松本智津夫被告第23回公判法廷詳報
97.01.31 読売新聞朝刊より
地下鉄サリン、「井上首謀」主張の意図
オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告(41)の第二十三回公判は三十日、 東京地裁刑事七部で開かれた。
警視庁の係官らが証言に立った法廷で、松本被告は不 規則発言を繰り返し、「井上嘉浩(教団諜報(ちょうほう)省大臣)が主犯で、すべ てを動かし、結果を出した」と述べた。これで、正式な罪状認否をまだ行っていない 松本被告が「井上首謀説」を主張する意向でいることがはっきりした。
松本被告は開廷から約四十五分後に退廷命令を受け、この日の公判は被告不在で進んだ。
1[退廷]
開廷45分後「命令」3度目
この日、検察側の証人として最初に出廷したのは、警視庁科学捜査研究所の安藤皓 章・第二化学科科長だった。第二化学科の担当は薬毒物の鑑定。地下鉄サリン事件で は、ポリ袋など、現場に残された遺留品の鑑定をした。
「測定の結果、分析値がサリンのデータと一致したのですか」
「はい」
「どんな数値が測定されましたか」
「エンバーZ141が検出されました」
そんなやり取りが続いていた午前十時三十分過ぎ、それまでも、ぶつぶつと聞き取 りにくい独り言を言っていた松本被告が、大きな声を上げた。
「地下鉄サリンは……」
すかさず阿部文洋裁判長が「静かに」と制する。
けれども、松本被告は「裁判長は 裁判長の役割をしなさい」と逆に食ってかかり、「松本の恥になることをするなら… …マリコちゃんもつらいだろうから」と、意味不明の発言を続けた。
松本被告はこの 日、紺のジャンパー。長髪をいつものように垂らしていた。
「ほかの検査方法は」
「アルカリ、水酸化カリウム水溶液を使って」
検察官と警視庁係官の問答をさえぎるように、松本被告がまた、「何の意味も持た ない」と言った。 「静かにしていなさい」と裁判長。
「静かにしろとはどういうことですか。私は認否をしたい。はっきりさせるべきで はないのか、裁判長。私は堂々と認否をしたいんだ。それを止める権限が裁判長にあ るのか」
「あります」と、阿部裁判長はそっけなく答えた。
裁判長は法廷の秩序を守るため、 裁判所法や刑事訴訟法に基づき、退廷命令や発言禁止命令を出せるとされている。
「認否は弁護人と相談してから別の機会に。今は証人尋問をやっているのだから、 証言を聞きなさい」と阿部裁判長は続けた。
しかし、松本被告は黙らなかった。
「この一週間は殺すための時間である」
「退廷させますよ」
「それじゃ退廷させて下さい」。松本被告は開き直ったように言った。
「なぜ事件を明確に出さないのか、日本人に。日本人は知りたがっている」 松本被告は続けた。
「もう一度言いたい。井上嘉浩が主犯で、すべてを動かし、結果を出したのがこの 事件。なぜほかの人が共犯に問われなければいけないんだ」
不規則発言の中で、松本被告は「井上首謀説」をはっきり打ち出した。
松本被告が法廷で初めて発言したのは昨年十月十八日の第十三回公判。井上被告に 対する最初の弁護側反対尋問が行われたこの時、松本被告は「事件についてすべてを 背負う」「私は全面無実」と述べた。
松本被告が否認の意向でいることは、この時から見えていた。ただ、違っていたの は、三か月前は「アーナンダ嘉浩は偉大な成就者です」と賛辞を贈っていたのに、井 上被告が「松本主導」を証言し続けた後の今回、「井上主犯」と評価を一変させたこ とだ。
松本被告は今回の公判を前にした二十八日、「すぐ面会に来てほしい」と、国選弁 護団に電報を打ち、接見に来た弁護団に「認否をしたい」と伝えた。
弁護団は二十八、 二十九の両日、「認否はよく打ち合わせた上でやるべきだ」と説得したという。
が、 松本被告は法廷で、弁護団に背いて不規則発言を重ねた。
「井上主犯発言」の後、弁護人らは被告人席の前へ回って説得を始めた。
が、松本 被告は発言をやめず、また大声を上げた。
「はっきり言って、暴行のために私は生きる気はない」
弁護人らは小声で説得を続ける。
「あなた方の時間かせぎのためにだな」
説得は続く。
「この裁判は接見の時に言った内容と違うじゃないか」 弁護人が答える。
「こういう裁判でなく、刑事裁判をやりたいのだ」
