私を隠して
「フェルデン、フェルデンったら」
少しふくれつらのコー、ランチタイムの並んだ席、隣に座るフェルデンの肩をたたく。
「あ、ごめんなさい・・・少しぼっとしてたわ」
フェルデンは少し遅れてこう返した。
「あのね、今度の日曜日のことなんだけど買い物つき合ってくれるって、ねえ覚えてる?」
コーのこの質問にフェルデンは少し考える仕草。
「あ・・・ごめんなさい」
「フェルデンったらごめんなさいばっかり、でもごめんなさいって事は今度の日曜日ってだめなの?」
「あのね、今度の日曜日に中等部時代の友達がこっちに来るの、だから・・・」
「・・・フェルデンって中等部はレジデンツだっけ」
「そうよ」
「で、友達ってもーしかして男の子?」
無邪気に話しかけるコー、フェルデンは少しうつむいて首を縦に振った。
「うん・・・」
そんなフェルデンを見たコーは、なんだか言葉に詰まってしまった。
次の日曜、コーは一人で買い物に出た。なんだか少しフェルデンのことが気になってはいたが、あえて詳しくは聞かなかった。
聞かなかったと、言うより聞けなかったの方が当たっているかもしれない。
ちらっと時計を観る、今頃フェルデンはレジデンツから来る彼を町外れのバス停まで迎えにいってるはずだ。コーはなんだか落ち着かない自分の心に違和感を感じた。そんな違和感を心に抱えたまま、街の大通りをリズム感のない足取りで歩く。
するとにやけ顔のネルトがこっちに向かって歩いて来るのが分かった。そわそわしたネルト、コーの脇を通り過ぎようとする。
コーの存在にネルトは全く気がつかないようだった、コーは少しムキになってネルトを呼んでみた。
「ネルト、ネルトったら!」
街のざわめきの中、突然自分の名を呼ばれ振り返るネルト。滅多に女の子から名前を呼ばれることがない彼は即座に振り返ったが、その相手がコーだとわかると、とたんに「なーんだ」という表情に変わった。
「どうしたんだいこんな所で?」
あきれ顔のネルト、コーはこのネルトの変わり様が腹立たしかった。
「お互い様でしょ」
二人の間に不自然な空気が流れる。
「まあそれはおいといてだ、知ってるコー?フェルデンがさ」
コーはネルトのこの言葉が終わらないうちにこう言葉を重ねた。
「男の子と一緒に歩いてるんでしょ、知ってるわよそんなこと」
「なんだ知ってるのか・・・でもなんで知ってるんだよ!今バス停・・」
「そんなことどうだっていいでしょ!」
ネルトに乱暴に言葉を投げつけたコー、少しうつむきネルトをその場に置き去りにして街の雑踏に隠れていった。
意識してか、それとも無意識からか、コーの足はふらふらとフェルデンが迎えにいったあのバス停に向いていた。
「あのね、レジデンツからのバスって町外れのバス停にしか来ないのよね、だから私迎えに行くって手紙に書いたの。だってあのバス停から街までって少しわかりづらいじゃない」
あの昼食の時、フェルデンはにこやかに、そして少し頬を染めコーにこういった。そのときの笑顔がコーの脳裏から離れないでいた。
「何故なんだろう、別にどうだっていいじゃない・・・」
想いを反芻するようにコーは言葉にしてみる、でもなぜか「どうでもよくない」という想いの方が勝ってしまう。
煉瓦作りの建物がまばらになり木々が増えてくる、あのバス停から街までの一番の近道、コーはその小道を振り子のように大きくジグザグに歩いている。
たぶんこの道、フェルデンはこの道を彼と歩いてくるはず。
フェルデンが迎えにいったレジデンツの頃の同級生。観てみたい、観たくない、そんな想いがマーブル模様に広がりコーの心をもてあそんだ。
何となく疲れ、大きな菩提樹の木にもたれかかっていると、あまり聞き慣れない笑い声が聞こえてきた。
「フェルデンの声だ・・・」
コーはとっさに今までもたれかかっていた菩提樹の木の裏に身を隠した。
