あじさい色の空の下


                     photo:garland

あじさい色の空の下、あなたの微笑み大きく開いた
あじさい色の空の下、あなたの涙頬を流れた
あじさい色の空の下、いつものあの場所風に吹かれて・・・


「すみれ姫は百年のまどろみからさめるとすっと起きあがり辺りを見回しました。すると目の前に・・・・」
 難しい字ばかりで、なかなか先に読み進めない自分に、この時言葉にならないじれったさを感じた、少女は本を閉じあじさい色の空に目を向ける。
「ふぅ・・」
 少女らしいため息のあと、ゆっくりと彼女は立ち上がり、ひまわり畑の小道へ足を進めた。
 今から何年か前の出来事、エルツ十歳の頃だった。

 「ねえ、何で私のこと解ってくれないの、なんで・・・」
 友達とのこの会話のあと、彼女は黙って席を立ち急ぎ足で部屋を出た。
 灰色に立ちこめる空気から一秒でも早く立ち去りたかった。 足を進めながら素知らぬ顔を作り彼女は考える。
 今度も自分が悪いことを彼女は解っていた、でもどうしても、それを自分のなかで認めたくなかった。
 いつも強がって、いつも思いこんで、そんな自分が一番嫌いなはずなのに、何故かこうやって自分を演じている彼女。
 きっとこの彼女を理解してくれるのは本当の王子様、王子様が現れた瞬間にとける悲しみの魔法。
 そうやって自分の気持ちを落ち着かせ、また自分のことを悔やむのだった。
 一人窓に向かう部屋の机、エルツはそこから空を見つめ、今までのことをまた想い悔やんだ。
 「ごめんなさい」
 この想いをすべて溶かしてくれる魔法の言葉、でもこの魔法を投げかけるのは、今さっき喧嘩してしまったあの友達ではなく、今向かい合っているあじさい色の空だった。
 「ふぅ・・」
 彼女はため息をつくと、何故か懐かしいこの感触に包まれる、彼女はこの感触に心をそっと触られたような気がした。
 「なんだろうこの気持ち・・・」
 彼女は今までのことが頭からこぼれ落ちてしまうくらいめいっぱい思いだそうとた。そしてこの懐かしい想いを今の自分にたぐり寄せる。
 「そうだ、あの丘、もうだいぶ行ってないわね」
 この時昔よく行った丘のことを思い出した。何か心に傷を作るときまってこの丘に登り、てっぺんの大きな木の下でいろいろなことを考えた。
 春には丘の小道にすみれが咲き乱れ、夏には丘のふもとのひまわり畑に優しい風が通りすぎ、秋には・・・ エルツはあのころ、少女と呼ばれていたあのころのことを想う。
 「またいってみようかしら」
 そう思うとすっと席を立ち、あの丘への道のりに足を進めていたのだった。
 海岸線を少し歩き、ひまわり畑の小道を抜けるとあの丘が見える。 そこから細い小道を登りつめると、てっぺんに生えるあの大きな木にたどり着いた。
 「あのころと同じ風景だわ」
 彼女は向こうに見える海と空を見つめ、体を大きく開き、包みこむような優しい海風をめいいっぱい心に吸い込んだ。
 あじさい色の空、その色に切なさを溶かしたような、そんな色をした水平線、そして丘から海に続くひまわりの花の色。
 それらが優しく波打ち、彼女の足下に広がっている。エルツは木陰を求め木の下に腰を下ろした。
 すると、背中あわせのむこう側から声が聞こえた、エルツはそっと耳をすましてみる。
 「すみれ姫は百年のまどろみからさめるとすっと起きあがり辺りを見回しました。すると目の前に・・・目の前に・・・」
 本を読んでいるようだったが、そこから先になかなか進めないでいた。
 「すると目の前に石鹸の泡のような物が浮かび、すみれ姫の前でぱちんとはじけたのでした。」
 エルツはそう言いながら、本を読む少女の元に歩いていき少女の目線でささやかな挨拶をした。
 「こんにちは、続きを読んで」
 少女は突然の訪問者に驚きと恥ずかしさを隠せないでいるようだった。少女はその突然の訪問者に向かいこういった。
 「教えてもらわなくても解ったのに、よけいなことしないで」
 エルツはこの少女の言葉に心がひるんでしまった、でも何故か怒る気にもならない、昔の自分だったらきっとこう言っただろうから。
 「私もあなたくらいの頃この場所で同じ本を読んでいたのよ、読めなかった所もあなたと一緒、だから教えてあげたかったの」
 エルツはこう言葉を返す、この言葉のあと少女のおびえたような表情に軟らかさが戻る。
 「・・・ごめんなさい、私いつもこうなの、いつも・・」
 「いいのよ、私があなただったらきっと今のようなことを言ったと思うわ」
 でもエルツは、この少女と自分との間に決定的な違いがあることに気づいた。それは「ごめんなさい」という魔法の言葉を、素直じゃ無いにしても使えること。
 エルツはこの少女が少しうらやましく思った。 ひとときこの少女とエルツは一緒に本を読み、一緒に笑いあった。
 時が過ぎ、気がつくと空はその色を変えていき、夜が近づいていることを彼女たちに教えてくれる。少女はあったときとは違った暖かな微笑みを残してエルツにさよならを言った。
 エルツはひまわり畑に向かう少女に向かってこう叫ぶ。
 「私たち友達になれるかしら」
 少女の声はエルツには届かなかったが、少女の大きく手を振ったしぐさで彼女の言葉を理解できた。
 新しいちょっと不思議な友達が出来たエルツ、彼女はその心を嬉しそうに抱え、ひまわり畑の小道を歩いていった。

