黄山登山旅行

黄山登山旅行


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2011年5月14日-18日、上海-杭州-屯渓を経て中国一の名山と言われる黄山に登りました。本来3期澤井Lの元、(2期)永田、福本夫妻(3期)石黒、梅本、鷺森、高岡、伊藤夫妻、(4期)堀井(6期)辻川、岡崎(7期)竹辺、冨士(25期)大寄の16名での出発予定が、直前の澤井Lの入院により、急遽、鷺森L、竹辺SL、合計15名と変更になりました。幸い澤井Lのきめ細かな旅行計画と、雨に遭遇したのは5日間で1時間弱という好天気に恵まれ、素晴らしい黄山の絶景と2-25期という幅広いワンゲルOBの同窓旅行を楽しむことが出来ました。以下はこの4泊5日の記録です。  (記録:高岡、辻川)

第1日: 5月14日(土) 日本-上海-屯渓

昼、成田、関空、福岡から上海浦東国際空港に15名が集結。浙江東方海外旅游有限公司日本部の王付明さん、孫梁さん(以下、王さん、孫さん)の出迎えを受ける。空港からバス約1時間で上海-杭州新幹線の上海虹橋駅に移動。途中、孫さんから最近の統計では中国の人口1番は重慶2880万人、2番上海2300万人、3番北京1960万人等の話を聞く。杭州市は790万人で観光やお茶の産地として人気が高いらしい。
上海虹橋―杭州新幹線は2010年10月26日に開通したばかり。上海虹橋駅は空港のように天井の高い立派な駅で、入口で荷物チェックがあり、出発間際に自動改札してホームに入るのが目新しい。予定より早く14:20上海虹橋駅出発、15:20杭州駅着。計画表だと虹橋-杭州45分だが、乗った電車が各停の「こだまクラス」だったらしい。浙江東方海外旅游有限公司は杭州に本社があり王さんとは駅で分かれ、ここから最終日まで日本語ガイド孫さんがフルアテンドしてくれる。
杭州市は地下鉄工事中で駅から貸切バスの待つ駐車場までトランクを引っ張り10分歩いて移動。ここで最初のハプニング、移動を始めた時、なぜかトイレの前にトランクが一個残っている。誰かトランク忘れてない?大声で叫んだら、先輩の〇〇さんが、あっ俺のだ!少し前途が不安になる。

杭州駅 屯渓老街のレストラン
杭州市内はかなりの交通混雑で高速道路に入るまで50分以上かかった。ところが、杭州-屯渓を繋ぐ杭徽高速道路に入ると一転道路はガラ空き、たまにしか車が通らない。結局トイレ休憩1回をはさみ杭州市から3時半、19:10に黄山の麓町屯渓に到着した。ツアーガイド孫さんの話では高速道路が出来る前は杭州-屯渓を7時間かかり、移動だけでぐったりしたとか。
屯渓で黄山ガイドの顧朝敏(以下、顧さん)と合流。時間が遅いので顧さんの案内で、まず夕食のため老街の中華料理店に向かう。ここで2度目のハプニング、お店に入ったら我々の席が無い。どうも到着が予定より少し遅かったので、席を勝手に他の客に廻してしまったらしい。これぞ中国流か!顧さんが店の支配人と交渉すること約30分、ようやく夕食にありついた。
席は2テーブルに分かれたので、誰かの発案で徒歩組7名とロープウエイ組8名に分かれた。まず迎客松ビールで乾杯したがアルコール度2.5%とやや薄味。明日の登山に備え紹興酒も2本だけと控え目。屯渓の料理は広東料理や北京料理に比べるとあっさり味で食べやすかった。ただ屯渓の新安江で捕れたと思われる魚料理は、ちょっと口に合わず最後まで皿に残った。食事を終え、初日の宿黄山国際大酒店にチェックインしたのは夜9時過ぎ。明日の黄山登山を控え、この日は各自、早々に就寝した。嬉しいことに室内に有線LANが設置されていたのでOUWV交流サイトに現地速報した。

第2日: 5月15日(日) 屯渓-慈光閣-玉屏楼-北海

6:30モーニングコール。前夜の顧さんの山頂天気予報では曇り一時雨だったが、朝起きてみるとお日様が差していた。念のため雨具、防寒具、水、懐中電灯をザックに詰め、8:30貸切バスでホテル出発。9:30黄山入口バス停の湯口到着。堀井さんはさっそく登山用の杖を購入、10元(日本円で135円)と安く、かっこ良い。9:40登山専用環境バスに乗換、10:00ロープウエー乗場慈光閣到着。ここで徒歩組7名(福本I、堀井、辻川、岡崎、竹辺、冨士、大寄)とロープウエー組8名(福本S、永田、石黒、梅本、鷺森、高岡、伊藤夫妻)の2組に分かれそれぞれ出発した。

<徒歩組-辻川>

途中の展望台より蓮花峰を望む 徒歩組は、10時過ぎに慈光閣出発。黄山ガイドの顧さんは今回391回目の黄山登山とかで殆ど荷物を持たずスタスタ歩く。石の階段道は30-45度と直登で急なのに、こんなに速いスピードでは我々は付いて行けない。幸い堀井さんがペースメーカーになり20-25分毎に5分休憩でゆっくりと歩いてくれて助かった。黄山は全体が花崗岩の多い岩山でそこに花崗岩の石階段が続いている。ただ道の周りには松や広葉樹など沢山の木が自生しており、山全体の雰囲気は日本と似て木が多く親しみ易い。最初の景観地天都峰(てんとほう1810m)は閉鎖中のため予定通りパス。天都峰は自然保護のため5年間閉鎖され、この閉鎖が解除されると他のどこかの峰が替りに5年間閉鎖されるとか。天都峰に登れないのは残念だが、ここまでの歩きで結構疲れたので、内心、パスしてホットした気持ちが大きい。
時々、天秤を担いだ強力(挑夫と呼ぶらしい)とすれ違う。体格は割合小柄で我々より細身の人が多い。2本の棒を巧みに使い最高100kgくらい担ぐ。我々が泊まる宿の食料、ビール、ゴミなどは全てこの強力が運ぶ。ボッカ料金は1kg1元位らしく1日2往復しても80元~150元程度と多くない。少し申し訳ない気がする。駕篭かきもいてこちらは2人で1人を担ぐ。日本の駕篭のように肩の下でなく、肩の上の椅子に座るので重心が高い。好奇心の強い堀井さんが乗るかと期待したが予想は外れた。ロープウエーがあるせいか登山道を歩く人は余り多くなくのんびり歩けた。11:35中間点の半山寺、12:50ロープウエー頂上の玉屏楼に到着。登山道は割合空いていたのに、玉屏楼周辺は一転して銀座のような物凄い人混みで驚いた。 辻川

