君の住む街・・・
なにも変わらないあの街角、街のざわめき、その中で立ちつくす置き去りにされたあのときの心・・・
月日だけじゃ心は洗われないことを僕は知った。
石造りの階段を上ると、小気味よい足音がとんとんとあたりに響いた。
辺りは夏色間近、陽の香りがする夏色の空気が街を包みだそうとしていた。
階段を上る僕の背中は、うっすらと汗をかき、風がつつむたびにさわやかな清涼感を感じる。少し息を切らしその階段を上り詰める、するとあの街が一望できる高台についた。
見渡す風景はこの街を去った三年前とほとんど変わらず、風のにおいさえもあのときと変わらないようだった。
また舞い戻ってきたこの街、ほろ苦い思いでの詰まったこの街。
日溜まりのような優しさがある、雪の降らないこの街。
そして・・・君の住む街。
町は三年の月日を感じさせないほど、あのときのまま年をとっているようだった。
僕は懐かしさもあって雑貨屋をかねた喫茶店へと足を進めた。入り口の雰囲気はあのときと違いなぜか明るくなったように感じる、僕は店の前で少し呼吸を整えてから「こんにちは!」といい店に入った。
「いらっしゃい!」
あのとき日常の中で聞いたあの声は三年たった今でも変わらない、懐かしさとともに不思議な嬉しさも感じた。
「ベンラートさんお久しぶり、ここも変わらないね」
「おお、その声はネルトじゃないか、何年ぶりだい、急がないんだったらゆっくりしていきなさい、今お茶を入れるから」
待ってて、といいながらウインクする少し大げさなベンラートさんの仕草に心を触られた。
「今日はもう特にやることはないんだ、お言葉に甘えてゆっくりさせてもらうよ。」
僕とベンラートさんは、カウンター越しにお互いの三年間を語り合った。
僕自身の三年間はめまぐるしく過ぎ去り、思いだそうとしても、なにから語っていけばいいのかわからないくらい心の中が整理できていなかった。ベンラートさんと話している今の僕は、あの時となにが変わったというのだろうか。そんな思いが言葉を重ねていくたびに心に広がっていった。
「で、もう逢ってきたのかい」
この言葉にトキンと心が鳴る。
「う、うん、でも逢おうと思ってこの街にきたわけではないから・・・」
「あの時のことはもう過去の出来事だから、今は笑って語り合えるさ」
ベンラートさんのこの言葉がとても暖かく感じる。
僕は君から離れていくためにこの街をでた、いや、でたというよりも君からみたら逃げていったように見えたかもしれない。これを知るベンラートさんは僕に気遣い優しく言葉を紡いでいた。
「君が身を引いたことに関してとやかく言う人は今は誰もいないよ、私としては身を引くことによって見せた君の誠意に、あのこが気づいていないことが心残りなんだ。親代わりに君のことをみてきた私としてはね。」
「ありがとうベンラートさん、あの時もいつもそうやって僕の力になってくれたね、こればっかりはなんべんお礼を言っても足りないくらいだよ。」
「いやそんなことはいいんだ、これから先、君がただ色あせた写真を見て後悔するようなことがあったら私としてもつらいからね、まるで昔の私をみているみたいで何かしてあげたくてしょうがないんだよ。これも一つのわがままかもしれんが・・・」
ベンラートさんの店を出ると日は西に傾いていき、何となくあたりは赤さを増していった。君とよく歩いたこの通りを歩く、街路樹、街灯、そして石畳、それらはあの時と比べてなにも変わらない。
変わったのは僕自身?いや僕自身はきっとあの時と変わらない、変わったとすれば君の心だけだろう。
街の雑踏が僕の耳をかすめる、駆け足の子供が脇を抜けていく、そして交差点を右に曲がり大通りへ。すると後ろから僕の名をよぶ声が聞こえる。
「ネルト!ネルトじゃないか!!」
振り向くとそこにはあの時と変わらない花屋のヘルムスさんが立っていた。
「お久しぶりです、ヘルムスさんはあの時と変わらず元気ですね」
「なに言ってんのよ、こんなところじゃ何だから私の店によってきなさい」
ヘルムスさんはほぼ強引に僕の腕をとりこう話しかけた。
僕は少し引いてしまい言葉にとまどう。
「今ベンラートさんのところによってきたところなんですが・・・」
「ベンラートさんはベンラートさん、私は私、遠慮することはないよお茶でも飲んでいきなさいよ」
「でも今さっき・・・」
「私のところがいやなのかい?」
「そんなわけでは・・・おじゃまします、おじゃまします」
