中国(済南・泰山・曲阜・臨淄)旅行

中国(済南・泰山・曲阜・臨淄)旅行      (平成22年10月12日-16日)


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昨年12月東京支部忘年会での中国黄山に登ろうと言う話から、今年はまず澤井さんの地元と言える泰山・曲阜に行くことが決った。当初15名前後の参加予定だったが、日程変更、他で最終的に2期 福本夫妻、3期 澤井、鷺森、6期 甲斐、辻川、7期 姫野、冨士の8名が参加した。現地に精通した澤井さんのリーダーシップのもと世界複合遺産登録の名山・泰山に登るだけでなく、3千年の歴史が刻まれた曲阜(世界文化遺産登録・魯の国)、臨淄(斉の国)の遺跡を訪ねることが出来た。また山東省都済南市ではここ数年急速に近代化が進む新しい中国を体験した。出発から帰国まで連日、晴れまたは曇りで雨は降らず。尖閣諸島問題を巡る治安の不安も懸念されたが滞在中は全くその気配を感じなかった。現地滞在約3日半の短い期間だったが、とても興味深く愉しい旅行でした。以下に行動記録をまとめます。文末に参加者一人一人の感想が載っています。また、沢山の写真を撮りましたので、場所別に分類しPicasaウェブアルバムに置きました。サムネール写真をクリックするとPicasaにリンクします。  (レポートまとめ、辻川、冨士)

行動記録

10月12日

関西空港 10:30 集合 搭乗手続 出国手続
関西空港 12:35-14:30 (山東航空) 済南空港 通関 両替
済南空港 15:30-15:50 (マイクロバス) 斉魯SWP 見学 16:50-17:50(マイクロバス)
泰安市内(マイクロバス)20:20-20:50 宿チェックイン 泰山名人酒店(泊)23:00 就寝

[済南到着]
関東はもちろん、関西でも一部の人しか知らないが山東省と和歌山県は友好都市。山東航空は、山東省の省都済南市と関西空港、韓国仁川空港とに定期便を持つ航空会社。搭乗機は中型ジェット機のB737で、当日は5,6割の乗客だった。空港には、旅行中一緒のガイドの朱さん(45歳男性)、マイクロバスの運転手が迎えてくれる。また、アシスタントに日本語を習う女子大生2人(王さん、韓さん)が、泰山・曲阜に同行することになり、我々の旅に花を添えてくれることになった。

[山東省・済南市]
済南市は同じ山東省の青島市に比べ、馴染みは少ない。が、市街地の人口400万人と言われ、山東省の省都として政治・通商・文化の中心都市。(大阪市270万人・大阪府880万人)済南市は多くの泉(4群72泉)が湧き出し、泉城とも呼ばれて、杜甫、李白など文人墨客も訪ねたところ。山東省は、少雨(年間600mm)で乾燥気味だが、農業技術は高く、小麦・トウモロコシ・野菜等の生産地となっている。また石油産出量も中国2番目。冬は厳しいが降雪は少ない。

斉魯ソフトウェアパーク [斉魯ソフトウエアパーク]
済南は中国の春秋戦国時代の強国である斉国・魯国の境に位置し、斉魯と呼ばれている。空港からまず澤井さんが顧問をされている斉魯ソフトウェアパークを訪れた。ここは国家が支援するハイテク産業基地。広大な敷地に、産学協同で通信・情報・ソフトウェア産業(600社/12,000人)の企業が参集し発展著しい。日立、NEC等、日本企業も中国と合弁会社を作り沢山入っている。今回の泰山旅行手配はこの斉魯ソフトパークの王罡さんに大変お世話になった。この日はあいにく出張で留守。立派な会議室に通され、お茶を頂きながら、斉魯ソフトウェアパークの概要説明を、また澤井さんから旅行全般の概要説明を受けた。

[旅の始めの印象]
旅行中にまず気付いたのは、人が多い車も多いことだった。山東省人口9,300万人は中国の省で2番目に大きい。高速道の延伸、市街の内、外の片側4車線道路、トラック・自動車の急増と近代化が進む。ただ交通道徳が伴わず、ルール無視、荒っぽい運転が多く、また道路整備に統一性がない。人・自転車(電動自転車が7-8割)・馬車荷車・三輪トラック・自動車・トラックの全てが、同じ道にごちゃ混ぜで、車線を跨いで走る、無理な追越し、走路を譲らない等危険が一杯。信号のない横断歩道だと人が渡っていても車は止まらない。(注:帰国後インターネットで調べると交通事故死者は2008年で7万3千人、総人口13億人とは言え世界一多い。)
その後、済南市から80kmの泰安市に移動。山東料理の晩餐で中国到着を祝い、旅行の成功を祈念した。ホテルは高級で、設備等も日本のホテルと変わらない。室内に有線LANが入りインターネットアクセスできる。ただ、浴室のカーテンが外から開け閉めできるのは何のためだろう?これは今もって不明。

