第7講 ひとつの文で いくつも言わない!

 今回もみなさんの文章の一部を使ってお話しします。前回は5人の方を血祭りにあげました。今日は6人ぐらいが生贄になります。覚悟してください。何? 独りで楽しんでるって? はい、半分は当たってます。でも、半分はね、みなさんの文章がさらによくなるようにと心から願いつつ話してます。本当ですよ。前回につづき今回お話することは、文章を書くうえでのコツというか、細かいテクニックみたいなもだと考えてください。

☆ひとつの文章で、いくつも言わないこと
 それでは最初に【文例06】を読んでください。この文には、いくつかの問題があります。どこが問題なのか、考えながら読んでください。
【例文06】

 いつもみんなバカなことをやってたけど、将来のことや、就職のことを聞いてみるとみんなちゃんと考えているし、相談するとちゃんと聞いてくれるし、みんないろいろ考えているんだと思ってやっぱり友達はすごく大切なんだと改めて思うこともあった。
(筆者:T・F)

 どうですか? 例文に引用したこの文は、ワンセンテンスなんです。スゴイですね。ひとつの文章で、いろんなことを言ってますよ。ちょっと数えてみましょうか。(1)馬鹿のことをやってる。(2)将来のこと、就職のことを考えている。(3)相談すると聞いてくれる。(4)いろいろ考えている。(5)友達は大切なんだ。

 数えてみると、5つのことを一つの文にぶちこんで、「けど……」「……し」「やっぱり」でつないでいる。それが例文06の特徴です。非常にだらだらして、しまりがないでしょう。それに非常にわかりにくい。だから逆に言うとね、この文例には、文章を書くための重要なヒントがあるということです。

 つまり、話をわかりやすくしようと思ったら、「出来るだけ短く」書きなさいというわけです。1つの文章でいくつものことを言わないこと。いいですか。そのために「……し」とか「……ので」とか「……が、」とかで、やたらと繋がないように……。

 【文例06】には、さらにもうひとつ問題がありますよ。解りますか? 重複が多いでしょう。「みんな」が3か所、「ちゃんと」が2か所もでてくる。ひとつの文章に、こんなのが何回も出てくる。あまりにも無神経すぎる。そういう意味でも失格です。もう少し。言葉使い方に変化をつける必要もあります。そういうわけでね。ルール違反を承知で、書き直してみました。次の例文をよく見てください。
 みんなバカなことばかりやってたけど、将来のこと、就職のこともちゃんと考えている。相談すると、まるで自分のことのようにマジメに聞いてくれる。それなりに考えているんだな。友達というのは大切なんだと改めて思った。

 4つの文に整理してあります。どうですか? これで少しはすっきりしたでしょう。文章は出来るだけ短く書くこと。短いほうがいい。そして長い文の後に、ちょっと短い文を入れる。短い文の後には、長い文を入れる。変化をつけること
も必要です。

☆テンの打ち方にも気をつけろ!
【例文07】

 もちろんそんなことを考えるのは縁起でもないことはわかっていたがその時の私には目の前に見た祖母の姿が強烈に印象に残っていて帰りの車のなかで暗闇に過ぎてゆく街頭を見ながら不安な気持ちに襲われた。(筆者:K・H)

 【例文07】はどうですか? この文、よく見てください。読点、つまり「テン」がひとつもないでしょう。ベターと繋がっているんです。実際に、こういう文を書く人がいるんですね。ちょっとビックリしました。

 昔はテンもマルも打たずに文書を書く人がいました。日本語というものには、もともと句読点という考え方がなかったんです。戦前の日本人の文章がそうです。テンもマルもありませんでした。今でも毛筆をつかって巻紙に手紙を書くとき、テンもマルも打ちません。昭和10年代の新聞でも、マルは打っていません。だからお年寄りのなかには、句読点を打たないで文章を書く人がいても、何の不思議もないのです。

