KYOSUKE HIMURO
FLOWERS for ALGERNON

 解散を発表した渋谷公会堂でのライヴ以前にソロの形は考えてはいない。渋谷が終わって東京ドームまでの間ブランクが出来たんでそこではいろいろ考えたりしてたけど、BOφWY が終わるまではもう BOφWY 一色だよ。

 それは六年間やってきた BOφWY に対してオレが考えちゃ失礼だと思ったしね。少なくとも BOφWY として納得できる活動をする期間内ではソロのアクションはしなかった。

 自分の中で歌いたいなというテーマがいくつか素材としてあった。それは「ANGEL」みたいな、より自分の内面に向かった歌。単なるラヴ・ソングではなく、BOφWY とは違った切り口で、内面的な部分を表現していきたいという核があったんだよね。

 それを具体的な音にする作業は初めての経験で、面食らったこともすごいたくさんあったけど、作るぞ! という意欲がやっぱりすごく高かったな。あとは自分に対する未知の部分なわけだから、BOφWY のメンバーから離れて自分がすることに興味が湧いた。

 実際は三ヶ月くらいで曲を書き上げて、ある程度デモ・テープみたいな形で作ってから、そこに(吉田)健さんが入ってきた。BOφWY の頃の詞はほとんどオレが書いてるわけじゃん? だから詞を書くのはまだ興味がもてて早く書けた。ソロ二作目以降はまた変わって来るんだけどね、意識が。

 ただアレンジだよね。アレンジは布袋がイニシアティブをとってきたから、スパッと判断を下せなかった。ソロのレコーディングをしている時に、新しい空間から受ける刺激ももちろんあるんだけど、身体が欲しがっちゃうこともあってね、特にビート系の曲は。そこでの苦しさはあった。

 布袋だったらここのギターはこう弾かなかったとか、頭じゃそんなこと考えたってしょうがないとわかっていても、肌が覚えちゃってる。" 布袋ならこう弾いた。松井とマコっちゃんならこうやった。 "的なビジョンが頭の中に出て来ちゃう。逆に作りながら" BOφWY とは違うんだな "ってはっきり形としてわかる曲もあってね。たとえば「ALISON」を BOφWY でやったら全く違う解釈になったと思うし「DEAR ALGERNON」なんかは BOφWY ではやらなかったかもしれないしね。

BOφWY の時はいい意味での無責任さがあったからさ。それがソロになったときはやっぱりストイックになるべきところが見えてくる。

 ビートに関しては、何ていうかドラッグを断ち切るような感じはあったかもね。偉そうなんだけど、上手くなくてもオーラを発しているビートってあるんだよ。それを身体が求めちゃうのは、これはツライよね。理屈じゃないわけだから。

 バスドラよりもちょっとベースが突っ込み気味にはいるとか、そんなレベルではない話でね。弾いてるヤツが、そこまでの時間の中でどんな音楽を聴いて、何に感動して、事件があった時はどんな対処をしてとか、人生そのものが音になってないとビシッ! とこない瞬間があるんだ。それはバンドだからこそできたことで、ソロで要求するのは活動自体に反するからさ。でもソロ最初の時はそこまでわからなかった。で、煮詰まった自分もすごく愛しかったりするから、このアルバム好きだけど。

  「ANGEL」
 シングルは名刺がわりだって言ってきたけど、この曲はポジティヴな意味での名刺がわり。BOφWY の音楽をもしポップ・ロックという流れとしてとらえるなら、そこからもっと深いところにオレは行きたいんだっていうのを詞の中に入れてる。

  「ROXY」
 サビのメロディーを、健さんが「こんなシャッフルを作ろうよ」みたいな感じで、けっこう共同作業をしながら作った。BOφWY の頃から何回かあったけど、人と共同作業するのは好きなんだよね、曲にしても詞にしても。

  「LOVE & GAME」
 マイナー調のオレ独特のメロディーというか、BOφWY で言えば「ミス・ミステリィー・レディ」的な。この曲は後期のキリング・ジョーク的みたいなすごいアレンジを考えてたんだけど、その中で日本語を乗せるよりも、シンセ物、コンピュータ物の中でこの手のメロディーが乗ってる方が面白いんじゃないか? って健さんが判断して。今回シングルで切る「CRIME OF LOVE」もアレンジはぬきにして曲としては同系統になるかな。

  「DEAR ALGERNON」
 アコースティック・ギターでちょっと泥くさいようなことを自分が歌うとどうなるかってところを試したかった。あと曲ができた時にもうこの詞しかないな的に詞がスパッと出てきた。ただ、それをレコードに入れる度胸はかなり要った。でも " おまえ、何がやりたくてソロになったの? " って自問自答があってね。で、これを大切な曲としてやっていくんだと決めた。

  「SEX " CLASH " ROCK'N'ROLL」
 アフロ・ビートに影響された頃があって、バウワウワウ、アダム & ジ・アンツとかマルコム・マクラレンが仕組んだ一つのブームだと言えばそれまでなんだけど、アフロ・ビートって何か血が騒ぐんだよね。結果はアフロというよりシャッフルのちょっとポップナンバーになった。

  「ALISON」
 これは名曲でしょう。BOφWY では出せなかったバラードの音の世界だし。これはできた時、ヤッタぁと思ったよね。BOφWY だとバラード調の曲でもタテにノッてるというか。そこがイイ部分でもあった。音楽をずっとやってくると正統的解釈のバラードを自分で表現したい欲求が出てくるのは、やっぱりヴォーカリストとしては当然だしね。

  「SHADOW BOXER」
 これは BOφWY 的ビートを残しつつ新しいミュージシャンでやるとどうなるのか実験した曲。アルバムの中の印象は薄いかな。ライヴでやらないのは、この曲のビートは BOφWY の方が上をいくと思うから。BOφWY を越える新しいタテノリ・ビートになっていれば、きっとやってるよ。

  「TASTE OF MONEY」
 けっこう世の中を斜に見ている。素直になろう、なりたいとか言いつつも、どうしても残っているどこかアイロニカルな部分をやっぱり入れておきたかった。アルバムの全曲がつながった時に現れる、氷室京介の重要な側面としてね。

  「STRANGER」
 一つの大きなシステムとか、みんなが正しい、素晴らしいという判断基準から少し距離を置かなきゃ生きていけないヤツの歌。結局まぁアウトサイダー的なところって自分で考える自分のイメージにあるんだよ。育ち方なのかなぁ、やっぱり。

  「PUSSY CAT」
 こういう曲だとポンタ(村上秀一)さんて、どういう味で叩いてくれるのかなって期待して録った曲。それまでの自分にはなかったビートだから。でも、結局ライヴではそんなにやらなかったね。

  「独りファシズム」
 これも実験的な曲。ちょっとビートルズを感じさせるような古臭いコード進行のバラードに挑戦した。オレ、泉谷さんが好きだったし、あの頃「長い夜との始まりに」の世界がよくてね。健さん経由で書いてもらった。ライヴになってからは自分が問題で、けっこう難しかった。ノリを出せない。自分の行きたい領域に手はかかってるのにできなかったりした。