滝尻王子の社の裏手から中辺路の古道は始まる。早朝の大気はどこか霊気を感じさせる。急な山肌を登り乳岩、胎内くぐりを過ぎて山中の別世界に分け入っていくようだ。藤原秀衡などという名前に触れ、歴史の中に居る自分を感じる。しばらく木の根の多い坂を上ると展望台に出る。展望台からテレビ塔のある山を越えると突然という感じで山の村落が現れる。霧の里、高原(たかはら)である。高原熊野神社の大木からもその古い歴史を感じられる。その歴史を背負ったようなお婆さんが元気にお店番をしており、名物の草餅をいただく。谷をへだてて眺望が素晴らしく、果無山脈も遠く望まれる。多分何百年もこういう感じだったのだろう。高原には旅籠だった家が多い。
高原の村落の中の道を登り山中に入っていく。高原池のあたりからは深山の雰囲気が満ちている。大門王子、十丈王子、上多和茶屋跡、大坂本王子と山中の道が続く。
やがて山を下り道の駅そばに出てほっとする。箸折峠のかわいい牛馬童子の像には思わず微笑みを誘われる。峠を過ぎると眼下に近露の里が広がった。午後の日を明るく浴びた里は輝くようだった。
近露から小広峠の間はおだやかな集落をたどって行く。気持のよい道である。継桜王子、秀衡桜、とがの木茶屋など往時を偲ばせる。
小広峠からは一転して深い山中に入って行く。急な女坂を降り、男坂を登る。石畳の道が深い杉林を抜けていく。最も熊野古道の雰囲気を感じさせる道である。蛇形地蔵は今でも信仰を集めているらしい。ここで川を渡り対岸に渡る。湯川王子はそ先の杉林の中にある。かっての屋敷跡と思われる石組などがみられる。三越峠で林道を横切り林の中の道を行く。
廃屋のある村落の先から林道になり、赤木越分岐、船玉神社と続く。このあたりには紅葉が多い。
発心門王子までは古道と林道が交錯する。杉の林とウラジロが多い。発心門王子から村落を縫って歩く。人を驚かせる人形があったり、無人販売兼休憩所があったりと楽しく歩ける。遠く果無山脈も見える。
伏拝王子では遠く旧社地の大斎原(おおゆのはら)の森が見え、かっては山河を越えて熊野道を辿ってきた参詣者がここで本宮大社を拝んだのだろう。伏拝むという言葉がその感慨の気持ちを良く表わしている。いままで何人の人がここに立ったのだろう。
さらに三軒茶屋で小辺路からの道を合わせ下り、途中で展望台に寄る。大鳥居もはっきり見える。さらに下り、最後の祓戸王子の先が現在の本宮大社である。
本宮大社に参拝した後、大斎原へ向う。夕暮れの迫る中静かな社地跡に佇み、満足感とともに歩いてきた道のりを振り返る。熊野道は過去を振り返るとともに未来に希望を願う道である。