10月13日

6:30 起床 7:00 朝食(バイキング)宿 8:00-8:15 (マイクロバス) 岱廟 見学参拝
9:30-11:40 泰山登山 中天門 昼食 12:20-14:20 南天門 泰山登山 14:50
宿チェックイン 15:10-16:30 山頂散策 神憩賓館(泊)18:30 夕食 20:00 就寝

[泰安市・泰山・岱廟]
泰安市は泰山・岱廟の門前都市。孔子ゆかりの曲阜とともに山東省の観光拠点都市。泰山は周時代・春秋戦国時代(3千年前)からの聖地、五つの霊山の第一(五嶽獨尊)。秦・始皇帝も封禅(中国統一し天子になったことを天と地に奉る)儀式のため泰山に登った。また儒仏道三教合一により、泰山及び周辺に道教祠のみならず、孔子廟・仏教寺院がある。岱廟は泰山の神を祀り、民衆に信仰されて来たが、封禅の儀式が岱廟で行われるになり宋、元、明、清の皇帝たちが次々に宮廟を建て、記念碑を造り、現在のように荘厳になった。文化大革命時、石碑等かなり破壊を受けたが、開放経済政策以降、急速に修復が進んだ。

岱廟拝観[岱廟拝観] 今朝ホテルから高層ビルと泰山の山並みのツーショットを観た。街中から頂上迄良く見える。泰山を登る前に岱廟を参拝する習慣になっており、朱さんのガイドで全員が岱廟を見学。ホテル宿泊は勿論、入場料の要る宮廟・博物館等に入るにも、パスポートの提示が必要だった。暴動を未然に防ぐためらしいが何となく落ち着かない。岱廟は高い城壁で囲まれ、幾つもの門を通り一番奥まったところに正殿・天貺殿(北京紫禁城の大和殿、曲阜の孔廟と並ぶ中国三大宮廷建築の一つ、宋時代創建・清時代再建)が聳え立つ。広い敷地内に、由緒ある多くの建物、秦刻石等の多くの石造物、漢時代の漢柏等の樹木など見るだけで時間が掛かる。此処、岱廟から見る泰山は間近に聳え立ち、いよいよ泰山に登るのだと云う気にさせる。

[泰山登拝]
泰山には年間700万人、多い日には10万人が登るとのこと。殆どが地元の人で、外国人は未だ少ない。日本の団体ツアーは泰山往復で1組しか見掛けなかったが尖閣諸島問題の影響があるのかも知れない。この時期は農閑期で、気候も良く旅行シーズンとのこと、人口の多さを実感。単純には比較出来ないが高尾山260万人・富士山32万人に比べ、圧倒的に多いが、日本にも以前は、富士山・大山・大峰山、木曽御嶽山等の各霊山に講で登拝する習俗が盛んであった。知らなかったが2007年に泰山と富士山は姉妹山提携している。当時、温家宝首相は「日中両国の友好の土台は泰山と富士山のように決して動揺することはない」と話したとか。
山頂まで石段(6293段)を歩いて登る3人(甲斐・辻川・冨士)、専用バスで中天門迄行き中天門から頂上まで石段(3967段)を歩いて登る4人(福本夫妻・鷺森・姫野)、専用バス・ロープウエイで南天門へ行き頂上迄歩く澤井さんの3グループに別れて登り、頂上のホテルで落ち合うことになった。ガイド助手の韓さんは下から中天門迄、王さんは中天門から頂上迄我らと一緒に歩くことになり、朱さんは澤井さんに同行した。

[6293段組]
泰山(1545m)に続く際限ない石段は、4,5人が並んで登れる程の立派なもので、両脇も石積みの安全設計になっている。途中には、石造の門、橋、祠が次々に現れ、決まって茶店・露店がある。石段幅が狭くチョット登り難いが、溝を附け滑らないよう工夫している。国慶節直後の平日に係わらず、途切れることなく登っていく人の多さに圧倒される。驚いたことは、バス・ロープウエイがあるのに下から登る人が非常に多いこと、老若男女いろんな人が登っていること、かなり多くが背丈ほどもある線香(途中茶店等でも売っているが)を持って登っていること、地元の人が殆どであることから、伝統と信仰を深く感じさせられた。
途中の茶店で泰山名物の女儿茶(=娘茶)でお茶するが、韓さんに聞いても要領が得られず如何なるお茶か判らず終い。また、日本ではお御籤を木の枝に巻きつけるが、向こうでは線香の近くに何百もの合鍵が巻かれていた。これは男女良縁やお金が貯まることを願ったものだろう。尽きることのない階段を、若い韓さんの日本語の勉強に付き合うことで、気を紛らわせる。中天門で、肉野菜ラーメンの昼食を摂った後、ロープウエイで先に進む韓さんと暫しの別れ。彼女は殆ど山に登ったことがないらしい。中天門まででもかなり疲れたようだった。

