モリッツリレー妄想


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第一話(がーらんど)小説家と結ばれる方法

未だかかざれざる物語、その物語は過去から未来へ。
過去からの扉を開け放つと、そこは見たこともない未来なの。
そしてその物語を書くのは私・・・

「・・・あら、いっけない。いつの間にか寝ちゃったのね・・・げ、よだれで原稿がにじんでるわ・・・ということは顔にも・・・」
 ひとまず机から立ち上がり、近くにあった手鏡をのぞき込む。
「あーあ、目の回りインクだらけ・・・目の回り?じゃあ私泣いてたの?もう泣かないってあの時決めたのに・・」
 彼女は恋愛小説家、誰もがうらやむシチェーション、誰もがうらやむ恋愛ゲーム。しゃれた会話と美しい吐息、それらが紡ぐ恋の駆け引き。
 そんな彼女の文章は、都会の女の子たちを魅了していた。でも、その小説家の実体は・・・
「ぎゃーー締め切り間に合わないーーー!!」
 そう言いながらいすの足につまずき、手に持っていた紅茶を床にぶちまける。ついでに本人もこけてたりして。
 小説家の生活と文章は全く関係ないものだと実感させられる。

 お約束のごとく筆は全く持って進まず絶望的な朝を迎える。
そして10時頃訪れた悪魔・・失礼、担当のぼさぼさ頭のあんちゃんは、自分で入れたインスタントのコーヒーをすすり
「モリッツさーん、今日は締め切りなんですけどーーまだですかーーー」の連呼。
「締め切り締め切りってうるさいわね!うだうだ座って無いで、もうすぐ出来るから台所の洗い物でもしててよ!!」
「えーまたですか・・・勘弁してくださいよ」
「いいのかなーーそんなこといって・・・この原稿をぱーっと窓から投げちゃったりして」
「ああああ、やりますやります!」
こういうやりとりは締め切りの日に決まって行われる。こうして台所の掃除は自然と彼の仕事になっていた。
 かたかたと洗い物の音がする、しかし彼女の方はというと・・・やっぱり筆は進まない。
「やばいわ、完全にネタ切れ・・・」
 彼女は洗い物をしている担当者をそっとのぞき込む、彼の背中は綺麗になっていく台所の快感にリズムを取っている。
「チャンス!」
キーーバタン!
「???・・・あーーーやられた!!!」
エプロン姿で頭を抱えている担当者の姿がそこにはあった。
 手ぶらで街に出る、いつものカフェテラスでちょっと息抜き。
 ブランチタイムのカフェテラス、話し上手な都会の女の子たち。それらを見て参考にするのが彼女のささやかな日課。
 しゃれた冗談とジタンのけむり、かたや一人で読みふけるミステリー。頬つえをついてちょっとため息・・・。噂好きなそよ風が都会の天使たちを包み込む。
それを見つめる彼女といえば、目の前に大盛りのチョコレートパフェ、よれよれのさえない服と徹夜明けの真っ赤な瞳。
「まあ、私は私だわ」
まさかあの小説を書く作家が、こんな格好でチョコレートパフェをかき込んでるなんて、読者は間違っても想像しないであろう。
 おなかはひとまず落ち着き紅茶を一口、目の前の石畳を歩く人々の足取りは重く、街路樹の枯れ葉を無造作に踏みながら自分の目的に向かって歩いて行く。
「私もお勤めなんかしていたらあんな風に歩いていたのかしら?」
 自由業者となった彼女にはそんなことは知る由もない、ただ何となくそんなことを思いながらぼーっと人々を眺める。
「あら、ちょっといい男・・・」
 その男は、手にいっぱいのチューリップの花束を抱え、さっそうと石畳を歩いている。
「あんな風にして持ってきてくれた花束をプレゼントされたら・・・ぐふ、でもちょっとやりすぎかな?彼の容姿にもよるわ。」
 そんなことをぶつぶつ言いながらも、実はプレゼントされたいと思ってたりする。
 ふと懐かしさが心を震わす、トキンと心がなった。
「なんだろうこの気持ち・・・そうあの時の」
 雲一つない、そびえる建物の角から見える小さな空を見上げあの時の自分を思い出す。
「あの時に戻りたがってるのかしら、わたし?」
 あのころを振り返り目頭が熱くなる。
「あの時のこと書いてみようかな・・・でもいつかは書かなきゃいけないから」
 物思いにふける彼女、そんな彼女を担当の彼の声が遮った。
「モリッツさーん、洗い物全部終わりましたから早く書いてくださいよ」
 洗い物をすべて終わりにしてから追いかけるとはなんと律儀な・・。
「エプロンぐらい外してきなさいよ」
「ありゃ、わすれてたっす」
 彼と彼女のかすかな笑い声が街角に響いた。


