第2講 めざすところ、ねらいは何か!
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さて……と。前回はどこまで話したっけ? 私たちは文章の洪水のなかで暮らしている……。そうか。そうか。想いだしたぞ。いや、ありがとう。貴女はたしか社会人入学の方でしたね。御歳は41歳の……。肝心なことは忘れて、よけいなことだけ憶えてる……って。ごめんなさいね。でもね、人間って、そういうもんでしょう。 話を本題にもどしましょう。洪水のようにあふれている文章、それらは大きくわけて考えると、ひとつは「情報や事実を伝える」文章、もうひとつは「芸術的」な文章なんだ……と。 そこで今回は例文によって、それぞれの特徴をはっきりさせて、相違点つまり〈ちがい〉というものを具体的にみてゆきます。そういうわけで、8つの例文を用意しました。それらは、いずれも私の机のそばに積んであった本や雑誌、新聞などから、手当たりしだいに引っぱってきたものです。著作権に触れるのではないかって? なかなか鋭いことをいいますね。触れるかもしれないし、触れないかもしれない。もし前者だったら、あらためて著者にお詫びいたしましょう。 プリントは手もとにありますね。それでは【例文1】を見てください。これは「日本国憲法」の第9条第1項です。ところで、みなさんに、ちょっと訊いてみましょう。日本の憲法は何条まであるか知ってますか? はい 誰か! えっ、百八条……。なかなか、いい線いってる。でも、それじゃ、除夜の鐘だよ。ほかに誰か……。百三条……って、言ったのはキミだっけ。眼だけがいつも笑ってる、そこのアナタですよ。正解です。座ったままでいいから、読んでくれませんか。お願いします。
はい。ありがとう。 憲法の全文は知らなくても、この第9条ぐらいは、みんなも知っているでしょう。「戦争放棄」を規定した有名な条文だからね。 あれ、あれ、みんな、知らないっていう顔してる! あのね、第9条というのは日本国憲法のいわば目玉みたいなもんですよ。いいですか。 あらあら、みんなシラけちゃった。そうか、今は法学の講義ではないんだよね。私は法学部出身で、これでも昔は司法試験をめざしたこともあるんでね。つい、つい熱くなって脱線しそうになってしまった。アブナイ! アブナイ! さて、それでは、憲法第9条なんだけど、ここではね、条文の内容ではなく、条文そのものを文章的にながめてみることにしましょう。 はい、それじゃ、訊いてみましょう。文章としての憲法第9条、どんな感じがしましたか? 感じたままに答えてください。 カタイ? ぎくしゃくしてる……。はい、はい、そういう声があがりました。そうですね。私もそう思います。非常に「固い文章」であることが、一目で分かるでしょう。法律の文章というのは、だいたいこういうタッチで書かれています。この9条なんかは、まだマシなほうだよ。読んでもすうーっと頭にはいってこない。そんなのが多いんだね。 そこで〈良い文章〉か〈悪い文章〉か……と、問われればね、まちがいなしに〈悪文〉の部類だろうね。でもね。それは、あくまで〈字面〉だけで判断した場合です。 法律というのはね、ものごとをキチッと厳密に規定しなければならない。あいまいなところがあってはいけないんだ。読んだ人によって理解のしかたが異なってはいけない。実は、この憲法第9条だけど、そういう点からいうと、文章的に〈あいまい〉なところがあるんだけどね。法律の講義ではないから、今は触れないでおきましょう。 曖昧さに馴染まないから、どうしても、〈ぎくしゃく〉して、〈くどい〉、〈しゃっちこばった〉文章になってしまう。それが法律の文章の特徴というものなのです。 それでは、次に【例文2】をみてください。粟津則雄さんの『美の近代』とい う評論からの抜粋です。評論ですから〈論文〉です。
どうですか? やはり固いでしょう。例文1と同じぐらいにカタイ! なぜでしゅうね? 誰かに訊いてみましょう。出席カードの上から2番目の人、はい、新井奈緒さん。……というのは、おや、あなただったんですか? さっき、鳴り出した携帯電話のベルをあわって止めましたよね。 それは、まあ、いいや。どうですか? 例文2の文章が固いワケは何だと思いますか? 「ことば」がガチガチのせい……。 よく聞こえなかったけど、そう言いましたか。はい。言葉遣いが固いんです。たとえば「絵画思考」とか「自己批判」とか「体現」とか、それから「根源的」なんかもね。非常に固い語句が使われていますね。これが、いわゆる論文みたいな思索的、分析的な文章の特徴なんですね。 おやおや、そういう今の私の言葉遣いもカタイな。だいたい「〜〜的」という語句を使うとカタクなるのかな。「〜〜的」といえば、みなさん、やたらと使いまくってるけど、アレは耳障りだね。「奈緒的には、文章とかは苦手なの」とか、「気持ち的には、どうしようもないのよね」とか……ね。 あれ、あれ、みんな、シラジラとした眼してる。みんな退いちゃったよ。そうか、つい、調子に乗って、ボクは〈オジさん〉ヤッちゃったんだ。うちのオクさんに「お説教したら絶対にダメよ!」と、あれほど言われてきたのにね。修行が足りんな。 次いこう。はい、次は【例文3】です。
