2012年中国登山旅行

雲南春コース(シャングリラ・梅里雪山・麗江・玉龍雪山)旅行


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平成24年5月10日~15日)泰山・黄山に続く第三弾、今年の雲南省は春秋2回に分け、春コースは、北部のシャングリラと麗江、秋コースは、中・南部の昆明・石林・大理・シーサンバンナを旅行することに決まり、今回はその雲南春コースです。 桃源郷シャングリラ(香格里拉)、三江併流世界自然遺産の一角をなす、チベットの山々に繋がる梅里雪山(主峰標高6,740m)と明永氷河、揚子江(長江)上流の金沙江、世界遺産の古都・麗江古城、万年雪の玉龍雪山(標高5,596m)、チベット・ラマ教寺院、少数民族の文化(トンパ文字)等々と、内容豊かな旅行になりました。


道路事情や1日の行程時間の関係から、初日にシャングリラ(標高3,288m)に入ること、2日目以降も、標高2,000m~4,000mの間を専用バスで登り降りを繰り返すことから、高山病対策に万全を期すために、同行の医師の姫野さんに、医務担当を特別にお願いしました。(薬、検査器具、酸素ボンベ等)
2期 永田夫妻、福本、3期 澤井、鷺森、5期 古土井、7期 竹辺、姫野、冨士の9名が参加しましたが、幹事の澤井さんの統率の下、メンバーにも、天気にも恵まれ、得難い梅里雪山の全貌を眺望出来たことは、この旅の成功を何よりも物語っています。幸い高山病に罹ることなく、事故無く全員無事に帰着しました。
以下に行動記録をまとめました。                                (記録係 冨士)

行動記録

第1日 5月10日(木) 日本 ‥ 北京 ‥ 昆明 ‥ シャングリラ

東京羽田空港 ‥ 8:30-11:20(CA184) ‥ 北京空港、 関西空港 ‥ 9:30-11:50(CA162) ‥ 北京空港、(合流・集合)‥ 14:15-17:40(CA4170) ‥ 昆明空港(昆明旅行社出迎え) ‥ 21:30-22:20(MU5818) ‥ 香格里拉空港(ガイド出迎え) → 22:20-22:50(専用バス) → 香格里拉観光酒店(チェックイン)
〔空路シャングリラへ〕
北京空港で、入国手続・荷物受出後、国内便出発ゲートに向かう通路の選択違いで、待ち合わせ場所に食違いが生じ、時間が過ぎるミスがあった。国際対応の携帯電話で連絡を取り合い事なきを得たが、本来、関東組が関西・九州組を待つところ、逆に待たせてしまった。しかし、常連のメンバーも多く直ぐに打ち解ける。昆明までのフライト、通関共にスムーズで時間通り昆明空港に到着した。空港では今回の旅行の手配をした雲南科技国際旅行社の李さん・楊さん(共に女性)の出迎えを受け、香格里拉便の手続を手助けしてもらう。また、昼食・夜食共に機内食だったので、二人の案内で当地名物の過橋米線(シャブシャブ浸け麺)を食べる。二人と別れ、香格里拉便の出発ゲートで、出発時間を確認し搭乗を待つが、直前になって、後発便の搭乗手続きに変わり、香格里拉便の遅れの説明も無く、搭乗予定が判らなくなる。1時間が経った時点で、搭乗手続の開始を知らされるが、上海便の搭乗手続きと重なり混乱が続いたまま、香格里拉空港に向け離陸した。空港には、ガイドの楊さん(チベット族)と4日間通しての運転手の熊さん(ナシ族)が出迎えてくれ、早速、今宵の宿に送り届けてくれる。明朝の起床・出発時間の確認とアミダクジで5日間の部屋割りを決める。毎日一人だけが交代で一人部屋となるが、クジの結果で古土井・冨士が、永田夫妻と共に、一人部屋になることは無くなった。
飛行機を乗り継いでの長い1日(特に永田さんは4便)、如何に雲南の地が遠いかを想いつつ、眠りにつく。


〔高山病対策〕
医師の姫野さんから高山病予防薬のダイアモックスの配布を受け、予防薬の服用と、指先の血中酸素濃度を測る検査装置の使用を教わる。高山病の自覚以外に、検査数値で高山病の状況を把握するもので、この段階では全員異常値は出なかった。その後、旅行中に手軽に測ったが、状況に応じ数値は大きく変わることが判った。

第2日 5月11日(金) シャングリラ → 奔子蘭 → 徳欽・飛来寺 (終日専用バス)