第二話(金山)色褪せた思いで

 モリッツの、デビューから5作目なる連載も、先月無事に最終回を入稿した。もちろん、その影でモリッツと編集の兄貴の熱い闘いが繰り広げられたことは言うまでもあるまい。
「先生ぇ! 原稿おぉぉぉぉ!!」
「うるさいわね! 原稿原稿って!! 言われなくてもわかってるわよ!」
「だったら早くしてくださぁい! 頼みますよ先生!」
「もう、先生はすぐ人に頼る人間に育てた覚えはありませんよっ!」
「ボケてないで早くお願いしますってば!!」

 とまあ、てんやわんやの入稿劇だった・・・
 現在、モリッツは来来月から始まる新連載のプロットを練っている。いや、プロットはもうあるはずだった。「あの時」の自分を書くと決めた以上、プロットは固まっている。しかし、それを実際に文にする段階で、モリッツは行き詰まっていた。
「あー、もう違う違う!! こうじゃないわよ!!」
 原稿をくしゃくしゃに丸めて背後に投げ捨てる。どうも、「あの時」の自分を描写できるような言葉が浮かばない。今まで、何本もの恋愛小説を書き、若い男女のハートをがっちり捕まえてきたモリッツだが、いざ自分の「あの時」を書こうとなると、自分の持っている語彙はどれもこれも安っぽく感じられてならないのだ。今までの作品を適当な言葉で綴ってきたと言うわけでは断じてないにせよ、自分のことを書こうとなると、より力が入るのは当然のことだ。
 しかし・・・うまくいかない。
「へくしっ!!」
 大きなくしゃみ一つ。
「うぅ・・・最近は暖冬続きとはいえやっぱり冬は冷えるわねぇ・・・」
 手もみしながら石油ストーブのスイッチを入れる。ポットのお湯でココアを入れて飲む。
「ふぅ・・・」
 大きく息をつく。ダイニングのテーブルに立て肘をつきながら、モリッツはあれやこれやと考えを練りこんだ。手元のメモ用紙に、構想をいくつか走り書きにしては、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てる。どうにも考えがまとまらなかった。
「どうしてこんなに書けないのかな・・・」
 そうこう迷っているウチに、恐怖の怪魔妖族〆切ババァの足音は着々と迫りつつあった・・・
 ピンポーン
 ドアホンが鳴った。
「はーい。」
 モリッツは玄関の扉を開けた。そこには、出来れば見たくない馴染みの顔が立っていた。
「・・・・〆切は明後日のハズなんだけど。」
「どうせ先生のことだから、まだ何も書いてないんでしょう?」
「うっ・・・・」
「編集長から厳命が下ってましてね、今回ばかりは〆切に間に合わせろ、と。
それで僕、先生の家に泊まり込んで徹夜の監視を言い渡されましたので。」
「ちょ、ちょっと待って!! 泊まり込んでって・・・仮にもあたしはレディよ! 女の家に男が泊まり込むなんて、非常識よ!」
「ご心配なく。先生には原稿が完成するまで一睡もさせませんから。」
「そういう問題じゃなーーい!!」
「僕だって好きで来ているわけじゃないですよ。仕事ですからね、し・ご・と。あーあ、ちゃんと残業手当は出してくれるんだろうなぁ、編集長・・・。」
 彼は本気らしかった。モリッツの仕事場が見渡せる位置に椅子を置いて、彼女の仕事ぶりを黙ってみている。
「・・・・・・・」
 そのモリッツは先ほどからペンを片手に頭を抱えていた。いくら編集者が無言の圧力を掛けていても、筆が走らないのだからどうしようもない。
「思い出が色褪せているのかもしれないな・・・」
 ふと、そんな呟きが口をついて出た。考えて見れば自分は、今「彼」がどこで何をしているのかも知らない。所詮、片思いだったのだ。彼はモリッツの気持ちに気付かぬまま、彼女の前を去ってしまったのだ。そんな彼の消息をモリッツが知るはずもない。卒業の日モリッツは、柄にもなく切なさで胸が張り裂けそうになったのを覚えている。
 だが、それももう七年前の話だ。
 あのときの切なさを文章にしようとしてみたものの、どんな言葉もぼやけかけた思い出の輪郭を鮮明にはしてくれない。
(このぼやけた思い出を明確なものにするためには・・・やっぱりもう一度同じ体験をするしかないんだろうなぁ・・・)
 『恋』とは何なのか。言葉ではわかっていても、自分は本質的な部分でそれを忘れつつあるような気がする。
 結局、白紙の原稿用紙は半分も埋まらないまま、夜中が過ぎ、日付が変わって、そして日が昇った。編集者は相変わらず後ろでモリッツを見張っている。
(うー、しぶとい・・・)
 編集者が眠りこけたら、街へくり出して気分転換しようと思っていたのだが、どうやらこれは長期戦になりそうだ。
(それにしてもさ・・・)
 これまでのモリッツは、どんなに苦しんでいても〆切直前になれば火事場の馬鹿力とでもいうべきものを発揮して、どんどん原稿が書けてしまうのが普通だった。が、今はそれすらない。
(重傷ね・・・スランプかしら・・・)
「はぁぁぁ・・・・」
 モリッツは大きくため息を着いて、原稿用紙の上にペンを置いた。原稿用紙には先ほどから一文字も追加されていない。
(どうしよう・・・・)
 モリッツは後ろの編集者をちらりと見た。彼は椅子を立って、モリッツの机の方へやってくる。
(あーあ、またせかされるんだろうなぁ・・・でも書けないものは書けないのよね・・・どうしよう。)
 モリッツが困り果てていると、彼女のすぐ後ろに立った編集者の口から、意外な言葉が突いて出た。
「先生、街に出ますか?」
 モリッツは思わず肩越しに編集者の顔を見上げた。
「へ? ・・・いいの?」
「このままここに居たって書けそうな雰囲気じゃありませんからね。」
 彼の目は作家を追いつめる編集者の目では無かった。
「伊達に五年間先生の担当をやっているわけじゃない、先生の調子が悪いのは、見ればすぐわかりますよ。」
 編集者の目というより、彼女を気遣う人間の目だった。
「ごめんなさい・・・」
「少しくらい気分転換も必要でしょう。ただし、私もお供させてもらいますからね。」
「いいわよ、どうせだから朝食おごってあげる。」
「それはごちそうさま・・・でも、三時間だけですよ!」
「あぅ・・・そういうところが可愛くないわねぇ、あんたは・・・」
 悪態を突きつつも、モリッツの顔に浮かんだのは穏やかな笑顔だった。
 そして、二人は朝霧の煙る街に、出ていった。



