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石見銀山500年の歴史

西暦 和暦 天皇 領主 出来事(石見銀山関係) 出来事(日本史一般)
1500 文亀 元年 後柏原(104) 大内義興
1521 大永 元年 武田信玄 が生まれる。
1523 三年 毛利元就が家督を継ぐ。
1526 六年 神谷寿貞石見銀山を発見した。
1527 七年 龍昌寺 建立
1528 享禄 元年 後奈良(105) 大内義隆
1530 三年 小笠原長隆 地方領主だった 小笠原長隆が銀山を奪取。 上杉謙信が生まれる。
1533 天文 二年 大内義隆 神谷寿貞が新しい銀の精錬法 「灰吹法」を導入した。 石見山吹城築城。銀の生産100枚。
1534 四年 織田信長が生まれる。
1537 六年 尼子経久
尼子晴久
出雲の尼子経久が 石見に侵攻、銀山を奪った。 尼子晴久が祖父・経久より直接に家督を譲られる。 豊臣秀吉が生まれる。
1538 七年 神谷寿貞 の先代神谷主計が遣明船の総船頭を勤めた。
1539 八年 大内義隆 大内氏が銀山を奪還した。銀の生産500枚。
1541 10年 小笠原長隆 小笠原長隆 が銀山を攻撃し領有した。 毛利元就が「吉田郡山城の戦い」で籠城戦に勝利した。 武田信玄が家督を継ぐ。
1543 12年 鉄砲伝来。
1544 13年 大内義長 が実子の無い 大内義隆の養子として迎えられる。(翌年、義隆に実子・ 大内義尊が誕生したため、養子関係を解消される。)
1548 17年 上杉謙信が家督を継ぐ。
1549 18年 清水寺、神宮寺 建立。 キリスト教伝播。
1551 20年 大内義隆が周防国守護代の 陶晴賢の謀反により没す。 大内氏は急速に衰退する。 織田信長が家督を継ぐ。
1552 21年 大内義長 大内家家督を大内義長が継ぐ。
1553 22年 斉藤道三 織田信長を謁見した。
1555 弘治 元年 陶晴賢が厳島にて 毛利元就 と戦い(厳島の戦い)、敗れて自害した。
1557 三年 毛利元就 毛利元就 が 大内義長 を討って、大内氏の旧領の大半を収めた。
1558 永禄 元年 尼子氏が銀山を奪取した。報恩寺 建立。
1559 二年 吉川元春・小早川隆景が山吹城を攻撃した。 織田信長が上洛し、将軍 足利義輝に拝謁した。
1562 五年 吉川氏 毛利氏が山吹城えお掌握した。極楽寺 建立。
1566 12年 尼子氏が毛利軍に降伏。
1570 元亀 元年 鵜丸(うのまる)城構築。
1571 二年 毛利元就 が病死。織田軍が比叡山延暦寺を焼き討ち。
1573 天正 元年 織田信長足利義昭 を追放。室町幕府滅亡。
1576 四年 織田信長が安土城を築城。