[後半の石段登り]
石段も心なしか段差が高くなり、それだけ傾斜がきつくなる。疲れも溜まって来たところで南天門直下の急峻「摩天雲梯」(十八磐、1596段、標高差400m)の登りとなる。3人何とかクリア、南天門に到着。登り始めからここまで4時間35分。巖稜の尾根にある天街(天空のホテル・土産物屋街)に驚いていると、我ら3人を心配して迎えに来た朱さんと出会う。予想外の早い到着と元気なことを称讃してくれる。20年間ガイドやって、我々の歳で下から頂上まで歩いた人は始めて見たと言っていた。まあ、観光ツアーはバス、ロープウエイが殆どだろうからそうかも知れない。

[雲上散歩と神憩賓館]
碧霞祠(碧霞元君=泰山娘娘を祀る)を観て、山の頂の宿「神憩賓館」にチェックインする。登り始めからここまで5時間10分。天気も良く時間も有ったので、6、7期4名は玉皇頂、日観峰、石碑群、孔子廟を巡る雲上散歩と洒落る。2、3期の方々とも合流すべく連絡を取ろうとしたが電話がうまく繋がらず。夕食時、福本さんが足の痙攣し、回復後、2、3期4名で同じように雲上散歩されたとお聞きした。
泰山6293段組 雲上散歩6,7期

[3967段組-こちらを登られた福本さんのレポートです]
われわれ3967段組(鷺森、姫野、福本ペアと案内人の王さんの5人)は一天門でホテルでの無事再会を願って6292段組を見送る。天外村までマイクロバスで移動し、そこからさらに専用バスでガタガタ揺れながら約20分で中天門に到着。ここでロープウエイ組(澤井さんと朱さん)に見送られて石段の挑戦を開始する。(10:28)
石段の脇には土産物、弁当にする茹で卵・きゅうり、それに玩具などを商う店が並ぶ。中年の女性が水で溶いた小麦粉を丸い鉄板の上に薄くのばして煎餅を焼いている。時々現れる見事な石刻に感心しながら比較的なだらかな石段を進むこと約1時間と少々十八磐に到着。南天門に続く急峻な石段が目に飛び込んでくる。昼ごはんの時間だが頂上に着いてからということになり持ち合わせの物で軽く済ませる。
ここで小休止後最後の登りに挑戦。さすが一段が高く厳しい。だが若い案内人の王さんは以前 日の出を見に夜間6293段コースを登ったとのことですたすたと登り「大丈夫ですか?」と上手な日本語で何度も気遣ってくれる。12時30分やっとの思いで南天門に到着。一休みして広い天の町・天街のにぎわいに関心。多くの石刻を楽しみながら1時10分今夜の宿に到着。先に到着の澤井さんと朱さんの出迎えを受けた。
コースタイム   中天門10:28→雲歩橋10:50→朝陽洞11:04→十八盤11:38→対松亭11:52→ 昇仙坊12:20→南天門12:30→神憩賓館13:10
泰山3967段組 泰山ロープウエイ組 雲上散歩2,3期段組

泰山料理 [神憩賓館夕食]
泰山料理(サソリ料理、豆腐料理など約15皿、サソリは養殖しているとか)の晩餐で泰山登山の達成を祝った。ガイドの朱さんが青島ビールを奢ってくれた。澤井さんの日本酒2リットル提供に驚きと感謝。大きいカバンを大切そうに運んでおられたが中味が日本酒とは全く気付かなかった。(注:中国は国外からの酒持ち込み禁止と思っていたが違うのかな、と思ってインターネットで調べたら750ml x 2本まではOKでした)明日の日出を期待して就寝。1500mの巖稜の上に7,8軒のホテルがあり水を心配したが、下のダムからホースで汲み上げているとのこと。人が集まれば何でも出来ることを実感した。が、湯は出なかった。神憩賓館にも室内に有線LANが設置されていたので、OUWV交流サイトに無事泰山に登ったことを速報した。

10月14日

6:00 起床6:00-6:30 御来光 6:40 朝食 宿 7:50-8:20 徒歩 南天門8:20-8:30
(ロープウエイ) 中天文 8:50-9:10(専用バス) 泰安 9:30-11:10 (マイクロバス)
曲阜 孔廟見学12:30 昼食 孔府見学 孔林見学14:40-16:50 (マイクロバス)済南
趵突泉見学 大明湖散策 18:10-18:40 (マイクロバス)晩餐 20:20-20:40 (マイクロバス)宿チェックイン
 黒虎泉散策 22:00帰着 済南銀座泉城大酒店(泊)23:30 就寝 

