飯豊山行

飯豊山行


2000.08.3-6 4期漆戸、6期辻川、7期竹辺、13期小松崎、そして竹辺英昭の5名がそれぞれの思いを込めた飯豊山に出かけました。

飯豊といえば花。まずは花の紹介から始めよう。写真をクリックすると大きな写真が楽しめます。
シナノキンバイ クルマユリ、タカネマツムシソウ、ハクサンシャジン ニッコウキスゲ コバイケイソウ ハクサンコザクラ シラネアオイ イワカガミ チングルマ ヨツバシオガマ ミヤマトリカブト ミヤマウスユキソウ ヒメサユリ

飯豊山行記録

8月3日
9:36東京駅新幹線ホームに今回のメンバーである漆戸さん、辻川さん、小松崎さん、そして竹辺親子の計5名が揃う。やまびこ119号で一路米沢へ向かう。列車は福島で東北新幹線からわかれ、山形新幹線へと入っていく。新幹線とはいうものの駅などは在来線の雰囲気だ。米沢で駅弁を買う。駅弁売りのおばさんとやり取りをしていたら「あんたら良い人だからまけてあげる」と米沢牛の駅弁を20円負けてくれた。米坂線は新幹線と同じホームから出る。2両連結のジーゼルだ。「えっ、エアコンがない!」。窓を開け放し、天井一面の扇風機の風を受けながら小国まで1時間あまりののんびりとした旅。しかし高校生は全員携帯を持っている。
小国の駅前には何もたいしたものはない。飯豊山に行くらしいグループが2,3組。町営バスの待ち時間が1時間あまり。
小国から飯豊山荘までのバスは週1回の泡の湯温泉へ寄っていく便であった。運転手と乗客とのやり取りがおもしろくあっというまの1時間であった。飯豊山荘に着いてまもなく雨が降る。聞けば毎日夕立がくるとの事である。明日からの天気はどうだろう。山菜尽くしの夕食を楽しみ、タイガースの勝利(延長押し出し)を祝し就寝。

8月4日
5時起床。晴れ。6時10分、山荘の前で記念写真をとり出発。7,8分歩いたところに登山届をだす小屋があり何人かのマイカー登山者たちが支度を整えている。届を出し、ゲートをこえて林道をすすむ。大きなブナの多い気持ちの良い林道が温身平まで続く。温身平から梅花皮沢に入っていく。砂防の堰堤で林道は終わり山道となる。梶川の出会い手前から残雪が谷を埋め巻き道が大きく左岸を高巻いている。大きな雪塊が轟音とともに谷に崩れ落ちた。梶川を過ぎてから雪面に下りる。亀裂や陥没穴に注意を払いながら上っていく。(10:00)石転び沢出会いは広い雪原になっている。大きな岩の横の露出した地面を横切り左岸にわたったところに水が飲めるところがあり小休止。傾斜は徐々にきつくなり温度も下がってくる。腰につけたPROTREKによれば14度。ほん石転び沢出会いはやや傾斜がゆるく大きな岳樺の流木(?)のところで休憩とする。ここから最後の傾斜を登り、黄色の旗の立つ草つきに到着(12:25)。見下ろすと遥かに雪渓が望め、シナノキンバイ、コバイケイソウが多いところである。大休止後、歩き始めてしばらくして猛烈なスピードの落石が2メートルばかり横を掠めていき、肝を冷やす。草つきの最後は左へのトラバースとなり最後の雪渓にでる。ガスって見えなかったがすぐ上が梅花皮小屋であった。(14:00)

石転沢を登る 梅花皮小屋

小屋に今日の宿を定め、乾杯。うーん、無事に来れてよかったねー。
ガスが晴れてくると小屋の周りは見事なお花畑。ニッコウキスゲの黄色、タカネマツムシソウの青、シシウドの白など色とりどり。花の名前を思い出しながら北俣岳まで散歩気分の山登り。他にイブキトラノオ、クルマユリ、イイデリンドウ、コバイケイソウ、ミヤマウスユキソウ、オヤマノエンドウ、ハクサンシャジン、ハクサンフウロなど。北俣岳から門内岳方面の眺望は残念ながらガスっていて得られず。辻川さんは山頂で特技のすばやい昼寝。夕食は山の定番カレー。20倍辛口は本当に辛かったそうな。
梅花皮小屋は水洗トイレの気持ちの良い山小屋で、水場も近く水量も多い。夕方5時ごろ夕立。