6:30 起床・朝食、ホテル → 8:30-9:00 → 松賛林寺(見学参拝) → 10:10-10:30 →パナ海10:40-11:50→ 峠 → 12:00-12:50 → 奔子蘭(標高2,100m・昼食) → 13:40-13:50 →金沙江大捌湾(見学) → 14:20-14:30 → 東竹林寺(見学参拝) → 15:00-17:50 最高度峠(標高4,292m) → 17:50-18:30→ 徳欽(通過) → 18:30-18:50 → 飛来寺(標高3,300m・見学参拝) → 19;10-19:15 → 飛来寺地区明珠酒店(ホテル)(チェックイン・夕食)
〔香格里拉(シャングリラ)〕
シャングリラは、ヒマラヤ山脈の東端に位置する、標高3,300m近い高原都市であるが、緯度が低く天気が良いこともあって、早朝でも寒さはない。雲南省は、ここ2-3年は降雨量が少なく、夏の雨季入りが遅れていることから、より乾燥しているとのことだった。
モーニングコールの前に目覚めた二人が、小1時間、ホテルから程近い低い丘の斜面にある古城(街)を散策した。僅かの坂に喘ぎながら、雰囲気のある宿屋・お店が並ぶ細い路地をほんの一部見て、帰って来たと話していた。ホテルの朝食は、中華バイキングで口に合い美味しい。全員が揃ったところで、昨夜のガイドと運転手が荷物をバス(19人乗)に積込み、郊外の松賛林寺へ出発する。
〔松賛林寺〕
松賛林寺は山間にあり、駐車場から専用バスに乗換えて行く。チベット仏教(ラマ教)の大寺院で、丘の上に金装飾された大伽藍、斜面に小さな僧坊がぎっしり建ち並び、小ボタラ宮と賞されている。ラマさん(僧侶)が、七百人居住していて、日本の高野山ようだ。ラマ教は政治的最高指導者ダライラマや宗教的権威パンチェンラマを尊崇する一方、密教系諸仏を信仰対象とするため、寺院には、各代の化身ラマの肖像が掲げられ、如来像・観音像・明王が安置されている。またここには、嘴と足が赤い変わったカラスが居た。
また、ガイドの楊さんの説明では、池を挟んで寺院に向き合う尾根に沿って土塀が繋がっているが、昔、鳥葬が行われたところで、猛禽やカラスが遺体を処理したとのこと。なかなか実感の湧かない話ではあった。 バスを待つ施設のトイレで驚いた。改修中らしいが、使用禁止ではなく、電気も水もダメ、低い仕切りはあるが前の覆いがないトイレなのだ。(何時の時代のトイレだ!)


〔納帕(ナパ)海〕
納帕(ナパ3,300m)海を、上から見渡せるところで車を降り、撮影タイム。大きな平原としか見えないが、ここは、夏の雨季の期間に湖が現れ、冬から春にかけて水が干上がり草原となる場所で、広い範囲で家畜の放牧が行われており、ヤク・馬・羊等が群れで草を食んでいた。また、ナパ海の上を飛ぶオグロツルを見ることが出来た。
〔シャングリラ→徳欽〕
梅里雪山を臨む徳欽・飛来寺に向かう。チベットの馬と雲南のお茶の交易路であった茶馬古道を辿り、2,000m~4,000mの高地を登り降りしながら行く。国道である道路は、現在、拡幅・架橋・道路付替工事が到る所で実施されており、目的地到着まで相当の困難が予想されていた。
ここからは3,000m前後の高地を延々と進むことになる。また、谷筋を横切るところで多くの工事が行われており、架橋用の橋桁も現場でコンクリート打ちしており、通行が困難となっている。デコボコ道でバスの揺れも半端でなく、時間がかかる様になった。運転手は無口で厳つそうだが、運転は慎重で安全運転である。


[奔子蘭・金沙江]
 金沙江まで降り、対岸の奔子蘭(2,100m)で昼食をとる。近辺に食事が出来るような場所がなく、街道の宿場町として賑わっていた。野菜中心の食事は、味付けは優しく、油濃くもなく食が進む。再び高度を上げ、大捌湾の見学施設から、直下に金沙江が大きく蛇行し巾着状をした奇観が良く見える。切立った渓谷は蛇行を繰り返しS字の連続となっており何処にでもあるが、如何に全貌が見える場所を探すかに懸かっており、ここが最適の地か。直ぐ近くのチベット寺院の東竹林寺(2,900m)に移動する。山奥にあり静かで宗教的雰囲気に包まれていた。毎朝大勢で読経が行われる堂内を拝観したが、お布施・お供え物が多く、住民の信仰の深さが伺われる。近くで僧侶と住民が力を合わせ、外壁となる土壁を突き固めているのが見られ、住居の形態なり、住民の協力体制なり垣間見る思いだった。