<ロープウェイ組-高岡>

慈光閣にてロープウェイ組 徒歩組と分かれてたっぷり時間もあるしのんびりとロープウェイ乗り場について見ると驚いたことに大変な行列、鷺森さんが少し行き過ぎた「ここで2時間待ち」の看板を見つけくれた。(後、30分毎にあった)山上に着いて”喧噪”を目の当たりにして、並ぶのは当たり前と納得した。
さらに、途中で「玉屏駅」で見た下りの大行列、最後の「雲谷ロープウェイ」の上りでまた大行列、確信したのであった。「太平ロープウェイ」はガラガラだったが、後で考えてみると上りの「松谷駅」には行列整理用の立派な柵があったから、今だけの特殊事情ではなかったか?とも思う。
ここで徒歩組を待つ間の”小話”を一つ、待つ間に催した奥様お二人、トイレを探すも見つからず、周りにも聞けず、その内レストラン昼食待ちの行列横にどうも「玉屏賓館」に通じていそうな裏通路を見つけ、人気のない暗い通路を入って行くと、トイレらしき扉(勿論表示なし)を発見、開けるとまさしくそのもので用を済ますことができたとのこと。
その後、表で私が同じく探しているのに遭遇し得意顔のお二人の案内で成功、今度は私が同期の二人に遭遇、奥様方の成果を披露して案内して見ると何と”鍵”がかっているではないか...。少々予想していたが従業員用だった?
そこでさらに奥に行くと予想通りホテル客室の廊下に通じたので、ノコノコ通過してロビーに行きホテルならここにある筈と探したが見つからず、下手な中国語で聞くと外を指すではないか、そこは先ほどの広場、そこでついに看板を発見、歩いて2、3分先に”立派な公共の”があった...”ヤレヤレ”、ご両人の憮然とした顔につい言いそびれた一言「ゴメンナサイ」を今申し上げる、以上お粗末でした。 高岡


玉屏楼 蓮花峰
12:50玉屏楼レストラン前で徒歩組、ロープウエイ組合流。結局、ロープウエイ組は乗るのに2時間待ち、ロープウエイ10分乗車、到着後、更に徒歩組を40分待ちでだいぶ待ちくたびれた様子。石黒さんは、こんなに待つなら歩いて登れば良かったとボヤいていた。ツアーガイド孫さんの話では、以前はお偉いさんはロープウエイに優先予約できたらしいが、数年前から公平性確保のため全員並んで待つようになったとのこと。ともあれ、玉屏楼レストランで一緒に昼食。先が長いこともありビールは自粛し、机の上のコーラとスプライトを飲んだ。中華料理にコーラ、スプライトは初体験だったが、黄山ではどうも当り前の組合せらしい。所変われば品変わるだ。
14:00、全員揃って玉屏楼を出発、日曜日とあって登山道は物凄い人混み。上り組と下り組ですれ違うのがやっと。でもこの狭い道を太った人が2人も悠然と駕篭に乗って降りてくるのに出食わし興味深かった。狭く急な階段道を、それ程頑丈そうにも見えない駕篭かきの肩高さの椅子駕篭に乗るのは重心が高い分危なっかしく見えた。しかし黄山の登山道のあちこちに駕篭かき(全部で30台は見掛けた)がいたし、階段道は結構急なので、十分商売になるのだろう。
14:35蓮花峰(れんかほう1864m)分岐点到着。当初予定では、天都峰をパスする替りに黄山最高峰の蓮花峰に登る予定で、実際、岡崎さん、福本Iさん、石黒さんは登りを希望した。しかしガイドの顧さんから、蓮花峰の登山ルートはかなり危険でガイドとしてお勧めできない(ガイドは上ってはいけないことになっている)とアドバイスがあり、また上り下り共、物凄い人混みだったこともあり全員蓮花峰をパスすることとし、直接、百歩雲梯に向かった。
百歩雲梯は、“百歩の雲の梯子”の名に相応しい急傾斜の石階段で、我々は下りなので足元に気を付けるだけで良いが、登る方は傾斜度50度位の急傾斜の登りが結構きつそうだった。50m位下ると少し平な道があり14:55二股分岐着。我々の内10名とツアーガイド孫さんは急階段の一線天ルートを、5名と黄山ガイド顧さんはやや緩やかな鰲魚洞(ごうぎょどう)ルートと2手に分かれ、上で合流することになった。
一線天ルートは百歩雲梯と逆に傾斜50度の上り。トンネル部分は道が肩幅しかなくボトルネックとなっている。このため渋滞で一線天を登り終えるのにだいぶ時間がかかった。それでも約30分で待っていた鰲魚洞ルートのメンバーと合流した。合流点から少し先に面白い形の岩があった。顧さんの話はワニの上にカメが乗っていると言う。そう言われればそう見えなくもない。15:35海心亭を経て16:10黄山3頂の一つ光明頂(こうみょうちょう1840m)に到着、天都峰、蓮花峰を巻いたので、初の黄山頂上だ。天都峰、蓮花峰が良く見え素晴らしい景色だ。当然ここで小休止し記念撮影した。
百歩雲梯 光明頂にて
ここから黄山の人気スポット飛来石(ひらいせき)に向かった。16:30飛来石到着。飛来石はインドから飛んできて突き刺さったという謂れのある高さ12.5m、長さ7.5m、幅1.5の石塔で、黄山のあちこちから異なった形で観ることができる。
順番待ちの人で大混雑だったが15名中高岡、竹辺の2名が飛来石にタッチし念願を果たす。3回タッチすると何かいいことがあるらしい。飛来石から一路、本日の宿、北海賓館へ向かう。17:10行知亭着。この辺りで小雨が降り始めたので雨具を付けた。団結松までの最後の急坂がきつい。日本の山はつづら道が多いが中国の山は何故か直登が多い。中国人の気質なのだろうか?18:10ようやく本日の宿北海賓館到着した。雨で夕日の入りは何も見えなかった。この日は、8時間歩いたが黄山の素晴らしい景色に恵まれ大いに満足いくものだった。なお、中国滞在5日間で雨はこの約1時間だけだった。
北海賓館受付横に表示があり明朝のご来迎確率50%となっていた。黄山ガイド顧さんの話では、ご来迎は5:13なので清涼台に行くには4:30起床、4:50集合する必要があるとのこと。数名を除きほぼ全員がご来迎を見に行くことに手を挙げた。ここで3度目のハプニング。19:25にロビーで待ち合わせ食堂に行く予定なのに待てど暮らせど堀井さんが現れない。ツアーガイドの孫さんが部屋に電話したところ待ち合わせたこと自体をお忘れだった、ちょっと心配。

