喝采のとき


 僕が初めて君を見たのは、あの街角で拾ったモノクロのグラビアだった。
 やがて彼女は銀幕の妖精に、彼女の歌、彼女の微笑み、僕は心ときめかせた。
 僕はこの時決めたんだ、このダークグレーの世の中、君についていこうってね。


 初めて君を見たのはモノクロのグラビアだった。
 少し上目遣いでこちらを見つめる君、君のそのふくよかな唇だけ、バラ色に染められていた。
 君の名はエルツ、このころから僕の心にすみつきだした。 そう、僕のアイドル。

 「エルツ、エルツ!すごい観客数だよ!」
 男は向かいに座る彼女にこう言って、興奮したしぐさを隠せないで居る。
「映画初出演の若きアイドル、ほら、こんな有名雑誌でも君の特集を組んでるよ」
「・・・・そう」
 彼女は彼と対照的に何故か落ち着いたしぐさをしていた、向かいに置かれた紅茶のカップを、手持ちぶたさに指で回し、カップの中の波紋に目を落とした。
「どうしたんだい?嬉しくないのかい、これは君が望んだことなんだよ、エルツ」
 映画会社の広報に籍を置く、彼女の前に座る男。彼女の横顔をのぞき込む。
「そうね・・・・」
 彼女は作り笑いで男の言葉に応えた。
「やっぱり舞台を捨てたこと、まだ悔やんでいるのかい」
 男は彼女の作り笑いを見て、今まで言わずにおこうとしていた言葉を出してしまった。
 彼女の意識的に作った表情が、ひととき凍りついた。
「いや、悪い意味で言ったわけではないんだ、誤解しないでくれ」
「ごめんなさい、この世界を望んだのは誰でもない私なんだもの、後悔はしてないわ」
 笑顔がぱっと開く、いい女の子も悪い娘も完璧に演じきれる彼女だったが、この男の前ではそれが出来なかった。
「それならいいんだが、君には、これからもっと多くの映画に出てもらわなくてはいけないから、舞台のことは忘れてほしいんだ。」
 ほっとした表情で男は言う。
「でも、両方の両立って出来ない物かしら?」
「僕としては、この世界で一流としてやっていってもらうには、やはりこの世界だけに専念してほしいんだ、一番最初に僕と約束したよね」
「そうね・・・・」
 彼女は遠くを見つめ、男の言葉を何回も心の中で繰り返した。
 二本目の映画はラブロマンス、美しさと教養を兼ね備えた女となるため街に出てきた少女、そこで出会うある一人の青年、どこにでもある平和で退屈な物語。
 彼女は台本を読みながら、少し肌寒いカフェテラス、訳もなくため息をつき優しい吐息を空に返した。
 この話を選んだのは広報の彼、この世界に入ってからすべて彼に任せてきた、そしてすべてがうまくいき、彼女はどんどん有名になっていった。
「僕に任せて」
 男はこの言葉一つでエルツの震える心を励ました。 時々浮かぶ彼のこのセリフ、思い出すたび迫ってくる不思議な心の苦しみ、彼女はこの気持ちに、自分できりをつけることが出来なかった。
 どんな役でも、心の中まで演じきれる自信があるのに、この気持ちだけは何故か演出できない。
 台本はラストシーンまで来ていた。 月明かりに照らされた、バラの咲く庭園。そしてその中で踊る二人、滑らかに艶やかに時にはシルエットになって二人は踊る。
 ステップは風のリズムに乗せて、誰もがうらやむシチェーション、でも、ダンスが終わると二人はさよなら。
 最後の夜の、最後のダンス、月明かりの下、星明かりの下、ダンスを終えた二人に与えられたセリフは「さよなら」の一言のみだった。
 舞台とは「さよなら」した自分と少しオーバーラップする。


 その次君を見たのは、夕方からの新作映画。
 スクリーンの中、君は微笑み、泣き、そして・・・・
 君のささやくような歌声を聞いて、僕は思ったんだ。
 君についていけば大丈夫だって、ね!、君は僕のアイドルだから。


