第3講 フォーマル、ビジネス、カジュアル!

 つい、さっきまでボクは室の窓から、構内を通りかかるみなさんをしばらくながめてました。みなさんがたのなかの誰かに目をつけて、通りかかるのを待っていたというわけではありませんよ。それじゃ、ストーカーじゃないですか。そうじゃないんです。いいですか。誤解しないでくださいね。
 何のために……、何を……観てたのかって? はい、正直に言いましょう。みなさんの服装を観察してました。カッコよくいうと、最近の女子学生のファッション感覚を、ひそかに調査していたというわけです。
 総じてパンツ・ファッションだよね。短いスカートの人なんで、ひとりもいなかったな。今、ボクの目のまえにいるみなさんも、やっぱり同じですね。シャツにジーンズ、あるいはサマーセーターにジーンズやパンツやキュロット……。ようするにシャツやセーターと各種パンツの組み合わせ……というわけだ。カラー傾向も、すごく地味だね。モノトーンのくすんだ色調のファッションがほとんどだからね。だから、もし原色に近いワンピースなんか着ていたら、完全に浮きあがってしまうだろうね。
 高校生のころはみんな制服を着てたのだろうけど、今は思いっきりラフなカジュアル・ファッションというわけだ。そういうキミたちも会社訪問の季節になると、あのリクルート・スーツというヤツに着替えるようになる。あれはカジュアルでなく、ベーシックあるいはビジネスというべきだな。ところでキミたち、結婚式や葬式に出るときは何を着るのかな。高校生までなら制服でいいだろうけど、いちおう大学生だからね。やっぱり黒のフォーマルになるのかな。
 はい、質問ですか? えっ、なんですって? 「最近の女子学生のファッション傾向」というタイトルで原稿でも書くのかって……。残念ながら、ちがいます。
 フォーマル、ビジネス、カジュアル……。 これは今日の講義のテーマなのです。おや、みんな変な顔してるね。文章とどういう関係があるのか……と言いたそうな顔だね。それが大いに関係がある。理由を知りたければ、今日こそ居眠りしないで、私の話をよく聞いてください。いいですね。

 さて……と。前回と前々回、私がこの講義で採りあげるのは、〈普通の文章〉〈事実を伝える文章〉だと言いました。情報や思想、知識などを相手に正しく伝える文章、つまり〈自分が考えたこと〉〈知っていること〉を相手にできるだけ正確に伝える文章です。何回も言いましたから、みんな憶えていますよね。
 それでは〈事実を伝える文章〉と言うけれども、私たちは、いったい、どんな文体で書いたらいいのか。文体というのは文学の専門用語ですが、ここでいうところの〈文体〉は、まあ、「文章のスタイル」ぐらいに考えておきましょう。
 文章のスタイルを具体的にイメージするサンプルとして、三つの例文をあげておきました。じっくりと眼をとおしてください。

【例文 A】

 生物と環境との関係は、まだいろいろなことをいわねば充分にいいつくされないのであるが、結局環境というものを持ってくることによって、生物のもつ独立性とか主体性とかいうことが、一応はっきりしてきたと思う。
 環境とはそこで生物が生活する世界であり、生活の場である。しかしそれは単に生活空間というような物理的な意味のものではなくて、生物の立場からいえばそれは生物自身が支配している生物自身の延長である。もちろんこういったからといって環境は生物が自由につくり自由に変え得るものではないのである。環境をどこまでも生物の自由にならない、その意味において生物に対立するものとみるならば、その環境はわれわれの身体の中まで入り込んで来ているばかりではなくて、実はわれわれの身体さえ自由に変えることができないという点では、これを環境の延長とみなすことができよう。

(今西 錦司『生物の世界』より)

【例文 B】

 ダム・ダム飛行場からカルカッタ市内に入ったときには、日が暮れていた。思ったほど暑くない。とはいうものの、私はこの日の朝、既にバンコックで日本の冬装束をぬぎ捨てていた。
 夜に入ってカルカッタの町に散歩に出た。しかし、散歩は容易なことではなかった。既に夜だというのに……。
 人、人、人、人、男、男、男、男……。
 ドウティと呼ばれる白衣をぐるぐるっとまといつけ、黒い髪に、ターバンを巻いた男、まかぬ男、褐色から真っ黒までの幾多の音階色調のある皮膚の色、眼はいずれも鋭く、中国人、日本人などと比べては、恐らく険があるという云い方が可能だと思われるような光りがある。インド・ユーロピアンということばを思い出さざるをえない。すなわち、カルカッタに入って、人はアジアと一言でまとめはするけれども、ここからは日本、ビルマなども含めての中国的世界から出て、まったく別のアジアに入ったことに気付かされる。

(堀田善衛『インドで考えたこと』より)

