瀬戸内海のほぼ中央部に位置する広島県福山市鞆町の「鞆の浦」は、東西の潮流の分岐点にあり、古くから潮待ちの港として発展してきました。 尾道とならぶ備後の要港として、中世瀬戸内の交通・交易に重要な役割を果たしていました。また、南北朝動乱期の正平4年・承和5年(1349)には中国探題に任命された足利直冬が、鞆において中国地方八カ国を支配しており、政治・軍事的にも重要な拠点だったことが確認できます。