弁護人がなだめるように松本被告の肩をたたく。
「ですから裁判長」
「静かにしてなさい。何度言われても分からないのかね」。裁判長の声には怒気が こもっていた。
「この裁判は何のためにあるのか」
「黙りなさい。審理妨害で退廷させますよ」
「阿部文洋先生のステージではだめです、ここで遊びをしていても仕方がないじゃ ないか」
「やめなさい。下らないことを言うもんじゃない」
「やめるって、何をやめるんだ。これは私の」
「退廷させますよ」
「検事総長さんとお話ししたい」
「退廷」
午前十時五十分。松本被告は傍聴席にニヤニヤした顔を向けながら退いた。
退廷命令は、昨年十一月七日の第十四回、同二十二日の第十七回公判に続き三度目だったが、 開廷から約四十五分後というこの日は最短となった。
2[アジト]
◆「井上が指示伝えた」/杉本被告
警視庁係官の尋問は昼前に終わり、松本被告が不在となった法廷で、続いて教団 「自治省次官」杉本繁郎被告(37)に対する弁護側の反対尋問が行われた。
杉本被告は地下鉄サリン事件の運転手役。弁護人は事件前日の九五年三月十九日昼、 杉本被告が実行役の「科学技術省次官」広瀬健一被告(32)らと、四ツ谷駅へ下見 に行った時のことを尋ねた。
「あなたは『こんなことしたら招き猫になる』と言いましたか」
「そのようなことを言ったことがあります」。杉本被告は答えた。
「招き猫とは、地下鉄サリン事件はオウムがやったとすぐ分かるから、捜査の矛先 を変えると言うが、逆に強制捜査を招くという意味ですね」
「地下鉄のことだけでなく、以前からいろいろ災いの種をまいては問題になって、 その善後策ばかりやっていることを言った」
「なぜそんなことをするか、疑問に思いませんでしたか」
「思いました。サリンをまくと聞いて、びっくりしてぼうっとしてしまった。その 後何をやり取りしたか覚えていないんです」
「こんなばかなことをだれが考えたんだ、と思わなかったか」。弁護人はそう尋ね た。
「それまでもボツリヌス菌をまくとか、やってましたから、すぐ麻原が考えたこと と分かりました」。杉本被告は答えた。
弁護人は「こんなばかなことを麻原さんが考えるはずがない、と思わなかったか」 と聞き返した。
が、杉本被告は証言した。
「何回もそういうばかなことをやっていたから、特に思いませんでした。指示を出 していたのはすべて麻原です」
弁護人は次に、三月十九日夕、杉並アジトでの謀議の場面を尋ねた。
「午前中は井上がいないアジトで相談し、午後は井上が来たということでしたが、 午後の相談の方がはっきりしていたのでは」
「午前中よりは具体的な内容だったと思う」
「通勤時間の午前八時に合わせてやろう、という話は、井上のいなかった午前中は 出ていなかったのではないか」
「午前はそこまでは出ていなかった」
井上被告は、自分の裁判でも、証人として出廷した松本公判でも、「地下鉄サリン事件では伝達役に過ぎなかった」と、主張している。
国選弁護団は、杉本被告の尋問 で、井上被告の役割が実行部隊の指揮官か、あるいはそれ以上の首謀者だったことを 立証したいと考えているようだった。
弁護人は聞いた。
「井上が来てから、井上中心に話が進んだのではないですか」
「井上がべらべらしゃべっていた感じです」。杉本被告は答えた。
「それから杉並アジトから渋谷アジトへ移った。何のために移ったのか」。弁護人 はさらに尋ねた。
「井上に言われたからです」
「理由の説明はありましたか」
「ないです」
「一方的に言われたのですか」
「そうです」
「あなたとしてはなぜ移ると思いましたか」
「私の理解では、杉並の一軒家は以前から警察にマークされていると井上から聞い ていたので、そこを使うのはまずいから別の場所へ動くんだろうと」
「渋谷アジトでの話は井上を中心で取り囲んで進んだのか」 弁護人は尋問の課題を、三月十九日夜の渋谷アジトの場面に変えた。
「私の記憶では、井上が扇のかなめの位置にいて、扇の先には実行役の人がいて、 その外側に運転役がいた印象です」
「その場の中心は井上だったのか。井上が話して、みんなが従うという感じだったのか」。弁護人は問いを重ねた。
誘導尋問と呼べる聞き方だった。刑事裁判では反対尋問の場合、誘導尋問が許されている。
「よく思い出せない」と杉本被告が述べると、弁護人は「よく思い出して下さい」 と、たたみかけた。
