とんとこ知床の旅
とんとこ知床の旅
OUWV OB会東京支部の今年最大のイベント”とんとこ知床の旅”(7月18〜24日)は
誰一人ケガすることもなく無事終了することが出来ました。
本隊7人は何れも65歳以上で、平均年齢66歳。何処かに故障を持つ身、無事は上出来。
ビデオで記録をされた辻川さんの報告を参考に、富士が行動記録を作成しました。
サポート隊3人の知床周辺のドライブ旅行(総走行距離 1300km)及び現地サポート
(人と荷物の運搬)のレポートは、田中純さんが別途作成されております。
参加者
本隊:漆戸(4期)、堀井(4期)、西野(5期)、辻川(6期)、金子(7期)、三宅(7期)、冨士(7期) 7名 (知床岬現地ガイド 桜井さん)
サポート隊:岡崎(6期)、田中純(7期)、小松崎(13期) 3名
役割:リーダー 漆戸、行動隊長 堀井、副隊長 三宅、記録係 辻川、装備係 金子、食料・会計係 冨士
スケジュール
7月18日(金) 各地 → 女満別空港 → 羅臼 → 相泊・熊宿(泊)
7月19日(土) 相泊 → 知床岬へ 念仏岩(テント泊)
7月20日(日) テントサイト → 知床岬 → 相泊 → 羅臼・山小屋峰(泊)
7月21日(祭) 羅臼 → 羅臼岳へ 羅臼平(テント泊)
7月22日(火) テントサイト → 三ッ峰ピストン → ウトロ・マリーン知床(泊)
7月23日(水) ウトロ・知床岬観光船遊覧 ウトロ・ホテル知床(泊)
7月24日(木) ウトロ・知床自然センター散策 → 女満別空港 → 各地
行動記録
7月18日
東京組8名は羽田7:50発、女満別空港9:35着で北海道入り、道内の堀井さんと
関空発の岡崎さんに、女満別空港で落ち合う。
本隊組は、ジャンボタクシーで一足先に、オシンコシン滝、ウトロ経由、知床峠を越え
羅臼に13:00着。昼食用パン・ガスボンベ等の買出し後、地元有名鮨屋で昼食。
相泊の熊宿(クマヤド)に14:20到着。(女満別ー相泊間 走行距離150km、4時間)
岡崎さんを待ってレンタカーに乗ってくるサポート組が到着するまで、相泊港を散策し、
近くの海岸にある無料の露天風呂”相泊温泉”に入った。(風情のある良い温泉だ)
知床岬へ案内・サポートしてくれる現地ガイドの桜井さんとレンタカー組の3名が揃い、
豪華魚貝料理の夕食となった。
熊宿の親父さんは、食堂兼宿屋と釣り客・登山客の船による送り迎えが仕事で、夫婦
のみが相泊で生活している。(昆布・鮭の漁師は、相泊で仕事をするが羅臼で生活)
桜井さんは50歳独身。新潟出身で、この地に住着き、主にガイド・従に漁師の手伝い。
親父さんが撮った写真を見せて貰ったり、ヒグマへの対応を聞いたりし明日に備える。
玄関先にキタキツネを見、岬行き荷物の振分けを済ませ、21:00就寝。
7月19日
4:00起き、4:40出立。朝食も昼食と同様、おにぎりを用意して貰った。
サポート組に見送られて、知床半島の南海岸を22km先の知床岬に向け出発。
我々の入林届記入を直ぐ近くでエゾシカが見守る。ヒグマでなくて幸い、否チョッピリ残念。
コンブ番屋が点在する崩浜の、海岸を埋め尽くす大小の石に足を捕られながら進む。
5:40 第一回目の朝食。誰か、途中の海岸で打ち上げられていたコンブをかじる。
桜井さんから”笛の利用”(崖等の登りで後続に合図、熊除け等危険合図)の確認を受け、
最初の高巻きである観音岩のロープを攀じ登る。足場が悪く順番待ちで時間がかかる。