飛来石 北海賓館の夕食
北海賓館のテーブルには玉屏楼と同じくコーラ、スプライトが並んでいた。日本だと1日歩いた身にはまずビールでコーラ、スプライトは考えられない。ここのビール(黄山ビール)のアルコール濃度も2.5%と軽い。どうも中国人と日本人では飲み物の嗜好が違うようだ。北海賓館の中国料理自体は日本人にとっても食べ易い味(割合薄味)だったのでちょっと不思議だった。それとも日本人の方が中国人より酒好きなのだろうか。それにワンゲル仲間は平均的日本人以上に酒好きだ。この夜も堀井さんが日本から持ち込んだ八海山を皆で美味しくいただいた。その中で石黒さんは紹興酒をコーラで割って美味しそうに飲んでいた。たぶん大陸系なのかも知れない。
食事後、高岡さん、竹辺さんから部屋で2次会やるとのアナウンスがあり約半数が参加した。もっとも翌朝4:30起床でご来迎を拝むため、この夜は22時半早めのお開きとなった。北海賓館には部屋内にLANは無かったがロビーに無線LANがあったのでOUWV交流サイトに第2報を送った。

第3日: 5月16日(月) 北海-松谷-西海-北海

4:30モーニングコールのベルが鳴る。山上の早朝なのでかなり寒い。セーター、フリース、ジャンパーを着、その上に北海賓館備え付けの防寒コートを着込み、更に手袋をした。参加者は15名中14名。4:50ホテル出発 清涼台で5:30頃まで日の出を待つも残念ながら雲が厚くこの日のご来迎は空振りだった。7:30の朝食までまだ時間があるので、ホテルに戻り1時間ほど寝なおした。朝食はバイキングではなくテーブルに予めセットされていた。どうも宿泊料と朝食がセットになっているらしく、漬物のお替りを頼んだら断られた。
黄山のロープウエイについて帰国後インターネットで調べたところ、東側の雲谷寺口に50人乗り雲谷ロープウエイが1本、6人乗りが1本、計1300人(?)/時、南側の慈光閣口に6人乗り玉屏ロープウエイ、1000人/時、北側の松谷庵口に100人乗り太平ロープウエー、600人/時の計4本のロープウエイがあり、最大1時間で約3000人(?)を山上に運ぶ。これにより黄山には年間550万人、多い日は1日5万人もが訪れる。
我々が登った15日(日)も、5万人とは言わないまでも結構多くの人が登っており、玉屏楼、百歩雲梯、飛来石、光明頂周辺は大混雑だった。ガイドの顧さんの話ではウィークデーは半分位に緩和されるらしい。現在、西海飯店と北海賓館の間に五つ星クラスの新ホテルを、西海大峡谷側にもロープウエイを建築中とか。世界遺産で、素晴らしい景色で、ゴミ拾い担当の人が廻るなど手入れの行き届いている黄山だが、ちょっと人が多過ぎる気がする。経済活動と環境保護のバランスがいずれ問題視されそうな気がした。

排雲亭より仙人晒靴 翡翠池
さて、16日午前中は、北側の太平ロープウエイで松谷庵方面(黄山古道)を探訪することになり8:30北海賓館を出発した。天気も良く、荷物も軽いので気持ち良いハイキングできそうだ。9:10排雲亭を経て9:40丹霞駅から太平ロープウエイに搭乗、10分で松谷駅到着。このロープウエイからの景色も素晴らしいが、太平ロープウエイが5年前に出来たばかりと言うこともあり人は少なく待ち時間なく乗れた。
10時松谷駅出発。歩いているのは我々15名と黄山ガイドの顧さんだけ。10:15翡翠池、10:35森林公安局の芙蓉亭(元はお寺)に到着。ここは樹齢350年の梅の木や大手鞠が満開で、三月池と言う丸い形の池があった。昔この寺のお坊さんは池の周りで空の満月と池に映った満月、そして丸い池の3月を楽しみながらお茶を飲んだらしい。森林公安局の若い職員が日本から来た我々年寄りに大いに興味を示し、写真を撮りまくっていた。日本からのお客は珍しいらしい。観光パンフレットにでも載せるのだろうか?
この先は工事中なことが分かり、ここで折り返し元の道を引き返した。11:25志成橋着、ここには北海賓館への登山道がある。3時間位で行けるらしい。唐時代の詩人李白もこの道を通って黄山に登ったと言われている。11:35松谷駅着、太平ロープウエイで12:00丹霞駅に戻る。途中九竜峰を眺めながら登る。12:15西海飯店着、ここで昼食を食べた。西海飯店の昼食はこれまで食べた中華料理の中で一番美味しかった。13:20排雲亭経由で西海大峡谷に向かって出発。なお黄山は石楠花が多くちょうど満開で行く道々で我々の目を楽しませて呉れた。石楠花は安徽省の省花になっている。

驚異の階段道 西海大渓谷
西海大峡谷は垂直に切立つ深い峡谷で、驚いたことにその絶壁に棚状の道が付けられていた。黒部峡谷の水平歩道は岩を削って道を作っているが、西海大峡谷は岩を削らず石の棚を突き出して道にしている。クレーンを使える場所ではないし、どうやって造ったのだろうか。手すりがあるから通れるものの、手すりが無ければ絶対に通れない道だった。西海大峡谷には周回コースがあり1時間ほどで崖の上下を周回できるが、我々は無理せず(内心怖いこともあり)途中で引き返した。
当初予定では、丹霞峰山頂で日の入りを観る予定だったが、黄山ガイド顧さんから曇り空で日の入りが見えるかどうか分からない。それより早目に丹霞峰に登り、ホテルに引き返してのんびりしたらどうかと言う提案があった。既に5時間歩きかなり疲れていたこともあり、伊藤夫妻は直接ホテルへ、残りの13名は丹霞峰に向かった。13:50一環下路口、14:20ロープウエー丹霞駅着。予想より早く14:40丹霞峰山頂到着。日差しも暖かく、雄大な見晴らしの山頂にいるのは我々だけでとても気持ち良かった。

丹霞峰にて 北海の眺め
10分ほど休憩した後のんびり歩いて15:35北海賓館に戻った。明朝のご来迎確率は60%で今朝より10ポイント高い。堀井さんの提案で18時前よりホテル角の喫茶室でビールを飲みながら夕日の入りを観ることになった。期待半分だったが、太平ロープウエー方向の雲の間に見事な夕日が顔を見せてくれた。俄然明朝のご来迎にも期待が湧く。18:40 北海賓館2泊目の夕食。中華料理は残すのが礼儀らしいが、山の上のことで量も余り多くなく、腹の減っていた我々は殆ど全部食べてしまった。食事後は、昨夜と同じく高岡・竹辺部屋での2次会となったが、翌朝のご来迎に備えこの日も10時頃にお開きと健康的生活だった。

第4日: 5月17日(火) 北海-雲谷-宏村-屯渓-杭州

この日も4:30モーニングコール、4:50ホテル出発。2-3期の先輩諸氏が朝寝を楽しむ中、堀井、辻川、岡崎、竹辺、冨士、大寄とガイドの顧さんを含む7名が2回目のご来迎にチャレンジした。昨日より天気も良く暖かく宿の外套は不要だった。折角なので清涼台から更に先、猴子観海(ししかんかい)まで行こうと試みたが、残念ながらゲートが閉まっていた。一つ手前のピークで大勢に混じり日の出を待った。5:20雲の中から真赤な太陽が顔を見せ、大きな歓声があがった。眠い中、2日連続4:30に起きたかいがあった!