第三話(ぴんく)振り返るとそこに

出かける前に、まずは大きく伸びをする。
「う〜ん」
ボキッ!ボキッ!
おいおい、首や肩がなるわ・・・

ついでに徹夜明けの大あくび。
「ふぁ〜〜〜」
意味も無く涙を睫にためたところで、いざ街に出発!

それにしても、『泣きたくなるくらい切ない』あの頃の気持ちを思い出すにはどうしたら良いのか・・・?
「・・・そうよ!手当たり次第なんでも思い出しちゃえば、一緒に あの時の気持ちも思い出せるんじゃない!?」

玄関のドアに手をかけながら、モリッツはまだ考え続けていた。
「そういえば、あの頃の私って、普段一体何をしてたんだっけ ・・・?」
「先生さっきから何を一人でブツブツ言ってるんですか?」
「細かいことは気にしないの!」
「はぁ・・・」

玄関を出て、歩きながら、さらに記憶の糸をたぐり寄せる。
「食べること、寝ること、噂話、情報収集、出来もしない魔法の 練習、ちょっとだけ勉強・・・そして・・・」
一つの結論に到達しようとした瞬間、あるはずのないものを見て咄嗟に身を隠すモリッツ。呆気にとられる編集兄ちゃん。
「せ、先生?」
「し〜!早く隠れなさいってば!」

物陰に隠れた二人の前を通り過ぎて行く、カップル。
それはなんとスタンベルクとリンデルだった!
「・・・あの水と油みたいだった二人がねぇ・・・
くふ・・・くふふふふ・・・
特ダネよ!スクープよっ!」
「・・・・あの・・・?」
「う〜ん、久しぶりに、こう・・・ 『吹けよ風!呼べよ嵐!! 血沸き、肉踊る、好奇心の金網デスマッチ!!!』 って感じねぇ!絶〜っ対に追跡レポートが必要だわ!!!」

そんなモリッツに気付かず通り過ぎて行くスタンベルクとリンデル。
あわてて追いかけようとするモリッツ。

「い、今のカップルが何か・・・?」
「うるさいわねぇ!いいとこな・・・
どえぇぇぇぇぇぇ!?」

再び物陰に潜む二人。その前を通りすぎて行く別のカップル。
それはなんとカステルとハイデルだった!