「いつもはあんなに笑ったりしないのに、でもなんだか今のフェルデンって・・・」
何故隠れたりしたんだろう。何故いつものように笑顔で挨拶できないんだろう。何故ここに来たの。何故私ここにいるの。何故? それが今のコーの気持ち、フェルデンと隣に歩く彼の声が近づくたびにさらに身を縮め、膝を抱えるようにして座り込んだ。
「お願い私を隠して、お願い・・・隠して」
二人の足音が聞こえていた、この木の裏を通り過ぎようとしているフェルデンと彼。コーはこの足音が近づくほど身を縮め息までも殺した。
何も気がつかないフェルデンと彼、その二人の無邪気な笑い声だけがコーの耳に届いていた。
夏休みの街の図書館は、木曜日だけでなくその期間だけ毎日利用することが出来た。
毎年フェルデンはこの期間は決まって街の図書館に行き、好きなだけ本を読み好きなだけ心地よい退屈を楽しんだ。ただ今年ちょっと違うのは、隣にいつもあの彼がいることだった。
フェルデンから聞いたところによると、あの彼はレジデンツからこの街の図書館を利用するために来たといっていた。トリフェルズには叔父が住んでおり二週間ほどこの街に滞在するとも。
コーはフェルデンとのつきあいで街の図書館に数回行ったことはあったが、自分の方から努めて行こうと思ったことはなかった。でも今はフェルデンから見えない角度を選んで図書館のいすに座っている。
毎朝図書館の前で待ち合わせて二人一緒に入っていく、そしてその姿を隠れて見ていたコー。 はじめの数日は気にはなっていたが、図書館に入るところまでは行かなかった。でも今日は意味もなく勢いで図書館に入ってしまったのだった。
改めてフェルデンの隣に座る彼の表情を観る。フェルデンと小声で会話し彼は少しの笑顔。フェルデンもうつむき加減の笑顔で彼の顔をちょっとのぞく、コーには見せたことがないその笑顔はとても綺麗だった。
「うらやましい」そんな気持ちじゃなかった。ただ何となく、いつも隣にいたフェルデンがだんだん遠い存在になってしまうようで怖かった。そして綺麗な笑顔のフェルデンが遠く遠く見えた。
開いたところで訳の分からない本で顔を隠す、大きな本を手で支えたてると目線より下はすっぽりと隠れコーにとっては好都合だった。しかしフェルデンたちは本とノートを開いたまま静かな会話を続けるだけ、退屈してたてた本に目をやるが本には全く興味がわかなかった。
すぐとなりに誰かが座った。本で顔を隠したまま隣を観ると、不自然に大きな難しい本をたてモリッツが。どうやら彼女はコーの存在には気がついていないようだ。コーは肘でモリッツの肘をつついた。
「なにしてんのよモリッツ」
「決まってるじゃない、フェルデンの監視よ・・・ってコーもなにしてんのよ?」
最初は小声のやりとりであったがだんだんその声は大きくなっていった。
「結構いい男なのよね、でもただの同級生にしては仲良すぎない?」
「そんなことないと思うな、だって・・・」
肘をつつきあいながら続く隠れた二人の会話、どうやらフェルデンはこの二人に気がついたようだ。つつきあう二人に向かってフェルデンは歩いてきた。それにようやく気がついたコーとモリッツ、改めて本に顔を埋めるが時はすでに遅かったようだ。
「あらコーにモリッツ、あなた達も来てたのね・・・でも二人とも難しい本を読んでるのね」
フェルデンにそういわれ本の題名を観ると、今まで観たこともない言葉の羅列に唖然とした。隣のモリッツも同じようだった。
「あ・・あのね・・へへへ・・・じゃあ私ちょっと用があるから、またね!」
笑顔でその場を退くモリッツ、それに対しコーは、立ち去るきっかけをなくしてしまった。
そうこうしているうちに、あの席にいた彼までもがこちらに向かってくるのがわかった。モリッツのように立ち去れなかった自分を責め、見事に立ち去ったモリッツに心で罵声を送った。「モリッツ泣かす」と。