無数の観音像が祀られる観音岩7:00通過、知床岳への分岐を過ぎ化石浜に出る。
点在するコンブ番屋は、今年のコンブ漁が遅れているとかで、人の気配が少ない。
海に突き出た崖の岩をへつり、海岸にまで崩落ちたゴロゴロ石を歩く連続となる。
干潮しか通過出来ないというトッカリ瀬、海に突き出た奇岩のタケノコ岩 10:10通過。
10:40 モウレウシ川で、熊宿の船で知床岬遊覧をした帰りに上陸していたサポート隊
に出会う。(明日も波浪収まらなければ、迎えの船は出せないかもとの親父さんの伝言)
2度目の食事後、干潮時しか通れない剣岩付近の棚状の岩場を 11:10無事に通過。
波の力で大きな岩や石が動くために何処が浮石か判らず、疲労の足元を危うくする。
海岸を少し離れ、草付きの大きい岩の多いところを進んでいた時、牡鹿の角を見つける。
双方揃った兜のような立派なもので、桜井さんが番屋まで持参。後日、堀井さん方に。
高巻きとなるペキンノ鼻を越え 12:30、番屋に下ると、船で来ていた千葉の女性2人
に出会う。このような知床探訪もあるのだなあと思った。
高低差はないが草付きの高巻きは道が判らず、ガイドなしでは進めない。滝川 14:40
滝ノ下の船着場 15:00、念仏岩が目前の女滝 15:40小休止。炊事用の水を汲む。
今日テント張る念仏岩洞窟に 16:20到着。(歩行時間 12時間)
早速、テントを張る組と食事にかかる組とに分かれ準備に入る。
夕食は、鮭の大きな切り身を使った石狩鍋(野菜等は熊宿で調理済)と湯戻しごはん。
夕闇と共に風が強くなる。途中で集めた流木を焚き火にし、テントサイトを同じくすること
になった女性3人組と焚き火を囲み、心身ともに落ち着いたところで 20:00就寝。
7月20日
4:00起き、5:30出立。朝食は湯戻しごはんでお茶漬け。(前日に湯戻し済)
迎えの船の問題は残るが、赤岩に着くのであれば念仏岩にも船は着くとの桜井さんの
判断で、ザックはテントサイトに残し、サブザックで行動することになった。
念仏岩の高巻きは草つきの直登直下で、ロープはあるものの足場が悪く、難渋する。
番屋の点在する海岸沿いを進み、高度差200mのカブト岩の高巻きとなる。
登りは問題はなく頂上 7:00着。赤岩への下りのロープが古くなり外されていたため、
桜井さんと同行女性の持参ロープを使用し降りる。200mの垂直に近い下りをロープを
頼りにズリ降りるものだった。赤岩に8:00着。番屋に声を掛け、知床岬へ向う。
赤岩で夏の間、女一人で生活する杉本おばあさんの白い犬が知床岬まで我々に同道。
途中の海岸で、シーカヤックで知床半島1周するツアーのグループがキャンプをしていた。
知床岬の丘には容易に登るのことが出来、黄色いマルバダケブキが一面に咲いていた。
9:10 知床岬灯台の上で、堀井さん提案の 交響曲9番 喜びの歌の合唱と相成った。
同道の女性3名も吃驚(堀井さんは、このためにアイポットとステレオスピーカーを持参)
知床岬の標識跡(高山植物の圃場有)を見て、風を避け緊急用船着場で昼食。9:40
(本日、知床岬を訪ねたのは、一人旅の女性と女性3人に我々のみ)
来た道を辿り赤岩の番屋に 11:00戻った。(ここまでの歩行時間 5時間)
外に居ると霧雨と海風で寒く、番屋の主人の好意でコンブ乾燥小屋を使用させてもらう。
小屋では2度目の昼食(コーンスープ)後、居眠るもの、堀井さんがアイポットに収録した
楽曲から落語までをたっぷり聞くもの等、船の迎えまで、ゆっくりした時間が流れる。