 けれども現代に生きている私たちは、「テン」も「マル」もビシーツとつけなければいけません。マルをつけるのは簡単でしょう。英文のピリオドと同じですから、文の終わりにつければ良いわけですからね。むずかしいのは「読点」つまり「 、」の打ち方のほうです。ひとつの文のなかで、どこにテンを打つか、これは誰でも迷います。ぼくもいまでも、よく迷います。なぜか? 読点の付け方というものに、原則というものがない。だから、迷ってしまうのは、あたりまえなのです。

 いちばん簡単な方法、教えましょうか。それを聞いたら、みんなは、おそらく「な〜んだ!」というだろうけどね。いいですか。はい、もったいぶらないで言いましょう。声に出して読んでみる……ことです。声に出して読んでみて、言葉の区切りが不自然でないかを確かめて決めるというわけです。そんなの答えになってない?……って。そかもしれないね。でも、ダマされたと思って、一度やってみてください。なかなか良い方法だということが解るはずです。

 読点の打ち方で気をつけなければならないのは、打ち方によって意味がまったくちがってくる場合です。たとえば、次の一文の場合、どこにテンを打ちますか。

 「金八先生は泣きそうになって走り出した生徒を追っていった」

 テンをどこに打つかによって、意味が全然ちがってきますよ。分かりますか? テンを打つべきところとして二か所が考えられます。誰か実際にテンを打ってください。革つなぎを着てる貴女、渡辺さんでしたかね。おねがいします。チョークはここにありますからね……。別に思案するするほと問題ではないでしょう。はい。前に出てきてください。貴女の乗ってるバイク、あれがナナハンというの? えっ、250cc……か。それでもスゴイね。ヘルメットの下から長い髪をなびかせて、ぼくのクルマをビュッと追い抜いていったのだからね。はい、ありがとうございました。それじゃ、みなさん、黒板をみてください。

 金八先生は、泣きそうになって走り出した生徒を追っていった。

 金八先生は泣きそうになって、走り出した生徒を追っていった。

 どうですか最初の例と次の例とでは、全然意味がちがうでしょう。「泣きそうになった」のは誰かという問題です。最初の例では生徒が泣きそうになっている。次の例では、金八先生が泣きそうになってるでしょう。テンをどこに打つかで、これだけ違ってくるんです。こういう場合はとくに注意してください。

 読点というものは文章を分かりやすくするための道具です。わかりやすくする。読みやすい文章というものを考えた場合、「テン」と「マル」は、1行=20字のなかで、一つから二つまでというところでしょう。そして1センテンスの長さは3行=60字というところが目安でしょう。それ以上長くなると、読みにくくなります。

 というわけで【文例07】の文、どこにテンを打つか。書き直して文をみてください。だいたいこの4か所ぐらいになると思います。
 もちろんそんなことを考えるのは、縁起でもないことはわかっていたが、その時の私には目の前に見た祖母の姿が強烈に印象に残っていて、帰りの車のなかで暗闇に過ぎてゆく街頭を見ながら、不安な気持ちに襲われた。

☆はっきりさせよう! 主語と述語の関係を……
【例文08】

 あんなボロボロの骨になり、きれいだったおばあちゃんがいないと言う気持ちは、鳥肌立つほどのショックでした。筆者:T・N)

 【文例08】どうですか? 分かりやすい文章だといえますか? 分かりにくい……って? みなさん、そう思いますか? はい、わかりました。どうして、分かりにくいのか。考えながら、もういちど読み直してください。

〈気持ちは〉〈ショックでした〉というのは、明らかにおかしいでしょう。主語と述語の関係が完全にこじれちゃってるぞ。大変だね。修復するのが……。男と女の関係も、行き違うと修復が大変だな。たとえば最近の週刊誌やテレビのワイドショウで連日取りあげられている某大物俳優の離婚問題なんか、ありゃ、どうにもならないって感じだね。そうは思わないか? あれあれ、ためいきをついてる娘がいるぞ。おい、おい、その歳で……、心当たりあるのかよ。まいったな。悩みの相談室……じゃないだからね。自分の世界にこもらないように……。