「感じからすると、井上が中心になって、みんなに指示を伝える状況だったと思い ます」 杉本被告はそう答えた。
3[新証言]
◆実行後マスコミと連絡
「井上さんはどういう性格の人?」 弁護人は尋問を続けた。
「答えづらいですね」
ともに古参信者で、井上被告と親しかった杉本被告は答えを避けた。
「率直にどう思う」 弁護人が追い打ちをかけると、杉本被告は言った。
「目的のためには手段を選ばないというか、グルから言われたら手段を選ばない傾 向が非常にあると思います。麻原の前に出た時には、はいはいとイエスマンになって アピールする。他人を差し置いても自分が麻原に認められたいという感じで、そのこ とは麻原もよく言っていた」
「麻原さんが言いもしないことを勝手にやってしまう傾向は」。
弁護人は「井上首 謀」の可能性を探る尋問を重ねた。
「本件と切り離して言うが、そういう傾向はあると思います」
「じゃあ本件では」
「出しゃばったことはあったと思いますが、ヴァジラヤーナの教えにのっとってや ったことで、ヴァジラヤーナはグルの教え以外にないので、麻原の指示を曲解して動 いたことはあっても、指示なしで動いたことはないと思います」
「井上さん主導なんじゃないの?」 弁護人はずばりと聞いた。
だが、杉本被告はこう答えた。「現場は井上かもしれないけど、全体のことは私にはよく分かりません」
「あなたは井上さんがトップと思ってないのね」
「思っていません」 杉本被告は、きっぱり否定した。
「すると村井さん(故村井秀夫幹部)になるの」
「どこからどこまでとは言い切れないが、少なくとも命令は麻原から出ています。 その命令が私に伝わるまでにだれがどう絡んだのかは分かりません」
杉本被告は結局、「井上首謀」ではなく、「松本首謀」を強調した。
尋問はこのあと、地下鉄事件実行後の三月二十日午後、井上、杉本被告や「自治省 大臣」の新実智光被告(32)らが、多摩川の河川敷で犯行に使った衣類や傘を焼い た場面に移った。
弁護人は、その場で新実被告がどんなことを言ったか尋ねた。
それに対し、杉本被告は述べた。 「新実は『犯行声明を出す』と言っていた。声明の出所として新実は、著名政治家 の政治団体だかの名前にすると言った。ですけど私は、当然教団が疑われると思って いた。オウム・イコール・サリンという図式が崩れていないのに(犯行を)やれば、 世間はオウムの犯行と思うだろうから、こいつらばかじゃないかと思った」
それから杉本被告は、多摩川での焼却の際、新実被告は携帯電話で話していたと語 った。
「新実はマスコミとやり取りしていたんです」
「マスコミ?」 弁護人は思わず聞き返した。
「はい。(事件は)オウムがやったんじゃないかとマスコミから教団に電話があり、 当時、新実がそういう対応をしていたので、教団から新実に連絡が行ったと聞いた」
弁護人は、このマスコミが新聞社かテレビ局か、一社だけか複数だったのか、いろいろ尋ねたが、杉本被告は詳しいことを知らなかった。ただ、杉本被告はこう語った。
「電話のことは麻原に報告したと思う」
証言によると、この報告は、新実被告らが上九一色村に帰ってから行われた。地下 鉄事件について、新実被告と松本被告の間に、これまで知られていなかったやり取り があったという新証言だった。
「報告の内容は」 「マスコミから今回の事件はどうなんですか、と言われたと。だから『うちとは関 係ないですよ』と答えておきました、という趣旨です」
弁護側反対尋問の後、検察官が再主尋問に立った。
検察官は、杉本被告に「証言の過程で障害を感じたことは」と尋ねた。
「ありました」と、杉本被告は答えた。
「何ですか」と、問われた杉本被告は言った。
「前回、麻原が横で不規則発言を繰り返したことです。『地獄に落ちるぞ』とか、 『地獄に落ちる時の恐ろしさを分かっていないんだ』とか、ぶつぶつささやかれ、集 中力を欠いた」
「聞いてどういう感じがしたか」
「非常に情けない思いをした。集中力を取り戻そうと思って、『まあ』という言葉 を使い過ぎることになり、恥ずかしく思ったが、ただそれ以外は影響はなかった」
杉本被告はそう述べ、尋問は終わった。
この日はさらに、「科学技術省次官」豊田 亨被告(29)の反対尋問も行われ、午後六時三十七分に閉廷した。