[御来光・下山]
空が白み、遠くに雲の多いことが判る。でも下の町の明かりがハッキリと見え天気は良い。御来光を期待し、日観峰へ向かう。0度~5度位か、かなり寒い。甲斐さんはホテルに20元払い兵隊用外套を借用。各ホテルから大勢の人が出ている。日出時間を10分程過ぎたとき雲の隙間から一瞬朝日が射す。がまた雲に遮られ、切り上げて宿に戻ることにする。途中明るくなり、唐・玄宗皇帝の紀泰山銘の碑で写真を撮り、宿に戻って朝食を摂る。泰山に別れを惜しみながら、ロープウエイ(6人乗り)・専用バスを乗り継ぎ泰安の町に降り、チャーターのマイクロバスで、次の目的地・曲阜へ高速道で移動する。我々の運転手も同じだが、中国人の自己中心的な運転には何時もハラハラする。速度計は見なかったが130km位は出ていた気がするがマイクロバスのためかも。
御来光、下山

[曲阜・三孔]
曲阜は、春秋戦国時代の魯の国の都があった古都で、孔子(紀元前551年~紀元前479年)が生まれ、弟子に自説を教えたところ。孔子の生前は不遇、弟子が孔子の教えを広め、後に受入れられたもの。孔子の儒教は、為政者の在り方を説くもので民衆信仰には成り難かったが、漢武帝を始め以降歴代の王朝から孔子は特別な尊崇を受けることとなった。その表れが三孔。孔廟(孔子を祀る)、孔府(孔子直系子孫の邸宅・執務場所)、孔林(孔氏一族の墓所)が歴代の王朝の保護を受け続けて、現在に到っている。

孔廟(曲阜市) [曲阜観光]
孔廟と孔府は曲阜の中心街の、修復された曲阜城壁の南大門の入ったところにある。孔廟は、幾つもの門、大きな石碑、石碑を覆う建物群、文物を収めた大きな建物等があり、大成門を入ると、核心の弟子に学問を教えた杏壇、孔子が祀られている大成殿がある。大成殿は明代に紫禁城を反映し建てられた。(孔子は文聖・大成至聖先師と呼ばれた)前庇の10本の雲龍を彫刻した石柱は素晴らしく、皇帝の宮城以上の格式を物語っている。
孔廟内に旧居跡の孔子廟、孔子故井、魯壁(焚書坑儒を避け、書物を壁に埋めた)がある。孔廟を後にし、曲阜中心街のレストランで孔府料理を食べる。野菜の食材が多く美味しい。食後、孔子直系が代々住む孔府を見学する。孔子46代目が宋・仁宗から衍聖公に封じられ歴代王朝から称号の世襲を認められて来た。77代が国民政府と台湾に渡り、現在は無住。孔林は、孔子の墓を始め孔家一族の墓所で、3kmにも及び墓石は2万基になる。
時間の関係で、入口近くのお土産屋を覘いただけで、済南市までの130kmを移動する。

[田園風景]
朱さんの話では、高速道路の両側の農村地帯はトウモロコシと小麦の2毛作で通年野菜を畑地で栽培するとのこと。また合板用のポプラの植林が農家の収入になるとのことである。屋敷林か林程度で、林間も畑地や家畜の放牧に利用しているようだった。日本の里山と違って、木々の葉も白っぽく、何処となく埃っぽい感じが拭えない。

済南泉巡り [済南泉巡り]
高速道は順調だったが、済南市街に入ると渋滞で、予定より遅れて趵突泉(ほうとつせん)苑池に入る。市内の泉源を保護するため、公園化し入園料を取っている。園内のあちこちに泉があり最大の趵突泉は池の底から水面を50cmも盛り上げて湧き出していた。夕暮れも迫り、泉の水が集まる大明湖の畔を暗闇の中散策した後、レストランに直行する。朝(バイキング)・昼・夜とも中華料理スタイルの食事となるが、今日は、済南家庭料理の店で、私(冨士)にとっては、口に合った所為か一番美味しかった気がする。朱さんのお勧めもあり、チェックイン後、21時頃から宿の直ぐ近くにある黒虎泉(泉群)を散策する。泉から湧き出す水が流れる川沿いに幾つもの泉があり、散策路がある。黒虎泉は湧出量も多く、夜遅いのに多くの人が出ている。またライトアップされ、若い人のデートコースようだ。よく見ると(水泳・洗濯禁止の看板あるのに)川や泉で泳ぐ人や川岸で洗濯する人が多く、時間が晩くなるほど増えるようだ。水が綺麗なので風呂替わり、洗濯機替わりなのかも知れない。明日の朝早いので、程ほどでホテルに戻る。


