新宿私塾開校のいきさつ
講師である片塩さんは、いくつかの学校でタイポグラフィの授業を受け持ってきて、大学教育においてタイポグラフィを専門に学ぶ学部をつくるべきだと主張してきたが、タイポグラフィに対する教育機関の関心は薄く実現ができない。
朗文堂の一室を解放して毎週金曜日に金曜会というものを開きタイポグラフィに関するさまざまな議論を重ね、タイポグラフィの共同研究を重ねてきたが、もっと広くタイポグラフィというものを伝え、また一緒に研究していきたいという思いから、新宿私塾を開校した。そういう意図ではじめた塾なので、共に研究を重ねていくという意識で塾生にも参加してもらいたい。
タイポグラフィとは外来語でありよい訳語がない。片塩さんは「書物形成法」という呼び方をしている。
タイポグラフィとは情報を伝達するための美しい器をつくる作業のことである。
タイポグラフィの基本は「実技・実践」であり、そこに最も重点を置く。知の領域というものも書物という形で存在するがそれらは全て「実技・実践」を通して蓄積されたものである。美の領域というものも存在するが、明確な基準はない。(花をみて美しいと感じることは確実にあるが、「花の美しさ」という明確な定義があるわけではない)
タイポグラフィを学ぶには、まず ひとつの書体に惚れる ことである。何かひとつの活字を徹底的に研究することで、タイポグラフィの基本的な理解を深めることができる。
言葉の意味
graphic design
(モリサワ辞書)印刷をつうじて事象を描写するデザイン。グラフィック・デザイン、グラフィック・デザイナーの語を最初にもちいたのは、1922年 アメリカのウィアリアム・A・ドゥウィギンズであった。
Dwiggins,William Addison(1880-1956)はアメリカのブック・デザイナーで、アルフレッド・クノップ社のために300冊を越えるブック・デザインをのこした。
ドゥウィギンズはタイプ・デザインをガウディ(Frederic W. Goudy)にまなび、アメリカ・ライノタイプ社と27年にわたる関係があり、Metro(1929)、Electra(1935)、Caledonia(1938)などの書体をのこし、本来はタイポグラファであった。
アルフレッド・クノップ社に転じたのち、活字、カリグラフィ、イラストを独創的にあつかい、同社の出版物を特徴づけた。ドゥウィギンズはこうした職業をグラフィック・デザインとよび、みずからこうした職能人をグラフィック・デザイナーとよんだ。calligraphy
(モリサワ辞書)カリグラフィとは、文字における美的要素を強調した、装飾的な筆記体である。また、変形や表情豊かな心理描写が許容される文字であり、演出的技巧や演出的描写が評価の対象となる文字である。 lettering
(モリサワ辞書)文字の基本構成、筆法の規則にしたがいながら、規則性のつよい文字を描くこと。おもには広告、書物のタイトル、社名などの特定の目的にあわせて、視覚的な効果をかんがえて文字をデザインすること。 typography
(タイポグラフィの領域)
原義としてのタイポグラフィとは、typoとgraphyのふたつのことばの合成語である。
typoはギリシャ語で、英語のtypeのもとになった語である。タイプは印刷に使うために、浮き出しの文字や符号を表面にほどこした金属片で、すなわち金属活字である。
graphyもギリシャ語のgrapheに起源のある語で「描く、書く、記録する方法・形式」を意味する。
すなわちタイポグラフィの原義は「言語を金属活字に変換して、それを描き記録する形式」となる。type 活字は手書きの文字を母体として、印刷という複製の技術に対応させるためにつくられた印刷用文字書体であり、その技術の一定の制約のもとに使用される。したがって技術環境の変化によって、支持体は木材(木活字)、鉛合金(金属活字)、ガラス(写植活字)、電子情報(電子活字)のように変化したが、可動性の印刷用文字活字という本質に変化はない。
活字は相互に自在に組み合わされることを前提としているために、同一のデザインのもとに、文字組み(組版)と、印刷方式にあわせて、反復・再生を可能とする。
そのために標準化と規格化がなされ、一貫した秩序と調和と、ひとの視覚感性がながいあいだにわたって醸成されてきた様式性、違和感を拒否する保守性、厳格な規定が凝縮されている。
つまりタイポグラフィの実践にあたっては、活字とはもっとも大切な基本素材であり、活字書体の研究は根源的なものであり、つねに配慮をはらう必要がある。
First Principles of Typography [スタンリー・モリスン 河野三男訳]
タイポグラフィを定義すれば、それは特定の目的にしたがって印刷材料をただしく配置する技であり、それによって読者が本文をなるべく正しく理解できるように、文字をならべ、余白を配置し、活字を使いこなす技といえます。
本来タイポグラフィは、実用の目的に対して、ある効果をあげる手段であって、それによる結果が美しくても、それはまったく偶然の産物です。なぜならば、読者の本当の目的は、レイアウトを楽しむことではないからです。
したがって何を意図しようが、著者と読者の間を離してしまうような印刷材料のあつかいはどれも誤りです。書物印刷においては、第一の目的は読まれることにあり、気の利いたタイポグラフィを目論む余地はほとんどない、というところに当然落ち着くのです。ですから組み方が退屈で単調でも、それはタイポグラフィ上の奇抜さやあそびよりはずっとましです。
タイポグラファの役割と立場の確認
タイポグラファはそれぞれの行程の間にたって、過不足なくすべての行程に眼を向けて、配慮を加える。つまり書物づくりの専門家として、書き手の意図を理解し、すべての行程を熟知し、同時に読者への効果に配慮する専門家をめざす。
すなわち書記言語による表現者(書き手)たる送り手と、その受手たる読者との中間に存在して、表現者の意図を活字書体に「変換」させることによって、それを忠実に「再現」し、それをレイアウトすることによって「描写」する。その結果が書物となって、読者に「伝達」されるのである。
1 書記言語を表現手段として、思想や情念を発表するもの 書き手である著者 2 書記言語を伝達する媒体の中心素材である活字書体を設計するもの タイプデザイナ それを規格化して製品とする書体開発・販売会社 活字書体見本帳 3 自己表現の成果としての原稿を忠実に活字書体に変換させて、組版設計し、複製し、伝達させる媒体に応じて、視覚上の配慮を効果的にくわえて読者に提示するもの、あるいはそれを指示・監督するもの タイポグラファ 4 複製伝達媒体をあやまりなく敏速に機能させる工学の知識有するもの 印刷者
(printer)5 書き手としての著者の対象者 情報の受け手
読者
communication :community(共同体意識を持つ集団)同士を結び付けるために必要なもの。
現代社会は複雑に入り組んだcommunityによって構成されており、その社会のcommunicationツールとして言語操作というものが非常に重要である。
「正書法」
各国において、その国で使用されている文字の組み方に関するルールを記したものである。しかしルールといっても絶対的なものではなく、間違ったものに関しては常に見直され、改訂を重ねている。文字組みとはそういうものである。