[白馬雪山(=白茫雪山、5,430m)]
2,000m近辺にある渓谷の小さな河岸段丘の集落、3,000m近辺では森林に咲くシャクナゲ・ツツジ、4,000m近辺の森林限界と残雪、5,000m近くでは万年雪の景観が延々続く。途中から雪を頂く山稜が見え出し、期待の白馬雪山かと身を乗り出し写真を撮るが、更に高い山が雲に隠れており気を揉む。最高高度の峠(4,292m)付近で停車し、白馬雪山の姿を求めるが、今まで見ていた山稜は前衛の山で、白馬雪山の頂上には雲がかかり、見えそうで見えない。車中から注意して見続けるが、状態は終日変わらなかった。
[徳欽・飛来寺]
 徳欽は、瀾滄江(メコン河)支流に開けた雲南最北の町で、金沙江から峠を越えて、2つ目の大河源流に入ったことになり、梅里雪山の基地になっている。我々は梅里雪山が展望できる峠の飛来寺地区に宿泊予定で、徳欽市街は通過した。飛来寺(3,300m)は、峠の手前で道路から少し降ったところにある。バスを降り歩くが高地と疲れからか足取りが重い。それでも対岸に今日辿った道や白馬雪山の山塊が良く見える。寺院内には、ヤクのバターで作られた灯明やお飾りが供えられている。寺院を一周するマニ車を廻しながら今回の旅の無事を祈った。バスに戻る僅かな坂道に息が切れたが、間もなく今日の宿、梅里雪山対岸の斜面に建つ明珠酒店に到着。ホテルの前からも、部屋からも梅里雪山が真正面に見える。今日の白馬雪山と同様、山稜全体は判るが、頂上付近には雲がかかり、主峰の頂上は臨めない。明日に期待し、夕食を頂く。どちらかと言うと素朴な田舎の家庭料理風で野菜が主体となっていた。明日は、復路を考えて出立時間を早め、明永氷河へのトレッキングも全員乗馬に決め、早めの就寝を心掛ける。


[三江併流地域(世界自然遺産)]
 雲南・北部には、ヒマラヤ山脈造山圧力を西から受け、南北に襞が出来、縦断山脈と大渓谷が交互に南北に走る地形が生まれた。西から怒江(サルウィン川)、梅里雪山、瀾滄江(メコン川)、白馬雪山、金沙江、(長江)が極限られた範囲に集中している。怒江と瀾滄江はそのまま南流するが、金沙江は雲貴高原等に阻まれ蛇行を繰り返し、結局東流している。

第3日 5月12日(土) 飛来寺 → 梅里雪山・明永氷河 → 明永村 → 奔子蘭 → シャングリラ

6:00 起床・朝食、ホテル → 7:25-8:20 → 瀾滄江橋入口 → 8:30-8:50 → 明永村 ⇒ 9:10-10:40(乗馬) ⇒ 明永氷河入口 (⇔ 展望台散策10:40-11:20) ⇒ 11:20-12:30(乗馬) ⇒ 明永村 → 12:30-12:40 → 明永村食堂(昼食) → 13;25 (瀾滄江橋13:40、飛来寺14:25、徳欽14:45、最高度峠15:40通過)-18:35 → 奔子蘭(夕食) → 19:20-21:40 → シャングリラ観光酒店(チェックイン)
[梅里雪山・明永氷河]
 予感が当たり、夜中から雲の気配は無く星空に山陰がくっきりと浮かぶ。夜明けともに梅里雪山の全貌が現れ、雲一つ無く、女神峰から主峰カワカブ峰(6,470m)まで最高の状態で見られる。食事時間ギリギリまで待って朝焼けに輝く梅里雪山の撮影にも成功する。朝食後は、気分良く、明永氷河に向け3,300mから瀾滄江の河岸(2,200m)まで降っていく。斜面を大きく北に行って、大きく南に行き過ぎると、瀾滄江に架かる橋に至る。橋の手前には公園入口の検問があり、少し待たされる。河岸のあちこちに集落のある明永村を過ぎた辺りの駐車場(2,300m)で、全員馬に乗る。明永氷河の展望台(3150m)まで、氷河入口からのトレッキングも含め800mを登る。馬体に個体差はあるが相対的に小さく、少々動物虐待気味の感は拭えない。この高度での登りは険しく止むを得ない。馬が慣れていることもあり、乗り降りは比較的スムーズだったが、安定のため馬の背を足で挟み込むため、太腿が痛くなる。馬2頭に馬子1人で登っていくが、経験なのか2頭は離れることはない。途中馬に乗ったまま水飲み場で水を飲ませたり、中間地点で降りて休憩したり、危険な箇所では人馬別々に進んだりと結構時間が掛かる。高度順応が進んだのか、全員が展望台に辿り着くが、展望台近くの道が雪崩で崩落しており、直前での観望となる。明永氷河は、カワカブ峰頂上付近から、3段程に方向を変えながら流れ降って、最後は一旦堰き止められ、その下に崩落しており黒い雪渓状態になっている。朝からの好天も多少雲がかかるようになり、頂上付近が見え隠れするようになった。景色を十分堪能し、危険地域を人馬別々に降った後、乗馬して駐車場まで降るが、道は思った以上に急傾斜で、馬も慎重に喘ぎながらゆっくり降りていく。鞍に尾てい骨があたり、痛い。駐車場からも梅里雪山と明永氷河が見ることが出来、最高の日となった。