10月15日

6:00 起床6:30 朝食 7:30 出立宿 7:30-10:30(マイクロバス)中国古車博物館(臨淄) 11:10-11:50 マイクロバス)臨淄市内 昼食 13:20-13:40 (マイクロバス)斉国歴史博物館 14:50-15:00(マイクロバス)臨淄殉馬坑 15:30-17:30 (マイクロバス)済南黄河公路大橋 18:10-18:40 済南市内 晩餐20:50-21:20 (マイクロバス) 趵突泉茶会 22:30-22:50 (マイクロバス)宿帰着 泉城大酒店(連泊)

[臨淄・斉の国へ]
今日は、青島・煙台に通ずる高速道路で東に移動し、斉の国の都・臨淄に向かう。臨淄のある淄博市は農業の他、石油が産出され、石油化学工業、陶磁器等の産業で発展。観るところが多く、食事もゆっくりとなれば、少々早出も止むを得ない。臨淄中国古車博物館に向かうが、高速道路からしか入れないところで、分岐も判り難い。
一旦、青州IC迄行き、高速道路を後戻りし、舗装もされていない道を入ると直ぐにあった

殉車馬坑・古車博物館 [殉車馬坑・古車博物館]
高速道路建設中に、生きたまま戦車とともに殉死させられた馬が発掘され、発掘当時のまま展示し、併せ古代のいろんな馬車等乗り物を復元展示するのが古車博物館で、高速道路を跨ぐ地下トンネルが殉馬坑で、道路際の建物で、車に纏わる展示がなされている。しかし何と云っても4頭立ての戦車が10数台隙間なく埋められており、歯がリアルな馬の顔蹄、アバラ骨、足の骨が2千5百年を越えて出現した驚きは隠せない。当然王の墓がある。だが、未だ発掘に着手されていないとのこと。始皇帝(BC246-BC210)の兵馬俑に先行するだけに期待大。

斉国歴史博物館・斉国景公墓殉馬坑 [斉国歴史博物館]
淄博市内(臨淄区)で昼食をし、斉国歴史博物館(今は郊外、昔の斉国の都があった場所)に向かう。春秋戦国時代の秦と並ぶ強国であった斉の国の歴史と史実をテーマに展示されている。先史時代の陶器・青銅器等、古代の武器・楽器、太公望(姜太公)・管仲の説話等を展示。

[斉国景公墓殉馬坑]
次に、臨淄東周墓(斉・景公)殉馬坑を見学。こちらは景公が馬好きで大量に飼育していて、殉葬させたと伝えられる。王の墓は、位置も推定されているが、発掘はされていない。殉馬は発掘展示されているだけでも、100頭が数えられる。先の殉車馬以上に生々しい。

済南黄河公路大橋 [再び田園風景・済南黄河公路大橋]
見学を終え、往路を戻る。途中、三方をレンガを積み土で覆い、一方をビニールシートで覆う中国式のビニールハウスを見た。朱さんの話では、農民が野菜で現金を得て、裕福になったということであった。済南市に戻ったところで、済南黄河公路大橋迄、歩いて黄河を見に行く。当初予定では少し上流の黄河の浮橋を歩いて渡る予定だった。ところがガイドの朱さんが距離を誤り予想外に時間がかかり暗くなったため、大橋の袂で束の間黄河を見、記念写真を撮っただけで引き返す。この1時間あれば浮橋まで行けたねと澤井さん。晩餐会へ向かう途中は帰宅ラッシュ、途中で接触事故を2件見掛けた。

晩餐会・茶会 [晩餐会・茶会]
少し遅れたが、高級レストラン(魚翅皇宮大酒店)での斉魯ソフトウエアパークの方々との本格的な中国式の晩餐会に参加する。事前に澤井さんから席順、乾杯、進行についてレクチャーを受けたが、まず経験することはなかったであろう晩餐会の雰囲気を味わうことになった。この晩餐会には、中国側からは、ホスト役の徐群さん(現在、ハイテクパークの副責任者で、もと斉魯ソフトパーク責任者)、サブホスト役の王さん(企業サービス部長)、孟子の62代目子孫で斉魯ソフトパーク海外事業部長の孟晨彦さん(女性)、今回の旅行のお世話いただいた王罡さん(海外事業部)、劉さん(海外事業部)、黄さん(済南智帆コンサルタントサービス有限会社董事長)の6人が参加。中国側、日本側のメンバーの紹介、挨拶と乾杯の発声、各自の杯の交換、歓談そして主催者側の山東省・済南市アピールがあり、会は和やかに進んだ。
この間、斉魯ソフトパーク側、我々交互に何回か白酒で乾杯。中国の乾杯とは一気に杯を干すこと。澤井さん、鷺森さん、福本さん、甲斐さんは見事にこれに応じたが、酒に強くない辻川、冨士はとてもついて行けず。この間、ソフトパーク側、我々交互に何回も乾杯。1993-1998年の5年間天津に赴任されていた鷺森さんが手品を披露し喝采をあびた。この食事会は斉魯ソフトパークの接待でテーブルに並んだご馳走は大テーブルに30数皿。美味しい料理だったがとても食べきれずかなり残さざるを得なかったのが残念だった。趵突泉での茶会の時間がせまり散会となった。急いで移動する。趵突泉の入口は閉まっていたが、予約があれば入ることが出来て、泉の池の傍で、お茶と泉から汲んだ水を飲ませて貰うものだった。かなり遅い時間にも係わらず客は多かった。今日は、長い1日だったが全ての予定を済ませ、明日は帰国するだけになった。なお、このホテルにも室内に有線LANが設置されていたが夜遅い(夜11時半)こともあり使わなかった。