猴子観海 夢筆生花
7:25北海賓館を出発し、夢筆生花、黒虎松、連理松(樹齢千年と言われる)、龍爪松を楽しみながら、7:50始信峰(ししんほう1668m)に到着。ここは雲谷ロープウエイの白鵝嶺駅に近く人出が多い。今回の黄山登山で最後のピークなので一人一人順番に記念撮影した。石筍矼、十八羅漢、石筍峰、観音峰、仙女峰の眺めを楽しみながら白鵝嶺駅に向かう。
8:50白鵝嶺駅から6人乗りロープウエイ10分で雲谷駅着。途中の天都峰の眺めが素晴らしい。
9:15環境保全バスで黄山入口バス停湯口着。いよいよ黄山ともお別れ。

宏村にて 西湖
9:45貸切バスに乗換へ世界文化遺産の宏村に移動、10:25宏村着。宏村は、2000年に安徽省南部の古代集落群として世界文化遺産登録された村で、村の西から入る水は、路地の傍で水路となって村の中を巡り、また、各家々の中を流れ通って最後に村の南の「南湖」に流れこんでいる。この南湖にかかる石橋は日本のテレビでも良く紹介される。南湖の辺りでは50~100人の若い画学生達が写生の練習をしていた。黄山ガイド顧さんの話ではここは写生スポットとして有名らしい。このような古い村を描くにはデジカメ写真より手間暇かけた写生の方がずっと相応しい気がした。約50分の宏村見学後、バスで宏村近郊の食堂に移動し地元の中華料理で昼食。
13:40屯渓着、黄山国際大酒店に預けていた荷物を受取った後、昼の老街見物。老街はやはり夜訪れる場所で、昼の老街は日照りが暑く人出もまばらだった。ガイド顧さんの案内で胡麻せんべい屋と硯屋を覗き、殆ど全員が3つ100元(1つだと40元)の胡麻せんべいをお土産に買った。3日間にわたり親身になって案内してくれた黄山ガイド顧さんとはここでお別れ。14:30貸切バスで屯渓出発、杭州へ向かった。
約3時間で杭州の観光名所西湖に到着。西湖は面積5.7平方km、周囲15kmの大きな湖で、ツアガイド孫さんの話では中国四大美人の一人「西施」に喩えられ西湖と名付けられたとか。西湖周辺を少し散歩した後、18:00楼外楼で夕食。旅行社の葉王韋部長(女性)と王付明副部長が挨拶にみえた。東日本大震災による日本からの観光客減の中15名という大人数で訪れた我々を歓迎してくれたのだと思う。
参考:中国四大美人は西施(春秋時代)、虞美人(秦末)、王昭君(漢)、楊貴妃(唐)。虞美人の替りに貂蝉(後漢)あるいは、王昭君の替りに卓文君(漢)とする説もある。ただ西施は常に含まれる。

楼外楼の豪華な食事
食事前に梅本さんの音頭で「ご飯だ、ご飯だ、さあ食べよ。風は爽やか、心も軽く、皆な元気だ、感謝して、楽しいご飯だ、さあ食べよ」を唄った。こんな大レストランの中で大きな声でこの歌を唄うとは流石にワンゲルの先輩達は肝が据わっている。6期、7期だと野外では唄えても、レストランではちょっと唄えない。ここの夕食は中国で食べた中で一番豪華で美味しかった。
夕食後、20:00頃、今夜の宿ラマダプラザ杭州海華大酒店に移動。中国最後の夜とあり、高岡・竹辺部屋で3夜連続の懇親会。楽しい旅行を振り返り話が弾んだ。現役時代は一緒に活動することのなかった上級生、下級生が50年後に同じ山旅出来たのもワンゲルならでは。本当に貴重な体験でした。謝謝! ラマダプラザではうまくLANアクセス出来ず日本にはレポート出来なかった。

第5日: 5月18日(水) 杭州-上海-日本

中国旅行最終日。早朝、何名かはホテルから歩いて5分の西湖周辺を散策。とても気持ちの良い公園で太極拳や色々な運動している中高年が多かった。7:30ホテルを出て東忠科技園(ソフト会社)に向かう。途中ツアーガイドの孫さんが最近の中国の若者は勉強しないと嘆いていた。一人っ子政策の影響で、子供1人を両親、4人の祖父母合わせて6人が面倒見るため、一緒懸命やらなくてもお金が入ってくる、私(孫さん)が大学に入る時の競争率は120倍で大変だった等々。日本もそうだったが、今の中国はすさまじい勢いで経済発展している。その分、世代間でずいぶん意識も違うのだろう。生活費に占める教育費の割合もずい分高いらしい。

東忠科技園を訪問 龍井茶の里
30分程で東忠科技到着。プレゼンしていただいた高橋仁 さん、見学に付き添ってくれた李朝陽さんの話では、東忠科技は東忠(=アジアの中心)でIT技術を通じて快適な社会を創造すること、世界に通用するグローバルIT企業を目指すことを経営理念に据えているとのこと。競争の激しいIT業界の中で、どこまでこのように真っ当な経営理念を貫き続けることが出来るか興味を覚えた。日中合弁事業を多くやっている会社だけに成功して欲しいものだ。余り時間余裕がなく50分ほどで東忠科技を後に最後の訪問地「中国茶葉博物館」に向かった。
9:50茶葉博物館到着。中国茶葉博物館は文字通り、中国茶の博物館。お茶試飲部屋ではおちょこ位の小さな湯のみに龍井茶(緑茶)、人参烏龍茶、ジャスミン茶、一葉茶など4種類位のお茶の飲み方を説明してくれた。説明後、その説明のお姐さんから、そのまま、お茶販売コーナーに案内された。3つ買えば1つおまけで220元のお茶4箱を計660元で買った人が多かった。どうも中国ではこんな売り方が一般的なようだ。
博物館見学、買物を終えバスに引き返した時、いつも落ち着いている冨士さんがカメラ忘れたと叫んで慌てて売り場に戻って行った。後で聞いた話では、お茶4箱で3箱分支払いの筈が間違って4箱分請求されたりしてバタバタしている間に忘れたとのこと。ともあれバスが出る前に気が付いて良かったね。
11:00中国での最後の早めの昼食。どうも我々15名だけのために早めに店を開いて貰ったらしく、我々以外には誰もいなかった。ここの料理も中々美味しかった。12時頃ここを出て杭州駅へ。13:00新幹線で上海虹橋駅、さらにバスに乗換へ15時半頃上海浦東国際空港到着。成田、関空、福岡組に分かれてそれぞれ搭乗手続きした。
ここでまたハプニング、18:10上海発-成田行きと考えていた全日空がなぜか17:00発でしかも満席とのこと。成田から上海に来る時は搭乗率20%程度でガラガラだったので変だなと思ったが、早い便なら日本にも早く帰れ、良かったと喜んだ。ところが、帰国後、実は元々17:00発しか無く、18:10便は日程表の誤記だったのが分かり驚いた。時間に余裕があったから問題なかったが、新幹線やバスが遅れると危ない所だった。
ところで上海の空港で15名中成田行きは8名、16:40の搭乗時刻になってもその内4名が現れない。他の乗客が全部乗り終えた16:45ようやく遠くに4人の姿が見えた。ロビーでビールを引っ掛けていたとのことだった。このように滞在中の5日間、幾つかのハラハラはあったものの、雨も殆ど降らず、全体としてはとても充実した楽しい旅行でした。謝謝、再見!(完)