[シャングリラへの帰路]
 駐車場近くの明永村の食堂で昼食。ここから、昨日1日辿った道を引き返すことになり、途中、昨日昼食を摂った奔子蘭の食堂で夕食を摂り、夜遅くまでバスに揺られ、シャングリラまで戻ることとなる。改めて沿道を眺めると河岸に村、尾根の平地に集落、尾根の上に放牧地が到るところに見られ、チベット族の土地に対する執着が感じられる。また、家があり人が居るところでは、ヤク・馬・豚・鶏が放し飼いにされており、如何して家に帰るのかなと聞くと、ガイドは怪訝な顔で、人も家畜もお互い識別出来き、また塩・脂身等を決った場所で与えることで戻るとのこと。(納得?)また集落内や、山の目立つところにチョルテン(仏塔)やタルチョ(祈祷旗)が多く見られる。今も信仰対象となっているところが凄い。帰りに期待した白馬雪山は、今日も昨日と同じで、全貌は見られなかった。
特に問題なくシャングリラに帰着。ホテルが10日と同じ観光酒店で、何となく安心感が沸く。早々に就寝。

第4日 5月13日(日) シャングリラ → 金沙江(虎跳峡、第一湾、石鼓) → 麗江・古城

6:30 起床・朝食、ホテル → 8:00-9:00 → イ族集落(展望) → 9:10-10:10 → 虎跳峡(見学1030-11:35、昼食11:40-12:30) → 12:30-13:40 → 金沙江第一湾(見学) → 14:10-14:30 → 石鼓(見学) → 15:10-16:30 → 麗江官房大酒店(チェックイン) → 17:30-17:40 → 麗江古城(レストラン・夕食17:40-18:40)、(古城地区散策18:50-21:00)各自ホテルに帰着、(オプション=民族文化ショー「麗江金沙」観賞)
[イ族の村]
 シャングリラ(3,300m)から金沙江(2,000m)まで降っていくが、途中2,700m近辺で、イ族の集落が展望出来るところで小休止。農村風景を彷彿とさせるが、住居はチベット族の立派な四合院造りに比べ、平屋建ての小さな建物が多くまた密集しているように思われる。ドライフーズを売る出店を冷やかしていると、これまでの晴天に翳りが見られ、僅かではあるが霧雨が振り出した。この雨もバスが走り出すと止んで終った。


