草戸千軒

常滑窯

とこなめよう

 愛知県の知多半島一帯で生産された中世陶器で、その製品は常滑焼と呼ばれています。名古屋市の東方に広がる丘陵地帯に展開していた猿投窯(さなげよう)が古代末期に解体・変質していく中から、12世紀に成立しました。さまざまな器種が生産されていますが、代表的なものは壺・甕といった大型の貯蔵容器です。
 13世紀から14世紀前半にかけては瀬戸内地域にも大量に運ばれており、草戸千軒町遺跡の鎌倉時代の遺構からは、備前焼に決して劣らない数の製品が出土しています。これだけ大型の製品が、しかも大量にもたらされていることからは、海運を利用していた可能性が高く、知多半島から紀伊半島の南側を経由して瀬戸内海へと入る恒常的な航路が開発されていたことが考えられます。
 しかし14世紀後半以降の製品の数は、非常に少なくなっており、その背後には備前窯の活動が活発化したことなどが想定できます。


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1997, Yasuyuki Suzuki & Hiroshima Prefectural Museum of History, Fukuyama, Japan.
Last updated: May 26, 1998.