写真集

黄山特選写真集(堀井&竹辺撮影)

旅行感想

2期 福本一郎

福本さん夫妻 とにかく疲れを感じることのない素晴らしい旅でした。天気に恵まれ、孫さん、候さんの二人のガイドもよし、そのうえ沢井氏の努力の結果であろう最高の企画、おかげでこれまでにない愉快な5日間でした。
黄山は中国の皆さんの間では国内一の名山と謳われているとか。まさにそのことを実感させられました。一説によれば“黄山”の名の由来は伝説上の王様“黄帝”がこの山で不老不死の霊薬を飲んで仙人になったとの伝説によるとか・・・・・・
天都峰、蓮華峰、光明頂等々の鋭い岩峰、飛来石、合掌の峰などの奇岩、西海大渓谷の深く切れ込んだ深谷、その切り立った岩肌にしがみついたきれいな黄山松、この深い谷に濃い雲海でもあればまさに仙人の出てきそうな幽玄の世界でした。
また、下界でも屯渓の老街、宏村の古民家群、西湖湖畔の公園の朝の様子、などこれまであまり触れることのできなかった村々の様子も小生にはよい心地でした。
素晴らしい企画をされながら残念ながら今回は参加できなかった沢井さん、リーダーを初めお世話いただいた皆さん、そして一緒に楽しませていただいた仲間たちに感謝です。
特に今回は多くの若い皆様に元気をいただきました。ワンゲル仲間万歳!!

福本志津
昨年11月の泰山に続いて、今回の黄山登山で中国三名山のうち二つの名山に登ることができたことに今感謝の気持ちでいっぱいです。
泰山のでっかい石刻の立ち並ぶ景色も見事でした。今回の黄山でも雪舟の水墨画さながらの絶景の連続に酔い我を忘れた三日間でした。ことに西海大渓谷の絶壁にへばり付くように突き出して作られた石の散策道とそこからの岩山・深い深い渓谷の眺めは印象に残りました。全山墨絵の世界に浸りきった幸せな三日間でした。
加えて何時ものことですがOUWV・OBの初期の皆様方のお人柄に触れ、昔本当の部員だったような錯覚を覚えました。ツアー旅行などでは味わえない楽しくて上質な旅をいただきました。
澤井様、本当に有難うございました。お体を大切になさって、秋の九重山でお会いできますのを楽しみにしております。 そして皆々様、本当に有難うございました。

2期 永田重幸

永田さん 今度の旅は足に不安がありました。10年前の手術のときから,ちょっと左足がしびれた感覚があったのですが,あんまり気にすることもなく動いてきました。ここ数年はちょっとそれがひどくなったとは感じていました。まず高松で時々参加していたハイキングの例会のスピードについて行けなくなって来ました。特に上りはふくらはぎの辺りが痛くなってきて,スピードが出なくなりました。
今回の旅のほぼ2か月前に手術をしたのですが,事態は変わりませんでした。医者はリンパ浮腫の軽度のものだとおっしゃるのですが,手術のせいなのか,加齢によるものだか定かではありません。でも近所の山を歩いてみると随分疲れることが分かります。2時間ぐらい歩くと相当くたびれます。
そう言うわけで旅の前には,後れるかもしれないが置いて行かないでと,澤井さんに頼んでいました。初日は玉屏から北海まで歩きましたが,正味4時間半ぐらい。途中皆さんが荷物を持ってあげようと言ってくださり,お言葉に甘えました。何とかついて行けましたが,最後雨が降り出し,おまけに急階段が連なったところでは,ちょっと着いて行きかねました。
2日目からは足の筋肉痛があり,これは下りのほうが大変です。こちらのほうは慣れれば,あるいは鍛えれば解決するはずなのですが,トレーニング不足のようです。登りのスピード不足はリンパ浮腫が治せないとすると,対策がありませんが,筋肉痛のほうは何とかできるのではないかというのが今回の結論です。
今回,写真のほうでちょっとした実験をしてみました。スチル写真は皆さんでたくさん撮って頂けるので,それにお任せしました。動画も撮って頂けるようです。これもまともにやるには皆さんより先に行って待ち構えたり,後ろからとって追いかけたりする必要があります。やっと皆さんについて行けるかどうかの人には無理な話です。
そこで,スナップ写真を動画にしてみたらと言うのが発想です。ガイドさんの解説も音声で入れておけばメモ代わりになるしと,横着者の考えでした。幸い皆さんに面白い考えだと喜んでいただけました。もう少しこまめに撮っておけばよかったのにと思っています。高岡さんの言うようにほめて貰うと嬉しいものです。
少々不安を抱えての旅だったのですが,皆さんの協力も頂いて,無事終えることができました。ワンゲルの人たちと一緒ですと安心です。澤井さんのご努力にはただただ感謝するのみです。