[金沙江・虎跳峡]
シャングリラから流れ出す支流が金沙江に合流する地点が虎跳峡鎮で、ここから金沙江は、シャングリラ側の哈巴雪山(5,396m)と麗江側の玉龍雪山(5596m)が両岸に迫る大渓谷となっている、ここを急流となって流れ降る景勝の地が虎跳峡で、虎跳石のある上虎跳峡が、麗江側とシャングリラ側から観光開発されている。麗江側は川岸を歩くコース、我々はシャングリラ側のコースで、虎跳石までは車で往き、山腹にある駐車場から川岸まで階段を降っていくもの。特に虎跳石付近は川幅も狭く激流となっており、迫力満点である。駐車場まで戻る階段の登りはさすが厳しかった。虎跳峡の食堂の吹抜けになっている最上階での食事は、爽やかさが加わり、美味しく頂いた。恒例になった9人で5本のビールも殊更美味しかった。山羊を連れ裏山の草を食べさせる光景は一服の絵になっていた。同じ場所で、白人が一人でガイドと食事をしていたが、ここに来て白人の観光客は多く見かけるようになったが、日本人・韓国人は少ないように思われる。
[金沙江・第一湾、石鼓]
 このあと、金沙江を遡り、大きく湾曲して流れる第一湾を望める高台に移動する。ガイドが弁解するように、展望施設に登るものの、上流側は見られるが下流側の水面は見えず、湾曲を実感出来ない。この展望施設は観光地の最たるもので、土産物屋の間を擦り抜け登って行く。途中までは無料だが、空中通路になっているところでは、有料となっている。しかし判らず支払わないで入った人も多く、いい加減なものだ。展望台から見ても風景は変わらず、玉龍雪山も見えなかった。石鼓鎮は、労農赤軍の長征の故地で、訪れる人も多いのか店舗等多く立ち並んでいる。町の名の由来となった石鼓は、明代木氏の石造鼓型の記念碑で、土産物屋の間にひっそりとあった。シャングリラガイドの楊さんは麗江までで、途中で麗江ガイドの和さん(ナシ族)が交代のため乗込んで来た。楊さんは日本語が今一つで、此方のいうことを理解出来ないことが多く、一方的な説明で終わっていたが、和さんは静岡・焼津に居たことがあり、自称キムタク、尊敬する人は中村俊輔と言う位、日本語は堪能で、要領良くガイドをする半面、見学先々で馴染みと声を交わす等やんちゃな面も見せる。和さんの推奨・斡旋で、オプションで、5人が今夜の少数民族文化ショウを鑑賞することになった。


[麗江古城]
 ホテル官房大酒店にチェックインし、小休止後、夕食と麗江古城見学にバスで出かける。ホテルは新しい高層建物で立派だし、食事したレストランも早い時間に係わらず客が多く、料理・接客も良かった。バスで古城入口まで送ってもらい、古城地区を全員で散策、ホテルへの帰りは、各自自由となった。
麗江は玉龍雪山の麓の平原都市(2,300m)で古来から交通の要衝地、小高い獅子山の東南に旧市街古城地区、西北に新市街が形成されている。古城地区には水路が分流し水の街とも言われる。江沢民書の世界文化遺産麗江古城の碑と水車のある入口から四方街まで幾筋もの道にビッシリと飲食店・お土産店・見世物屋が並ぶ。それにしても人出が多い。四方街からから展望台に登っていくと、眼下に四合院造りの瓦屋根が重なり合う様に拡がっているのが展望できる。木府(木氏官邸)は見学出来ず、展望台の一画から改修中の様子を見下ろすのみであった。少数民族文化ショウの参加者が、集合場所でガイドと落合えないハプニングがあったが、直ぐ傍に居たことがわかり会場に急いだ。これを機に、ホテル直行組も新市街を歩きホテルに帰った。


第5日 5月14日(月) 麗江(玉龍雪山・雲杉坪、白沙村・束河古鎮・黒龍潭公園) ‥ 昆明

6:00 起床・朝食、ホテル → 7:35-8:30 → 玉龍雪山駐車場 ⇒ 8:30-9:00(シャトルバス・ロープウェイ) ⇒ 雲杉坪(散策 9:00-10:30) ⇒ 10:30-11:10(ロープウェイ・シャトルバス) ⇒ 駐車場 → 11:10-11:40 →白砂村 (壁画見学 11:40-12:10、昼食 12:10-12:50) → 12:50-13:20 → 束河古鎮 (村内見学・刺繍学院見学) → 15:40-16:00 → 黒龍潭公園(園内散策・麗江東巴文化研究所見学) → 17:00-17:30 → 麗江古城(夕食17:30-18:20) → 18:20-18:50 → 麗江空港 ‥ 20:40-21:30(MU5946) ‥ 昆明空港 → 22:00-22:20 → 昆明金泉大酒店(チェックイン)
[玉龍雪山・雲杉坪]
 玉龍雪山はナシ族にとっては、神々の住む聖なる場所であると共に、気候風土の良い観光地として名高い地。今回は、一般的なシャトルバスとロープウェイを使って雲杉坪(3,240m)から玉龍雪山を臨むコース。この他に、ロープウェイと徒歩で4,680mの展望台に行ける別ルートがある。ホテルから1時間足らずでシャトルバス発着の大駐車場がある。隣接してグリーンの綺麗なゴルフ場もあり、日本の軽井沢の雰囲気。ひょっとすると飛距離が伸びるのかな。天気は芳しくなく玉龍雪山の山容は良く判るが、頂上付近に雲があり何処が頂上か特定出来ない。シャトルバスとロープウェイを乗り継ぎ比較的スムーズに、雲杉坪に着く。ロープウェイ駅の展望広場から頂上付近が一瞬見られたと思うが確認出来なかった。雲杉坪は山中の草原を樹林が取り囲む形になっており、樹林内、草原(放牧場)を一回り出来、また天気が良ければ、草原越しに玉龍雪山の全貌が臨める絶好のロケーションとなっている。傘こそ必要なかったが、霧雨が落ちて来て、今回の旅で初めて高山の寒さを感じた。谷合にある白水河は時間の関係で車窓から見るに留めたが、小さな堰止湖の水の碧色は印象的だった。