 はい、プリントをみてください。主語と述語の関係がまるで混乱状態です。内容的に、それほど気持ちが動顛していた。混乱しているのはそういう気持ちの現れなんだ……と、言いたいのかもしれないけど、書くうえでは、きちっとした文にしなければいけませんよ。主語と述語の筋をちゃんと通す。そうしなければ文にはならないのです。

 ショックを感じたのは、書き手の〈私〉であって、〈気持ち〉ではありません。きれいだったおばあちゃんが、火葬されてボロボロの骨になってしまった。そのことに〈私は〉ショックを覚えた。この2つの内容が、1つの文ぶちこまれた結果、混乱してしまったのです。筋の通ったセンテンスにしようとすれば、全体をおおきく変えなければならなくなります。あまり言葉遣いを変えないで、書き直したのが次の一文です。はい、よおく見てください。
 あんなにきれいだったおばあちゃんが、ボロボロの骨だけになってしまった。私は鳥肌立つほどショックでした。

 どうですか? もとの文を2つに分けて、後半の部分を独立させ、主語と述語の関係をきっちりつけてあります。このようにしてようなく首尾一貫した文になるというわけです。男と女の関係というのはむずかしい。あれっ、ちがった。主語と述語の関係だったな。とにかく、こいつらをうまく関係づけるというのは、けっこうむずかしい作業なんだね。しかも長い文章を書けば書くほど厄介になります。どうしたらいいか? かんたんです。短い文章を書くことを心がける。そうすれば自ずとそういう失敗をおかす危険性はなくなるというわけです。

 できるだけ〈短く書く〉こと。そうすればケガがありません。けれども、書けば、どうしても長い文章になってしまうという人もいます。人それぞれに性格というものがあるように、体質的に長い文章を書く人もいます。そういう人は、とくに
「筋を通す」というところに気をくばってください。

☆いらない言葉はいらない!
 【例文09】を見てください。どこに問題があるか、一目で分かりますね。
【例文09】

 私は私の母の母、私の祖母がなくなったということを、今も鮮明に覚えている。(筆者:M・S)

 こんなに短い文に〈私〉が3回、〈母〉が2回も出てきてます。ものすごくムダの多い文だとは思いませんか。同じような例をもうひとつあげておきましょう。これもすごいですよ。

 「不意をつかれたその言葉に私は、一瞬言葉を失った。その言葉は、いつも私 が言って いた言葉なのである。」

 どうですか? 例文09といい勝負でしょう。〈言葉〉が4回も出てきますよ。〈私〉も2回出てくる。それから「言っていた言葉」という言い方はないですよね。非常にムダが多くて、スッキリしないセンテンスです。

 前回の講義で「舌足らずはダメ」と言いましたが、ムダの多い、不必要な言葉がやたらとある……というのもダメです。言いたいことを、出来るだけ簡潔に表現する。これが分かりやすい文章、シンプルな文章に繋がってゆきます。シンプルな文を書くために、省略できる言葉は、出来るだけはぶく。必要最低限の言葉で表現する。こいつが鉄則になります。それでは、【例文09】を誰か、黒板に書き直してください。

(私は)母方の祖母がなくなった日のことを、いまでもはっきり覚えている。

 ありがとうございました。完璧です。こういうふうに不必要な言葉はできるだけ省略しましょう。そして同じ言葉を繰り返さずに、表現に工夫して変化をつける。いいですね。それから日本語の場合は、ほとんど「主語」は省略できます。いちいち「私」とか書かなくても分かる場合、主語を省略したほうがいいでしょう。むしろ、そのほうがキビキビした感じが出ます。「私は午後8時に東京駅に着きました」という文の場合、〈私は〉をはぶいても、分かりにくくなるということはありません。だから省略できるということです。絶対に「私は私の……」なんて、書かないようにね。それって、何か外国語を直訳したような感じでしょう。