本学の『学生要覧』から引用した一文です。説明書の文章だというわけです。カタログとかマニュアルの文章は、だいたいこういう文章で書いてある。見てのとおり、味も、そっけも色気もない文章です。でもね、こういう文章で大事なのは、読む人に内容を正確に伝えるということでしょう。 読んでも内容が分からない文章だったらどうなりますか? 全然意味がないでしょう。パソコンとかアプリケーション・ソフトのマニュアル、あれ、困るんだよな。さっぱり分からなくて、あんなのマニュアルなんかじゃないよね。 読んでも理解できない文章だったら、かえって逆効果になってしまう。だから、相手にめいわくをかけない……というのが、この文章の最も必要な条件になります。 次の【例文4】は、みなさんが、最もなじみが深いと思われる「新聞」の文章です。
新聞の文章も、どちらかというと、味もそっけもない文章です。署名入りのコラムなんかは別だけどね。なぜなんだろうね? 誰かわかるかな。 新聞は社会の公器……。おっ、なかなかいいことを言ってくれるじゃないの。新聞の文章は報道というものを目的にしてます。事実というものを客観的に伝える。それが新聞の使命でしょう。だから5W1Hをキチッとおさえていなければならない。WHO(だれが) WHEN(いつ) WHERE(どこで)WHY(なぜ) WHAT(なにを) HOW(どうしたか)。記事のなかで、これらが明らかにされていなければならないというわけです。これが新聞記事の特徴です。例文もそうなってるよね。 新聞記事ならば、どの記事も、こういうパターンで書かれているはずです。だから誰が書いても、ほぼ同じ文章になる。いわば個性のない文章の代表選手だね。 とくに客観的な叙述がたいへん重要視されます。たとえば、みんなのうちの誰かが不倫相手の奥さんとつかみ合いのケンカになって、誤って負傷させてしまったとしようか。その場合、新聞は加害者の立場で書いてはいけない。加害者にいくら同情すべき事由があったとしても、共感して書いてはいけないのです。 書き手の感情とか思い入れとか、そういうものが一切排除された文章でなくてはならない。だから当然のように味もそっけもなくなってしまう。それが新聞の文章の特徴だといっておきましょう。 【例文5】は、どこかで見たことがあるでしょう。女性週刊誌の広告からひろってきた文章です。エッ、女性週刊誌なんか、しょっちゅう読んでるのか……って。訊きにくいことを、ハッキリと訊くじゃないの。キミたちは……。こういう例文を探すために、わざわざ買ってきたんだ。ほんとうだよ。はっきり言っとくけどね、電車の網棚にのっかっているのを、黙って持ってきたんじゃないからね。
これは資生堂の広告のコピーです。化粧品といえば、みなさんは毎日仲良くしているでしょう。みなさんがたの心をギュッとつかんで、何とか化粧品を売りみたい。そういう広告の文章です。ざっと読んで、どういう感じですか? いままでの文章とは、ちょっと感じがちがうでしょう。そう思いませんか。 ソフトな感じがする。はい、私の言わんとする台詞を誰かがいってくれました。感覚に訴えかけてくる文章だといえます。散文というよりも、どちらかというと詩に近い。 広告のコピーというのはね、読者の心をバッチリとつかまないと意味がない。化粧品の広告ですから、相手はもちろん女性です。媒体は女性週刊誌である。そういう前提を強く意識したうえで、理屈ではなくて、イメージを大切にする。そういう文章になっています。 先を急ぎますよ。次の【例文6】はビジネス・レターです。手紙、もっと別な言い方をすれば通信文です。 前回の講義が終わってから、みなさんがたのなかのある人から、手紙の書き方をくわしくやってくれ……と言われました。ボクはね。そのときに、次のようにおこたえしました。手紙の文章作法はやりません……とね。もういちど繰り返しておきましょう。手紙はやりません。なぜかと言いますとね。手紙というのは文章作法以前の「躾け」の問題だからです。世間的な常識がモノ言う世界であって、文章作法のはいりこむ余地はたいへん少ない。 通信文には、大きくわけて個人を相手にする私信と会社など組織を相手にする公用文があります。例文6は公用文です。