[白沙村]
 白沙村は麗江の古鎮のひとつ。500年前創建のラマ寺院に残る曼荼羅壁画(白沙壁画)は、壁画に仏教の仏様、道教の道士、トンパの神様が一緒に描かれており、密教・道教・トンパ教の三教合一の作品と言われる文化財。寺院の塀に描かれたトンパ文字は漢字対比があり興味をそそられた。昼食に食べた白沙村の田舎家庭料理もまた美味しかった。観光地化していない居住区域を歩いていた時、民族衣装のおばあさんが親しげに一緒に写真を撮りましょうと近付き、写真を撮るとお金を要求された。1元を渡すと5元だと引き下がらない。結局根負けして渡したが、それだったら若い子と撮ったのにと悔やむ。 近くの束河古鎮も、麗江古城とともに世界文化遺産に指定された村落。集落内に疎水が流れそれなりに風情はあるが、これまで色々と見てきており特別な感慨は無くなっていた。ガイド推奨の刺繍学院を見学し、熟練者の大作から生徒の習作まで見ることが出来る。生徒が必死で作品を販売する姿勢が微笑ましかった。
[黒龍潭公園・トンパ文化博物館]
 麗江近郊に戻り、きょう最後の見学地の黒龍潭(玉泉)公園に入る。本来は、公園内から池越しに玉龍雪山を臨むビュースポットだが、3年来の少雨と、今年の雨季入りが遅れた事で、池が干上がり風情を無くしていた。後で、近くの池に水があるのに気付き、別の理由ではないかと疑われたが、真偽のほどは、不明のままとなった。公園内のトンパ寺院には地元の指導者和氏の銅像があり、ガイドに親戚かと聞くと、麗江では一番多い名前で、元は木氏から改名したのが始まりとの真面目な回答が帰ってきた。この後、公園内のトンパ(東巴)文化博物館を見学する。日本に何度も来た事がある解説者が、流暢な日本語で館内を案内し、ナシ族が継承するトンパ文字(象形文字)・トンパ教典・トンパ占等を解説してくれる。また、トンパ紙を購入し、希望の文言・名前を伝えれば、ナシ族の尊崇を受けるトンパ先生が、目の前で、名前を書き込み渡していただける。(トンパ先生は経典・占・芸術に秀でたナシ族の象徴的存在)閉館時間を過ぎ、通用門から退出する。


[空路で昆明へ]
 全ての目的を果たし、麗江古城で最後の夕食を摂る。(ここで後から来た客の日本語を始めて聞く)食事後、空路で昆明へ行くため、バスで麗江空港へ移動する。ここで麗江ガイドの和さんと、今回の旅行中、ずっとバスの安全運行を果たしてくれた運転手の熊さんともお別れとなった。
 昆明空港では、昆明ガイドの安さんの出迎えがあり、別の専用バスで今夜のホテル金泉大酒店に送って貰う。立派なホテルだったが到着時間が夜10時と遅く、また翌朝も、関西・九州組出立が朝8時15分のため、結局今回旅行中は、部屋に寄り集って歓談する機会は持てないままとなった。

