木曽御嶽山登山

木曽御嶽山登山


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「木曽のナアー中乗りさん、木曽の御嶽ナンチャラホイ、夏でも寒いヨイヨイヨイ」、正調木曽節で唄われる御嶽山に8月27日−29日初めて登って来ました。コースは黒沢口−剣ヶ峰−摩利支天−飛騨頂上−濁河温泉。参加者は6期の佐々木孝敏、西村秀嗣、辻川和伸の3名。以下はこの時の山行記録です。

8月27日(金)神戸、横浜−木曽福島−黒戸口−御嶽山剣ヶ峰

木曽福島駅発10:40発のバスに乗るため、佐々木は7:45新神戸発「のぞみ110号」、西村、辻川は7:29八王子発「スーパーあずさ1号」で木曽福島に向かう。待ち時間、神戸組17分、横浜組10分でぎりぎりセーフ。
御嶽ロープウエー行きバスは夏山シーズン平日だと9:00、10:40、13:35の3本、土日はプラス14:45の4本。9月4日−11月3日が秋山シーズンで、土日だけ3本の運行。驚いたことに、僕らが乗った10:40御嶽ロープウエイ行きバスは20数人乗りのミニバス。こんな小さなバスに全員座れるかと心配したが、登山客は10数名と少なく無事座れた。盛夏シーズンにはバスが増発されるのだろうか?これから行く人は確認した方がいい。1時間強で御嶽ロープウエイの鹿ノ瀬駅(山麓駅)に到着。ロープウエイに乗換え15分で終点の飯盛高原駅着。ここの標高は2,150m。途中で買った駅弁を駅社屋上で食べ腹ごしらえした。
ロープウエイ飯盛高原駅(標高2,150m) 御嶽さんの大滝口、黒沢口、開田口
 御嶽山は元々山岳信仰の山で702年に役小角が開山し室町時代は修験者達の登拝が盛んに行われた。江戸時代に覚明行者が1785年に黒沢口、1791年に小坂口(濁河温泉)を、普寛行者が1792年に大滝口を開き一般人が参拝するようになった。とは言えお江戸日本橋から中山道で木曽福島まで280km歩き、3,067mの頂上往復。現代人よりずっと健脚だった当時の人々にとっても、御嶽山に参拝するのはかなりの苦行だったと思われる。これら信者が休息、宿泊するための小屋が、ロープウエイ山頂駅から剣ヶ峰までの間に五軒、大滝口にも六軒、二ノ池に二軒、五の池にも一軒あり北アルプスに比べると山の単位面積当りの小屋数が多い。また小屋近くや山道の分岐には数多くの石像が立ち並び山岳信仰の山であることを実感する。神官の石像と坊さんの石像が混在しているのは、両者が共存共栄を目指したということなのだろうか?
八合目女人堂 女人堂傍の石像群
     12:30今日の目標、御嶽山最高峰の剣ヶ峰(標高3,067m)に向け飯盛高原駅を出発。頂上までの距離3.9km、標高差917m、3時間20分登れば良いと思うと気分も楽。とは言え地図で見ると7合目から頂上までは結構な直登コースなので無理せず30分に1回位の休憩を入れながらゆっくりと登った。
 13:40八合目女人堂、15:25覚明堂を経て15:55剣ヶ峰頂上着。午後出発ということで夕立が心配されたが、幸い雨は降らなかった。剣ヶ峰頂上には御嶽神社奥社があり、頂上直下に御嶽頂上山荘、その直ぐ下に御嶽剣ヶ峰山荘が建っている。我々3人は、定員200名の剣ヶ峰山荘に泊まったが当日の宿泊者は30名程度と少なく、8畳敷きの個室でゆったりと寝ることができた。小屋受付に明日の天気を確認したところ、ここ数日殆ど同じで午前中晴れ、午後から曇り始めるとのことで一安心。
剣が峰頂上の御岳神社奥社 剣が峰頂上(標高3,067m)
    