岬で居なくなった白い犬が赤岩に戻って来たので、漆戸さんがお礼にパンを与えた。
14:50 熊宿の迎えの船が来たが着岸出来ず、羅臼への引揚げを遅らせていた赤岩の
番屋主人の船で熊宿の船まで送り届けていただく。何とか予定通り帰ることが出来る。
しかし、テントサイトの念仏岩には着岸出来ないため、近くの滝ノ下で一旦降ろしてもらい
念仏岩までピストンしザックを回収することとなった。熊宿の船は左程大きくはないが、
2連エンジンで高速操行するため、波飛沫を全身被ることとなった。相泊 16:30帰着。
ピックアップのため相泊に戻ってくれた田中純さんのレンタカーと桜井さんの大型バンで、
本日の宿泊場所”山小屋峰”へ移動。途中羅臼町で買い物 18:00到着。3人に再会。
コテージ風建物1棟5室が貸切状態。食事は”ホテル峰の湯”の宴会場で、送り迎えを
してくれる。一度自宅に戻った桜井さんも参加、旅の無事を祝う。21:00 就寝。
7月21日
5:00起き、5:40出立。朝食も昼食と同様、おにぎりを用意して貰った。
昨日宿の近くでヒグマが出たとの話。別行動の3人を残して、緊張のスタートとなった。
荷物は相変わらず15kg前後と減っていないが、多少慣れたこともあり順調に進む。
木の間から羅臼の町が見える里見台 6:50朝食タイム。曇り空で気温は上がらない。
第一の壁、第二の壁 8:30通過、硫黄で沢が白くなっている泊場を 10:10通過。
花が沢山咲く、屏風岩が間直かに見える沢筋で、10:30 2回目の食事。
先へ進むと大雪渓が現れ、左の草付きを急登するも大きな岩に阻まれる。獣道と分る。
皆で道を探すも判らず、大雪渓の下まで戻り待機することにした。11:00ー12:00
一方、辻川さんが雪渓の上まで強引に攀じ登り雪渓の上で登山道を見つけ、下りてくると
大雪渓の下部を渡るものだった。結果、右に渡る地点が雪渓のため判らなくなっていた。
登り道が雪解けで足場が悪く、ピッチが上がらない。やっとの思いで、羅臼平直行の道と
の分岐に 13:40着。この時点で予定の三ッ峰鞍部のテントサイトまで行くことは無理と
判断した。テントサイトを羅臼平に変更し、腰を落着けて昼食とした。
テントサイトには水場がなく、ここの雪渓の雪解け水を炊事用として汲んでいくことにした。
これまでも、イワブクロ、ウコンウツギ、エゾツツジ、エゾノツガザクラ等の花が見事だったが
雪渓の周りは、文字通り一面のお花畑で素晴らしい景観。
英気を養い岩清水分岐に向うが、登る道が判然とせず水を含み荒れており、苦しめられる。
岩清水分岐 14:50着。膝の良くない西野さん以外は、空荷で羅臼岳をピストンする。
途中、岩清水の滴る水を味わい、羅臼岳頂上に 15:30着。一人一人記念写真を撮る。
分岐点に戻り、あと少しの羅臼平に急ぐ。羅臼平 16:40到着。(歩行時間 10時間)
羅臼平は広い平坦地で、キタキツネが出迎えてくれる。木下レリーフの傍でテントを張る。
夕食は、カニ缶を使ったちらし寿司(湯戻しごはん・ちらしずしの素、インスタント味噌汁)
食べ物類をフードロッカーに納め、一頻りテント内で食後酒による反省会。21:00 就寝。
(羅臼側の登りで出会ったのは僅か3名、羅臼平で会ったのはウトロ側からの7,8人)
7月22日
5:00起き、朝食は、餅入りとん汁(レトルトとん汁・お餅他)
今日の硫黄山ピストンは無理と判断し、1日早めてウトロに下山することに決定。