  「あの・・きのうはごめんなさい・・・」
 きのう喧嘩した友達に、何故か素直に謝る事が出来た。
 謝られた友達も、なんだか不思議な物を見るような目でエルツを見ていた。
 「いいのよ、そんなこと」
 友達のこの言葉を聞いたエルツは、何かいびつに固まっていた物が一瞬にして溶けていってしまったような、そんなすがすがしさを感じる。
 素直になれなかった今までの自分が恥ずかしかった。
 あとになって考えてみると、この魔法の言葉を与えてくれたのは、あの丘で逢った少女なのではないかと思うようになる。
 「なんだか他人じゃ無いみたい」
 彼女の心に住み着いたあの少女、エルツはまた逢ってみたいと思いあの丘に足を向けた。
 丘の小道を上がっていくと、あの少女の声が聞こえた。なんだか嬉しくなり足を早める。
 「王子様、王子様は私を助けてどこに連れていってくれるの」
 少女は、ひまわりを観客にして一人せりふを奏でていた。
 エルツは少女のこのせりふを聞き、自分が初めて演じたのもこのすみれ姫だったことを思い出した。
 エルツは王子様のせりふを奏で、少女の前に姿を見せた。
 「それはあなたの望む所、あなたの行きたい所に」
 突然の王子様の出現に、少女はせりふを失っていた。
 「何でお姉さんはこのお話を知っているの?」
 少女の質問に、エルツは自分の少女時代の話を話し始めた。
 「私もね、ここに来て本や台本を読んで一人で芝居の稽古をしたことがあるのよ、夏だったら・・そうね、あのひまわりが観客たち、そしてこの丘が舞台、いろいろな人を演じていって自分以外の誰かになって、新たな人生を作り出していくの、これが楽しくていまだに演劇なんかやってるのよね。」
  「お姉さんも?私もよ、演じるって素敵なことよね、でも演じ方によってはいい子にも悪い子にもなれるのに、本当の自分を演じてみようとすると必ず悪い女の子になっちゃうんだよね。」
 この少女はきっと、晴れていない日でも永遠の向こうがわが見えているのではないか、エルツはそんなことを思った。
 「お姉さん、もし良かったらでいいんだけど・・私にお芝居教えてくれないかな・・だめ?それともいい?」
 少女はエルツを見上げおびえた仕草でこういった。 エルツは少女の目線まで頭を落とし、いっぱいの微笑みでこう答える。
 「私あなたに教わったことがあるのよ、だからそのお礼に何でも教えてあげるわ。」
 少女は一瞬不思議そうな顔をしたが、その後笑顔がぱっと開いた。

