第11講 下ごしらえ も 手をぬかない!

 私の生まれた家は京都で生菓子の製造販売をやっていました。京都にはたくさん生菓子屋さんがあります。全国的に有名な生菓子もたくさんあります。私のところは、そんなんじゃなくて、街の小さなお饅頭屋さんでした。両親だけで商売をやってましたから、私はこどものころから、よく手伝わされました。お菓子やというのは、だいたい、みなさんが休む日が忙しいのです。正月前とか、お祭りの日とか、5月の連休とかね。目がまわるほど忙しいんです。でも私はいつも店の手伝いをさせられて、遊びにゆけなかった。だから恨みましたね。それはともかく、私は生菓子や餅をさわらせたら、今でも職人で通るかもしれません。

 質問ですか? はい、なんでしょうか。文章の話と何の関係があるのか……って? はい、はい。そんなに慌てないでください。私はマクラを振るために、私の生家の話をしているのではありません。今日の講義内容にそくして、ちゃんとお話しています。そのうちに分かりますから、まあ、急がないで、黙って聞いていてください。

 生菓子というのはぜんぶ手仕事なんですね。親父が饅頭をつくるのをみていると、まさに名人芸でしたね。ものすごく手早いんです。ネタを左手にまるめとったかと思うと、手のひらで伸ばし、次に瞬間には右手のヘラですくいとったアンコを入れて包んでいる。ネタをとるのも、アンコをすくうのも、すべて目分量なのですが、出来上がりの大きさも重さも、まったく同じなんです。秤ではかると、1グラムのくるいもなくて、びっくりしましたね。こりゃ、かなわないなあ……と思いましたね。

 でもねえ、そこまでゆくには、入念な下ごしらえがいるんです。下ごしらえがものすごく大切なのですなのです。まずアンコに使う小豆ですが、オヤジは丹波の大納言でなくてはダメだというんです。私はオヤジが丹波の農家へ仕入れにゆくのに同行させられましたよ。オヤジは小豆の色をみたり、粒をよりわけたおして、丹念に吟味して品物をえらんでおりました。餅米とか、つくね芋とかは、口に含んだり、噛んだりして選んでいました。そうして納得したものだけを仕入れてくるのです。

 とどいた小豆は、さらに粒を選って、水に漬けておく。そうして水面に浮いてくるものはすべてアウトにしていました。こういう入念な下準備があってはじめて、手の感触だけをたよりに猛スピードで饅頭を造るという熟練の技術が生きてくるんですね。

 別にそんな面倒なことをしなくても、雑穀やさんから適当に買ってきた小豆を使っても、出来上がった生菓子そのものの外見は、変わらないかもしれない。けれども味の深みというものは比べようがないほどちがうんです。

 文章も同じことなのです。実はこれが言いたかった。準備というか基礎的な下ごしらえがいります。文章がうまくなるためには、どういう下準備をすればいいのか。とりあえず3つだけあげておきましょう。

 第1は「読む」ことです。みなさん、何でもいいですから、読んでください。自分がいいと思う本、おもしろいな……と思う本、何でもかまいません。自分が好きだと思う書き手や作家の書いたもの、あるいは好きな文章がみつかったら、繰り返して読みましょう。それから、ベストセラーばかりでなく、自分の世界とあまり関係のないと思われる本もたまには読んでください。きっと新しい発見や出会いがあります。

 それから新聞を読んでください。たとえば「漢字」と「カナ」の使い方なんかは、新聞が非常に参考になります。新聞は小学校の高学年ぐらいでも読めるような表現になっています。常用漢字しか使ってありません。だから、どういう言葉を漢字で書いて、どういう場合のどういう言葉は漢字でなくてカナで書くのか。これがよく分かります。〈送りがな〉なんかも新聞を参考にするといいでしょう。字面がどのようになっているか……ということに、よく注意しながら新聞を読むと参考になります。

 第2は眼で「見た」もの、印象に残ったもの、「考えた」こと、これらを文字で書き表してみる。風景でも人物でもなんでもいいのです。それらを字で書き表してみる。美しい風景なんかを文に書いてみる。これらも文章上達のひとつの方法です。私なんかは小説書きですから、たえず人に会っても、この人はどういうふうに書けばいいのだろうか? 特徴をどういうふうに表現したらいいのだろうか。いつも、そんなことを考えています。

