二人のRAIN・・・

                             


後戻りの出来ない誓いのとき
自分の心の嘘に今気がついた・・・だから急いで



 教会の鐘の音は青空に吸い込まれていった。
「後戻りは出来ないのね・・・もう」
 カステルは一言、隣に立つ彼に聞こえないような小さな声でつぶやいた。

「私ね、結婚しようと思うの」
 まちはずれの小さなアイスクリームショップ、向かいに座るマリエンにカステルはこうつぶやいた。
「カステルは早く結婚したいって言っていたものね、で、相手はあの彼?」
 少し間をおいた後カステルは首を横に振る。
「じゃあもしかして・・」
「そう、親の決めた結婚」
「あなたはどう思ってるの、それでいいと思ってるの?」
 マリエンの落ち着いたこの質問に、カステルはうつむき加減に言葉をつなぐ。
「わからないわ、でもこの方が私らしくていいと思うの。かなえられそうにない希望に身を染める彼には、私ついていけそうにないから・・・」
「じゃあ今の彼ひとりぼっちなんだ・・・」
 二人の間に沈黙が続いた。

「ほかの荷物は処分しておいて・・・もうここに戻ることはないだろうから」
 背を向けたまま振り返ることなくカステルは言った。彼はうつむいたまま何も答えない。
「もうあなたについていけそうにないから、あなたと一緒に夢を追い続けるのは辛いから・・・だから」
 ふるえる手でドアノブを回し「さよなら」さえ言わない。そしてカステルは部屋を出ていった。
 カステルのいなくなった一人きりの部屋、彼は彼女のおいていったオルゴールを手に取り、ゆっくりとふたを開ける。それと同時に部屋にはオルゴールの悲しげな調べが響いた。
 ふたを閉め床に投げつけようとした、でもできなかった。彼はそのオルゴールを抱え床にそのまま寝そべりそっと目を閉じた。

「あなたが帰ってきてから家中が明るくなったようだわ、でももう少したつとあなたはまた出ていってしまうのね」
「お母様、この結婚を決めたのはお母様じゃなくて」
 久しぶりに帰った自分の部屋、ウエディングドレスの前での親子の会話。浮かれる母、何気ない作り笑いのカステル、作り笑いに気づかないこの母は、カステルが結婚式当日身につけるアクセサリーのことで、自分のことのように本気で悩む。
「あ、そうそう、私が昔結婚式で着けていたブローチがあるわ、あれがいいわ、まってて、今取ってくるから。」
 母は急ぎ足で部屋を出る、入れ替わりに父がドアをたたいた。
「ちょっといいかね?」
「どうぞ、お父様」
「相変わらずだなあいつも、娘のことになると自分のことのように浮かれて。」
 こう言いながらあきれ顔で閉めかけるドアを振り返る。
「そういうお父様はどうなの?」
「おまえも意地悪になったな、娘を嫁に出す父親の気持ちなんてありふれた落ち着かないものだよ、特に・・・」
「特に?」
「娘の幸せを願わない親なんていないからね。」
「私は幸せよ」
「そうだといいんだが・・・」
「心配しないで・・・」
 二人の言葉が濁っていた。

 カステルの結婚式前日、ネルトは今となっては殺風景な彼の部屋にいた。窓越しに立ち彼の目をまっすぐのぞく。
「率直に聞こう、君の本当の気持ちはどうなんだい?」
「彼女が結婚することによって幸せになれると言うのなら、それはそれでいいと思う。」
 ほんの少しの沈黙、ネルトはあきれたような仕草をした。
「君の本心が聞きたくてここに来たんだ、君の本心を聞かせてくれ。」
 ネルトは今まで彼に見せたことなかったような鋭い瞳で彼を問いつめる。彼は咳混じりの力無い声でネルトにこう答えた。
「好きな女の幸せを望まない男なんて・・いやしないよ。」
「よくいった、君のその言葉カステルにきっと届くよ。」