 一週間後、雨の日の午後にエルツはあの少女の言葉を思い出した。
 「本当の自分を演じてみようとすると必ず悪い女の子になっちゃうんだよね。」
 今なら、舞台の上ではいい女の子も悪い女の子も演じきれる自信があるのに、いざ舞台から降りるとただのひねた女の子になってしまうこと。
 エルツはこの歳になってようやくこんな自分が見えてきたのに、あの少女はあの歳でこんな事を考えているのだ。
 でもあの少女はこんな私にこう言ってくれた。
 「お姉さんだって私ぐらいの歳には同じ事を考えてたはずだわ、きっと忘れてしまったのよ。」
 忘れた?いったい何を。エルツはあのころの自分を必死に思い返した。
 忘れた物すら思い出せない、あの場所に置き去りにしてしまったのだろうか。
 あの少女に聞けば忘れたこの想いを見つけることが出来るかもしれない。
 そう思うとエルツは雨傘をさし、あの丘に向かった。
 雨足はいっこうに弱まることを知らず、雨傘の中ぱらぱらと音だけが響いていた。 ひまわりは少し頭をかしげ、この雨に身をすべて任せていた。
 それらを眺めながらエルツはいつもの小道を抜け、あの丘に向かっていった。
 居ないかもしれない、こんな雨の日じゃね。エルツはそんなことを想いながら足を止めることなく丘の上のあの木を目指す。
 そして丘の上につく、でもあの少女の姿は見あたらなかった。
 エルツは寂しさに染まる薄墨色の海を見つめ、何故かため息をつく。
 「居るわけ無いよね、こんな雨の日じゃ・・・」
 エルツは帰ろうとして一歩足を踏み出した。すると木の幹の向こうから今まで聞こえなかった泣きき声が聞こえた。
 向こう側に回ってみると、雨に濡れたあの少女が一人幹のもたれかかって泣いている。
 「どうしたの?こんなになって・・・」
 エルツはハンカチで少女の顔を拭くと、彼女の脇に座り肩をそっと抱きしめた。
 「なんでもないの・・なんでも・・」
 ひととき少女はこのせりふを繰り返した。
 「でもなんでもないのに泣くことはないでしょ」
 「いいのほうっておいてちょうだい」
 少女は泣くことをやめず、声をかみ殺すように震えながらこういった。
 「私はね、あなたの味方だから・・あなたの力になれたらって・・」
 エルツは少女を抱きしめ言葉を続ける。少女の涙がエルツの首筋を流れ、柔らかな暖かさで線を描いた。
 「もう何があったかなんて聞かない、だから私にあなたの悲しみを半分分けてね、それで私は嬉しくなれるから」
 肩に回る少女の腕に力が入る、少女はエルツの耳元でこういった。
 「あり・・が・・とう」
 エルツはなぜだか、この言葉がとても心地よかった。この少女の悲しみを半分受け取ったような気がして嬉しかった。
 「今度もね、今度も私が悪かったの、でもね、素直になれないの・・いつも」
 少女は必死にとぎれとぎれに言葉をつなぐ。エルツはこんな少女の暖かさを体に感じ、子供の体温の高さを体全体で受け止めていた。
 「いいのよ、もういいから黙って泣きなさい、女の子にはね、女の子にしか流せない涙があるのよ、だから、ね。」
 少女は黙ってエルツの言葉を受け取り「うん」と頷いた。
 二人は雨の中ひととき抱き合って過ごした。

  「ねえねえエルツ」
 振り返ると満面の笑顔をこちらに向けコーが走り寄ってくる。
 「ねえエルツ、一緒に帰りましょうよ」
 どんなことが起きようとコーだけはエルツに対してこの笑顔を絶やさなかった。エルツは微笑みでコーに答えた。
 「エルツ、エルツこの頃少し変わったね」
 突然のコーのせりふ、エルツは何故か心に動揺を感じる。
 「そうかしら?」
 コーは言葉の調子を崩さず話を続けた。
 「なんだか全体的に暖かくなったって感じかな?」
 コーのこの言葉がとても嬉しい。
 「前のエルツよりも純粋に暖かくなった、そんな感じかな」
 たまに思うのだが、この子は純粋に人と向かい合って見ることが出来るのではないかと思うときがある。そんなコーをエルツはとても好きだった。
 「じゃあ前の私って冷たくて純粋じゃなかったって事?」
 エルツはコーに真剣な眼差しでこう聞いた。
 「あっ・・そう言う訳じゃないんだけど・・なんて言うか・・」
 「うそよ!」
 エルツはぺろっと舌を出し、コーから逃げるように早足になった。
 「あーだましたのね!こら、まて!」
 前の私だったらこんな受け答えは出来なかったはず、心の中で何かが溶けていくようだった。エルツは追いかけるコーにわざと捕まった。
 「私も言わせてもらうからね」
 コーの息を切らしたこの表情は、私をなんだか幸せな気分にさせてくれる。
 「エルツ、あなたその真っ赤なルージュ学校にはしていかない方がいいわよ」
 「えっ、なんで?」
 「だって・・・」
 今度はコーがぺろっと舌を出し言葉を続けた。
 「だって、クラスの男の子たち、エルツの唇を見るたびに切ないため息をもらすのよ、この私だってエルツの横顔を見るたびどっきどきなんだから!」
 「こーら、あんまり私をからかうんじゃないの!」
 「ごめーん」コーはエルツから逃げ駆け足で寮に向かった。エルツもコーを追いかけるようにして走っていた。