10月16日

5:00 起床 宿 5:30-6:10 (マイクロバス)済南空港 搭乗手続 出国手続
済南空港 8:05-11:40 (山東航空)関西空港 通関手続 両替
[帰国]
昨夜は荷物の整理で遅くなったが、モーニングコールで起床、全員時間通り集合出来た。ホテルが用意した朝食弁当は、各自がバスの中か空港で食べることになった。お世話になった朱さんとは、手続きが始まった6:30で、お別れした。全力アシストに感謝。バスガイド並みの話術、歴史の知識はもとより、日本語で何でも対応出来る頼もしい人物。通関等も問題なく、搭乗迄に多少の時間があり、2軒あった免税店でお土産を買った。
帰りの飛行機もB737で、予定通り関空に到着、旅の余韻を感じながら解散となった。

参加者の感想

(2期 福本夫妻)
今回の中国山東省の旅。近代化の象徴とも言えるソフトウエアーパークの見学。泰山では膨大な数の石段を登るというワンゲル今までにない登山。泰山山頂の石刻遺産、孔廊、孔府、孔林等々中国が“日本文化の先輩としての存在”を認識させられ、また強烈なインパクトを覚えた墳墓等々。4泊5日の短期間にもかかわらずこれまでに経験したことのない非常に中身の濃いものでした。また、6期7期の若い??皆さんとのワンダリングもはじめてで皆さんの元気を頂きました。忙しい現役活動中の身でありながら旅の準備、現地の手配等々のすべてを提供いただいた沢井さんには感謝、感謝です。有り難うございました。(一郎)
* 始皇帝がお参りしたという泰山に悠久のときを経て登ったこと。日本語を勉強中の孫のような女子学生とおしゃべりしながらきつい泰山の石段をクリアーしたこと
* ソフトウエアーバンクの会議室でテレビで見るような大きな円卓に座りお話を聞かせていただいたこと。
* とおい昔、教科書で学んだ孔子・孟子のゆかりの地を訪ねたこと。
* 殉馬廟で整然と並んだ膨大な数の馬の化石を見て沢山の馬の気持ちが一瞬頭をよぎったこと。
* 中国の本格的なディナ-パ-ティ-の席に招かれ本格的な習慣・約束事など実体験できたこと。そしてその席で中国語と日本語を上手に操る礼儀正しくしなやかな中国の青年数人に出会えたこと。
* “遊泳・洗濯”禁止の看板を尻目に湧水の豊かな流れに身をゆだね泳ぎを楽しむ沢山の人々。なんとおおらかなこと!!
諸々の事情で女性は私一人となり参加を躊躇した事など忘れ、ごく自然体で深くてデッカイ初めての中国を堪能させていただきました。沢井さんはじめワンゲルの皆様本当に有り難うございました。(志津)
(3期 澤井)
今回の泰山登山旅行は、天気にも恵まれ、和気藹々、大変楽しく、皆さんの協力もあって、ほぼスケジュール通りに行くことができ、ほっとしているところです。旅程については、斉魯ソフトパークの王罡さんを介して、現地の旅行社(山東高速国際旅游有限公司)と進めました。当初の案からは、孟子ゆかりの孟廟、孟府の訪問を削除したり、実行に当たっては、孔林は入り口まで、古商城、周村訪問は割愛、黄河も浮橋を渡ることができなかったりしましたが、それでも、朝早くから、夜遅くまでの強行軍となり、少々欲張り過ぎて、タイトなスケジュールだったかなと反省しています。本当にお疲れ様でした。
旅行社は最初、6293段の登山は我々メンバーの年齢を考えてなかなかOKしてくれませんでしたが、これだけは譲るわけにはいかず、随分説得したりしました。結果は、見事なタイムで登攀され、めでたし、めでたしというところです。また、斉魯ソフトパークの歓迎パーティは想定外でしたが、感謝、感謝でした。是非、山東省の歴史、文化、経済や名所旧跡などについてPRして頂き、再度、訪問して頂くことを期待いたします。
(3期 鷺森)
今回の旅行は、2・3・6・7期生の混成グループである上に、紅一点の福本さん夫人も参加され、とても楽しいグループでした。 私は普段からワンゲルOB活動に不熱心であるので、今回参加の6・7期生の方々とは初対面と同じでした。しかし 関空で初めて顔を合わせたときから親しく打解けることが出来、ワンゲル部のありがたさを感じました。
