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1996年度秋学期開講科目 総合コース「アメリカ」課題レポートより)

課題:

アメリカ映画のリストの中からひとつを選んで鑑賞し、その内容に関連する一冊の書籍を参考にして、映画に込められたアメリカの価値観、文化、人間関係について日本と対比しながら分析しなさい。

「映画に見るアメリカの姿」

5217 生島 卓也

選択映画:ライジング・サン


はじめに

アメリカでの日本企業の躍進

日本企業に対するアメリカの反応

アメリカ人の「倒錯」

日本に「倒錯」はない

現実を見据えること


はじめに

 この「ライジング・サン」という映画を見た感想は、アメリカ人の中には案外 周りの国の人間から考える以上に自分達の国アメリカは他の国より優れていると いう「強いアメリカ」のイメージを持っている人が多いのではないかということ である。しかし、実際にはかつての「強いアメリカ」というイメージと実体は少 なくとも経済面においては外からも中からも崩れている。そんな中でアメリカ人 の中にも「強いアメリカ」のイメージ、いわば幻想にしがみつき、自分達の豊か さのために何とかしようとする現実的対応をすることに欠けた人々もいたと思え る。私は1980年代末期に見られた「ジャパン・バッシング」という動きがまさに これに当たると考える。  

 本稿ではこの映画で描かれている日米経済摩擦の問題を取り上げ、いくらかの アメリカ人に見られた「倒錯」を考え、日本人と比較してみる。  


アメリカでの日本企業の躍進

 「ライジング・サン」は日本企業「ナカモト」がロサンゼルスに建てた超高層 ビルで起こった殺人事件を舞台にアメリカ人から見た日本企業の姿、日本に対す るアメリカ人の反応などを描いている。  

 この映画の中で描かれている「ナカモト」が超高層ビルを建て、盛大なパーテ ィーを催していることからもわかるように、多くの日本企業がアメリカで利益を あげている。原作本には、1987年に明らかになった日本の大手半導体メーカー東 芝のCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)規約違反に対するアメリカ企業の対応が 挙げられている。ソ連(当時)への軍事技術提供に対する東芝への経済制裁の検 討の際、救済の嘆願をしてまわったのは、アメリカのコンピュータ企業であっ た。ヒューレットパッカードやコンパックのようなアメリカ企業は、コンピュー タの部品を東芝に依存しており、東芝製品をボイコットすることができなかった のである。日本企業はアメリカ社会の中で重要な意味を持つほどに深く入り込んでい たのである。  


日本企業に対するアメリカの反応

 しかし、開放的で自由競争の特性を持つアメリカ市場においても、日本企業は必ず しも好意的に受け入れられたわけではなかった。これが日米経済摩擦と呼ばれる ものの一面である。  

 日米経済摩擦は日米双方の経済構造の違い、またそれぞれの経済情勢の変化な どから来る衝突であると言える。1980年代後半には主に日本のアメリカに対 する大幅な貿易黒字へのアメリカの不信感という形で摩擦があらわれた。  

 その原因のひとつは日本企業が繁栄した反面、競争に負けて利益を減らしたア メリカ企業も多く、アメリカ人が日本人を「脅威」として強く意識するようになったことであろ う。また、アメリカ社会全体から見れば「日本」を理解する土壌もなか ったことも原因と考えられる。歴史的に見ても原作本に「アメリカが日本に送り込む留学生の数は 年に2百人ほどでしかなかった」とあるように、日本を理解しようとする意 志がほとんどなく、アメリカのいくつかの地域では移民によって形成された日本人 街があったものの、大きな位置を占めたわけではなかった。この映画の中で殺人事件の捜査に加わった日本通 の刑事は再三にわたって日本の「異質性」を紹介する。この刑事がこの日本がらみの事件にわざわざ呼 び寄せられていたことも考え合わせると、少 なくともアメリカ全体ではこの刑事の指摘する「異質性」の認識すらもな されていなかったと言えるだろう。  

 アメリカ人の日本企業の隆盛に対する態度も単なる理解の欠如から嫌悪感、不信感に進んでいる場合も多い。この映画に出てくるひとりの刑事がその典型で、彼は露 骨に「くそったれの日本人め」や、「相手はまともじゃないんだ。」という台詞 を口にしている。  