8月5日
朝食はもち入りワカメスープなど。今回の食料担当の小松崎さんのおかげで多彩な食事に感謝。
雪渓とお花畑の間を行く6時10分、出発。曇り。梅花皮岳、烏帽子岳(7:10)、亮平の池にはハクサンコザクラの群生がある。そばの大きな雪渓をみて大休止とし、食担の今回の夢であった「ミルク宇治金時」を賞味する。このあたりの稜線歩きは今回の飯豊山行のもっとも楽しく美しいところである。ニッコウキスゲの群落が次々と姿をあらわし雪渓とニッコウキスゲにはさまれた緩やかな山道を行く。イワカガミ、チングルマ、シラネアオイ、ヨツバシオガマなども多い。御手洗の池(8:45)、天狗の庭(9:17)を過ぎていく。行く手には飯豊本山を望み、右手には谷を隔てて大日岳が終始大きな山容を見せている。
(10:20)御西小屋に到着。昼食とする。水場は5分ぐらい。水を汲みに行くのは一番若い英昭くんの役割のようだ。
コーヒーを楽しんだ後荷物を置いて大日岳ピストンに出かける(11:25)。緩やかな稜線沿いの快適なコースである。笹や小潅木が多く花はあまり多くないがミヤマトリカブトが目に付く。目立たないがタカネミミナグサ、ヤマハハコ、ウツボグサなども多い。下方の雪渓沿いにはニッコウキスゲの群落が見える。大日岳登りはなかなか厳しいのぼりである。弾んでいた話声が途絶える。先頭を元気いっぱいに飛ばすのは漆戸さん。「こりゃ−休まずに行きそうだぞ」という声を尻目に約1時間で最高峰大日岳(2128m)に到着(12:27)。大分雲が増えてきて飯豊本山は望めず。御西小屋目指して帰っていく途中で遠くに雷を聞く。今日は少し早いぞ。御西小屋手前の雪渓の水場で水を補給する(13:40)。

ニッコウキスゲの稜線を行く これがミルク宇治金時

大日岳への稜線 大日岳頂上

小屋から再び荷物を持ち飯豊本山小屋を目指す。ガスが出てきたと思うまもなくポツリと降り始める(14:25)。雨具を着け終わるや否やバケツをひっくり返したような豪雨になる。山道はあっという間に川のようになる。単独行の人を加え、雨脚が少し弱ったところで歩き出す。広い草原のような稜線でニッコウキスゲが多い。玄山道分岐を過ぎ駒形山に差し掛かるところで再び風雨が激しくなり様子を見るために待機する。雷が激しく近くに何回か落雷。クワバラ、クワバラ。少し落ち着いたところで歩き出しまもなく飯豊本山(2105m)。辻川さんの夢であった山頂でのワインの乾杯は小屋までお預けとする。
(16:40)小屋は満員。やっと冬用の入り口のスペースをもらい何とか入り込む。ともかく雷からの無事脱出と飯豊山登頂を祝し乾杯!(ワイン、ウィスキー)。
今日の夕食は牛丼。韓国焼きノリでくるんだお餅もなかなかのものであった。狭い中で目差しで寝るが夜は結構寒かった。

8月6日
寒くて早く目がさめる。ゆっくりとした朝食をとり、(5:45)出発。晴れ。一ノ王子、御前坂と下っていく。切合小屋で泊まった人たちが登ってくるのとすれ違う。振り返ると昨日雷と相対した飯豊の稜線とその左奥に大日岳が雄大に構えている。猿が一頭、岩場から悠然と景色と人間を眺めていた。御秘所の鎖場を過ぎ、姥権現、草履塚を過ぎていく。このあたりの岩場にはヒメシャジンが多い。白花も混じっている。(7:38)切合小屋で軽食とする。日差しが強く東面の斜面を歩くときは大変暑い
。種蒔山を過ぎたところで待望のヒメサユリを見つける。昨日会った新潟県の写真家は大日杉には足元にまつわりつくほど咲き乱れているとの事。今回見たのはこの一輪のみ。三国小屋からすぐ剣が峰の岩場となる。霧が上がってきて少し涼しくなる。地蔵山手前から巻き道に入り峰秀水の水場でお昼とする(11:00)。埋め込まれたパイプから勢いよく冷たい水が出ている。最高!。

飯豊稜線、大日岳 左奥が飯豊山

ここからは笹平、上十五里、中十五里、下十五里と御沢小屋跡まで長い下りが続く。ブナの大木が多い。1300年の歴史を持つ山道は所によって2m以上もえぐれた人間一人の幅の溝になっている。どうやってすれ違うのだろうなどと考えるが誰もすれ違わなかった。2本ストックのおかげで何とか無事御沢小屋跡に到着(13:50)。谷川で顔を洗い林道を川入のバス停まで歩く。蕎麦が芽を出している畑が出てくると川入の村も近い。会津バスの停留所に14:30到着。まずビールで乾杯。よくたどり着いたもんだ。
バスの運転手さんから飯豊のいわれをたっぷり伺う。山都の駅に着くまでずっと説明のしっぱなし。東北のバスの運転手はみんな才能豊か。梅花皮(カイラギ)について訊ねると「梅花皮とは梅の木の皮のこと。ざらざらして滑りにくいので刀の柄に巻いていたとの事。でこぼこしているということから梅花皮岳という地名になったのではないかと言われている。」との事でした。その名前のもつ響きに魅せられて計画したのが今回の山行だ。飯豊山を縦走してきた人はもう日本のどこの山でも登れるとのお墨付きを運転手さんからもらい、そうだよな、雪渓、落石、落雷、豪雨、岩場となんでもそろっていると納得。そしてすばらしい花々。
山都の駅で蒸気機関車C57を見、会津若松で特急に乗り換え郡山へ。郡山で打ち上げということで乾杯、食事。郡山から新幹線で東京へ。9時まえに帰京。お疲れさんでした。またよろしく。
(竹辺)