「きゃー!きゃー!!衝撃の新事実ぅ〜〜!!!
絵に描いたような美女と野獣か!はたまた計画的逆玉か!!
これで1ヶ月は噂話に事欠かないわ!」
「・・・・」
「今日は一体どうしたって言うの?家を出てたった3分で、こんな においしい情報が手に入るなんて! 追跡よ!追跡!! メモよ!メモメモ!!」

またまた、後を追いかけようとするモリッツ。
「せ、先生、なんか目つきがいつもと違うような・・・」
「・・・え?」
一瞬、何のことかわからず立ち止まる。
・・・そうか・・・
「あんたは昔のあたしを知らないんだもんね・・・」
「はぁ?」
・・・言われて見ると、トリフェルズ校卒業後は、机の前に座って、無い知恵を絞ってばかりで、こんな風に表で人を追いかけたことって無かった。
「そうか・・・そうよね、あの頃と全然別の生活をしてるんだもん。 あの頃の気持ちが分からなくなっても当然か・・・」
「・・・先生?」

決して大問題を発見したわけではない・・・でも、なんとなく妙な気持ちになってしまった。

・・・結局、追跡は中止になった。

そのまま、いつも行くベンラートさんの店へ歩くことにした。
いつもの朝食を注文する。
程なく、テーブルの上が料理や飲み物で満たされた。
そんな時・・・背後から呼びかける声があった。
「もしかして・・・モリッツ?」
ふりかえるとそこには・・・


第四話(おタヌキ大明神)雪に滲む・・・・

『彼』がいた。
七年前と同じ、穏やかな笑顔を浮かべて。
「夢じゃ・・・・ないわよね。ほっぺたつねると・・・いたっ。徹夜続きで幻覚を見るほど疲れて・・・・。耳引っ張ると・・・・いたっ。」
「ははは、変わらないね、モリッツ。そんなところ。あの頃のまんまだ」
向かいの席に腰掛ける。
そのあとは、「あの頃」とおんなじ。
テーブルをはさんで、ありったけのうわさ話。
しゃべるのは彼女、聞くのは彼。
街の噂、クラスの仲間の噂、フェルデン、エルツ、ヘレン・・・そしてたった今見た二組のこと。
あの頃と、おんなじ。彼も、彼女も・・・・・。

「時に、君の仕事は、上手くいっているみたいだね」
完全に聞き手に回っていた彼が、不意に言った。
「なぜ、それを知って・・・?」
「そりゃもちろん知ってるよ、どこの街へいっても、本屋に行けば君の作品が山になっているんだから」
「もしかして、・・・・私の本、読んだとか・・・・?」
「ごめん・・・・・流石に、男の僕が手にするのは少しはずかしいから、読んだことは無いけどね」
彼女は少しほっとした。作品を読まれることで、彼女自身が彼女の作品中の登場人物の如く、危ない恋の駆け引きを楽しむような、そんな女に見られてしまうことは彼女には耐えられなかった。
「そうだ!今晩時間があるから、一緒に食事でもどうかな?向こうの通りに、新しい店が出来てたね?」
「でも、あのお店、ものすご〜〜〜く高いのよ」
「いいっていいって、君との再会を祝して、って事で」
「え、ええ、いいわよ(きゃ〜〜〜〜っ、「再会を祝して」ですって。もしかして、彼ってば、私の事を・・・きゃ〜〜〜っ)」

