7期同期の竹辺、金子、兜、野上、冨士の5人が、10月26・27日に晩秋の北八ヶ岳、
白駒池・縞枯山を登山しました。
現在・茅野市在住の6期岡本さんと連絡が取れ、白駒池で40年振りの再会を果たしました。
岡本さんが送って下さった八ヶ岳の初冠雪写真と、白駒荘に確認した情報の2、3cmの
積雪、一部凍結予想と合せ、寒さ対策を万全にして出掛けることとなった。
渋ノ湯でバスを降りると、前泊となった兜に迎えられて、予定通り全員揃う。この高さでは
流石に空気が冷たく感じられる。平日で登山客も少なく、静かな山登りとなる。
道は踏み跡がしっかりしているが、石がゴロゴロしていたり、一面苔に覆われていたりと、
結構足元が気遣われる登山道で捗らない。
賽の河原は、大きい石・岩が積もった斜面が続くところで、歩き辛く、疲れる。毛糸の帽子・、
赤い襟巻き・白の大きな上衣の地蔵尊が一際目立ていた。
シラビソの樹林帯に入ると間もなく、高見石小屋に着く。小屋の直ぐ横の巨石の重なる高見
石展望台に登ると、今日泊まる白駒池が真下に見える。白駒池への降りも、諸所に僅かに
雪が凍結して残り、足元は水っぽく、滑り易さから慎重に成らざるを得ない。やっと湖面まで
降りると、我らの声に気付かれたか、岡本さんが小屋近くで迎えて下さる。
岡本さんは、白駒池駐車場に車を置き、日帰りで池周辺の山を諸所歩かれて、待っていて
下さった。車なのでお酒はダメ、お湯を沸かして、コーヒーと岡本さん持参の塩羊羹を頂く。
4時過ぎ、岡本さんと別れた後、白駒池畔1周の散策をした。白駒荘の今日の客は、我々と
白駒池の水質検査している信州大生2人のみ。大部屋を可動壁で囲い電気コタツと電気
ストーブがある部屋を2つ使って、夜は、コタツに足を入れるように布団を敷き寝た。
食事に、個人鍋のしゃぶしゃぶが出て驚いたが、駐車場も近く、電気も通じていることから、
出来ることだと納得する。山菜の天ぷらも美味しく、ビールのアテでおかずを食べつくす。
池の水を利用するのか、風呂にも入いることが出来た。
6:30の朝食は少し遅れたが、一人用琺瑯鍋で目玉焼きを作る趣向で、鍋に凝っているな
と思った。特にキノコの味噌汁が美味しかった。白駒池に映る周辺の木々と空の色の変化
を感じながら、白駒池を後にした。広く整備された道を進み、駐車場に出る手前から麦草峠
への山道を進む。途中、白駒の奥庭と云う感じの良い一画を過ぎると間もなく、麦草峠の
麦草ヒュッテの前に出る。土日に限り路線バスがあり、朝一番の降りのバスが待機していた。
紅葉を期待して、早朝から白駒池に来る客が多く見られた。紅葉は既に終わっているが、
流石は土曜日で、麦草峠付近から、登山客が一段と増えたようだ。
茶臼山・縞枯山へコースを取るが、相変わらず樹間の苔むした道は、石がゴロゴロしており
歩き辛さは変わらない。苔の解説板を見ながら、苔も随分と種類が沢山あることを知る。
茶臼山の登り道で、道案内をするが如くのホシガラスに出会う。写真に撮るのは難しいが、
お尻をこちらに向け、先に先にと登っていくホシガラスにユーモラスを感じた。昨日高見石の
小屋のテラスで見た、白黒の斑点が鮮やかなホシガラスも、間近だったので迫力があった。
茶臼山の頂上は道標があるだけで、展望台(2384m)に直行する。残念ながらガスが流れ
展望は利かない。留まっていると寒さを感じ、先に進む。茶臼山からの降りで、縞枯山所以
の帯状に連なる立枯れの木々のあることを確認する。縞枯山の登りも苦労するが、登り切
った処にある巨石の重なる展望台への登りは、更に足が竦くむ思いをした。
細長い尾根を通り、雨池峠から縞枯山荘に降り、ケーブル山頂駅に直行する。天候悪化の
懸念と、ゴロゴロ石の登り降りを考え北横岳へのピストンは取止めることになった。
ケーブル駅前広場のベンチで、簡単な昼食し、荷物を置いて、坪庭散策コースを歩く。
火山岩にツツジやハイマツの小潅木が生える八ヶ岳特有の地形であるが、歩き易い様に
舗装され、多くの観光客が、一方通行で回遊出来るように整備されている。
坪庭散策後、ケーブルで山麓駅に降りる。山麓駅付近のカラマツ林の黄葉が特に美しい。
当初乗車予定の3時迄バス便が無いことが判り、タクシーを利用することにした。
タクシー運転手に、今一番の紅葉場所への案内を依頼し、ゴルフ場玄関の前庭に立寄って
貰った。木の数こそ少なかったが、鮮やかな紅葉と色彩のグラデーションは最高だった。
茅野駅で早めの解散をし、名古屋・東京に向け帰路に着いた。
富士 記
写真集(竹辺撮影)
後日談 帰って1週間ほどたって兜が頭痛・発熱症状となった。内科で診てもらったが風邪ではない。翌日再診を受け、結局「つつがむし病」と診断、皮膚科に回され間もなく完治した。
お腹に何かに咬まれた傷跡があること、再診の日上半身に赤い発疹がでていたことでわかったのである。
「どこかに出かけてなかったか?」
「1週間前信州の山にいた」
「じゃあこれだろう」と本のコピーを見せてくれると全くその通りであった。
50年ほど前にはツツガムシ病は命にかかわるような病気であったが今は罹患する人は珍しいとのこと、医師も看護師も初めてお目にかかったと言っていた。
皆さんも気をつけましょう。
兜 記