そうは思ってみたものの、当たり前のごとく現状は変わるはずがない、彼はフェルデンの横まで来てしまっていた。
「あ、紹介するね、私と同級生のコーって言うの。いつも手紙に書いてるでしょ、この娘がそうなのよ。」
フェルデンは小声で、隣の彼にコーの紹介をした。その綺麗な笑顔で。
ただ呆然とそのやりとりを見上げるコー、彼はそんなコーの顔をすっとのぞき込むと、笑顔で「よろしく」といった。その笑顔はフェルデンの時と同じ笑顔だった。
「よ、よろしく・・・・」
少しの沈黙、コーはたまりかねて少し大振りな腕時計に目を落とす。
「あ、ごめんねフェルデン、私もこれから待ち合わせがあるんだ、だからごめんね。」
きっかけを強引に作りその場を立ち去ることにしたコー。もちろん待ち合わせなんてあるはずない、そんな嘘をついてまでもその場を立ち去りたかった。彼の笑顔が痛かったから。
その日から数日、フェルデンのこの話題は学園中に広まっていた。まあ、あのネルトとモリッツが絡んでいるのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
コーは学園内でこの話題を聞かされるたびに神経をさかなでられる思いをしていた。
「別にどうだっていいじゃない」
そう思ったところでこの心だけは変えることは出来なかった。あの男の子が気になるから?いやそうじゃない、ただ・・・
フェルデンはといえばここ数日、いつもの通りあの彼と待ち合わせて街の図書館に通っている。フェルデン自体学園の噂になっていることはわかっていたようだが、それを少しも気にすることなく彼と会っていた。コーにとってはそれも気になっている事柄の一つだった。
モリッツやネルトはと言うと、毎日のごとく街の図書館に通いフェルデンの様子をうかがっていたらしく、二人からの情報が随時学園に広まっていった。しかしなにも進展はなくただ二人で本を開いているだけと言う話しか流れてこないが。
そして10日ほどたったある日、ベンラートさんのお店からの帰りにあまり聞き慣れない声にコーは呼び止められた。振り返るといつもフェルデンの隣にいたあの彼がほほえんでいる。
「あ、きみ、フェルデンの友達だよね」
「は・・はい」
驚きの方が強かったのかコーの返事は一オクターブほど高くなっていた。
「突然声をかけてごめんね」
この言葉でコーは、自分が驚いた表情から戻れないでいることに気づいた。まだはっきりと声は出ない、呼吸を整えるので精一杯だったから。
「すまないんだけどフェルデンに伝えて欲しいことがあるんだ。」
彼の笑顔に少し寂しさが入り交じるのが分かる、コーは黙って彼の顔を見上げる。そして彼の言葉の続きを聞いた。
「君はフェルデンと仲がいいと聞いているのでね伝言して欲しいんだ。・・・突然なんだけど、明日の10時半のバスでレジデンツに帰らなくてはいけなくなったんだ。フェルデンとの待ち合わせの場所にはもう行けそうにないから、もしよかったら・・・いや、なんでもない。じゃあフェルデンによろしく!」
彼の表情から笑顔は消えた、そしてそこまで言うと背中を向け足早に街の雑踏に消えていった。
その彼が視界から消えるまでその場に立ちつくしていたコー。時間が止まったような錯覚を覚えた。
次の日、朝早くから外に出かけたコー、静かに部屋にいるのが辛く感じたから。
フェルデンにあのことはまだ伝えていない、寮に帰ってから何度もフェルデンの部屋の前に行った。でもドアをノックできなかった。
怖かったから、寂しさも感じたから、それに・・・
九時を少し回った頃、コーはバス停までの道のりにあるあの菩提樹の木の下に座り込んでいた。木陰の中、膝を抱え街の方向を見ている。