 結婚式は予定の時間きっかり始まった。
 大きい扉が開き二人は並んで進む。うつむき加減で一歩一歩ゆっくりと足を進めると、見慣れた顔がほほえんでいる。コーが、フェルデンが、ネルトが、そしてさめたまなざしのマリエンが。
「どうしてほほえむの?」
 カステルは心の中でそう思った。そして「何で私そんなこと考えるの?」とも。
 足を進めるたび脳裏に浮かぶのは、彼の笑顔、横顔、そして・・・ 
 カステルの足が止まる、隣の彼が心配そうにカステルをのぞき込む。うつむいたカステルの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「・・・ごめんなさい、わたし・・・わたし・・・ごめんなさい、もう自分に嘘つけないの!」
 振り返り教会の扉に向かって走ろうとする。周りの人々は一斉にざわめき立つ、その中でひときわ大きい声が響いた。
「カステル!」
 振り向くと、今まで隣にいた彼が手に持つバラを一輪カステルに渡した。
「せっかく行くんだ、手ぶらではなんだろう、これを持っていきたまえ」
「ごめんなさい、そしてありがとう・・スタンベルク」
 そしてその場からカステルは走り出した、驚くコーと優しくほほえむマリエンに送られながら。
 その場に残されたスタンベルクは、後ろにいた5歳くらいの女の子に声をかけていた。
「お嬢さん、どうだねこの際この場で私と結婚でも?」
「いやよ、だってまーくんと結婚するんだもん!」
「1日に二人の女性に振られるとは・・・スタンベルク一生の不覚。」
 そういった彼の顔は優しいほほえみにあふれていた。

「今頃カステルは・・・いや、これでいいんだ」
 今にも降り出しそうな灰色の空を眺め彼はつぶやいた。
 まだ棚においてあるオルゴールに手を伸ばすと、彼はそっとふたを開けた。オルゴールの優しい調べが部屋を満たす、彼の心の中にオルゴールの調べに合わせて歌うカステルの歌声が響いた。
 ぱたっと蓋を閉じオルゴールを棚に戻した。そして走り出す、カステルのいるあの教会に向かって。

 教会を走り出ると今まで青かった空は次第に灰色に染まり、今にも降りだしそうな気配に包まれていった。
 町外れの一本道ドレスのまま夢中で走る、その手には一輪のバラを持って。
 するとそのカステルの脇に1台のオンボロトラックが止まった。
「ねえちゃんや、そんな綺麗な服着て走ると汚れるど、どだ、乗っていかんかね?」
 トラックに乗るのは顔中ひげだらけの一人の老人、老人は乱暴に助手席のドアを蹴り開け彼女に乗るように仕草した。
「ありがとう、おじいさん」
 オンボロトラックは降り始めの雨の中、埃を巻き上げ乱暴に走り出した。壊れて閉まらない運転席の窓から雨と埃が無造作に入り込んできた。

 スコールのように雨は降り出した。足下はぬかるみ走るその速度をどんどん落としていた。
「早く急がなきゃ、捕まえなきゃ」
 彼のそんな言葉も雨の音にかき消される。ただでさえ重いからだがさらに重くなり走る感覚さえ忘れてしまいそうだった。
 意識がもうろうとしてくる。泥色に染まる大きなぬかるみの中、彼の足が悲しくもつれ泥水の中全身を埋めた。
「こんなところで、ざまあねえや・・・」
 遠ざかる意識の中彼は自分を責めた、水たまりにうずくまる体からすべての体温が抜けていくようだった。
「泥水みたいなコーヒーはカステルによく飲まされたが、コーヒーみたいな泥水は今日が初めてだな・・・まあどっちも泥水か」
 彼の意識は離れ、真っ暗になっていった。

