補講1 自分をみつめる、もうひとりの自分!
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私の「文章講座」はいちおう14回をもって終わりましたが、何回か補講をやってくれという依頼がありました。補講というのは普通、講師のほうが何か自分の都合で講義をサボったりなんかしたとき、そのアナ埋めの意味あいでやるものですが、ぼくはいちども休講したことがない。それにもかかわらず「補講をやってください」と教務のほうから、たっての依頼がありましてね。コンサートでいうところのアンコールのノリで何回かやることにします。 参考のために言っておくと、私の講師料は1回=1万円なんだ。たった1万円だよ。交通費は出ているけど、学食で昼メシをくってコーヒーを飲めば、それで1千円は軽くとんでゆく。源泉徴収されて実質手もとに残るのは、8千円というところだけど、まあいいか。こうなったら腹をくくってトコトンやりましょう。 腹いせというわけではありませんが、この補講では、課題としてみなさんに提出していただいた作品を、できるだけとりあげてゆきます。いいですか。毎回、誰かの作品を血祭りにあげてゆこうというわけです。あれ、あれ、他人事みたいに笑ってるけど、いいのかな。 今日とりあげるのはポーク・巻さんの「病は病院から」という作品です。プリントを配りますから、ざっと目を通してください。筆者のポール・巻さんというのはもちろんペンネームです。今日もこの教室のどこかにいますよね。そのポーク・巻さんにあらかじめ申しあげておきましょう。いいですか。これからぼくはアナタの作品を思いっきりホメたり、ケナしたりします。90分間さらし者です。覚悟してください。 でも……いいですか。ぼくの言うことに納得できるところがあれば大いに参考にしてください。コイツはマトはずれだな……と思う部分は、あっさり忘れてください。耳をかたむけるのは、自分に都合のいいところだけでよろしい。みなさんもいいですか。作品批評というものは、いつも、そういうふうに受けとめてもらってけっこうですよ。
短い作品だから、もう読みましたよね。そいじゃ、始めましょう。ざっと読んでみて、みなさんどうですか? いわゆる第一印象というやつです。はい。誰か、率直なところを聞かせてください。むずかしく考えなくてもよろしい。はい、いま携帯電話が鳴って、あわててOFFにしたアナタ……。 筆者はダンナさんがいるんですか? ぼくに聞かれても答えようがない。だけど作品の文面からすると既婚者だということになるな。大学生なんだけど別に既婚者がいたって不思議はないだろう。とくに本学はたくさんいるよ。卒業生総代はだいたい社会人入学したヒトたちだからね。オバさんたち、いや、失礼……、社会人入学したヒトたちは、みんなよく勉強するよ。まあ、そんなことはどうでもいい。それより、作品を読んだ感想のほうは? オモシロイ作品……って、よろしい。それを最初に言ってくれなきゃね。講義がちっとも進まないじゃないか。 はい、彼女は「おもしろい作品だ」と批評してくれました。ぼくも「オモロイ作品やな」と思います。全般的な印象として文章の細かい部分に少し荒っぽいところもありますがね。関西ことばの伸び伸びとした筆遣いは見事なものです。掛け値やお世辞ぬきに大変おもしろい作品だと思います。なかなか才能ありますよ。 まるで講師のぼくに手紙を書くような感じで「です」「マス」調で書いていますが、書き流すのではなくて、ちゃんと作品を意識している。しっかりエッセーの構造になっています。それは意識的なものか無意識的なものかは、ちょっと判別がつきませんが、いずれにしても、この筆者はは並の素人ではありません。 腹が痛い……とわめいて、隣りオバちゃんまで巻き込む大騒ぎ、ダンナも動員して病院へ駆け込むのだけれども、当の本人は、病院にくると、もう腹の痛さをすっかり忘れている。好奇心たっぷりに全身を眼にして周囲を観察し、オセロゲームでももってきたらよかった……などと言い出すしまつ。だいたい腹が痛くて唸っていたら、周囲も目に入らないし、ゲームに興じるなど、出来るわけがない。要するに、病院で待たされているうちに病気が、だんだんと癒されてしまったというわけでしょう。そこがおもしろい。そう思いませんか? あげくの果てに、「胃薬でも出してえな……」と医者に命令するしまつ。いったい何ちゅう患者や。これって、もしかしたら、医者しか出来ない「医療行為」やで……。とにかく医者になりかわって薬まで出してしまうヘンな患者の主人公、そんな〈私〉をやさしく見守っている〈私専用運転手の夫〉、そやなあ……と言って、素直に薬を処方するボケ役の医者、口うるさそうな隣のオバはん、いずれも眼をとじると顔かたちが眼の前に浮かんでくる。そこが面白さのひみつです。 何よりも筆者作者は自分を「偉く」見せようとはしていない。自分を第三者的な眼でみつめて、むしろ「戯画」化している。そこのところに最も好感を覚えますね。書いている者がカッコつけて「エエカッコ」したら読者はシラけてしまいますが、この作者はむしろ自分を虚仮にしているのです。吉本新喜劇の極意をすっかりマスターしてますね。なかなか見上げた心がけですよ。 批評精神も相当なものです。たとえば04〜11行目、京都人に向ける皮肉な視線、医者に向ける胡散臭い眼……などなど。 会話のやりとりもうまいですよ。たとえば14〜25行目までのダンナとのやりとり、短い展開ですが、ドキリとさせられます。呼吸というか間のとりかたは、なかなかのものです。 最後に1点だけ不満点をあげれば最後の2行です。これはカットするほうがいいだろうね。この2行で言いたいことは、作品全体を読めば読者はだいたい判断できるでしょう。だとしたら、むしろないようがいい。あえて説明して親切の押し売りをしない。書かないで読者に判断させる。あんたら、よう、考えてんか……というところでポンと切る。それって高等戦術なんですよ。 もうひとつ、この作品は「……だ。……である。」調ではなくて、「……です。……ます。」調で書かれています。いわば手紙の延長みたいな気分で書かれた作品だから、自然とそうなったのかもしれないね。ふつう「です・ます」調で書くと、末尾が単調になってしまうんだよね。ところが、この作品に関しては、そういうワナを巧妙に擦り抜けています。しかし、随筆やエッセイに関していえば、「……だ。……である。」調で書いたほうが無難かもしれないね。「です・ます」調でというのはかんたんなようでむずかしい。プロでも苦労するんだね。むしろ高等技術が要ると言っておきましょう。 それでは、まだ10分ありますが今日はこのへんで終わります。あまりみっちりやると曝しモノになっているポーク・巻さんが卒倒してしまいそうですから……。 目次に戻るにはブラウザの「戻る」ボタンを押して下さい。 |
(C)Takehisa Fukumoto 2001 |