第6日 5月15日(火) 昆明 ‥ 北京 ‥ 日本

6:30 起床・朝食、ホテル → 関西・九州組 8:15-8:45、関東組 10:00-10:30 → 昆明空港 関西・九州組 昆明空港 ‥ 9:50-13:00(CA4169) ‥ 北京 ‥ 16:25-20:30(CA161) ‥ 関西空港関東組    昆明空港 ‥ 11:40-15:00(CA1404) ‥ 北京 ‥ 17:25-21:45(CA183) ‥ 羽田空港
[日本に向け帰還]
ホテルの洗練された朝食バイキングに舌鼓を打ち、関西・九州組の昆明空港への出立で、今回の旅行団を解散して、お別れとなった。関東組は少しホテルで寛ぎ、10時30分、再度迎えに来たバスに乗車、昆明空港に向かった。北京空港経由日本への空路は、特にトラブルは無く、全員無事に帰還することが出来た。
[記録のまとめ]
雲南の梅里雪山・玉龍雪山の2大雪山を間近に見る、古都シャングリラと麗江を訪ねる、少数民族の文化に触れる、と内容豊富なスケジュールを実行に移せた喜びは大きい。特に天候に恵まれ(この時期は雨季の始まりにあたる)存分に行動出来たことは幸いであった。確かに1日の行動時間は長かったが、19人乗りバスに9人であったり、ホテルが思ったより快適であったり、食事も野菜中心であったり、そして高山病対策に姫野さんのアドバイスがあったお陰で、全員が無事旅行を完遂出来ました。しかし、何よりも現地旅行社と何度も、こちらの希望を折衝して頂き、コース確認を重ねて頂いた澤井さんの尽力無くしては、旅行の成功は無かったと確信し、感謝の念で一杯です。

写真集

雲南写真集(竹辺撮影)