【例文 C】

 昼ごはんを一緒に食べにいっていたガハハおばさんは、どういうわけか私にすりすりとすり寄ってきた。今では何の会話もなくなった送り迎え担当の秘書のかわりに、朝晩の送り迎えまで買ってでた。おばさんがその旨秘書にいうと、彼女はとってもうれしそうな顔をした。おばさんもとってもうれしそうだった。困ったのは私である。このおばさんは人がいいのだが、やたらと大きな声でガハハと笑っていた。私に密着してわめきちらすものだから、いつも耳のそばで胴間声を聞くハメになり、そのたんびに頭がガンガンした。たまりかねてワタシがもごもごと動き出すと、おばさんはますます、
「まあ、かわいい」
 といって、力一杯その分厚い胸に抱きしめようとした。確かに大柄のおばさんに比べたら、ちんちくりんのワタシは、アメリカでいえば小学生だろうが、日本に帰ればれっきとした二十歳の女である。背の低いガキだと思われては困るのである。

 (群ようこ『アメリカ居すわり一人旅』)

 文章のスタイルというところに注目してください。どうですか? 三つの例文をよくみると、それぞれ感じがちがうでしょう。
 例文Aは今西錦司さんの『生物の世界』からの抜粋ですが、これは評論ですから、論文のサンプルです。ほかの二つの例文とくらべて、どうですか? ここでは〈読みやすいか、読みにくいか〉、あるいは〈固いか、柔らかいか〉についてたずねています。
 はい。例文Aは最も固い感じがする。その通りです。それじゃあ、例文Bはどうですか? これは堀田善衛さんの『インドで考えたこと』からの抜粋です。いわば紀行エッセイです。
 三つのうちでは、ごく普通の文章という感じがしませんか。固くもなければ、柔らかくもない。ごく標準的な文章のスタイルといったところでしょう。
 最後の例文Cはどうでしょう? 群ようこさんの『アメリカ居わり一人旅』からの抜粋です。エッセイなのですが、例文Bの堀田さんの文章とは、また感じがちがうでしょう。最も「話し言葉にちかい文章」という感じではないですか。どうですか? もういちど、よく、読み比べてください。

 実用文、つまり私たちがこの講義でとりあげる「事実を伝える文章」を書くうえでのスタイルは、だいたいこの三つだと考えればよろしい。だから例文A〜Cまでの3パターンをよく頭にたたきこんでほしいと思います。いいですか。これからの話をよく聞いてください。居眠りしないでね。今日の講義でいちばん大事なところですからね。
 はい。三つの例文を読み比べてみると、CからBへ、さらにAへとさかのぼるにつれて、話しことばから遠ざかってゆく感じでしょう。Cがいちばん話し言葉に近くて、Aが最も話しことばには遠い。Bはその中間ぐらいでしょう。みなさんがいちばん親しみやすいのはCでしょうね。

 私たちが文章を書くときに、この三つのスタイルをうまく使い分ける必要があります。書こうとするテーマ、内容、媒体(発表の場)、対象となる読み手(読者層)のいかんによって、文章というものは書き分けなければならないというわけなのです。
 〈使い分け〉というか、この〈書き分け〉の技術が、文章を書くうえでの非常に大きなファクターになります。この三つのスタイルを自由に使いこなせないと〈いい文章〉は書けません。というわけで、三つのスタイルをあらためて詳しくながめてゆきたいと思います。

 例文Aは〈固い文章〉というわけで、最も固苦しい文章、つまり改まったスタイルの文章ですね。だから服装でいえば、さしずめ礼装用の黒のフォーマルだというわけです。
 堅苦しい文章ですからね、祝辞とか式辞からはじまって、本格的な論文、評論まで……。いずれにしても話し言葉にはいちばん遠い文章ということになります。
 この種の文章は、どうしても論理的、抽象的な内容になるからね、理屈っぽい感じになる。専門用語や学術用語がやたらと使われる。漢語や熟語もたくさん使われるのが特徴です。高度な専門的な内容が多くて、だいたい専門家同士にしか通じない。もともとが専門家同士のコミュニケーションを目的にしている。それが論文といわれる文章の実態です。
 それはともかくとして、この種の文章、つまり本格的な論文なんかでは、用語の意味をしっかり把握して、決してまちがわないようにしなければなりません。

 例文Bは〈標準的な文章〉です。だから服装にたとえれば、ビジネス・スーツです。就職説明会や会社訪問にゆくとき、みなさん誰でも着るでしょう。いわゆるリクルート・スーツというヤツを……。あれですよ。ふだんはジーンズにシャツしか着ないみなさんが、「今日は会社訪問にゆきますから……」と言って、公欠届を持ってくるとき、〈あれ、あれっ〉と、思わず顔をまじまじと見つめてしまうんだな。「馬子にも衣装」というけれども、そういうときのみなさんはね、顔の表情が凛とひきしまっていて、誰でもそれなりに美しく見えるんだよ。