「そうかい、何年ぶりだろうねこうしてネルトをみるのは、あんたはあまり変わらないね、あのこはこの三年で・・・ごめんね、気にさわったかい?」
「いや、もういいんですよ、もう昔の話ですから」
「そう、そうならいいんだけど」 気遣ってこういってくれるヘルムスさんの顔にはとまどいが見える。あの時からなにもかもはっきりさせないでいた自分が悪いはずなのに、周りの人たちが罪悪感を感じていることに自分を責めたくなった。
ヘルムスさんの店はあの時と変わらず大通り沿いにあった。店の玄関をくぐるとむせかえるような花のにおいが僕を襲う、店の奥にいくように言われ僕はそこにあった白いいすに腰掛けた。
五分ほどするとお茶とともにヘルムスさんが出てきた。大きな声はあの時と全く変わらない、そのことが何故か嬉しかった。
「こうしてヘルムスさんとお茶するなんて思いもしませんでしたよ」
「私と一緒にいることがなんだか迷惑みたいな言い方だね」
「そういう訳じゃないですよ、ただ、なんだか嬉しさと照れが混ざっていて落ち着かないんですよ」
僕は落ち着かず手に持つカップを何回も手でもてあそんだ。
「そんなもんかね、で、どうしてこの街にきたんだい」
この率直な質問にすぐに答える言葉が浮かばなかった。本当のことをそのまま言えばいいはずなのに、何故か言葉に詰まった。
「・・仕事でね、仕事で近くまできたものだから・・・」
「そう、仕事でね、それでいつまで此処にいられるんだい」
「明日にはこの街を離れます」
「なんだか忙しいねえ」
少しの沈黙が続く、言葉の口火を切ったのはヘルムスさんだった。
「ネルト、あの子は悪い子じゃないよ、こういうことを言うのは少しお節介かもしれないけれど・・・そうだ!逢ってきなさいよ、きっと何か答えが出るはずだから。今のままのネルトをみていると、なんだか私も辛くなるんだよ」
「ベンラートさんにも同じようなことを言われました・・・やっぱり逢ってくるべきでしょうか」
「今までのままだときっと後で後悔するよ、だから何らかの形でけりを付けておいた方がいいと思うんだよ、ベンラートさんもきっと同じような想いで言ったんだと思うよ。」
「何らかの形?」
「自分の中ではっきりとした想いを得ることが大切なんだよ、いまの気持ちのまま過ごすのは自分に嘘をついているようじゃないのかい、それがいけないって言うんだよ。私自身もそれでずいぶん悩んだものさ。」
「はっきりとした想いを得ること・・・そうですね、今でのままじゃなにも解決しませんものね、ひとまず逢ってみようと思います。ヘルムスさんのこの言葉でなんだか吹っ切れました。」
「そう!それなら手ぶらじゃいけないね、ネルトのためにとびっきりの花束を作ってあげるからね、待っててね。」
そういうとヘルムスさんは店の方に消えていった。
僕はヘルムスさんに作ってもらった花束を抱え君の住む家に向かった。
交差点を曲がるとあの窓が見える、まだいるだろうか、あの窓で優しく手を振ってくれた君。足を進めるたびに思い出す優しく過ぎていったあの時の日々。そして君の前から離れていくことを決めたあの降誕祭の夜のこと。すべては過去のいい思い出として。
でも忘れてしまうの?いや、忘れてしまうほど簡単な想いじゃなかったから。
大通りから左に曲がり君の家へ、すると偶然懐かしい君の後ろ姿が見えた。
でも隣に並ぶ影はあの時と違う、君が本当に愛していると言ったあの影はそこにはなかった。二人のにこやかな横顔、楽しげな声、もしあの隣に立つ影が僕だったら・・・
手にもつ花束が石畳に散った、呼吸が止まった、そして僕の中で時間が止まった。
このとき、心の中で何かがはじけた。僕はただ立ちつくすだけ、君を見つめ言葉もなにもかもないままに。そして僕自身の答え、彼女に対するはっきりとした想いをこのとき感じた。
わかった、わかったよ、君はまだ本当に人を愛することを知らないんだね。 わかった、わかったよ、僕の気持ちも。君が幸せならばそれでいいんだ。 もし僕のことを忘れずにいてくれたら、もし僕の気持ちに気づいたら、戻ってきておいで、いつでも優しく包んであげるから。そんな愛し方しか僕は知らないから。
そんな愛し方があってもいいよね、僕らしくて・・・
だからさようなら、僕はまたこの街を出るから。
赤く染まった壁際に一人、ただ一人立ちつくす石畳。
どんどん離れていった僕と君との距離、そして僕の想い。
さようなら、君の住む街。
君が僕の想いに気づく日まで・・・
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