ビジネス・レターというのは〈紋切り型〉の代表選手みたいなものでね。パターンさえ覚えてしまえば、非常にかんたんですよ。 まず最初に前文ありき。「拝啓」とか「謹啓」とかの〈頭語〉と、「時下ますます……」のようなご挨拶、これが前文なんだ。それから末文がきて最後には、「敬具」というような結語がくる。こんなふうにパターンが決まっちゃってる。だから、これを覚えてしまえば誰にでも書けるというわけです。世間的な文章、常識的な文章でつづられるのが、ビジネス・レターの特徴というものです。 次の【例文7】はエッセイの文章です。俳優の岸田今日子さんの「アダムの前妻」というエッセイからの抜粋です。ざっと眼だけで読んでみてください。
どうですか? みんな、なんかホッとしたような顔してるな。なぜかというと、これはごく普通の文章だから……。あまり固苦しくもない。だからといって、まるっきりクダケすぎてもいない。肩に力がはいっていない、ごく自然体の文章でしょう。 感想文や紀行文はもちろん、みなさんがたが避けて通れないレポートとか、報告書、場合によっては小論文あたりまでなら、このスタイルが使えます。次回にもっと掘り下げてお話しますが、この文章のスタイルを記憶にとどめておいてください。このスタイルを、もう少し改まったかたちにすると例文2(論文のサンプル)のような文章になりますよ。そういう意味で、この講義でとりあげる基本となる文章のスタイルだといっておきましょう。 最後の【例文8】は小説の文章です。小説の神様といわれた志賀直哉の「正義派」という短編から抜粋させてもらいました。いいですか。いままでの例文すべてと読み比べてください。そして、〈ちがい〉を見つけください。
どうですか? 読み比べてみると、かなり印象がちがうということがわかるでしょう。これは小説ですから芸術的な文章のサンプルです。交通事故でこどもを亡くした母親の姿を描いた部分だということは分かりますよね。自分の眼のまえで、こどもが電車に轢かれた。そういう母親のうろたえる姿がはっきり眼に浮かぶように書いてある。どうですか?私たち読む者の頭のなかに、こどもを失った母親の姿がイメージとして鮮やかに喚起されてくる。眼を閉じると、母親の顔の表情まではっきり思い描くことができる。とくに後半の部分は、母親の姿を外から描くことによって、見えない心の動きまで、とらまえている。分かりますか? これが小説というものの文章なんです。 さあて、私たちの周囲には、いろんな文章があることが分かった。そして、その文章をあらためてよくみると、目的とか、内容、発表の場、対象となる読者によって、書き分けられている。 良い文章……というのは何なのだろう。良い文章というのは何を標準にしていうのだろう。そういう評価のひとつの基準になるのが、文章の〈めざすところ〉や〈ねらい〉だと思う。つまり、誰に向かって、何のために書いたものなのか。文章の目的やテーマが評価のポイントになるのだと言いたいわけ。 ちょっと理屈っぽくなったかな。困るんだな。ちょっと話が抽象的になると、キミたちの眼はふっとんでしまうんだから……。まったく、講師泣かせだよ。 たとえ話でいいましょう。いいですか。たとえばね、専門的な学術論文が、小説のようなタッチで書かれたらどうなりますか? 文章の目的に合わないでしょう。童話が法律の条文みたいなしかめつらしい文章で書かれたら、困っちゃうでしょう。 どの文章にもね、それぞれ目的とねらいがあるの。だかれね、そいつを、どれだけ達成したかによって、〈良い文章〉か〈悪い文章〉から決まるんだと言っておきましょう。 今回は例文によって、具体的に文章のタイプをみてきました。なんどもいいますが、この講義でとりあげるのは、芸術的な文章ではありません。ごく普通の文章です。情報をただしく相手に伝える文章、思想や知識、つまり自分が〈考えたこと〉や〈知っていること〉を正確に相手に伝える文章です。次回は〈普通の文章〉というものを、さらに掘り下げて考えてみたいと思います。 まだ終わりじゃないよ。席を立たないで? みなさんの半数以上の人が、まだ課題を提出していませんよ。次回までには、かならず提出してください。はい、そいじゃ、終わります。
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(C)Takehisa Fukumoto 2001 |