 ビジネス・スーツというのは、あまり固苦しくもなく、だからといって、クダケすぎてもいけないんです。そういう意味で、ごく普通のスタイルの文章が、これだと言いたいわけです。
 それでは普通の文章といわれるものは、具体的にどんなものがあるか。これは、かなり幅がひろくてね、たとえば新聞記事の文章、広報誌や社内報なんかの文章とか、各種公用文なんかも、このスタイルで書かれてます。案内書とか報告書なども、このスタイルでいいでしょう。それから、みなさんがたに提出していただく課題レポートなんかも、このスタイルでいいと思います。
 ビジネス・スーツは〈実用文のスタンダード〉、つまり私たちがこの講義で勉強する「事実をのべる文章」の〈基本〉だと考えてください。

 それでは、みなさんに一つ質問しましょう。例文Cはファッションにたとえる何でしょうかね? はい、ニ列目の右から3人目の貴女! 分からない……って顔してますね。いいですか。フォーマルがありましたね、それからビジネスがあった。もうひとつ大きなアイテムかあるでしょう。例文Cをよくみてください。日常会話に非常に近い文体ですよね。ごくラフなスタイルです。
 カジュアル……。
 はい、カジュアルと答えてくれた貴女、Gパンに薄手のセーター、それにブーツだよね。例文Cは、アナタのファッションそのものです。Gパンやパンツにブルゾン、あるいはTシャツ、セーター、それにスニーカーを履いている。そういうごくラフなスタイル、つまりカジュアル・ルックにたとえて考えることができるのです。
 こういう文章のスタイルは、みなさんがたに非常に親しまれているようです。きっと自分たちの言葉で話しかけられているような親しみを感じるからでしょうね。だから、こういうスタイルは、雑誌のコラムとか、みなさんがたの日常にそくして考えれば、学園祭の案内文とか、親しい友だち同士の手紙とか、そういうカジュアルな場面で使う文章だと考えておけばいい。

 そういうわけで、「事実をのべる文章」というものには、「フォーマル」「ビジネス」「カジュアル」という三つのパターンがある。そのなかでは、あくまで「ビジネス」が基本です。それが〈改まる〉と「フォーマル」になり、〈気楽〉にくつろぐと、「カジュアル」になるというわけです。
 書こうとする文章の目的、主題、あるいは対象とする読者によって、この三つのパターンを自由自在に使い分ける。それが〈いい文章〉を書く秘訣というものです。
 あれあれ、話が少し理屈っぽくなると、みなさんはすぐに眠くなるようですね。困りものだ。全くのところ……。それじゃ、少し眼の覚める話をしましょうか。
いいですか。みなさんがたが、一年のうちに何回か書かされるであろう「課題レポート」、あれは、いったい、どういうスタイルで書いたらいいのか? お話ししておきましょう。
「いまの若いモンは文章が書けない!」
 耳にタコができるほど言われてきたでしょう。でもね。気にしない、気にしない。実はボクたちだって、みなさんがたと同じころには、言われてきたのだからね。そういう意味では安心していいよ。
 しかしね。みなさんがたにも、ちょっと考え直さなければならない点が一つだけある。それが先に言った「三つのパターンの使い分け」にかかわる問題です。
 みなさんがた学生、あるいは若い世代の人たちは、無意識のうちにカジュアルな文体をつかって文章を書いてしまう場合が多い。ほんとうはビジネスなスタイルで書かねばならない「課題レポート」や「公用文」なんかもカジュアルなスタイルで書いてしまう。それで中高年の口うるさいオジさんやオバさんたちから、「今の若い者は文章が書けない」、あるいは「手紙一本も書けない」なんて、嫌みを言われるはめになるんだね。
 なぜかと言いますとね、いまの中高年層というのは、だいたいビジネスのスタイルでしか読み書きしてこなかった世代なのです。だからみなさんが無意識に書いたカジュアルなスタイルの文章をみると、非常にこどもっぽくみえてしまうというわけなんです。でも、このスタイルがダメだとは言いません。書く対象さえまちがわなければ、カジュアルなスタイルを使ってもよろしい。
 さて、「課題レポート」は、どのスタイルで書いたらいいのか。あらためて繰り返さなくてもいいでしょう。実用的な文章はあくまで「ビジネス」が基本です。つまり普通の文体で書くということです。どういうことかと言いますと、「くずさない」で「しっかり」書くということ、これが原則です。
 さて……と。服装の話になるけど、みなさんはカジュアルだけれど、ボクはスーツにネクタイ姿のビジネスなんだよね。これって、どこか逆じゃないの。なんでだろうね。古い? そうか、そういう考えって、古いのか。大学は学生が中心だというわけかな。
 スーツを着て、ネクタイなんか結んでいるよりも、たしかにジーンズにブルゾンやシャツのほうが楽だよね。でも時と場所を考えなければならない。文章の話だよ。いくらみなさんでも結婚式や葬式にジーンズではゆかないでしょう。現実に会社訪問のときは、ちゃんとリクルートスーツなるものを着てゆくわけですから……。文章の世界でも同じです。「くずし」方が度をすごすと、悪ふざけ、下品さを感じさせる文章になってしまいます。
 三つのパターンを上手く使い分けること。崩して書くときは「時」と「場所」「程度」を、よくわきまえること。今日の講義で私が言いたかったのは、その2点につきます。


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(C)Takehisa Fukumoto 2001