そして彼の姿が見えた。手には大きな旅行鞄、来たときと同じように。コーはあのときと同じように木の裏に隠る、そして願ったあの時と同じように
「私を隠して、私を隠して・・・」
足音は左から右へ、なにも気づかずバス停に向かって歩いている彼。おびえながら膝を抱えるコー。
でも彼が通り過ぎた瞬間コーの中で何かが開いた、心の中で何かが開いた。
コーは立ち上がり走り出す。フェルデンがいるあの図書館に向かって。
街に向かって風のようにコーは走っていった。そのころフェルデンはなにも知らないで図書館にいた。まだ来ない彼を待っている。
いつもの席に座り、少し落ち着かない様子で本を開いている。頬つえをつき窓の外を見るとなぜかため息がこぼれた。熱い吐息が唇にかかるのが分かった。
すると突然、乱暴に入り口の扉を開け図書館に入る一人の少女。肩で息をしたまま全席を見回した。
「いた!」
フェルデンを見つけるとそちらまで走っていき、なにも言わずフェルデンの手を引いた。
「コー!なにがあったの!」
「いいから来て!」
コーはフェルデンの手を引き図書館を走り出る、そして街の雑踏を走り抜けた。
とにかく走った、あのバス停まで早く早く走っていきたかった。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・」
この言葉を聞いたフェルデンは、その引かれる手に落ちた暖かな滴に気がつく。
「コー、泣いてるのね?」
「早く行かないと行っちゃうんだ、早く!早く急いで!!」
涙声のコーの声が響く。
「間に合って!お願い間に合って・・・」
走り続ける二人、腕時計はすでに十時二十分を指していた。
「あと十分・・だめ!もう間に合わないよ!」
菩提樹の脇、コーの走る速度が落ちる。肩で息をする二人、まだそこはあのバス停すら見えてこない距離だった。フェルデンもそれに合わせて速度を落としたが、何かを思いだしたように今度はコーの手を引き、あのバス停の方向とは違う脇の小道へと走りだした。
「コーこっちよ!」
「フェルデン、フェルデンったら!」
並木道を抜け石段を駆け上がる、交互に響く石段をたたく足音、そして二人の吐く息。
「もうすぐ!もうすぐよ!」
やがて最後の段が近づく、そして走り登る目線から街を見下ろす高台が見えた。
高台のさくまで走り寄る二人、さくから乗り出すようにしてあのバスを探した。彼方に砂煙を上げる黄色いバス、彼の乗ったバスだ。
「・・・・・行っちゃったね」
ため息混じりのフェルデンの言葉。そのため息の後フェルデンは、バスが消えてしまうまで黙って見送っていた。
「ごめんね・・・私が悪いの・・・」
コーの言葉を涙が遮る、想いも所々とぎれる。
「私知って・・知ってたの・・・彼があのバスで帰ること・・・だから・だから・・フェルデンに・・・・」
コーの足下に大粒の涙が落ちる、あごをしゃくり上げるようにして涙をこらえた。それを見たフェルデンはコーをそっと抱き寄せる。
「もういいのよ、だから・・・ね」
「怖かったの・・・フェルデンが違う人になってしまいそうで、私のことなんか忘れてしまうんじゃ・・ただそれだけなの・・・」
フェルデンは、泣きじゃくるコーの小柄な肩をその腕で優しく包み込んだ。包み込むそよ風が時を止めていたようだった。
「さあ帰りましょう、あ、その前に図書館によらないと」
「・・・え、なんで?」
まだ涙声のコー、崩れた顔でフェルデンを見上げる。
「だって・・・コーがいきなり手を引くから、筆記用具を全部あの図書館において来ちゃったんだ」
フェルデンの笑顔が開く、コーもつられて泣いた顔でほほえんだ。
「ごめーん」
コーの笑顔も開いた。
そして二人は静かにその場を立ち去り、今登った石段をゆっくり下りていった。
季節は夏、辺りには蝉の鳴き声が響いていた。