アメリカ人の「倒錯」

 この刑事に見られる反応に私はアメリカ人の「倒錯」を見る。自分達アメリ カ人は強く正しいという幻想に縛られ、自分達の理解できない異質で「まともじ ゃない」日本人は悪いのだという論理だけで 日本人に接しているのである。とても現実を冷静に見て、日本人のやり方の正当性を議論し、判断しているとは思え ないのである。これが私の考える1980年代末期に見られた「ジャパン・バッシン グ」である。  

 この傾向はこの刑事に限るものではなく、リビジョニストと呼ばれるジャーナ リストや学者などにも見られる。代表しているのは、この原作の参考文献にも挙 げられている『日本権力構造の謎』を表したK.V.ウォルフレン、『アトランティ ック・マンスリー』に「日本封じ込め」を発表したJ.ファローズ、カリフォルニ ア大学のC.ジョンソンらである。彼らの論理はほとんど共通していると考えられ るが、ファローズの主張を例にとってそこに見える「倒錯」を考えてみる。  

 ファローズは、日本は西欧諸国とはまったく異なる価値と構造を有する国であ り、その際限ない拡張主義はアメリカに危機をもたらすと主張している。さらに その危機から逃れるためには、日本を「封じ込め」なければならないというので ある。しかし、ファローズは日米の経済構造が違っているというだけで、日本の経済構造 の不当性を議論していない。なぜ経済構造が違っているというだけで「封じ込 め」る必要があるのかを語ってはいないのである。私はこれはまさに現実をみる ことなく、ひとつの論理に従って判断する「倒錯」だと考える。


日本に「倒錯」はない

 日本にはこの議論に限って言えば、「倒錯」は見られないと私は考えてい る。日本企業は冷静に現実的に行動していると考えるのである。盛田昭夫氏が「日本にアメリカの土地を買うなと言うのなら、売るなと言い たい」と言っているように、日本企業はアメリカとはやり方が異なるとは言え、開放的で自 由なアメリカ市場の中でルールに従って活動し、正当に利益を得ている。アメリカが「アメリカの土地を買う」日本企業の行 動を否定することは、土地を「売る」アメリカの市場構造自体を否定することにもなるのである。 確かに外国に対して理解しようとする前に自らの「異質性」を強調し過ぎる点やよく言われる日本市場の閉鎖性な ど、日本にも不当な点はあると考えられる。しかし、明確に日本の不当性 を指摘しない「ジャパン・バッシング」では日本企業も現実に対応のしようがない のである。


現実を見据えること

 もっとも、リビジョニストの主張はアメリカのエコノミストからも反論がなさ れているように大勢を占めるものではない。いみじくも、映画の中で日本通の刑 事は「日本人を理解してしかるべき対応をするか、そっぽを向くか、どちらを選 ぶかは君の勝手だ。だが、この国でわれわれが抱える問題は、日本人をしかるべ く扱っていないという点にある」と言う。また、原作者のM.クライトンはあとが きのなかで、「合衆国のほうが目を覚まし、日本をきちんと見据え、現実的に対 処すべき」だと言っている。  

 しかし、リビジョニスト達の主張や「ジャパン・バッシング」のような「倒 錯」的な反応があったことも事実である。アメリカ人に自分達は正しいのだから、相 手のことは理解する必要もないとする幻想を持った人が多く、その人たちが日米 経済摩擦を深刻なものにしてしまったのではないかと考える。  

 現在ではアメリカでもそれほど「ジャパン・バッシング」のような主張は見られなくなった。しかし、より良い日米関係を築くためにこれからも両者が「倒 錯」に陥ることなく、現実を見据え、相手の理解に努めていくことが必要とされ るだろう。

【参考文献】

Michael Crichton(1992) RISING SUN, JANKLOW & NESBIT ASSOCIATES

(酒井昭伸訳『ライジング・サン』早川書房、1993年)。

竹中平蔵(1991)『日米摩擦の経済学』日本経済新聞社。

(1997年2月15日加筆・修正)


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