☆やたらと接続詞をつかわない!
 それでは【例文10】をみてください。ここでは「接続詞」を問題にしています。どんなふうに問題になっているのか、考えながら読んでください。
【例文10】

 彼の欠席は増え続け、授業中に配られるプリントは机の中にたまっていった。毎日のように彼の家へ電話して、言づてをして切った。それでも、彼からの連絡は何もなく、3カ月がすぎた。
 毎日のように電話していた私も、半分あきらめ始めていた。そして彼への愛しさが、憎らしさ変わっていくのを感じた。そして私たちの終わりを告げるベルが鳴った。(筆者:M・S)

 「それでも」と「しかし」(2か所)を問題にしているんです。内容的にこの文章は、なかなか読ませるんです。でも、ちょっと考えれば、さらによくなります。まず2行目の「それでも」というのは、まったく意味がないでしょう。前後の関係でみても、それほど大きな役割を果たしていない。はっきり言って、浮きあがっています。「そして」も同じでしょう。あっても、なかっても、別にどうということはない。そしたら、要らないということです。ちがいますか? そこで「それでも」「しかし」を思いきってカットしてしまいます。そのうえで書き直したのが次の文章です。

 彼の欠席は増え続けた。授業中に配られるプリントは机の中にたまっていった。毎日のように彼の家へ電話して、言づてをして切った。
 彼からの連絡は何もなく、3カ月がすぎた。毎日のように電話していた私も、半分あきらめ始めていた。彼への愛しさが、憎らしさ変わっていくのを感じた。
 とうとう私たちの終わりを告げるベルが鳴った。

 最後の1行は時間的な経過をはっきりさせるために改行しました。つまり「それでも」と「しかし」を削除して、一部分だけ改行したというわけです。2つの文章を読み比べてください。何の問題もないでしょう。むしろ書き直しの文章のほうがリズムとテンポがいい。だったら、最初からこれらの接続詞は必要でなかったというわけです。

 言葉はできるだけ少なくすること。そうすれば自然にシンプルな文になります。文例でみたように、よけいな接続詞は削除したほうが引き締まる。みなさんがたの文章をみてますと、「そして」「それから」「しかし」「また」などという接続詞をかなり使ってますね。どうしても必要なときいがいは、省いたほうが断然よくなります。とくに、クセみたいに接続詞をやたら使うのはやめてください。

☆やたらと副詞を使わないで!
 最後に【文例11】をみてください。スゴイですねえ。なぜスゴイのか? まあ、一読してから考えてもらいましょうか。
【例文11】

 いつもバカ騒ぎしているけど、私にとってすごく大切な友達だった。
 一緒にいるときはすごく楽しくて、本当にいつも笑いがたえなかった。マックスの物真似がすごくうまい子や、軍歌とか歌い出しちゃう子や、妙に面倒見のいい子など、みんな個性がばらばらだったけど、すごく気が合っていた。 (筆者:S・E)

 答えは「すごく」という副詞が、こんな短い文章に4回も連発されているからです。そのうえに「本当に」なんでオマケまでついている。まるで副詞さまのオンパレードです。これだけあるとイヤミというほかないでしょう。

 副詞はあまり使わないこと。いいですか。「とても」「非常に」「ほとんど」「あまり」「本当に」などという副詞を、みなさんはよく使いたがります。使うな……とはいいませんが、やたら連発しないでください。使うときは、よく効果を見定めてから使うこと。不用意に使うクセがつくと文章全体が安っぽくなります。

 この例文も「すごく」というような副詞がないほうが簡潔で、文章自体も品格があがりますよ。不必要な副詞は使わない。いいですね。

 今回はものすごく「マジメ」な話ばかりしてきました。ちょっと話がマトモすぎて、面白くなかったかもしれないけど、非常に大事な、そしてタメになる話をしたつもりです。そんなわけで、ちょっと疲れましたから、これで終わりにします。質問がたくさん残ってしまいましたが、すべて次回以降にまわしです。はい、それじゃ、お終いです。


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(C)Takehisa Fukumoto 2001