 この日、エルツはあの丘に足を向けた。さしたる理由があるわけではないが、どうしても行きたい気分だった。
 あの少女の涙、その理由はとうとう聞かなかった。黙って泣きたいことがあることをエルツは知っていたから。
 少女だったあのころの自分も、あの丘で一人泣いたことがあったから。
 あの丘での出来事のあと、彼女とは何故か逢えないでいた。
 エルツにいつも微笑みかけていたひまわりはその勢いを無くしていき、うつむき始めてる。
 丘の小道を上がると広がるあじさい色の空、いつも変わらない海からの優しい風、そしてあの少女・・・
 今日も気配はなく、ただ風にゆれるひまわりの声だけが丘に響いていた。エルツはあきらめて帰ろうと一歩足を踏み出した。
 「こんにちは、お姉さん」
 振り返るとあの少女が、クレマチスの花のように笑顔をいっぱいに開かせて、エルツの後ろにたっていた。
 「あら、気づかなかったわ」
 エルツにも笑顔が開いた。
 「お姉さんに質問があるの」
 「しつもん?」
 いつものおびえた表情ではなく、満面の笑顔でエルツを見上げた。
 少女は恥ずかしさを隠して言葉を続ける。
 「あのね、私もお姉さんみたいに綺麗になれるかな・・って」
 「私みたいに?そうね、あなただったら私よりももっと綺麗になれるわよ」
 「お姉さんみたいな口紅、私にも似合うかな?」
 エルツはポケットからルージュを取り出し、少女の唇にひいてみた。小さな鏡の中の、少女にひかれた真っ赤なルージュがエルツにもまぶしかった。
 「ほら、今でもこんなに似合うわよ」
 少し照れながら鏡の中の自分を見つめる少女、顔の角度を何回も変え、今まで見たこともなかった大人に近づいた自分に、自分自身驚いているようだった。
 「早く大人になりたいわ」
 「焦らなくても大丈夫よ、あなたなら素敵な大人になれるから」
 「本当!」
 エルツは微笑みながら少女にうなずいた。少女の未来を見つめるつぶらな瞳がうらやましかった。
 「そうだ、私もう帰らなくっちゃ!」
 少女はあわてて帰り支度を始めた。
 「口紅落とさないとね」
 少女は残念そうに唇を拭き始める、エルツは少女のポケットに自分のルージュをそっと入れてやった。
 「これ、あなたにあげるわ、あなたにはかけがえのない物をいくつももらってるから、こんな物じゃ足りないくらいだけど」
 少女は一瞬不思議そうな仕草をしたが、ポケットのルージュを手に取り嬉しそうにこういった。
 「ありがとう、大事にするね!」
 少女は手を振りながら丘を下っていった。 エルツはこの時今まであの少女の名前を聞いていなかったことに気づく。
 「ねえ、あなたの名前教えてくれる」
 エルツは小走りに丘を下る少女にこう叫んだ。
 「私?私はエルツって言うの、それじゃまたね」
 少女はこう言うと、ひまわり畑の小道に消えていった。
 エルツは振り返りあじさい色の空に顔を向けた。柔らかな風が彼女を包み、今まで忘れていた何かを見つけたような気がした。
 今からすると何も知らなかったあのころの自分、そして素直な自分。
 早く大人になりたい、そんな想いをいっぱいに抱えたあのころの自分。
 エルツはそんな想いを大きく押すように両手をいっぱいに広げ、向こうに広がる青い海に向かって歩いていった。
 風は向かい風、彼女を包み、そして去っていった。
 空はあじさい色、彼女は歩いていった。
 大きな希望を胸に、大きな空を体に受けて。


戻るエーベ表紙へ感想はびすとろ掲示板!またはこちらへtakaki@mars.dtinet.or.jp