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1996年度秋学期開講 地域政策論 課題レポートより)

課題

産業の視点、生活の視点の相違から地域政策の問題についてふさわしい事例を挙げて自由に論じよ。

 

産業廃棄物処理場に見る地域政策の問題

#5217 生島 卓也

はじめに

 地域政策を行うにあたって、現在問題として考えられるうちの一つは産業の視点、生活の視点の相違をどう扱うかということであろう。地域政策における産業の視点と生活の視点との相違とは産業が効率的、広域的に地域を扱うのに対して、生活(者)は非効率(あくまで経済的にみてという意味であるが)、狭域的に地域を扱うと言うことである。1960年代以降「食住分離」という効率的な産業の視点にしたがって、ベッドタウンが多くの地域で開発されたが、都市中心部からは生活地域が失われ、無機質なベッドタウンからは生活者の為の論理は排除されているように思える。より良い地域を作っていくためには両者の両立が必要であると考えられるが、ここではその具体的な方法までは扱わず、主に現在の両者の衝突点を産業廃棄物処理場をめぐる問題を取りあげながら述べる。  

三田市の産業廃棄物処理場をめぐる問題

 現在、私が大学生活を送っている三田市では産業廃棄物処理場をめぐる論議が起こっている。1995年には大学に隣接する兵庫村と呼ばれる地域で10数名が産業廃棄物処理場から出される有害煙によって体調不良を訴えている。1994年ごろから市などを介して、業者と住民との話し合いが持たれ、1995年に市の予算からの対策費の計上が決まるなど徐々に解決していこうという動きが見られるが、市民には産業排気物処理場に対する不信感は残っており、まだ解決を見たとは言いがたい。

産業の視点と生活の視点のコンフリクト 

 この問題からはまさに産業の視点と生活の視点の相違が見られる。産業廃棄物処理場が三田市に設置されているということは産業の視点には合致していても、三田市の生活者の視点には合致していないのである。それは、単に産業廃棄物処理場が産業によって生み出される、住民にとっての「迷惑施設」だと考えられているからではない。自分達の出した廃棄物であれば、自分達で処理するということはむしろ生活の視点に合致していると考えられる。しかし、実際には特に首都圏で顕著であるように大量 に産業廃棄物が排出される大都市では廃棄処理を行うことが不可能であり、その処理できないものが郊外の処理施設に回されてくるのである。また大都市郊外には処理しきれない不法投棄も数多い。これこそが効率的、広域的に見る産業の視点である。明らかに狭域的、生活住区的視点から外れている。三田市はニュータウン開発が行われ、80年代以降人口が増え、地域性に変化が見られるが、大都市の郊外地域に属することに変わりはないと考えられる。この問題は中心都市のために郊外の周辺都市を利用するという「排除の論理」を含む産業の視点によって生み出されていると考えられる。  

地域政策で解決できることなのか

 ただ、この問題の解決を考えるときには主体を絞った「狭義の」地域政策は機能しないと考えられる。つまり、三田市という主体自体にこの問題の解決能力はないのである。何故なら、三田市自体が産業の視点によって動いている周りの構造によって縛られているからである。三田市に大都市によって生み出される産業廃棄物を止めることはできない。必要なのは、産業を大都市に集中させる全体構造を見直した上での「広義」の地域政策であると考えるが、それはもはや地域政策と呼べるものではなく、国レベルでの政策として扱われなければならないのではないかと考える。

(1997年2月5日 加筆・修正)


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