今回は久し振りの中国旅行でしたが、私が中国に駐在していた12年前に比べると、都市や道路網、モータリゼーションの発達、通信事情の発達等隔世の感がありました。しかし地方に行けばまだ昔の面影が多く残っており、町並み・人の流れ等ゆったりとした時間の流れがあり、ほっとした落ち着きを感じました。いつまでも残っていてほしい物です。(良い点も悪い点も)
今回は登山だけでなく、教養の時間もあり、澤井氏や現地のスタッフのお陰で一般には訪れるチャンスもなさそうな所に案内していただき、中国の歴史の深さと広さに触れることが出来、充実した旅行でした。最後になりましたが、旅行に同行いただいた諸氏や現地のスタッフの方々に改めて感謝いたします。そしてまたこのような旅行を催すことができるよう祈っております。
(6期 甲斐)
旧満州国新京特別市(現、長春)生まれで、一度は中国を旅行したいと思っていたので、今回、泰山旅行に参加して、中国の雰囲気を少しは感じることができた。旅行した山東省泰安、曲阜、臨淄周辺は、中国の過去、現在、未来が混在しているという印象が強かった。3千年以上前からの聖地であり秦・始皇帝も儀式のために登ったという泰山や孔子が弟子達に学問を教えた教室などを目にすると中国の歴史を身近に感じることができた。また、斉国殉車馬坑では2千数百年以上前に殉死させられた十数の戦車の引き馬の頭蓋骨や肋骨、足の骨などが掘り出されており、苦しそうに歪められた口に白い歯が残っていたのには、動物好きの者としては何とも哀れを感じると共に、馬好きの景公が自分の墓に数百の馬を殉死させたことにも、人間は他の動物には自分勝手にむごいことをするものだとの印象が強かった。
中国の現状の一端は、ベンツ、レクサスなどの高級車と自転車(人力、電気)や三輪車、時には荷馬車が入り交じって走り回る道路事情や、高層マンションと少し町中を離れたところにある粗末な家並みが共存する住宅事情からも推測することができた。ガイドの朱さんの話では、貧富の差も大きくなっており、国民の政府に対する不満も大きくなっているとのことだったが、納得できるような状況だった。朱さんがそのような政府批判を平気ですることができるのはネット社会になった中国がそれだけ開かれてきたのか、または、国民の不満がそれだけ大きくなったことを代弁しているのかと考えさせられる。また、人の多さも驚きで、泰山を登った13日(水)も週日でありながら頂上にある玉皇頂詣でのために階段を上り下りする人が絶え間なく続いていた。朱さんの話では農閑期になったので地方から出てくる人が多いとのことだったが、泰山の6366段の階段も万里の長城(まだ見ていない)などと同様何万、何十万の人々を動員して人海戦術で築いたであろうと想像できるような人の多さであった。
中国の未来の一端は通信・情報産業が数百社集った研究施設斉魯ソフトウエアパークにも伺えた。このような先端産業が中国を引っ張って中国の技術が発展し、国民の平均的な生活レベルが向上すると中国はどのような国になるのかと想像する。閉幕した上海万博も見たかったような気がした。
どちらにしろ、今回の旅行では、中国の過去も現在も未来もあまりにも知らずに、澤井さんが立ててくれた計画に参加しただけなので、次回の黄山の計画が実現するようであれば、もっとよく調べて参加したい。至れり尽くせりの計画を立てて進めて頂いた澤井さんと一緒に楽しく旅行させて頂いた皆様にはお礼申し上げます。
(6期 辻川)
大陸側の中国には5年前のシルクロード旅行で初めて訪れ、陝西省都 西安では近代化の息吹を感じたものの、ウルムチ、カシュガル、トルファン、その他の地域はまだ開発途上のイメージが強かった。今回は、中国都市部の近代化が一層加速していることを改めて認識した。出発前は泰山に登ることしか念頭になく、斉魯ソフトパークの黄さんに斉魯とはどこかの地名ですかと質問し、中国の歴史について無知をさらけだしたのが恥ずかしい。帰国後、司馬遷の史記について書いた「いっきに読める史記」島崎晋著を読んで、遅かりしながら少しずつ中国の歴史について勉強している最中です。事前に中国の歴史を勉強していた冨士さんとはえらい違い。