 トラックは彼の住む街に向かって荒れた道を走っていた。道はぬかるみトラックの後ろタイヤは変に横に振られる。後ろの荷台に積む農具ががちゃがちゃと音を立てていた。
「なんだありゃ?」
 老人はトラックを乱暴に止める、するとその先にうつぶせになって倒れている人影が見えた。
 倒れているのは一人の青年、老人はぬれることなどかまわず青年の元へ歩いていった。
「ありゃりゃ、こんなところで寝てると風邪ひくべ、あんちゃんよ」
 カステルも濡れることもかまわずトラックから降り、倒れる青年の元へと歩いていく。
「ねーちゃんや、そこぬかるんどるだできおつけねーと・・・」
「きゃっ・・・」
 老人がそこまで言ったとたん足を滑らせカステルは泥水に浸かってしまう。
「いわんこっちゃない」
 転んだ先、カステルの脇には青年の横顔があった。起きあがると同時にのぞき込む、するとそこには思いがけずあの彼の横顔。
「ねえ、ねえったら、起きてよ起きてよ!目を開けて!」
 彼の体を抱きカステルは泣き叫ぶ、彼の体は熱く火照り力無く息をする。そしてうつろに目を開き、そしてまた閉じた。
「こりゃいかん、このまま肺炎でもなったら死んでしまうで、はよどっかに運ばんと」
 カステルと老人は泥だらけになりながら彼を荷台に乗せる。カステルも荷台に載り老人は二人をシートで覆った。
 雨音の響くシートの中、泥だらけのウエディングドレスのままカステルは彼を抱いていた。 トラックは乱暴にぼろ水を跳ね上げ、スコールの中二人を荷台に乗せ走っていった。

 彼の住む街に着く頃雨はすっかりやみ、雲のあいま所々オレンジ色の空を見せていた。
 彼の家の前につき、トラックは乱暴に止まった。
「ここでいいのかね、おねえちゃんや?」
 老人は運転席の窓から首をひょこっと出し荷台に向かって言った。カステルは大きく首を縦に振った。
 二人がかりで彼を抱え部屋の中へ、そしてカステルは老人を見送るためにトラックの脇まで戻っていた。乾きかけだが泥まみれのウエディングドレスのままで。
「ありがとうおじいさん・・・に化けたお父様。」
「なんだばれとったのか。」
「へへ、だってタイミング良すぎるんだもの。」
「絶対わからないと思ったんだけど、さすがに娘はだませないか。」
「よくお似合いよそのお髭、そのまま帰ってお母様をびっくりさせてやるといいわ。」
「ただでさえおまえのこの行動にびっくりしてるのに、このまま帰ったら母さんは寝込んでしまうよ。」
 髭を取り、壊れた窓にもたれかかるようにして老人ことカステルの父はこう話す。
「それじゃお父様元気でね、当分お父様とも逢えないかもしれないから。」
「たまには母さんにでも手紙書いてやってくれないか、母さんだっておまえの幸せが一番なんだから。」
「そうね、落ち着いたら真っ先に手紙書くわ。」
「じゃあ元気でな・・・」
 トラックは乱暴にその場を走り去っていった。
 泥だらけの父の笑顔がとても嬉しかった。

 コーヒーの匂いで目が覚める。ベットの脇にはオルゴールと1輪のバラの花、そして壁に掛けられた泥だらけのウエディングドレス。
「あら、気がついたのね。」
 見上げると見慣れた笑顔、もう見ることのないと思った。
「あれ、僕は君を追いかけて・・・」
「そう、そして私が道ばたで拾ったの、あなたを。まあそんなことはどうでもいいわ、どう、コーヒーでも?」
 使い慣れたコーヒーカップをカステルに手渡されゆっくりと一口飲み込む。
「げげ、泥水のようだ・・」
「何か言った?」
「いえ、独り言です・・・」
「そうそれならいいわ、で、ものは相談なんだけど・・・泥だらけのウエディングドレスと泥だらけの花嫁、ただいま特別バーゲン中。おひとついかが?」
 窓外には半分に欠けた月が光っていた。


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