参加者の感想

(2期 永田夫妻)
澤井さん企画の中国登山旅行,黄山に次いで参加しました。小林尚礼氏の「梅里雪山 十七人の友を探して」を読んでいましたので,この山の高貴な姿に大きな期待を抱いていました。ただ5月11日午後から12日午前だけの一発勝負ですので,心配していましたが,最高の状況で山を見ることができ,これほど嬉しいことはありません。飛来寺のホテルも最高の場所にありました。モルゲンロートに輝くカワカブ,メツモの姿は網膜に焼き付いています。観光も目一杯,いささか疲れましたが,どれも省くことはできませんでした。それほど雲南は素晴らしいところでした。澤井さんと,一緒に行動した皆さんに感謝,感謝。 
                                          永田 重幸,和子
(2期 福本)
中国へは現役時代鉄鋼の技術指導等で3回ほど訪れたのですが、当時は政府の冶金公司の計画どうりで観光も指定場所のみの画一的なものに終始したのに比べ、今回の泰山、黄山並びに雲南の旅は中国の現状を思っていた以上に垣間見られた気がして新鮮なものでした。特にチベット民族等の少数民族が開発の波に押し寄せられ漢民族の富裕層に徐々に押しやられているのかなとの思いがした次第です。ガイドの皆さんもはっきりとは言わないまでもそれとなく伝わってくる気がしてなりませんでした。それにしても中国の広大さ、梅里雪山、白馬雪山、玉竜雪山とそれぞれの谷の険しく深きこと驚きそのものでした。今回もまたほぼ天候に恵まれまた姫野先生の高山病対策もばっちりで素晴らしい旅を満喫できました。毎回企画いただいた沢井さん、感謝・感謝です
(3期 澤井)
最初は漠然と雲南省に、と考え、色々調べて行くうちに、日本の面積より広い雲南省を、例年の5日間で行くのは無理だと6日間に延ばしたものの、6日間でもとても難しく、春と秋にコースを分割せざるを得なくなりました。その6日間も、外せる場所は少なく、大変タイトなスケジュールとなってしまい、朝早くから夜遅くまで、皆さんにつらい思いをさせ申し訳ありませんでした。それでもメンバーも和気藹々、訪れたところも印象深く、且つ、高山病にも罹らず元気に旅行できたことは大変良かったと思います。現地の雲南科技国際旅行社の李女史、楊女史には、懇切丁寧なアドバイスと、リーズナブルなプランを立てて頂き、大変お世話になりましたことに厚く御礼申し上げます。
(3期 鷺森)
中国駐在時代から10数年来の憧れの地であった香格里拉・麗江・梅里雪山・玉龍雪山を訪れることが出来てとてもハッピィーな山旅でした。雪に包まれた梅里雪山の姿は神々しささえ感じ、京大隊の遭難事件に思いを馳せました。玉龍雪山は遂に頂は見えず神秘さが増しました。大阪ミナミ以上の麗江古城の夜の賑々しさに、今の中国の改革開放振りの姿を目の当たりにした思いです。  帰路、私のみ北京で離脱し北京・天津に向かい昔の朋友と再会し嬉しい追加旅行でした。雲南の田舎と北京の大都会を同時に旅し、両者の格差の大きさに今の中国の現実を見てきました。
ご同行の皆様ありがとうございました。
馬登山も初めての経験で、高山病対策だけでなく日本でもこんな登山が出来たらーーーーと。
(5期 古土井)
このたびの雲南旅行では皆様とご一緒するのが初めてで、何かとご迷惑をお掛けしましたが、無事終えることができました。心から感謝申し上げます。出発に当たり、体力の問題、どんな準備をしたらいいのかいろいろ悩みました。幸いにもトラブルもなく帰ってきましたが、反省点も多く、今後の機会に生かしたいと思っています。
澤井さんからいただいた資料リストを参考にかなりのものを読みましたが、多くの人が自らのホームページやブログで発表しているのに驚きました。1月にマチュピチュに行くのに際して検索したのと量的にも質的にもおおく、興味深いものでした。実際に行ってみて、国土の広さ、自然環境の厳しさは資料からはなかなか読みとれませんでした。もっとゆっくり歩きまわりたい気持ちになりましたが、あのスピードで連れて帰ってもらったのが無事帰国を可能にしたのかと思います。今回は好天に恵まれ、梅里雪山の美しい姿をみることができました。同時に旅全体も楽しい ものになりました。ずっと雨だったらつらい旅になったことでしょう。旅の喜びは景色(自然景観、歴史景観など)、文化歴史、食事、買い物、人との交流 など、が挙げられますが、今回の旅は点数にして何点でしょうか?残された時間もわずかになってきましたので、覚悟を持って、次の機会に参加したいと思っています。
改めて澤井さんはじめ8人の皆さんに感謝申し上げます。
(7期 竹辺)
楽しさがぎっしりと濃縮された旅でした。雲南は遠い所です。その又果ての梅里雪山まで行くことが出来、日本を出てから三日目の早朝まだうす暗がりの中に真っ白なカワカブ、端正な姿のメツモが見えたときは本当に感激しました。また金沙江の流域の第一湾や虎跳峡などの雄大な景色は矢張り中国ならではとの感を強くしました。今回の旅ではチベット族、ナシ族の地域を通ったわけですがそれぞれの村落や建物の違いなども興味深いものです。なにしろ強行スケジュールでじっくり見るというわけには行きませんでしたが少しは感じることが出来たかなと思います。麗江古城、玉龍雪山は世界遺産になる前に訪れたかったかなと思いましたが人が多いのと大音響の音楽を除けば素晴らしい所でした。どうも中国の人は静かな所は苦手らしい。最後に同行の皆さん、楽しい6日間をどうも有難うございました。
(7期 姫野)
雲南の旅では皆さまに本当にお世話になりました。独力ではめったに行けない香格里拉まで、そして幸いにも朝焼けの梅里雪山を拝む機会にも恵まれ、大変嬉しく思っています。
医療担当に指名されました為高山病のにわか勉強をはじめましたが、いい機会でした。興味半分でSpO2(末梢血中酸素飽和度)測定計を持参しましたが、大変興味深い結果を得ました。
SpO2は健康成人の場合、安静時概ね100~97%が正常閾値ですが、90%以下は異常値で、多くは肺気腫の方で、80%以下は重症と思われる数字です。香格里拉で85~92%、私は徳欽で一時66%を記録しました。軽い歩行後ながら自覚症状は全くありませんでしたので機械が壊れたかと思いましたが、他の数名の方も同様で最低62%でした。5分後には全員80%台に戻り安心しましたが、一般病院でこのような数字はめったにみたことがありません(重症患者は別にして)。このような小型軽量のSpO2計が市販されて10年位と思いますが、高山病における記録として日本山岳会の一部記録に「SpO2が70%台に低下したが自覚症状はなかった」という記事をみた記憶はあります。あらためて勉強してみたいと思っているところです。
(7期 冨士)
泰山・黄山に続き、雲南春コースに参加させて頂き、有難うございました。すっかり嵌まって仕舞っています。今回の雲南は、どちらかと言うと文化のルーツだとか、少数民族だとか、動植物だとかに興味があった筈ですが、晴天の梅里雪山を見た途端に、すっかり魅了されこれで全てと思い、雲南に来た甲斐があったと思いました。雨男の意識として、山への憧れは口に出さないで居ますが、中国旅行だけは先輩・仲間が良いのか、ジンクスは働きません。有り難い事と皆様に感謝頻りです。