8月28日(土)御嶽山剣ヶ峰−二ノ池−摩利支天乗越−摩利支天岳−飛騨頂上−濁河温泉

頂上でご来光を迎えるため4:40分起床。部屋の窓から外を見ると幸い快晴で東面の中央アルプスの山並み、はるか遠くに富士山もはっきり見えた。5:15頃の日の出に備え5:10に頂上に向かった。何しろ歩いて3分で頂上だからとても楽。頂上は快晴で360度の景色を眺めることができた。御嶽山の真北に乗鞍岳、その向こうに北アルプス、東南東に中央アルプス、西北西に加賀の白山。当然のことながら、北アルプスとはずいぶん山の見え方が違う。
部屋の窓から富士山も見えた 二ノ池、継子岳、乗鞍岳、その後に北アルプス
     5:45に朝食を食べ、6時半剣ヶ峰山荘出発。20分程で二ノ池到着。二ノ池は標高2,905m、日本一高い湖沼と言われる。二ノ池べりに二ノ池本館が、100m程離れた摩利支天山を見はらす場所に二ノ池新館が立っている。御嶽山の山小屋の多くは共同管理組合を作り二ノ池の雪解け水を浄水して使用しており、特に水源傍の二ノ池本館、二ノ池新館は入浴可能を売りにしている。我々は頂上に近いことを優先し、剣ヶ峰山荘に宿泊したが、二ノ池本館、新館から剣ヶ峰までは35分程度なので、風呂好きな人ならこちらに泊まるのも面白いかも知れない。
二ノ池新館からサイノ河原を経て、7:30サイノ河原避難小屋到着。サイノ河原にはケルン状に石が積まれた何100もの石塔が立ち並んでおり、宗教の山であることを思い出させる。サイノ河原はまたコマクサの宝庫でもあるらしく、我々も数株見掛けることができた。サイノ河原避難小屋傍には御嶽教の教会もあり、沢山の石塔が立ち並んでいた。避難小屋から三ノ池に下り、そこから五の池小屋に至る道もあるが、今回は無理しないことにしていたのであっさりパスした。そして当初予定通り御嶽山第2の高峰 摩利支天山(2,959m)に登ることにした。
8:00摩利支天乗越着、空荷で摩利支天山往復。殆ど高低差の無い道で、地図では35分で往復できると書いてあるが、実際には往復で50分かかった。8:30摩利支天山到着、頂上からは南の御嶽山剣ヶ峰、今日下る濁河温泉が良く見渡せた。記念写真を撮って8:50 摩利支天乗越戻り。
サイノ河原には、ケルン状の石像が多数 サイノ河原の可憐なコマクサの花
    
サイノ河原避難小屋傍の石像群 避難小屋から三ノ池が見える
    
摩利支天乗っ越し 摩利支天山頂上(標高2,959m)
     9:00摩利支天乗っ越し出発、9:20 飛騨頂上着。直ぐ傍に五の池という直径10m程の小さな池とかなり大きな五の池小屋がある。頂上と名は付いているが10m程の盛り上がり。山屋にとってはむしろ少し北の継子岳(標高2,859m)の方が頂上と言う名に相応しい気がするが、信者にとっては摩利支天、剣が峰に直接繋がるここが頂上に相応しいのだろう。飛騨頂上にも沢山の石像が並んでいる。継子岳頂上は飛騨頂上から目と鼻の先に見え標高差も40mしかない。しかし実際に往復すると1時間掛かる。我々も継子岳に行くか行かないか本の僅かためらったが、既に3時間歩きちょっと疲れたこと、濁河温泉まで更に2時間半下らなければならないこともあって継子岳には向かわず、直ぐ降りることに異論は出ず9:45下山開始した。
飛騨頂上(標高2,811m) 飛騨頂上から見た継子岳(標高2,859m)
     飛騨頂上から濁河温泉の下り始めは直射日光が差し結構暑かった。途中、コマクサの群落で写真を撮りながら30分で休憩、更に20分で8合目標高2,450m。ここは「お助け水」と名前が付いており昔は水場があったのかも知れないが今は無い。更に下って11:05 のぞき岩避難小屋到着、標高2,300m位。ここでのんびりと昼食。後500m下れば良いと思うと気分も楽。11;40出発、12:05湯の花峠を経て12:50 仙人滝着。濁河温泉はもう目と鼻の先なのでここでのんびり過ごすことにする。仙人滝は30m程のなかなか見事な滝、濁河温泉から近いこともあって、観光客も数人足を伸ばしていた。滝の直ぐ傍に水場があり、この水はとても美味しかった。
仙人滝手前の橋 仙人滝傍にとても美味しい水場があった
     13;20 仙人滝を出て、13:40 濁河温泉の「ヒュッテ森の家」に到着。ここは部屋数8室の小さなペンション風宿で夫婦2人で運営している。佐々木氏は3年程前ここを基点に継子岳を往復したとか。辻川、西村はもちろん初めて。ちょうど創業20周年記念とかでふくろうの絵柄の半手拭を貰った。この後、ゆっくり濁河温泉につかり、ビールで乾杯、昼寝した。僕はこの日直ぐ寝てしまったが、西村氏は息子さんが漫画志望(漫画家?)だそうで藤子不二雄の分厚い「まんが道」をずっと読んでいた。

8月29日(日)濁河温泉−木曾福島駅−神戸、横浜

濁河温泉は秘境の温泉だ。公共交通機関は木曾福島駅からの28人乗り小型バス(補助席を入れて)で、しかも1日2往復しか運転していない。バスが2本しかないことはインターネットで事前に分かっていたが、小型バスとは考えてもいなかった。この日は日曜日、座れるかどうか心配だったので30分前に行き席取りした。幸い、乗客は合わせて22人だったので補助席は使わなくて済んだが、盛夏時は一体どうしているのだろうか?
バスの時間は10:45と15:20。今回、僕らは2泊3日かけ、ゆっくり濁河温泉に泊まり10:45のバスで帰ったが、若い人なら1泊2日で午後のバスに乗れば、その日の内に神戸あるいは横浜に帰ることもできる。ただ小型バスであることを考えると乗れないリスクもかなり高そうだ。ともあれ、今回は天気にも恵まれ、のんびりと木曾御嶽山に登ることができとても楽しい山行でした。
濁河温泉はバスが1日2本だけ 28人乗りの小型バス
辻川写真集
    辻川 記