3期 梅本公造

梅本さん ○「水墨画のような絶景で、世界遺産」程度の予備知識しかなかったが、思っていた以上に、感激し、感動し、楽しかった旅であった。山岳美とともに、楽しいワンゲル仲間、さらに、提唱者であり周到な企画と準備をしてくれた澤井氏に感謝する。
○黄山のよさは、ガガとそそり立つ花崗岩の険しい岩山と、緑濃い見事な枝振りの黒松。迎客松、団結松など、いろいろ名付けられた松もあったが、どの松もすばらしかった。松くい虫にやられた枯松など、1本もなかったことは、日本からみれば、不思議なほど。さらに、点景を添える、しゃくなげの淡いピンクの花。日本のそれより、花弁が、少ないが、松の緑と合い、よけいに、清楚さを感じさせる。黄山の絵は、掛け軸で見る程度であったが、しゃくなげが、描かれたのは、これまで、見たことはなかった。季節に恵まれたと感謝する。
○それにしても、あの岩山に、永々と築いてきた石段には、恐れ入る。険しい岩山に、どのように登るのかと、思っていたが、登山道は、すべて石段だけで整備されていた。明代から築いたとのことだが、すべて人力で運び上げ、作ったことを考えると、万里の長城と同様、中国の人々の執念と根気のよさに、感心する。ガイドの顧さんの話では、黄山に、6万階段あるという。今回の山行きでは、そのうちの、1万8千階段、歩いたそうな。
○黄山に入った2日目は、日曜日だったこともあるだろうが、人の多いことに、驚いた。ロープウエイでの待ち時間もさることながら、昼食をとった迎客松の横の玉屏楼賓館前の広場は、人、ひと、ヒト。よくぞこんなに、大勢の人が、集まってきたものだと感心するとともに、甲高い声で、わめきあう雑踏に、もまれると、まさに、人に酔う という感じだった。
○その人波の、ほとんどが、20代の若者である。名山で観光地の黄山であるからとしても、こんなに若者が、多いとは、思わなかった。日本では、登山は、中高年者が、中心で、若者は、少ない。しかし、思い返すと、我々の学生時代、山は、ほとんどが若者だった。阪大ワンゲル部も1学年だけで、入部者が、100人近くいたこともあった。
 こじつけかもしれないが、当時、昭和40年頃、日本は、高度成長に入ったばかり。今、中国も、その真っ只中にある。高度成長期は、若者の登山熱を刺激するのではないか。成長期の若者には、覇気がある、とまでいうと、今の日本の若者に、叱られるかもしれないが。
○今回の山行で、ひとつ残念だったことは、みんなで、山の歌を歌う機会が、なかったこと。山の中で、弁当を広げることもなかったし、夕食も、普通のレストランだった。やはり、折角、ワンゲル仲間で一緒に行ったのだから、にぎやかに、歌いたかった。唯一、4日目の西湖のほとりの楼外楼での夕食時、部屋が、個室だったので、ごはんの歌を歌うことができたのが、うれしかった。みんなの顔が、生き生きしていたことを思い出す。

3期 石黒美佐子

石黒さん 5/14(土)~18(水) 大学のワンゲルOB 15名からなるツアー
5/14(土):OUWVの黄山登山出発、上海→(新幹線)杭州→屯渓、黄山国際ホテル泊
5/15(日):曇り ロープウエイ慈光閣駅・玉屏駅、送客松、蓮花峰、百歩雲梯、―鰲魚峰、光明頂、飛来石、行知亭など登山、山中の北海賓館泊
5/16(月)晴れ 清涼台で日の出、猴子観海、ヒスイ池、西海大渓谷丹霞峰など黄山登山を続け、ホテルで夕日、北海賓館連泊。
5/17(火):晴れ 夢筆生花、筆架峰、黒虎松、始信峰を経てロープウエイで下山、宏村観光、杭州へ、ラマダプラザホテル泊
5/18(水)東忠科技園(IT企業)訪問の後、新幹線で上海へ移動、帰国
 15000段の階段歩き、水墨画の世界、天候に恵まれ、良い旅であった。中国人一番の人気の山は若い人に圧倒され、けたたましい大声の喧騒の中での登山。自己中でお行儀も悪い。でも、あの若者群のエネルギーを見ると日本は勝ち目がないと思う。思えば日本でも、50年前は日本の山々は若者だけのものでエネルギーにあふれていた。その後の日本の発展の原動力となった。

3期 鷺森 功

鷺森さん  私は1993年から約5年間ほど中国・天津に駐在していましたので、その頃に比して今回の旅行で感じた「やっぱりなぁー」「えっ!」といった印象について記します。
1. 先ず新幹線について
 以前は中国で列車旅行と言えば大変でした。薄暗い駅舎に人がいっぱいにあふれ、皆大きな荷物を持って、われ先に列車に乗り込み、列車の中では大きな声でおしゃべりし、列車の中や便所はごみが溢れるのが普通でしたが、今度の新幹線は快適でした。
この新幹線は昨年開通したそうですが、初めて乗ってみて驚いたのは、乗り心地が良かったことです。騒音や振動も少なく、速度表示を見れば317km/hを指していました。(日本の新幹線よりも静粛といえば叱られるかもしれませんが)中国人は自前の技術で作ったと言っていますが、どこの国の技術を使っているのでしょうね?浦東空港からはリニヤーカーも開通しており、ちらっと見えましたが、一度乗ってみたかったです。
2. インフラ整備
 都会のインフラではなく、黄山のインフラですが、ロープウエイが4本もあり、老若男女が気軽に観光気分で訪れることが出来、さらに金さえだせば駕篭で頂上まで運んでくれるようです。足腰が弱ってきた高齢者の部類に入りかけている身としてはありがたいことではないでしょうか?
登山道はすべて階段! よくぞこれだけ階段をつくり、断崖絶壁の岩肌にへばりつくようにつくられた登山道! びっくりするなぁ。どのようにして作ったのか知りたいですね。 
頂上にはりっぱなホテルが数軒もあり、この建設資材の運び上げは全て人力でやったそうですが、あんな大きな鋼材を良くぞ、人海戦術で運んででもホテルを建てようとする発想と実行力には感心します。
 数年前には、中国といえば「便所がねーー」というのが普通でしたが、その頃に比べれば、観光地の厠所も随分きれいになっていましたね。
3. 人の多さ
 中国の人口は14億人だそうですが(約10年前までは12億と言っていたのですが)もう2億も増えたのですか?少子化が進む国からみればうらやましいですね。とにかく黄山の観光客はほんとうに多かった。あの迎客松の付近から、遠くに見える登山道まで、人・人・人には驚きました。(富士山も良く似た状況ですが)その多くの人が行列を無視して、我勝ちに前へ進む突進力! 飛来石を触りに行こうとしましたが、並んで待っていても横入りが多く(昔と変わっていませんでした)私はついに諦めました。それでも負けずに触ってきた我らの仲間が2人もいたとは。負けておりませんね。