上昇気流がウトロ側・羅臼側とで鬩ぎあっており、雲の状況が刻々変わる。雨の心配は
ない模様で、テントを畳み三ッ峰にピストンすることになった。6:40出発
今日は羅臼平からも三ッ峰からも、何度も羅臼岳の全貌をはっきり見ることが出来、また
数多くの高山植物の花を見ることが出来、花の撮影会となった。三ッ峰頂上 7:10。
羅臼平に戻った8:30頃には、今朝ウトロから登って来た神戸や横浜のツアー登山客が
続々到着し、さしもの羅臼平も人で一杯となり、流石は100名山と感心した。
9:10 岩尾別温泉に向け下山開始。途中でも自衛隊の訓練登山の大部隊と擦違う。
ウトロ側には雪は残っておらず、穏やかな山歩きとなった。強三吉水の水場に 10:50。
岩尾別温泉”ホテル地の涯”に 12:30到着。缶ビールを買って、露天風呂で汗を流す。
タクシーに分乗し、今日の宿に直行。マリーン知床に 13:30着。(歩行時間 5時間)
遅めの昼食をラーメンにしたいと、午後の休業時間に入った知床グランドホテルの麺座
に無理を言って開けてもらい、特製ラーメンとビールにありつく事が出来た。
この往き道のウトロバスターミナルで、一日早く東京に帰る小松崎さんに偶然出会う。
女満別空港行のバスを待っていたもの。
岡崎・田中純さんとも再会し、今夜一緒に酒を酌み交わすことになった。
夕食は、ジンギスカンを希望し、結果、魚貝料理に肉料理と豪華豪勢なものになった。
7月23日
6:00起き、8:20出立。常連客の常宿らしく、量重視の朝食だった。
今日は、砕氷船でもある大型船のオーロラ2で、知床半島の北側を知床岬まで遊覧。
10:00出航まで、小雨の中をオロンコ岩に登る人、待合室で休憩する人、人それぞれ。
遊覧船が港を出航すると、小型の高速船が行き交い、船ごとにカモメが群がる風景と、
平地が少なく崖から海に落ち込む滝(フレペの滝、カムイワッカの滝、カシュニの滝)
波に侵食された奇岩(クンネホール、タコ岩、観音岩、獅子岩等)を楽しみながら進む。
雨も上がって、羅臼岳から硫黄山までの連山や知床岳がクッキリ見えるようになる。
硫黄山の山容を見て、行きたかった、無理しなくて良かったとの思いが重なる。
知床岬灯台が見えるところで旋回、天候は良くなく、国後島を望むことは出来なかった。
帰路は船室で休む人が多かったが、デッキで知床半島の北側海岸を知床岬まで歩け
ないかと海岸線を見つめる人がいた。13:50着、3時間45分の船旅だった。
バスターミナルからバスで、ホテル知床に入る。14:40着と少し早かったがチェックイン
をして貰い、ゆっくりと温泉に入ることが出来た。
夕食は和洋中の豪華バイキングを堪能した。部屋に集まり談笑するも満腹で睡魔。
(各宿の豪華料理とアルコールが、過激な山行の割りに体重を増やす原因となった)
7月24日
6:00起き、8:00出立。朝風呂の後、朝食はステークもある夕食並みのバイキング。
女満別空港行バスの発車時間まで、バスを乗り継ぎ、知床自然センターに出かける。
岡崎さん達が見たヒグマの所為で五湖に入れず、センターのオオロラビジョンで知床の
映像を見る。フレペの滝の散策中、諸所でエゾジカを見るも、最後の最後までヒグマを
見ることなく旅を終えることとなった。昼食にラーメンを食べ、道の駅でお土産をゲット。
12:50発の知床エアーポートライナーバスで女満別空港へ。各人航空機の客となる。
(東京組の15:15発羽田行は乗り換え時間も少なく、待つ間もなく搭乗となった)
冨士 記