松本智津夫被告第70回公判
1998/3/12
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第70回公判は13日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、坂本堤弁護士一家殺害事件で坂本弁護士の遺体の歯を鑑定した学者に対する弁護側反対尋問と、地下鉄サリン事件で実行役の1人とされる元教団幹部、林泰男被告(40)に対する初の弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は156人だった。
裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:山本 信一(49)=東京地検公判部副部長ら4人
弁 護 人:渡辺 脩(64)=弁護団長
大崎 康博(64)=副弁護団長ら12人
被 告:松本智津夫(43)
検察側証人:山本 勝一(70)=神奈川歯科大名誉教授
林 泰男(40)=元「科学技術省」次官
(敬称・呼称略)
午前9時58分、7人の刑務官が周囲を固め、松本被告が入廷した。濃紺のポンチョに似た上着と同色のズボン姿。サンダルをひきずるように歩く。
山本勝一証人
紺のスーツ姿の山本勝一・神奈川歯科大名誉教授が証言を始める。坂本弁護士の遺体の歯の鑑定について、弁護人がただしていく。
弁護人「現場ではレントゲンは使えましたか」
証人「使えませんでした。死ろう化していましたのと、顔全体に粘土質が覆っていたで」
弁護人は、資料を見せながら「ここの部分はどういうことですか」と聴く。
証人「歯の頭の部分が飛んでしまっていたので、復元した。ただ接着剤で元に戻しただけです」
弁護人「でも中間に黒い部分、すき間があるが」
証人「ある程度期間があれば摩滅もある」
弁護人「鑑定書で比較的遠距離から鈍体で損傷させたと考察した根拠は?」
証人「損傷の場所がばらばらで、少なくとも至近距離ではないと判断した」
弁護人は「ばらばらであれば、普通は複数回やったと判断するでしょ。距離は関係ないでしょ」といらだった様子で問い詰める。
証人「どういうことをおっしゃっているのか。あまり鑑定とは関係ないと思いますが……」
松本被告が声を大きくした。「オウムにおいては……」。傍聴席の若い男性がしきりにメモする。裁判長が「被告人、静かにしなさい」としかり、黙った。
弁護人「鈍器で、と鑑定書に書かれていますね。どうして」
証人「犬の歯を使った実験結果、その切れ方とまったく違う」
弁護人「鋭利なものではない」
証人「はい」
弁護人「警察の情報で書いたのではないか」
証人「違います」
専門的な話が続き、最前列で眠る傍聴人も。
弁護人「ラミセ化反応は特に温度、長期的には湿度などの影響を受けやすいと本に書いてあるが」
証人が「私の本にも書いてあります」と応じ、廷内に笑い声が起こる。眠っていた傍聴者が目を覚ます。
11時56分、山本名誉教授への尋問が終わり、休廷。
林 泰男証人
午後1時15分再開。グレーのスーツに白ワイシャツ姿の林被告が入廷する。
弁護人「オウムの『仏典研究』にあなたの成就の記事がある。それ以前も精神世界の本を読んでいて、会に興味を持ったのかな」
証人「本は外国のものが多く、言葉の面、資金の面でも不都合でした。麻原は日本のすぐ目の前にいました。そうした面で入りやすい会に入ったんです」
弁護人「麻原に最初に会ったのは? 話した?」
証人「世田谷道場かもしれない。個人的には話さず、説法を聞くだけ」
弁護人「シャクティパッドは受けた?」
証人「パッドでなくてパット」
弁護人「そうですか。何回? 印象は?」
証人「(昭和)63(88)年に3回。受けた後半月ぐらいは自分の体がしびれて、歩くにも宙に浮く感じ」
弁護人「そんなことできる麻原をどう思った?」
証人「そこまでのステージの人なんだ、と」