3期 髙岡龍太

高岡さん 帰国後、余韻のある内に作ったDVDビデオ、クドクドと文字スクロールで語った後、今となって改めて感想文と言ってもそのクドクドを重ねるだけとも思いつつ、以下駄文をお許しください。
岡崎さん紹介「黄山らくらく散歩」は、帰国してからビデオ作りのために買ったが、先に読まなくてよかったと思ったのでした。(現地でいい加減に聞いていたので、ビデオ作りには大いに役立ったことは感謝しています)と言うのも、しんどいのはイヤで“ロープウェイ”で上ったところ、この名山が立派に整備されているのを目の当たりにして、前知識が少なかった分、感激も大きかったのでした。
岩を刻み、岩にへばり付けたこれこそ手造りの6万段とかの石段、手すりが完備していて“千尋の谷底”に落下する恐れなど感じさせない整備された山道、まさに「らくらく散歩」でありました。
それほど高くはなくともそそり立つ岩山と千尋の谷の峰々、奇峰、奇跡、そして僅かの岩の隙間から出た無数の立派な松、丁度盛りだった日本より清楚な「シャクナゲ」等々、世界に誇るこの自然をシンドイ目をした者だけに報われるのではなく、一般大衆に触れさせようとすることに大変な努力するこの国の一面に感心したのでした。(しっかり入山料をとるのはしたたかだが.....)
いずれにせよ、黄山391回目のガイド顧さんもこれだけの好天に恵まれるのは30回程度と感心していて、事前に悪いと言われていただけに、本当にご同慶の至りでありました。
「屯渓老街」「宏村」「西湖」「龍井茶の里」も勿論よかったが、とにかくメインイベントの黄山登山の2日半だけでも、この旅の値打ちはあったと感謝する次第です。
毎日の料理も我々日本人それも年寄りに見合う味で、中華料理に低アルコールビールが似合うも今回理解できたし、「紹興酒」のいわれ、飲み方など孫ガイドの講釈も参考になった。
航空券の手配から現地の旅行社まで“コストパフォーマンス”を意識した行き届いた納得の企画と采配をしてくれた澤井さんに再々度感謝申し上げると共に、ご自分の反省を今後に生かして有効な成果が得られるように努力いただくことを願う次第であります。
世代を超えて懐かしいOUWV特有の雰囲気を楽しみ、混乱の日本から逃れてしばし何もかも忘れ得た(帰ってもまだ「メクソがハナクソを笑う」惨状に唖然としているが)今回の集いを共にできた皆さんにも深く感謝申し上げます。

3期 伊藤元清

伊藤さん夫妻 2002年から2年半ほど、北京の南方約200Kmに位置する河北省青県に中国石油が建設する大径鋼管工場の技術指導のために毎月2~3週間ほど通いました。工場から車で数時間で行ける泰山に行きたいと云ったら、信頼できる人(これが中国では重要)が中国で山に登るなら黄山に行くべしと薦めてくれました。その時から黄山が私の頭の中にありましたが、澤井さんの提案がなければとても実現していない旅でした。謝謝。
黄山のみならず、杭州市、西湖、龍井茶、中国料理など数年前の中国経験で得たいろいろなイメージを持って今回の旅に出ましたが、殆どが想像以上の素晴しさでした。殺風景な風景を名曲「北国の春」が慰めてくれた2年半の河北省の片田舎生活での中国イメージも改善できました。
黄山の風景は、渓谷山水の水墨画の世界と聞いていましたが、石楠花などの花、鶯などの鳥、緑鮮やかな松と晴天に恵まれたこともあり、色彩の方がふさわしいと感じました。高岡さんの絵に期待します。
西湖は、多くの詩人が湖畔に佇んで詩を詠み、人々は湖を眺めながらお茶を飲み、一日をすごす場所だったが、この騒々しい今はどうかな?と思っていました。静かではありませんでしたが、湖と周辺の風景は往時を偲ばせてくれました。
西湖畔の楼外楼は、雰囲気も内容も素晴しく、中国料理が好きな私が行った中華料理では最高の部類に入ると感激しました(良い店に行っていなかったと言わないで下さい、技術指導のお礼にと北京では最高級店で接待を受けましたが)。東京にも楼外楼があると聞き、蘇東坡が考案したという東坡肉を求めて、早速、家内と出かけてみましたが、杭州の楼外楼とは全く関係がないと説明を受けました。在日中国人の経営ですが、中国では商標登録が無いのでしょうか? 味は悪くはなかったのですが、後味の悪い話です。
私にとってお茶は、家内に評価される唯一の中国土産で、行くたびに沢山買ってきたのでいまだに残っています。中国茶と云えば、烏龍やジャスミンしか知りませんでしたが、龍井は緑茶だが日本の製法と違い、茶葉を蒸さずに鍋で手揉みするので美味しいよと薦められました。それ以来、龍井一筋でした。今回、その産地に行けたので感激で、しかも、新茶は飲んだ後、葉もたべられると知ったので、私の中国茶に関するうん蓄はしばらく続きそうです。

伊藤弥生
出発前は中国ね!?と思っていましたが、行ってみて自分の視野の狭さを反省しています。
黄山は想像を超えた絶景でした。そそり立つ花崗岩の峰峰、たくましい幹の黒松、そこに思いがけないやさしい色の石楠花、360度の眺望は水墨画の世界そのものでした。急な石畳の階段を登るのは大変でしたが、大勢の楽しい方々と一緒だったので頑張れました。夫婦2人だけではとても実現出来ないと思いました。
西湖のほとりもロマンチックで風情があり、船に乗って湖面を行けばすばらしい詩も浮かんでくるのかと思いました。また訪れてみたいと感じる雰囲気のある場所でした。
皆様のおかげで楽しく登り、会話し、美味しい食事もいただけました。本当にありがとうございました。

4期 堀井常彰

堀井さん とにかく楽しい旅行でした。企画良し、天気良し、ガイド良し、食い物良しそしてメンバー良し、すべてに良いことずくめの旅行でした。
天都峰と蓮花峰の石階段を登れなかったのは、今となってはちょっと心残りではありますが、幸運にも素晴らしい日の出、日の入りを堪能し、青い空に緑の松、最盛期のピンクのシャクナゲ、中々このような絶好のコンデションでの山行きはできないものです。写真もいいのがたくさん撮れました。特に、夕日を眺めながら皆さんと飲み交わしたウイスキーの味は忘れることはないでしょう。また来年体験したいものです。澤井さんと共に。

6期 岡崎公則

岡崎さん  ここ数年間は病気知らずでしたが、黄山旅行の5日前に風邪で寝込み、やっと1日前に平熱に戻り、旅行中は全く異常なし。帰国後2日目から再度の熱で寝込んだ。家族に言わせると勝手な体だということになるが、黄山に行きたいという強い気持ちがあったお陰だと思う。
“黄山仙境”(久保田博二写真集、1982年頃撮影 大開発前で貴重な写真集、当時の石段総数は34,688段)に取り上げられた26の漢詩のうちの1つ:
黄山変態自天公   (黄山の態を変ずるは天公(造物主)のなせる技か)
移歩重看又改容   (歩を移して重ねて看ればまた容(かたち)を改める)
羽化登仙(羽根が生えて、仙人の世界に登っていく)の境地が理解できる気がしました。(もし人が少なかったらの話ですが。)1958年に北海賓館が開業した。1984年にテレビ塔、気象台はできており、最初の雲谷ロープウエイ建設に着工した。2007年発行の本では、黄山の年間登山者数 170万人。ガイド顧さんの話では昨年550万人。理由はいろいろあるでしょうが、増え方が尋常ではない。
・H22年の7,8月の富士山登山者:32.万人(年間相当で190万人)
・H22年の伊勢神宮年間参拝者数:860万人
2,3年の内に、伊勢神宮の参拝者数を越えそう。
宏村は世界遺産だけあって、汪一族の隆盛と生活ぶりよく保存されている。中国人は一族の繋がりが強いことがよく分かる。この規模の大きいのが杭州の富陽市南部の龍門古鎮で9割の姓が「孫」で、孫権の末裔と自称している。ガイドの孫さん(孫権から61代目、杭州大学卒)はそのうちの1人。
屯渓の新安江は富春江、銭塘江と名を変え、海に繋がり水運が発達していた。16世紀以降、徽州商人が大活躍した基盤になっていたらしい。
澤井先輩のポイントを逃さぬ緻密な計画をベースに、よき上級生やよき下級生に恵まれ、食事は後になるほどうまくなり、あこがれの黄山旅行を存分に楽しませて頂きました。多々感謝。

