「合奏団たより」より 

3拍子

                       鈴森 武雄(1stFlute)

 今年はワルツ王ヨハンシュトラウス没後100年に当たるので、コンサートでワルツが取り上げられる事も多いようである。またウィーンでワルツを聞くツァーなども企画されて新聞にも旅行会社の募集が出たりしている。「講習付きウーィンでワルツを踊ろう」というパッケージツアーさえ出ている。作曲家の没後何年とか、生誕何年というのは、それなりにその作曲家や作品が再評価されて、意義ある事もあるかもしれないが、レコード会社や旅行会社の商魂のたくましさの現われという一面を感じるのは私だけでしょうか。いずれにしても当時ウィーンでワルツが大流行したようで、ウィーン子はワルツの踊りや音楽に明け暮れたのである。ワルツといえば3拍子の代表であるが、どこから生まれてきたのであろうか、それなりの歴史があるのだろう。

 ところで韓国で生活して韓国(本来大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国としなければならないが、長くなるので本文では私が滞在した韓国で代表して書かせて頂く事とする)の民族音楽(伝統音楽)が全て3拍子であることに驚かされた。日本でよく知られているアリランも勿論3拍子である。3拍子も、3連音符で非常にテンポの早い物から、ゆっくりしたものまで幅広い。にぎやかで楽しいものから、虐げられた恨みつらみのものまですべて3拍子である。また3拍子を基本にしていても2拍子と組み合わせて3/2/3の8拍子や11(3/3/3/2の計11)/5の16拍子までリズム(アクセント)を含めて複雑に高度化されたものまでがある。この幅広い3拍子を聴いていると、3拍子のもつ表現力の大きさに感動してしまう。また3拍子が特に強い表現力を持っていると感じるのである。

 さて日本に3拍子の音楽が無くて、韓国はどうして3拍子ばかりなのであろうか。この疑問は音楽に興味をもった日本人が韓国を旅行したり滞在して、韓国の民族音楽に耳を傾けた時、だれもが抱く疑問のようである。小島美子(音楽から見た日本人)や小泉文夫(音楽の根源にあるもの)らも興味を示している。最近では韓国の音楽についてもきちんとした形で日本に紹介されるようになって来ており、植村幸生(韓国音楽の探検 音楽の友社)は韓国の前記のような複雑な3拍子や民族音楽について調べたりしている。

 勿論韓国でも最近は日本以上のど演歌、歌謡曲とか、ポピュラー、ロックが日本と同じように、演奏されたり放送されている。これらは当然いろんいろなリズムで出来ており、いくら韓国であるからといって、これらが全て3拍子ということではない。しかしこれらの新しい音楽を除いて、韓国の伝統的音楽はすべて3拍子なのである。

 3拍子は一般的には騎馬民族のリズムであると言われている。たとえば小島美子によれば、馬はパッカパッカ走るリズムから3拍子が生まれたとしている。また予備的な弾みが必要で踏み出したとき強く、浮いている時弱く強弱のリズムができる。クラシックは基本的にこの遊牧民のリズムで成り立っている。 一方農耕民族はゆっくりした動きが中心で、歩くことが基本であるのでリズムの弱い2拍子であるとしている。また海洋民族は波にゆられることから、スウィング性があるといっている。きちんとした根拠のある論理ではないが、まあこのようなものかと思われる。

 しかし韓国は通常の生活様式において騎馬民族とは言い難い。騎馬民族とは大平原のなかで、遊牧を基本にした営みがあって、羊を管理するための馬を乗りこなす民族が騎馬民族である。韓国は日本と同じ農業国である。日本と同じ多くの山や川と農業の営まれるさほど大きくはない平野があるが、牧畜の生活はない。牛がいても基本的には農耕の為で、牧畜ではない。従って農耕民族の2拍子のリズムであるはずである。日本は農耕民族で2拍子の国であり、一方同じような自然環境で隣の国であるのに、韓国はどうしてこんなに根源的にリズムが異なっているのであろうか。

   少し脱線するが韓国の牛はうまい。元祖焼き肉の国だけはある。日本では黒牛がすき焼きやステーキに向いているように、韓国の焼き肉は韓国の黄牛に限る(韓国ではもっぱら黄色い牛を見かけたのである)。韓国は仏教も盛んであったが、基本的には儒教の国である。従って伝統的に牛肉を食してきた。焼き肉(プルコギ)、カルビッチム、ユッケ、血を固めたもの、その他牛肉の料理法の多様さは西洋料理を凌いでいる。牛肉の部位の名称も食べる部位も精緻を極めている。