近代化以上に印象深かったのは済南市で72もの泉が綺麗な状態できちんと生活の中に保全されていること。この点は日本も見習いたい。ある程度予想していたが各ホテルにインターネットが完備していて、もうそんな時代なのだと感じた。中国の現状を知らない、あるいは知ろうとしない日本人は多い。もっと実際に行って、自分の目で中国を見て欲しい。今回は時間が取れなかったが、次回行く機会あれば、街中を歩いて、現地の中国人と日常的な会話をしてみたい。
(7期 姫野)
今回の済南・泰山ツアーは偶々東京組OB会の企画を大阪組、しかも7期にまで声をかけて頂いたお蔭で参加することができました。すべては澤井さんのご尽力と辻川さん、甲斐さん、富士君達東京組のサポートによるものでした。初めて参加する私は事情がわからぬまま、ツアー参加者のつもりで何のお役にも立てなかったことを聊か反省しつつ改めて皆さまに御礼申し上げます。
出発前は例の尖閣問題により多少の不安もありましたが、現地ではその様な不安は全く感じられず済南空港や最初の訪問地である斉魯ソフトウエアパークでも極めて友好的であったのは、あながち澤井さんの影響だけではなかったようです。
関空出発時から感じていた足の不調は、登山に備えるためあえて編上げの靴を選択したものの出発時に靴そのものを取り違えてしまったせいと判明。これでは泰山登山に支障ありと判断し、岱廟見学後にマイクロバスを一時停車していただき近くの雑貨屋さんに飛び込んで昔懐かしい地下足袋様ズック靴を入手しました。サイズもぴったりで何と一足10元(約130円、日本では少なくとも1,000円?)品質はともかく履き心地も上々で帰国直前までこの靴を愛用しました。
私は3967段組で中天門から階段登りがスタート。軽いズック靴のせいか極めて快調、とはいえ私より数年年長のはずの鷺森さんが常に先頭で福本さんご夫妻もベテランの歩き、特に福本夫人の健脚ぶりには一人で感嘆していました。南天門間近で一度転倒しかけたのはやはり足が上がらなかったかなとの思いはありますが3967段を2時間ちょうどで踏破できれば上々かなと思っています。それにしても平日の割には人の多いこと、しかも家族連れの多いこと。ガイドの朱さんに聞けば元々人口が多いこと、自然観光地がこの付近には少ないこと、さらに秋の取り入れが終わって一段落の時期にあたる為との説明でした。
当然のこととはいえ中国の歴史はスケールが大きく奥が深いことを実感しました。秦の始皇帝が封禅の儀式を泰山で行い、以後歴代の皇帝が麓の岱廟で封禅の儀を執り行ったのは紀元前3世紀、日本の古墳時代にあたります。曲阜は春秋時代の魯国の古都であり、孔子が活躍した時代で日本では弥生時代にあたり、斉の古都臨淄の殉車馬坑はまさに弥生時代の初期になります。特に殉車馬坑はまだ発掘途中であり、全容が解明されればさらに中国歴史の視点が変わる可能性があり、時代の傍観者である我々もその経緯が楽しみですが、そのためにはまず中国史の勉強が必要と思っています。
中国はオリンピック・万博を経験しGDPでも日本を超え、まさに破竹の勢いを今回の旅行でも体感しましたが、マスコミレベルではバブル絶頂期との指摘もあります。過去には近くて遠い国の一つとのイメージもありましたが、相互交流こそ大事。来年以降も新しい中国旅行の企画があれば懲りずにぜひ声をかけて頂ければ有難いと思っています。
(7期 冨士)
個人としては、霊山登拝、古代史、宗教・習俗等の関心事に全て当てはまる今回の旅は行く前も、行ってからも充二分に満足出来るものだった。今回は、中国の古代史、儒教・道教、山東省等について多少の予備知識を勉強したが、初めての中国、外国語が苦手等で海外旅行に不安を感じ、先輩・ガイドに頼り切りの旅となったが、仲間内の団体旅行であったこと、安心出来るガイドであったことから、気安く旅行出来たことが何よりであった。
ただ、澤井さん・鷺森さん・辻川さんに全てお世話になり、お客さん状態であったことには反省すべきと思われる。
[謝辞]
本旅行に当たり、企画段階から実施に至るまで、山東省済南市・斉魯ソフトウェアパークの王罡さんに大変お世話になりましたことを心から御礼申し上げます。ソフトパーク幹部の徐群さん、孟晨彦さん、王さんはじめ、劉さん、黄さん、歓迎パーティ有難うございました。また、ガイドの朱殿林さん、運転手さん、ボランティアの韓雨童さん、王興華さんにもお世話になり感謝申し上げます。 (澤井)