 「エルツ、どうしたの、ぼんやりして?」
 場所は流行りのレストラン、そして学生時代の同級生との久しぶりの食事。
 エルツはこの問いに、ちょっと遅れてこう返した。
「うん、ちょっとね・・・考え事」
「わざわざ呼んでおいて変なの」
 ノイシュは少し膨れながら目の前のムニエルをほうばった。
「私にそのことで相談したいんでしょ?」
 ノイシュはエルツの顔をのぞき込む。
「実はそうなんだ、でも何を相談したらいいか自分でもよくわからないの」
「変なエルツ、でも何となく気持ちは理解できるわ」
 ノイシュはフォークを置き、ワインを一口、唇を湿らす。
「ノイシュなら、この気持ち何となくわかってくれると思ったんだ。」
 エルツはほおずえをつき、ノイシュを見つめ返した。
「突然だけど私の映画、どう思うノイシュ?」
「どうって・・・でも・・ね、一つ言えることがあるの」
「言えること?」
「映画の中のエルツって、なんだか寂しそう」
「そう・・寂しそう・・・そうかもね」
 エルツはワイングラスを手に取り、一口分だけ残ったその全部を飲みほした。
「でも自分ではそのことを理解してるんでしょ、その寂しさの訳はいったい何なの?」
 ノイシュは訳のないため息をつきながらこういった。
「そのわけが見えないのよ、その訳が知りたいのに・・・」
 エルツは目線を下に落とし、またほおずえをついた。
「エルツ、きっとあなた自身、そのことを見ようとしていないのよ、見えないつもりになってるんじゃないかな」
 ノイシュのこの言葉にエルツは目線を上げる。
「そうね、もっと素直になって考え直してみるわ」
 エルツはささやかな微笑みを浮かべてノイシュにこう答えた。
「昔のエルツだったら、さっきいった言葉のあと、すぐに立ち上がって「そんなこと無いわ!」って言ったでしょうね」 ノイシュは微笑み混じりに、エルツにこういった。
「そうかしら?」
「そうよ!」
 二人の笑い声がひとときテーブルに響いた。


 君の歌を街角で聴いた、大人たちは彼女について余りよくは言わないけれど、
 君の歌声は僕の宝物だから・・・ スクリーンの微笑みは僕の希望だから。


 「エルツの映画ももう7作目だね、今度も絶対売れるよ」
 広報の彼は自信に満ちた顔でこういった。
「私・・私ね、もう映画に出るの・・やめようと思うの・・・」
「エルツ、今なんて・・・・」
「私・・もう自分に嘘はつけない!あなたももうわかってるんでしょ!」
 エルツは今まで彼に見せたことの無いような、取り乱した態度で彼に言葉を投げつける。
「君はやっぱり舞台の人なんだね、そうだよね、僕が君に映画の話を持ち込んだのは・・・君の舞台に感動して・・・でも、やっぱり戻ってしまうんだね、あの世界に・・」
 男はその輝きの無くなった瞳に、かすかに感情をため込んだ。
「ごめんね・・・」
 エルツは涙をこらえた声で彼に答える。
「でも、君が舞台の上で喝采を受けるのを・・・また見られるから」
 男は、彼女の新たなスタートラインをじゃまする気にはなれなかった。
 男は黙って彼女に手を差し出す。
 エルツは男の手を握り涙を浮かべこういった。
「ありがとう・・・」
 エルツの主演映画は7作で終わった。


 最後に君を見たのは、あの映画館だった。
 人の少ない小さな映画館、自分の映画を見る僕のアイドル。
 そして彼女は、もう一人の彼と違う出口で出ていった。
 彼女を見たのはこれが最後、皮肉にも別れの時。
 スクリーンにはあのラストシーン、「さよなら」だけの。


 「最後に僕と映画を見ないか?」
 男は名作と歌われる主演2作目の上映をやっている、小さな映画館のチケットをエルツに渡した。
 エルツは黙ってチケットを受け取る、言葉は思いつかない、これが彼との別れだと彼女は知っていたから。
 そして約束の日、エルツと男はあの映画館にいた。
 真ん中の席に並んで座る二人、言葉はお互い交わさない。
 やがて映画は始まり、スクリーンにはエルツの微笑みが映る、3分の歌のように映画は流れ、やがてラストシーン。
 隣に座る彼、そして無造作に持ったポップコーン、震える手で床に広がる、まるで星のように、波紋のように。
 紙コップを手にするエルツ、決して減ることなく、かすかな震えで波紋を作っていた。
 スクリーンには、月明かりを受けて踊る二人、バラの咲く庭園でラストダンス。 柔らかに曲は流れ二人のステップにあわせてヴァイオリンは吐息を漏らす。
 スクリーンはホワイトアウト、「さよなら」の言葉だけ残して浮かび上がる「fin・・・」の文字。
 立ち上がる二人、それぞれ背を向けながら歩いていく。
 振り向かないで、言葉もないままに。
 上映は終わり館内に灯がともされる、そしてそこに残ったのは、床に舞ったポップコーンと、ルージュのついた紙コップだけだった。


 もう見ることはないかもしれないけれど、僕の心のスクリーン、君の微笑み残ってるから。
 君は永遠に僕のアイドルだから・・・・でも一つだけ約束してほしいんだ、今度君を見るときは、
 スクリーンよりも、もっともっとすてきな笑顔で僕を迎えてほしいんだ、約束だよ。

 忘れないで僕の・・・エルツ




初めて高等部のエルツを見たとき、ある映画女優に見えました。華やかな映画の裏で、葛藤をつのらせる彼女。そんな彼女の選んだ道は決して幸福とは言えない物でした。でも、同じ道をエルツには歩んでほしくない、そんな思いを強く込めて。きっと彼女は、彼女らしい誇れる生き方をしてくれるんじゃないかな、なんて思ったりします、新たなスタートラインは彼女の夢のラインです


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