 しかし韓国の長い歴史の中で継続して牛肉を食べてきたのであろうか。韓国では、儒教を中心として仏教を排斥した李氏朝鮮時代もあったが、むしろ仏教が主流の時代の方がはるかに長いのである。1000年の歴史を持つ新羅の首都は慶州で、たくさんのお寺や仏像があった。これら仏教が栄えた時代にも牛肉を食べていたかどうかは、韓国で3拍子がいつ始まったかと深く関係していると考えるので、興味をもつのである。

 韓国は農業国であるにもかかわらず、3拍子の世界であるので、その理由を考えると、北方からの騎馬民族侵略の影響という事になるであろう。また農楽といわれる帽子に長いリボンをつけてくるくる回転しながらの踊りなども、その衣装・音楽・楽器・踊り方のいずれもが中央アジアのものと思われ、いろんな面で日本よりはるかに強く中央アジアの影響を感じるのである。

 韓国は長い歴史の中で、中国、日本、北方民族(鮮卑・契丹、渤海)等、何回も外国から侵略を受け、また韓国の王朝は、百済のように北方から下ってきたものも多い。どの過程で、どこの影響を受けて3拍子が主流になったのであろうか。比較的新しい時代で騎馬民族の影響が大きいと思われるのが、蒙古の元である。高麗時代、元は1231年から約100年余りも実質的に支配した。日本にも2回元寇という形で影響を及ぼした。その後高麗は1394年に李氏朝鮮に変わり、儒教を中心とした国家になった。元が実質支配した100余年間に元の肉食と3拍子が大流行して、2拍子を駆除してしまったのであろうか。それとも高句麗、百済や新羅またはそれ以前の古くから、北方遊牧民族の影響を受けて肉食と3拍子の音楽を受け継いできたのであろうか。

 所で日本にも騎馬民族が朝鮮半島から来て、日本国家を形成したと言う江上波夫説がある。かなり話題になった説であるのでご存知の方もおられるだろう。 それによると4世紀の中頃からの後期古墳時代、大陸北方系騎馬民族が朝鮮半島を経由して日本に侵略して騎馬民族文化をして征服事業にあたり、日本の統一国家が成立したというのである。江上氏が主張するように騎馬民族が大和朝廷を築いたかどうかは別にしても,大和朝廷は百済など朝鮮と深く関わり、大和朝廷に多くの渡来人がいた事も事実であるし、日本書紀にも当時の朝鮮の楽人が何回も日本に来た事が書いてあるとの事である。しかし日本に3拍子は残っていない。当時朝鮮の音楽が3拍子でなかったか、日本のその後の歴史の中で消えて行ったのであろうか。 日本の民謡で3拍子である唯一の例外が五木の子守り歌であろう。しかもアフタクトから入ると言う点で、非常に特徴的である。どのような状況で平家落ち武者の山奥の里に3拍子が生まれたのであろうか。

 韓国の3拍子が北方騎馬民族の影響とすると蒙古の民族音楽のリズムがどうなっているか確認しておかねばならない。インターネットで調べてもこの簡単そうな事が出てこない。たまたま蒙古学研究事務所の電話番号が出ていたので、電話して聞いてみた。蒙古の民族音楽の本(楽譜)が何巻かあるとの事で、ぱらぱらとめくってもらい、何拍子か調べてもらった。その範囲では4/4が4曲,2/4が5曲、3/4が5曲であった。電話なので部分的に見てもらっただけであるが、3/4がかなり多い。但し巻によって3拍子はまとまって出ているとの事であったので、あるジャンルに3拍子が集中しているようである。一方日本の追分にそっくりの民謡もありますよとのことであった。詳しい事は分からなかったが、この蒙古を始めとする北方騎馬民族の3拍子が韓国に伝わって大流行して、韓国の民族音楽が3拍子になったのであろう。

 蒙古には馬頭琴と言う楽器がある。二弦の胡弓のようなものである。頭の部分が馬の頭の形そのままであり、また弦と弓は馬のしっぽをより合せたもので、騎馬民族らしい楽器である。またこの楽器の起源にはスーホという少年が白い愛馬を悼みその馬の皮と骨で楽器を作ったという有名な話がある。この楽器で奏でられる蒙古の音楽やリズムはどんなものであろうか。大草原のなかで聞くと最高であるという。


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