オウムが三現地で慰霊パフォーマンス
2000/9/11
9月10日、オウムの荒木広報部長ら2名が、三現地を訪れました。
当初、我々の慰霊の旅と同じ9日を予定していたようですが、小島弁護士からの抗議で10日に変更になったもののようです。その結果我々の慰霊の旅との鉢合わせはありませんでした。
現場に立ち会った関係者から聞いた話では、次のような経過だったそうです。
魚津
集落から林道には行ってすぐのところに、村の皆さんが2カ所車止めを設置してオウムの立ち入りを阻止する態勢。オウムは8:50AM、軽ワゴンで林道入り口に到着。村人の対応を見ると、車をそこに置き、柵をの乗り越えて歩き出した。村人としては、それ以上阻止もできず。約3qほどの急峻な山道を、約1時間かけて早足で歩き、10時頃現地に到着。
慰霊塔に1礼して合掌、固く目を閉じて黙祷は5分ほど。合掌する手が細かくふるえる。まるで修行のよう。メモリアルの方では碑文を真剣に読んで、都子さんの詩をメモするなどしていた。
その後、報道から質問責めにあい、次のような応答。
「これは我々の義務である。パフォーマンスではないかといわれるが、何と言われても仕方ない。許されるとか受け入れられるという資格はない。ひたすらお詫びするほかない。謝罪のスタート地点に立ちたいと思ってやって来た。大山さんの手記を読んで来る気になった。村岡、上祐にも相談したが、かえって混乱招くので最少人数にした。」
供えた花束の上に手書きのカード(絵はがき)のようなものを置く。
内容は「ごめんなさい。申しわけありませんでした。あまりにも遅すぎた謝罪にお詫びします。10年以上もかかってしました。私たちは現実と向かい合う勇気がかけていました。ご一家のご冥福をお祈りします。もう二度と過ちは繰り返しません。9月10日」
署名はなし。荒木広報部長が来る途中に書いたものとのこと。
再び歩いて山を下り、昼前には車で出発。
名立
名立の現場には13:50頃到着。
魚津と同様に、慰霊塔に献花、黙祷。そしてカード(内容は上記とほぼ同じ)。
メモリアルの碑文読み。
報道への応答も魚津と同じ。
大町
糸魚川から国道を南下。最後に大町の現場に着いたのは17:40過ぎ。
まず遺体発見現場の方で献花、黙祷、カード。
その後、車で移動してメモリアルのある公園へ。
既に真っ暗になっていた。
報道への対応もほぼ同じ内容。
ということで、オウム初の遺体遺棄現場への慰霊の旅パフォーマンスが終わりました。
話を聞き、これを書いていてムカムカしてきました。まったく酷いもんです。
事前に、遺族にも関係者にも一切連絡はなし。
連絡をしないのであれば最後までコッソリと行けばいいものを、何と、あらかじめ報道関係者には行程を教えていたのです。
遺族や関係者の心情とはまったく無関係に、自分たちがお詫びをするんだからそれでいいんだという自己中そのもの。魚津では、報道引き連れ大名行列。各現場ではカメラを意識してしおらしいパフォーマンス。「広報部長」と「広報副部長」が2名代表となり、駆け足で3カ所一気に回って、それが、心からの真摯な反省とお詫びであると誰が見るでしょうか。