく、ほんとうは国家論なのである。


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