第12講 ピンボケにならないように!

 みなさんカメラ持ってますか? はい。いいんです。わざわざバッグから出さなくても……。みんな持って歩いているんだ。もっとも最近はコンパクトカメラだけでなく、使い捨てのカメラなんかもあって、どこにでも売ってるからね。はい。カメラは仕舞ってください。講義には使いませんから……。なぜ、カメラを持っているか……と訊いたかといいますとね、「写真を撮る」というプロセスは、ある意味で「文章を書く」極意に通じるものがあるという話をしたいからなのです。〈書く〉という行為そのものが、写真を撮るのと非常によく似ている。写真と文章の共通点が今日の講義のテーマです。

 さて、本題にはいるまえに「質問」を、ひとつだけかかたずけておきましょう。実はみなさんからたくさんの質問カードがとどいています。全部にお答えするつもりですが、あるいは時間がなくなってしまうかもしれません。だから、こうして、気紛れにというか、思い出したときにポツリポツリとお答えしておこうというわけです。

 まずは最も基本的な質問からとりあげましょうか。それじゃあ、読みますよ。
「文章を書くのに、筆記用具のほかに、必要な道具とか、ありますか?」

 文章を書くための7道具みたいなものはあるのか……という質問ですが、〈ある〉に決まってます。よく、こんなトボケた質問をしゃあ、しゃあと出来るもんだね。質問者の顔がみたいよ。水上摂子さん……、ああ、名前を言っちゃった。でもね、少なくとも、この人は素手で文章を書こうとしていない。そういう姿勢は、なかなか良いですよ。何? 名前をバラしたから、罪滅ぼしにフォローしたんだろう……て? さすが鋭いですね。

 文章を書くためには最低でも、次の3つの道具をそろえてください。「国語辞典」、「英和辞典」、「用字辞典」あるいは「漢字用例辞典」です。かならず机のかたわらに置いておいてください。「国語辞典」は何でもよろしい。自分の使いやすいものを選んでください。「英和辞典」は、みなさん持ってますよね。英語の授業があるはずですから……。現在つかっているものでいいでしょう。

 3つめに挙げた「用字辞典」(あるいは「漢字用例辞典」)、これはどうして必要なのか? みなさんもよくご存じでしょうが、日本語には同音同訓の漢字がたくさんあります。同じ読みの漢字でも、意味に応じて使い分けなければならない。たとえば「とる」という言葉を例にとって考えてみましょうか。ワープロで文章を書いている人、たくさんいますね。それじゃ、いちど「toru」と入力して、「変換キー」をたたいてみてください。変換候補の漢字が何種類出てきますか?

 それでは答えを先に言っちゃいましょう。全部で10種類です。「撮る」「獲る」「盗る」「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「穫る」「録る」

 同音同訓の漢字がこれでけある。同じ「とる」でも全部意味がちがうわけです。それぞれ、どういう場合に、どれを使ったらいいのか。まちがった使い方をしないように心がけなければならない。そういうときに「用字辞典」「用例辞典」の出番がまっわってくるのです。どういうときに、どの漢字を使うのか……が、具体例で書いてあります。

 そのほかには「漢和辞典」「外来語辞典」「歳時記」もあれば便利ですね。これだけあれば完璧です。とにかく、これらの辞書をうまく使うこと。自信のない言葉にぶつかったら、辞書をこまめに引くという習慣をつけておくと、言葉のセンスも自然にみがかれてゆきます。

 「漢和辞典」と「外来語辞典」は解るけど、「歳時記」は何につかうのか? はい、良い質問です。「歳時記」というのはね。何も俳句をひねるお年寄りだけのものじゃないんです。みなさん「手紙」書くでしょう。ポスペのE-Mailだけでなく、たまにはキティちゃんの封筒やレターペーパーをつかって手紙を書くこともあるでしょう。「歳時記」は、そのときに使いましょう。いいですか。「歳時記」や「季寄せ」をめくってみると、よくわかると思いますが、「新年」「春」「夏」「秋」「冬」……。それぞれの季節に、かならず「時候」という項目があります。手紙は「時候のあいさつ」で始まりますが、そのとき「歳時記」の〈時候〉のところから、気の利いたフレイズをひっぱってくる。そして、相手を〈あっ〉と言わせてやるというのは、どうでしょうか? 試しにいちどやってみてください。

 それじゃ、今日の本題にいきましょう。さて、何をやるつもりだったのかな。そうだ。写真と文章の共通点について……だったよね。〈書く〉というのは、ある意味で写真を〈撮る〉という行為とよくにている……と。

 写真をとるときに、いちばん大事なのは何でしょうかね。ピンボケにならないこと。はい、そのとおりですね。いま、誰かが言ってくれたように、ピンボケにしてはいけない。そのために距離を合わせ、露出を合わせなければならない。あたりまえのことですね。もっとも最近ではオートフォーカスのカメラがありますから、すべてカメラにお任せで撮れます。でも、オートフォーカスでもピンボケはありますよ。フォーカスのスポットが対象とする被写体からズレていたり、カメラがを支える手がブレていたら、ピンボケになります。