林被告は出家の理由を聞かれ、「自分の心を磨き、世の中に何らかの利益をもたらすことができるという思いがあった」と話す。そして「自分が厳しい戒律や修行に耐えられるか、母と私の2人で住んでおり、母が1人になってしまう不安もあった」と続けた。
弁護人「林さんのワークはどういうこと?」
証人「科学技術省の前身のCSIで電気工事の仕事をしていた」
弁護人「盗聴はしたか」
証人「何度か」
弁護人「いつごろからか」
証人「平成元(89)年に、石原伸晃(衆院議員)さんの動向を探るため、事務所と自宅に盗聴器を仕掛けるよう早川(紀代秀被告)に言われた。麻原の指示と言っていた」
弁護人「林さんは早川さんにどう言ったのか」
証人「する必要はないし、やりたくなかった。結果としてやらなかった。石原氏宅は4世帯住宅。電話の保安器に4回線あり、4回盗聴器を取り替えればどれかにあたって盗聴できるが、それをしなかった」
弁護人「1世帯なら?」
証人「できてしまっていたと思う」
弁護人「盗聴できた場合の林さんの責任というのはどう自覚していたか」
証人「もう教義に縛られていた。すべて麻原の教えによって」
「アーアー、アー」。松本被告が右側の刑務官の方を向いてうなり続ける。
弁護人「盗聴技術をだれかに教えたことは?」
証人「自治省の者に教えた。井上(嘉浩)被告は一緒に盗聴行為をしたことがあり、その中で彼が覚えたかもしれない」
弁護人「信徒を調べたことは」
証人「東京本部の信徒にした」
弁護人「外部の人は」
証人「創価学会の信徒、早川さんがロシア政府関係でつきあっていた人にしたことはある」
弁護人「盗聴していたことをどう考えるか」
証人「麻原はすべてお見通しと思っていたが、すべてを理解できる最終解脱者ではなかった」
弁護人「自動車無線を取り付けたことは」
証人「1度だけ。平成元(89)年秋から冬」
弁護人「その車が坂本さん殺害に使われた?」
証人「逮捕されてから知りました」
証人「林さんは、オウムがやることはありえないと考えていた?」
証人「はいそうです」
林被告は、ホーリーネームをもらったときの気持ちを、「僕は、何百人とか修行に入ったけれども、一番最後に成就しました。恥ずかしかった」と答えた。
弁護人「そのころの村井(秀夫元幹部)さんの印象は?」
証人「科学技術省の行為におろかしいものを感じていた。お金を使ってもろくなものはできず、教団に不利益を与える存在と思っていた。村井は、サマナが破戒した際の(処分の)責任者だった。個人的には冷たい人だな、という印象があった。しかし、ずっと同じ気持ちを抱いていたわけではない」
林被告は、「村井」と呼び捨てにしたり、「村井さん」と呼んだり、気持ちの揺れをのぞかせる。
弁護人「平成6(94)年4月ごろから、シークレットワークにかかわるようになったのではないか」
証人「第7サティアンのプラント建設の手伝いをしている。新実(智光被告)さんに『行け』と言われ、村井さんに細かい指示を受けた。2週間ぐらいたったころ、これはサリンをつくるための工場だとの認識が芽生え始めた。その前年ぐらいから、サリンやマスタードガスなど、戦争で使う化学兵器の話が、麻原の説法のなかで出ていた」
弁護人「それをやめるようになった理由は」
証人「第7サティアンには近づかないようにしており、部下にワークをさせていた。かかわりたくないという思いがあった」
弁護人「いろんな思いがあったから第7サティアンに近づかなかった? 村井から指示があっても自分の判断でそうできたと?」
証人「はい。私は班長という立場だった。指示は電気班全体が受けたので、他の班が仕事をすればそれでよかった」
弁護人「結局サリンはその時はできなかった?」
証人「はい」
2時58分、休廷。
3時18分、再開。
弁護人「盗聴に関して麻原さんから何か指示はありましたか」
証人「記憶が明確なのは九州の信徒さんの1件だけ」
弁護人「それ以外に受けた指示は?」
証人「宣伝ビデオを作る時に内容を細かく指示されました。レールガンを作る時も細かく指示がありました。科学技術省の仕事をする時も、はじめは私と豊田(亨被告)がやっていて、途中から私だけになりましたが、そのワークに関する指示も受けました」