 第3は書く「習慣」をつけることです。いつも何かを書いている。みなさんは作家でもジャーナリストでもないから、なかなかむずかしいかもしれませんがね。たとえば日記をつけるというのはどうでしょうかね。日記といっても別に、ちゃんとした日記帳に書かなくてもいいのです。ノートでもメモ帳でもいいし、日程表、もらい物の手帳でもよろしい。かんたんにその日の出来事なんかを書いておく。たとえばレストランで食事をした。洋服を買った。そのときの値段なんかも書いておくんです。それらは何年かたつと値打ちがでてきます。そして、そういうことを繰り返しているうちに、「書く」ということが億劫ではなくなってくるはずです。

 日記をつけるというのは、文章の練習という意味あいだけではないんです。そんなものを書いても、たいして意味がないと思うかもしれないけどね、そういう日記を10年後に読んでみると、これは面白いですよ。ああ……あのころ、私は、そんなことを考えていたのか。バカやってたなあ……とかね。年月がたつほど値打ちが出てきます。その結果、文章が上達すれば、これはもう願ったりかなったりだと思うんですがね。さて、いかがなものでしょうか。

 たとえば、もう亡くなりましたが池波正太郎さんという時代小説の作家がいましたよね。みなさんもご存知でしょう。『鬼平犯科帳』なんかテレビでもやってました。あの原作者です。有名な話ですが、池波正太郎さんは、食べ物だけの日記を書いていたそうです。毎日、何を食べたか。それだけを何十年を書いていたのです。旨いと思った料理には印しをいつけてある。レストランなんかで食事をしたときには、場所と同席者も書いてある。

 テレビで「鬼平」を観たことにある人なら分かるでしょうが、毎回のように食べ物の話が出てきます。みんな、その季節ならではの旬のもので、どれもこれもとても旨そうなんですね。「鬼平」だけでなく、ほかの作品、たとえば『剣客商売』なんかも同じです。やはり料理や食べ物の話題がかならず出てくる。それが、みんな、いかにも旨そうに描写されている。これは、ひごろの日記によるところが大きいのではないかと思います。

 私の知り合いのある人は、最近パソコンを購入しましてね。いまごろ遅い……と、言われれば、その通りなのですがね。でもね、かなりの年配者ですから、その人にすれば、かなり思いきった決断なのです。それで、パソコンに慣れるためには、やっぱり「1に練習、2に練習」ですから、出来るだけ毎日のように触れたほうがいい……と、いうわけで「パソコン日記」を書き始めたというんですね。ワープロソフトに慣れるために日記を書くというのは、本末顛倒のようですが、動機はどうでもよろしい。パソコンも使えるようになった現在では、自分史を書こうと意欲を燃やしていますから……。

 質問ですか? はい、何ですか? ぼくは何か日記みたいなものを書いてるのか……って。実のところ、昔から日記はつづいたことがないんです。でも、ひとつだけ、現在も進行中のものがあります。何か……というと競馬日誌です。もっと厳密にいうと、「馬券日誌」です。競馬は毎週土・日に開催されますが、どのように推理して、どんな馬券を買ったか。そして、結果はどうだったのか。できるだけ克明に書き残しています。ホームページの「週間日誌」で、そのダイジェストを発表していますから、興味があればのぞいてください。ぼくにとって「馬券日誌」は、いわば「失敗の記録」という側面もあります。

 今の時代だったら、パソコンのスケジュール管理ソフトなんかを利用してもいいでしょうね。なんとか日記というアプリケーションもあるでしょう。ノートなんかよりも、そういうツールのほうが、手軽に書けるかもしれない。日記というものをフレキシブルにとらえて、それぞれ自分のやりやすい方法というものを考えてみたらいいのではないかと思います。みなさんは作家でもジャーナリストでもないわけですから、いつも何か書いているわけではない。そういうわけで「書く習慣」というか、気軽に何かを文章を書く……というキッカケみたいなものがどうしても必要になります。自分好みの日記をつけるというのは、どうでしょうかね。


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