 余談だけれども、ぼくの知り合いに、すごい人がいましてね。オートフォーカスでバッチリ撮っても〈ピンボケた〉といって、サービスサイズのプリントを持ってきたのです。ツーショットの写真でしたがね。人物は完全に2人ともピンボケでした。けれども、後ろの壁だけが細かい模様まではっきりと映っている。どうやら、その人は被写体の人物ではなく、後ろの壁にオートフォーカスのポイントを合わせてしまったらしい。フォーカス・ロックというのを知ってるか……と訊くと、ポカンとしてましたから、また同じ失敗を繰り返すでしょうね。

 マニュアルで撮った場合はもちろん、オートフォーカスの場合でも、焦点をキチッと合わせておかなければいけません。文章の場合にあてはめて考えてみましょう。文章の場合のピンボケというのは、どういうことなのか。テン、マルを打
ちそこなった。主語と述語の関係が分からない。形容詞がヘンなところにかかってしまって、ほとんど意味不明の文章になってしまった。こういうのがピンボケの文章です。そんなわけで文章の場合も、ピントがキチッと合って、細かいところまで見えていなければならない……と言いたいわけです。

 2番目に大事なのはフレーミング(構図)でしょう。眼にみえるすべての風景のなかから、どこから、どこまでを撮るのか。ファインダーという四角いワクで、どこからどいこまでを切りとるのか。眼にみえるものすべてをカメラで撮ることはできないわけです。もっとも魚眼レンズや広角レンズというのがありますから、できないことはありません。けれども、それらを使うのは特殊な場合です。その場合でも撮影目的がビシッと決まっていなければ、何を撮ろうとしたのか、さっぱり解らないテーマ不在の写真になってしまいます。

 写真を撮るだけなら、サルでも撮れます。いい写真かどうかの問題を別にして考えればね。オートフォーカスのカメラなら、サルでも撮れますよ。でも、ちゃんとした「いい写真」を撮ろうと思えば、自分が感動した部分、〈これを撮ろう〉というネライが決まっていなければダメでしょうね。つまり眼にみえる光景のなかで、自分は四角いワクで、どこからどこまでを切りとるのか。これで〈出来〉〈不出来〉が決まってしまいます。

 写真の下手な人は、構図をきめるのが下手なようです。どの角度から撮ったらいいのかということをあまり考えないでバシャッとシャッターを押してしまうようです。だから文章の場合も、自分はどういう角度から物事をみているのか。あるいは考えているのか……をたえず意識してチェックしてください。作文でも論文でも、随筆でも紀行文でもすべて同じです。

 3番目は何を写すかです。つまり被写体の問題です。ピントがビシッときまって、構図もしっかりしている。でも、現実に映っている被写体が平凡だったら、つまらないでしょう。誰も興味をしめしませんよ。

 最近、みなさんはよく海外旅行にゆきます。そしてワンサと写真を撮ってきます。そんなのをよく見せてもらうのですが、本人が感動しているわりに写真そのものはつまらないものが多いんですね。ハワイだとか、オーストラリアであるとか、アメリカ西海岸、中国の桂林であるとか……ね。たしかに絵はがき的にきれいな写真もあります。けれども本物の絵葉書には絶対とどかない。どこといって特徴がなくて平凡、観光案内なんかでよく眼にする風景なんかだったりすると、本人は得意な顔をしているけれども、こちらはそれほどおもしろくない。文章も全く同じことなのです。つまり、どういう事実に眼を向けるているのか。これが最初で最後の大事な問題になります。ものの見方、考え方にふれる問題ということになりますね。

 今日は写真を撮るという行為にたとえて、文章を書くうえでの原則をお話してきたわけですが、とにかく主観におぼれてはいけない。主観的で独りよがり、自己陶酔型の文章を書いてはいけません。

 独りよがりの文章・自己陶酔型の文章というのは、どういうものかというと、「つらかった」「うれしかった」とか「悲しかった」とか「いやな気がした」とか、そういう主観的な言葉を多用して、ほとんどそういう感情だけで書いた文章です。そうではなくて、自分の眼でとらえた「事実」を連ねて、客観的な事実で語るというのが、実用的な文章を書くうえでの大きなポイントになります。

 まず事実にしっかりと眼をむけること。事実をとらえることが出発点になります。できれば面白い事実を自分の眼でたくさんみつけてほしいと思います。どういうモノ、どういう事実に自分は触れたのか。それをよく考えてみる。いい文章を書くには、事実をとらまえる訓練、誰もがうっかり見過ごしていたり、誰の眼にもみえていなかった事実をつかまえる訓練を粘りつよくつづけることが必要だと、最後に声を大にしておきましょうか。


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