6期 辻川和伸

辻川さん 日本のテレビ番組でも時々中国の山が紹介されることがある。いつも石階段が映るので、中国の登山とはどんなものか興味を持っていた。6年前シルクロードに行ったがこの時は山とは縁が無かった。昨年10月の泰山登山で約6500段の石段登りを初体験した。ワンゲル東京地区メンバーの間では泰山、黄山の話の出た2年前は、泰山はどちらかと言うと観光登山、黄山は泰山よりは日本の登山に近いというイメージがあったように思う。
しかし今回、黄山に登って、同じ登山と言っても中国と日本では登山スタイルが大きく違うことが良く分かった。日本でも東北の羽黒山、奥多摩の高尾山や御岳山、四国の金毘羅さんのように石段登りはある。しかし日本の登山の殆どは土、砂利の道や階段の組合せだ。
インターネットで調べると、泰山や黄山のように、スニーカーや運動靴での散策的な登山は中国でもとても人気が高く、年間、泰山には700万人、黄山には550万人が登ると言われる。年齢も若者中心でシニア層は殆どいない。ワンゲル的な10~30kgの荷物を背負ったスポーツとしての登山はまだ珍しく、日本でワンゲル活動が普及し始めた1960年頃に近い状況らしい。
ワンゲルでスポーツ登山の楽しさを覚えた身としては中国でも散策登山だけでなくスポーツ登山ももっと盛んになって欲しいと思う。他方、日本でももっと便利に体力のないシニアや子供でも気軽に楽しめる、そんなコースがもっと沢山有っても良いのではないか。そんな色々なことを考えた今回の黄山登山でした。中々行けない海外登山ですが皆様とご一緒で楽しくまた何の不安もなく行くことができました。感謝感謝です。
中国登山事情

7期 竹辺 肇

竹辺 黄山行きは景色、食べ物、メンバーなど何を取っても大満足である。特にこともあろうにサブリーダーという役割をいただき事故もなく無事に予定をこなせたのが一番だった。まあ若干保守的になって蓮花峰はパスしてしまったが・・。
中国の人達は気持ちの良い人たちだった。言葉は通じないのだが身振りで頼むと写真をとる場所を譲ってくれて良いショットを物に出来たりした。なおさら景色が素晴らしいものに見えた。
人の多さには驚いた。飛来石の入り口は気合を入れていかないと潜り込めない。しかし押し合いへし合いの階段歩きも慣れると楽しい。何か顔を見合わせると一体感が生まれるから不思議だ。「いやぁ混んでるね~。」「本当だね~。」という感じ。
黄山の岩山も素晴らしいが松が素晴らしい。濃い緑の色合いが力強い。松と岩が織り成して黄山の山水画の景色を作り出している。松が世界遺産というのもうなずける。さらに雲海、霧があると完璧なのだろうがそれは欲張りというものか。
上級生諸氏には大変お世話になりました。毎晩のミーティングも楽しく、アルコールも十分で色々とワンゲル秘話を聞くことが出来た。澤井さん、今度はどこへ行きますか? やはり黄山が先ですか?

7期 冨士光弘

冨士さん 山水画・水墨画の世界、中国随一の名山に惹かれ、参加させていただいた黄山旅行。巌峰連なる山塊、奇岩と黄山松の織りなす景観は、そのスケールの大きさと相俟って行く前の予想を遥かに超えるものでした。また、雲海こそ味わうことが出来ませんでしたが、好天に恵まれ夕日・ご来光にも遭遇出来ました。.同行の皆様のご人徳のお陰と感謝しております。(当人が雨男なので)
個人的には、日頃歩く目的にしているテーマの、鳥では、八音鳥。花では、シャクナゲ。歴史では、宏村(古村落)。付け加えて、富士山では、成田発の機上からの富士山。と全てにページを付け加えることが出来ました。そして満足のいく旅行となりました。今回、会計のお手伝いをさせていただきましたが、旅行社が円貨の受け入れをして呉れたことで、両替の計算等随分楽になりました。これも、澤井さんが信頼できる旅行社を選定され、綿密な打合せを重ねられた結果であり、改めて澤井さんに感謝・感謝です。有難う御座いました。

25期 大寄浩志

大寄さん 中国の奥地を訪れるのは、こういう機会でもなければ、なかなか面倒ですので、大変有意義な旅行でした。
私は7年前に杭州へ旅行したことがありまして、その際には在来線で上海・杭州間を往復したのですが、その時に比べて沿線の開発の進みようは目を見張るばかりでした。その際には六和塔の上から、現在では東忠科技のある江の対岸を眺めたのですが、当時はハイテクパークの建設が開始されたばかりで空地ばかりだったのですが、今では建物が多数並び、更に新規の建設も進行中で、中国経済の発展振りを今回目にすることになりました。
観光地では日本語を巧みにしゃべる職員がかなりいることにも感銘を受けました。中国人の外国語習得能力は極めて高いとの話を聞きますが、世界各地へ出かけていって華僑として成功するのも道理です。

3期 澤井 洋

澤井さん 行けなかったのは残念でしたが、まさに体調コントロールの 誤りで、自業自得だったと反省しております。
皆さんから送って頂いた写真やDVD動画を拝見し、特に、動画 では、皆さんの楽んでいらっしゃる姿が、そのまま伝わって来ますし、 また、メールでも喜んで頂いたお言葉も頂戴し、感激しました。 小生にとっては本望です。
計画に際して、前回の泰山の罪滅ぼし(黄山を泰山に変えたこと、 さらに日程を変更したことで皆さんにご迷惑をお掛けしました) の意味合いもあって、いいスケジュールにしたいと思っていまし たが、何せ泰山と違って、まだ行ったこともないところ、しかも 情報も少なく、どうしようかと思っていましたが、東忠科技の 李朝陽さん/高橋仁さんが、良い旅行社(浙江東方海外旅游 有限公司 日本部 葉さん、王さん、胡さん)を紹介してくれた ので大変助かりました。葉さんは、色々な問合せ、質問のメール に対して、大変親切、かつクイックレスポンスで対応してくれま した。電話で声は聞きましたが、拝顔していませんでしたが、 高岡さんのVideoに出てきましたね。泰山の時には、割引があまり きかなくて、他の国内旅行社にしましたが、今回は頑張ってくれた 日中平和観光の清水さんにも感謝しなければなりません。