松本弁護団報告集会
1997/5/28
渡辺修団長の報告より
−顔の見えない筋立−
たとえば地下鉄サリン事件、地下鉄の路線ごとに5つの公訴事実に分けられている。
このうち日比谷線北千住発中目黒行きは小伝馬町から築地にかけて8名もの死者を出し負傷者も約2500名と、他の4路線と比べ桁違いに被害が大きい。これはなぜなのか。
よく調べてみると、他の4つの路線は駅員(助役など)が早期に電車を停止させ、乗客全員を非難させ、自らサリンの袋を車両から排除し、濡れた床をふき取るなどの措置をとっている。つまり助役らが身を挺して乗客の生命を守った結果となっているのである。
他方、上記の日比谷線では、小伝馬町で被害が発生しているにもかかわらず電車は停止せず、そのまま4駅先の築地まで進行してしまっている。このため、なんと小伝馬町から2つ先の茅場町駅でこの電車に新たに乗り込んできた2名が死亡するという、何とも悲惨な結果になっているのである。つまり、もし小伝馬町でこの電車が止められていたならばこの2名は死亡しなくてもよかったのである。
また、手でサリンを排除し、多くの乗客の命を救った高橋助役は、何と1時間半も現場に放置されていたということも解った。
一体現場で何が起きたのか、なぜ死亡したのか、どのようにして死んだのか・・・。この重大事件の真相を解明するとはこういうことを明らかにすることではないのか。遺族や被害者が知りたいのはこういうことではないのか。人が死んだ、という事実だけ確認して終わりなのか。そうではないはずだ。
ところが本来立証責任のある検察側は、自らそのような「真相」を何一つ解明しようとはしない。どのような経緯であれ2名が死亡した、ということで終わり。真相解明への意欲は全く見られない。このような空疎な内容で刑事裁判と言えるだろうか。これでは被害者も遺族も浮かばれない。どうせ有罪だから中身は何でもいい、ということではない。真相を明らかにしてから処罰を下すべきである。
坂本事件については、早川、岡崎に対する反対尋問が控えているが、弁護団は6月6日の期日取り消しを求めた。これは、公判準備のため死体遺棄現場(新潟・富山・長野)を調査したいということが理由であった。
これに対して検察は、死体遺棄は事件全体の内の最後の部分であって、それに至る経緯については反対尋問できるではないか、という。これに対しては私は怒った。反対尋問は検察の主尋問の順序通りにやるものではない。反対尋問の順番まで指図しようと言うのかっ!
私たちは、事件について可能な限り自分で現実感をもって裁判に臨みたいのだ。
(この期日取り消し要求は後に撤回。現地調査は6日の公判終了後に行くことになった。)
−刑事弁護人の職責−
刑事裁判においては、犯罪行為について立証責任のある検察側の証拠について、あらゆる方向からチェックをするのが弁護士人の基本的職責である。たとえ被告人が罪を認めていても検察の証拠がいい加減なものであれば、弁護士人の職務としてそれを糾弾すべきである。
本件でも弁護団は、地下鉄でまかれたものが「サリン」なのかどうかも含めてチェックを加えるつもりである。それはこの麻原裁判においてだけの特別なことではない。ごくふつうの刑事事件において求められる必要最小限度のごく普通の弁護活動である。もしそこで裁判の立証につまづくのならば、それは検察の責任である。
検察の立証上の弱点は全て争点である。我々弁護団は弁護士活動において何らの迷いもない。
「どうせ有罪なんだから無駄なことをするな」と言う声もある。しかしこの刑事弁護人としての当たり前の活動を無駄だというならば、私たちはこれからも大いに無駄をやる。
オウム裁判で今ひとつ核心が見えてこないのは、きわめて重要な役割を担っていた村井秀夫が殺害されたこと、そして同様にI・Kが全く起訴されていないこと、つまり飛車角抜きの状態であることに起因しているように思う。
サリンの鑑定についても、鑑定書に鑑定をした日時すら書いてない。鑑定作業の写真に写っている人物が誰なのかも解らない。鑑定書の記載を裏付ける客観的証拠がない。検察官は、鑑定書があるからいいではないかというが、鑑定書に書いてあることが全て客観的事実であるというなら刑事裁判などいらない。事件当時の混乱である程度整理できないことがあることは解るが、これを指摘しないとしたら刑事弁護人の職責放棄である。弁護士として懲戒ものであると思う。
−公訴取り下げ要求はしていない−
地下鉄サリン事件における麻原の共謀については、検察側は3月18日のリムジンでの車中謀議がそれに当たると構成している。「そこで麻原は実行を決意した」、という主張である。ところが井上証人の尋問でその筋立ては既に崩れている。その時は決意していなかったとハッキリ証言しているのだ。我々は、検察にそのような証拠調べの結果をふまえ、検察側の公訴権の行使として主張立証を再構成するよう求めているだけなのだ。単純に起訴を取り下げろなどとは言っていない。
最大の被害が出た日比谷線中目黒行き。その実行犯とされる林泰男の供述調書は、本人の公判がまだと言うことで全く開示されていない。
−争点の整理について−
裁判官や検察官は、膨大な被害者、膨大な証拠が出ているのだから、これを全部不同意にしたのでは10年裁判になってしまう、という。長引くから弁護人は証拠に同意せよ、というのである。しかし、4000名近い殺人・殺人未遂を起訴し、膨大な証拠を出したのは検察官である。弁護人が争うことをけしからんと言うこと自体刑事裁判制度の否定である。弁護人が同意することを前提に公判のプランを立てること自体、全くの誤りである。不同意にすることは、最小限度の弁護活動である。
−分担論について−
「12名もいるのだから分担すればいい」、と言う。これは実状を無視したデマ宣伝である。
麻原公判はこの1年間に38回の公判をこなしてきた。しかも、ほぼ毎回朝10時から午後5時まで。この訴訟進行ペースは、他の一般の刑事事件はもとより、他のオウム裁判と比べても異常に早いのだ。それなのに、まだ遅い遅いという。これだけの早いペースでやってこれたのは、優秀な12名の弁護士が結束してやってきたからに他ならない。これが5,6名の弁護団ではとれもできない。12名がバラバラでもできない。
一連のオウム事件は、殺人を肯定する特異な教義と武装化計画の中で順次行われたものであり、時系列において複雑に絡み合っている。関与した人物も複雑に錯綜している。その意味で、一番最初の田口事件から時系列を追って審理せよと我々は言っている。単純に事件ごとに分担すればいいというのはきわめて形式的な論だ。