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1997年度春学期開講 自然観 -ヨーロッパとアジア- レポートより)

課題:ヨーロッパ及びアジアの様々な自然観について自由に論じなさい。

「人間にとって自然とは何か」

5217 生島 卓也

 東西の自然の捉え方は違うと言われる。時代や場所によっても異なるが、ヨーロッパでは自然と人間とを分離しているのに対して、アジアでは一体のものと捉えているというのだ。しかし、私にはその差異はさして問題だとは思えない。その差異がわかったところでこれから意図的に自然観をすり合わせることや転換することなど計れないと考えるからである。近代以降その対比構造自体が大きく変容していることも考えられる。むしろ人間は「自然のことがわからない」という意味で古代から現在まで、東でも西でも一貫していると考える。西洋の人間は決してものがわかるからではなく、わからない、適応できないから「自然科学」するのではないだろうか。それは「人工科学」と呼んだほうがいいのかもしれない。比較の基準がはっきりしないが、人間はものを考える時点でもしかすると他の動物以上に「自然のことがわからない」のかもしれない。他の動物を見ていると考えなくとも彼らは自然に適応しており、自然など必ずしも考える必要などないとも思えるのである。また東洋の人間は「自然のことがわからない」から自然に抱かれようと、甘えようとせざるを得ないとも言えるのではないだろうか。

 自然とはそこに込める意味が分かれるとしても「自ずとあるもの」、人間の意志と関係なく存在するものであろう。それは人間から見れば、山や川であり、花や木であり、他の動物であり、天災であり、人間が生きていることそのものである。

 しかし、人間は「自ずとあるもの」のなかで生きることに耐えられない。山や川は人間に何も語ってはくれない。他の動物からは常に襲われる危険があり、天災によっていつ死に絶えるかわからない。また、衝動的な欲求のまま生きることもままならない。殺したいから殺した、食べたいから食べたなどという「自ずとある」感情で行動することは社会の中で認められない。だから人間は「自ずとあるもの」を脳を使って考え、制御し、人工的に、手を加えることによって生きていこうとする。山や川が自分達の生活に合うように手を加えるし、動物には武器などを用いて対抗する。天災は神の力だとすることで納得しようとし、衝動的な欲求はタブーなどによって押さえつけようとする。理解しきれない「自ずとあるもの」に手を加えるということこそ人間に共通 する自然観ではないだろうか。

 例えば人間は都市を作る。人間は「自ずとある」空間では生きることに耐えられないから、都市という人工空間を作り、その中で生きようとするのである。それは古代から現代まで見て、ヨーロッパにおいてもアジアにおいても同じである。ヨーロッパにもアジアにも見られる古代文明はすでに都市形成と強く結びついていた。

 ヨーロッパでは中世の城郭都市がその典型である。城郭で内部の世界と外部の世界を区切り、人工空間の中で生活しようとするのである。城郭都市の外には半人工、半自然である田園、その外には「自ずとあるもの」である森林が広がっていた。城郭都市の中では外敵に対する防御は容易であるし、「自ずとある」森林や天災によって影響されやすい田園と違って予測、制御が可能なのである。

 また日本では江戸という都市がその典型と言えるだろう。平城京、平安京など古代、中世から人工空間はあったが、その自然に対する強度という意味では争乱のたびに破壊された平城京や平安京より江戸の方がはるかに上である。その特徴はまず江戸が大土木工事の末にできているということである。例えば利根川の流れは人工的に変えられている。かつては東京湾に流れ込んでいた利根川の本流は舟運確保の為に銚子へと流されるようになったのである。また当時既に東京湾の埋め立てが進行し、水運の機能を果 たしていた。人工空間を作り出すことで制御を可能にするという意志が強く江戸には感じられるのである。もうひとつの特徴には制度が挙げられる。士農工商、えた、非人という身分制度は都市の住人を職能によって区分するだけではなく、都市の人間を秩序付ける意味を持っていた。特に重要なのはえた、非人で彼らは制度によって都市の中心部から排除されていたが、都市生活者の死体という「自ずとあるもの」を扱うことで都市の秩序の統制の一端を担っていた。えた、非人に死体を扱わせ、都市の外に出すことによって死体という人間が扱いに困る「自ずとあるもの」を制御したのである。ここにも「自ずとあるもの」に対する制御意識が見られる。

 人間は今でも都市を作り続け、そこで生活している。また死と生を分け、身体と心を分け、時間や空間を区切り続け、学問によってものを知ろうとし続けている。それらを考えるとやはり人間は今も昔も「自然のことがわからない」と思えてならない。だからどうすべきなのかというとそこで私の思考は止まってしまうのだが、ただ言えることは人間は人工的に、手を加え続けることで生きてきたということである。それは「自然観というものもただ人間が持っているというよりは勝手に作り変えてきた」と言い換えても差し支えはないのではないかと考えている。

 【参考文献】

 養老孟司(1996)『日本人の身体観の歴史』法蔵舘。

(1997年7月19日加筆・修正)


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