彼とお食事!!喜び勇んで家へとんで帰った彼女の前に「あー、先生ー、お帰りですかー。」間延びした担当君の声。
「お帰りですかって、どーしてあんたがここにいるのよ!?」
「あー、おじゃまかなって思って、帰ってきたんですよ。あー朝食おごってもらい損ねた」
「そ・う・じゃ・な・く・て・、どうやってここに入ったのよ?!」
「そりゃ、僕も伊達に五年間先生の担当をやってるわけじゃありませんからね、出がけにどこに鍵を隠すか位知ってますよ。ちなみにその場所というのは・・・」
「言わなくていいーっ、ったく、ぼーっとしてるようで、油断も隙もありゃしない。これでこいつがこんな唐変木だからいいようなものの、ストーカーだったりしたらえらいことだわ、ぶつぶつ・・・って、きゃー、こんな事してる場合じゃなーい、原稿、原稿!!」
人間というのは現金な物で、さっきまであんなにうなっていた彼女、「ふふふーん、原稿なんてちょろいもんだわ、このモリッツさんの才能に、恋のエッセンスを一滴落とせば、ほーら、この通り。あっと言う間に書けちゃうわっ。
今夜は街で一番のレストランで彼とお食事して、そのあとは・・・きゃーっ、恥ずかしくて口に出来なーいっ。
はいっ、出来上がりっ」
「えー、先生、もうですか?こりゃまた、どうして??」
「ぷぷぷっ、野暮なことは聞かないの。馬に蹴られて死んじゃうわよっ」
「はぁ?」
「いいから早く原稿持っていって。じゃ、おやすみなさーい。すぴー」


夜が重い緞帳を街に降ろす、そんな刻、約束のレストランの予約席で独り。
「なんだかいいわね、こうしてひとを待つ、っていうのも。」
指先でグラスの縁をもてあそびながら、小さく呟く。
「それに、しばらくなかったわよね、今日みたいに真剣に、長い時間かけて鏡に向かうなんて。」
綺麗にマニキュアした指に目を落とし、爪でグラスをチン、とはじいてみる。
「こんな気持ちが、ずっと続くといいな、ううん、きっと続くわよね。 ・・・・・・・・それにしても、ちょっと遅いわ。」
店内に静かに流れるブラームスの弦楽六重奏。ギャルソンが一人、気取った足どりで近づく。
「コルマール様、ルシヨン様より、メッセージでございます」
トレーから手紙を渡す。
私はあわててそれを開いた。


『親愛なるモリッツ。
僕の方から誘っておいて済まないが、今日の食事はキャンセルする。僕が今日この街に来たのは、ある事を報告するため・・・・・彼女と一緒になることに決めたんだ。
ベンラートさんに聞いたよ、君の気持ちのこと。
それがわかっていて、君と食事をしたりすることは、彼女を裏切ることにも、君を傷つける事にもなる。
だから、予定より早くこの街を出ます。
さよなら。

                    カレナック・ルシヨン

p.s.店の払いは済ませてあります。ゆっくり食事を楽しんで下さい。』


折しも店内の音楽は悲痛なニ短調の第二楽章へ。
彼といつも一緒だった彼女の、深く澄んだ碧の瞳が浮かんだ。
「いやよ!」
この七年間、彼の消息はわからずとも、それでもどこか近くにいるような気がしていた。
でも・・・このままでは、彼は本当に手の届かない処へいってしまう。
「一目、彼に・・・」
もう、どうしようもない。理屈では、それはわかる。
でも、それをこころが激しく拒む。
(がたん!)
手紙を握りしめ、席を立つと、街へ飛び出す。
今ならまだ間に合うかもしれない。
今夜の夜行列車が出る前に、一目彼に・・・・。

人影もすでにまばらになった夜の駅。
(ぴーーーーっ)
夜行列車の長い汽笛。
「あ、切符を」
制止する駅員を無視して、ホームへの階段を駆け登る。
動き始めた列車。
「いた!」
窓から見える、彼の横顔。
彼が、一瞬こちらを見たような気がした。
「まって」
人影のないホームを走る。
無情にも列車はどんどん加速していく。
「行っ・・・ちゃった・・・・・・・・」
ホームの端にぺたんと座り込む。
(かたん、かたん)
次第に小さくなっていく列車の音。
降り始めた雪ににじむ信号機。
いいえ、にじんで見えるのは雪のせいだけじゃないわ。
「先生・・・・・?」
不意に担当の編集者の声がした。
「どうしたんです、こんな所で。はやく帰らないと、風邪ひきますよ」
編集者に背中を向けたまま、強く首を横に振る私。
「でも・・・・」
「いや!!ここに居たいの!!」
ためらう気配。
(ふわっ)
肩に掛けられるコート。
「わかりました、先生。僕は帰ります。先生も、気が済んだら、帰って下さいね」
去る足音。

