「坂本事件」の1996年を振り返って
95年9月6日の遺体発見から葬儀へと、衝撃と悲しみの95年が明け、本格的真相解明に向けての様々な動きがスタートした96年。
一 TBS事件
最初に発覚したのが「TBSビデオ事件」。89年10月26日、TBSに早川・上祐・青山ら幹部が押し掛け、坂本のインタビュービデオを見、その内容に抗議。TBSはその圧力に屈して放映を中止。このビデオの内容でオウムは坂本の認識内容・オウムへの姿勢の厳しさを知ることになる。その5日後急遽この幹部三人は横浜事務所に坂本を訪ね、坂本のオウム追求の意志が揺らぎのないものであることを確認。松本智津夫の「ポア」宣言の大きな動機付けとなった。
一家殺害は、事務所面談の3日後であった。
TBSがビデオを簡単に見せたこと、圧力に屈し放映を中止したこと、その事実を坂本に伝えなかったこと、など、一連のTBSの行動が坂本事件発生の重要な要因になったことは紛れもない事実である。さらに、事件発生後もこの事実をひた隠しにしたことで、解決まで6年の歳月を要したことについてもTBSの責任は大きい。
さらに許し難いことは、95年10月東京地検からの追求や日本テレビのスクープ報道にも「事実はない」としらを切り続けたこと。96年3月11日には、ビデオを見せた事実はでてこなかったとの「社内調査概要」を発表、横浜法律事務所に対しても同様の否定回答を行っている。
しかし、早川らの供述内容が次第に明らかになり、いよいよ隠しきれないと観念したTBSは、3月25日以降ひたすら陳謝。しかし最初に陳謝したのは遺族の前ではなく国会であった。
4月30日には、特別報道番組「検証」を放映。
その後、ほとんどこの事件のことは話題にならず、12月18日になって、TBS「放送のこれからを考える会」(座長・堀田力弁護士)が、報道現場における「個の確立」を求める提言書を砂原社長に手渡した。しかし、その内容は極めて抽象的であくまで「提言」「たたき台」にすぎないことは明白であり、今後TBSがそれをどう生かすか、その姿勢が注目されるところであるが、このホームページでも指摘したように、深夜の討論番組1本で終わり、という感は否めない。
97年もさらに注目である。
二 オウム裁判
刑事・民事のオウム裁判が本格化した。
岡崎・中川・早川・端本・新實ら実行犯の口から次々と飛び出す衝撃的供述はあまりにもリアルで、耳をふさぎたくなるものばかりであった。突然の襲撃に、何がなんだか解らないまま、必死に抵抗し、生きようとした坂本夫妻。三人の壮絶な最期を前にして、私たちに一体何ができるのか。
犯行を認め供述を始める実行犯らに比べ、未だ起訴事実の認否すらしない「教祖」松本智津夫。捜査段階の供述調書では犯行指示を認めているが、それでも弟子のイニシアティブを強調するなど責任逃れは忘れない。法廷でのわざとらしい奇行の数々は、無様な延命工作以外の何物でもない。今年こそ真相究明に向け迅速な審理を強く求めたい。
ご遺族を原告とする民事裁判も始められた。しかし、教団は破産、実行犯らはほとんど争わず、のため、実質的な証拠調べ、つまり真相究明手続きに入ることないまま、原告の主張そのまま認められた判決が出されて、裁判は終わろうとしている。
また、坂本事件のみならずサリン事件など多数の民事裁判が提起されているが、刑事裁判が松本の抵抗によって遅々として進まないため、民事裁判の方も「刑事の進行待ち」として膠着状態にある。
いずれも我が裁判制度の限界とはいえ、とても歯がゆい。
三 総括文集とホームページ開設
「救う会」の活動は、それまでの「生きてかえれ」から方向転換を余儀なくされた。真相究明まで活動を継続することを確認した上、まずこの5年10ヶ月の救出運動を総括した。9月6日、遺体発見の日に文集を出版。
その後、11月1日、三人の命日(4日)を期して当ホームページをスタートさせた。お陰様で予想を遙かに上回るアクセスをいただいた。激励やご意見ご感想さらには情報提供等々たくさんのメールもいただいた。
97年も、さらなる充実を図りたいと思います。よろしくお願いします。