激しくなっていく雪が髪に、肩に降り積もる。
緑色に滲む水銀灯の下、私は涙を流し続けた・・・・・



第五話(elthy)そしてSnowRomance

降りしきる雪が次第に粒を細かくしていく。しかし、モリッツの頬を伝う涙は細かくなるばかりかますます粗くなるばかりであった。

私、どうしてこうなっちゃったのだろう。
こんな所で一人で絶望しているのだろう。

私はもしかすると彼に何かを期待していたのだろうか。
いや、それは違う。むしろ期待していたのは「彼」、ナックの方のはず。
そうでなければ、学生のころは奥手中の奥手の彼が私なんかには・・・・・
高揚し熱くなる心とは別に、次第に冷えていくからだ。モリッツの淡いピンクと赤に彩られた手先は、寒さに耐え兼ねて、彼女が意識するとはなく、彼女の懐に吹き込んでくる雪の上を滑る。

まっすぐ。まる。まっすぐ、まっすぐ、まる。
まっすぐ。まる。まっすぐ、まっすぐ、まる。
まっすぐ。まる。まっすぐ、まっすぐ、まる。

その単純作業は次第に機械的となり、激しくバラバラに砕けるように波打っていた心を、激しさはそのままながらも次第に確実に、正確な発動へと変えていく。

その心の激しく、しかも確かな盛り上がりに感性を武器に育ったモリッツが気づくまでにはそうは時間がかからなかった。そのころには、雪の上に繰り返し涙で書かれた記号は、このような物になっていた。

「l o v e」

そう、本当の恋愛は、こんな激しい心の発動だったんだ。苦しいような、しかもどこか酔いしれる快感のような。こんな事も知らないで私は、今まで、何を偉そうに恋愛小説家などと・・・・

「決めた!あたしは、やっぱり恋愛小説家なのよ!この恋だって、私の飯の種にしてやるんだわ!」
モリッツは勢いづけて今まで凍ったように座り込んでたいすからからだをはがす。

ゴン!

頭を力任せにぶつけた目眩を感じながら振り返ると、そこにはさっきまでそこにいたはずの、そして今はいないはずの「彼」がそこにいて、彼女に傘を差し掛けていたのだ。

「あ、あんた・・・・・・どうして帰らなかったのよ」

「モリッツ先生・・・いや、むしろモリッツさんとよんだほうが良いですね。今日の今日まで、ずっと貴女を追い掛け回して正直疲れた事もありました。次々と悩みながらも原稿を書き続けられるモリッツさんを見て、もう貴女は恋の悩みなど超越したところにいらっしゃるのでは、僕なんかがお相手出来る人ではないのでは・・・・・と」

「彼」は大きく息を吸い込む。さっきほどには強くはないもののやはり細かい雪が舞い込んでせき込んでしまう。彼の持っている傘の重さが、もう相当長い時間が経っていた事を物語っている。

「でも、僕はは今ここで、こうして貴女の生身の姿を幸運にも見られた。・・・・・それだけで僕は、幸せです。こういう風なときに、見守っている事しか出来ない僕みたいな人間ははっきり言ってお邪魔なのでしょうか・・・」

わずかながらに「彼」が受け損なった肩口の雪を振り払うように叩き落とし、モリッツは言い放つ。

「・・・・・・・・帰るわよ」

家に帰るなりモリッツは愛用の机にしがみつき、一心不乱にペンを滑らせはじめる。本来おとなしい「彼」は、夜が明け、あたり一面が銀色になるまでドアを開ける事も出来ないような緊迫感に身を縛られていた。こんな事はここ5年間でも経験した事はない。
そして、一遍の短編の小説を書き上げたあと、モリッツは振り返って血走った目と、それ以上に血の入った頬をしながら、原稿の束を叩き付ける。

「読んで。」

内容は一種のファンタジーとよんでいいだろう。
ある国の城に閉じ込められるように住んでいる裕福な少女が突然舞い込んだ風の精に一目ぼれをする。彼女は若い使用人の手を借りて、初めて城を出て冒険する。
ところが、いくら使用人が馬をしごいてもこの風の精は人間には想像だに出来ないスピードで消え去っていってしまう。儚い恋に絶望した少女が使用人に慰められつつ城に戻ると、城は預かっていた王子が消えていたと大騒ぎになっている。
実はこの使用人こそが当の王子だったのだ・・・・・。

「・・・・・・・これを貴男にあげる。読めるようだったら・・・・・これを生み出した気持ちもからだごとあげるわ。」
「僕の気持ちは・・・・・前からモリッツさんにお預けしています。僕は貴女の使用人として、そして王子として・・・・・・」

二人の思いをもって発行されたこの短編は、恋を夢見る少女たちにロマンスを、恋を知り尽くしたあとにもなお潤いを与え、小説家モリッツ・コルマールの名をまた高めてしまうのである。

fin


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