弁護人は質問をレールガンに絞った。
弁護人「いつごろ指示されたのでしょう」
証人「平成6(94)年の夏から秋ごろです」
弁護人「どんなもの?」
証人「電磁波のエネルギーによって、非常に小さな物体をはじき飛ばします。村井は『宇宙衛星を撃ち落とす』と言ってました」
弁護人「できると思っていましたか」
証人「私が携わったのは初期のころですが、仲間うちでは『できっこない』と言い合っていました」
弁護人「サリン製造は?」
証人「麻原の指示です。私より下の者に村井が『麻原の指示』と言っていましたから、当然私もそうだと思いました」
弁護人「麻原さんが決めたんではないのでは、と思いませんでしたか」
林被告は軽く笑って「当時、教団にいた人ならそうは思わないのではないでしょうか」と答えた。
質問が落田耕太郎さん殺害事件に移った。
弁護人「当時、事件が起きたことは知ってた?」
証人「落田さんに何かが起こったと、それに保田(英明被告)がかかわっていることは聞いていました」と、ここまで言って「あっ、これも麻原の指示です」と付け加えた。
「どうしてそれが言えるのか」との弁護人の問いに、林被告は「麻原から保田を盗聴するように言われたからです」。
松本被告のつぶやきが大きくなった。
弁護人「いつごろ?」
証人「落田さんが亡くなられた後、数週間ぐらい」
弁護人「聞いていたのは、1人でですか」
証人「電話で聞きました。もともとは井上君の指示で盗聴をやろうとしましたが……」。嫌な気持ちがしたので、機械を取り付けなかったという。すると松本被告から電話がかかってきた。「『井上の指示に従わないのはなぜだ』と。いろいろ説明したら最終的に『お前の判断に任せる』と言ってくれました」。
松本被告の声はひときわ高くなる。
弁護人「落田さんが亡くなったのは知ってた?」
証人「知らなかった。保田君は逃げているが、保田君がつきあっていた女性の居所をつきとめ、自白剤を飲ませたり、家に盗聴器を仕掛けたりした。実家にも盗聴器を仕掛けようとした。平成6(94)年1月ごろ、在家に戻りたい思いがあったが、自分が逃げ出せばそういうことにさらされると考えてできなかった」
弁護人「平成6(94)年3月に宮崎県の旅館の元経営者が拉致(らち)されたのではと報道されたことは知っているか」
証人「はい、知ってます。親から金を奪うために教団の病院に入院させた。青山の東京本部で井上さんがたぶん娘さんだと思うが、電話で指示を与えているのを聞き、それを知った」
弁護人「それを聞いてどう思ったか」
証人「オウムの医院に入院させるので親は信徒だと思っていたが、そうでないことを知り、ひどいと思った。しかし、教団の犯罪的な行為をやめるようにいうことは、タブーだった」
弁護人「宮崎のことも麻原が直接指示をしていないのではないか」
終始冷静に受け答えていた林被告はあきれたように「そういう質問はサマナにとっては必要ない。あまりにも明白だ」とやや語気を強めた。
弁護人「94年6月、噴霧器を作ったか」
証人「村井の指示で作った。6月の教団攻撃に備えた防御のための中和剤に使うと聞いていた」
弁護人「松本サリン事件に使われたことは?」
証人「事件後の夏ごろ、富田(隆被告)から聞いて知った。それ以前にロシアツアーで実弾射撃訓練を受け、直後に麻原から脅されることがあった。そしてプラントを作った後、松本サリンが起きた。教団の秘密を知り、自分もかかわってしまい家に帰れない。被害者にも申し訳ない。麻原に疑念を知られてはいけない。複雑な気持ちだった」
弁護人「ロシアは?」
証人「94年3月から4月ごろ、1週間。訓練自体は3日間。新実、井上、平田信(容疑者)ら約20人が参加した」
弁護人「帰国後、麻原に脅されたというのは?」
証人「帰国当日か翌日夜、第2サティアン3階の麻原のめい想室で、いきなり麻原が怒りだした。『裏切り』『下向したら殺す』と。いきさつはよく覚えていない。恐ろしく感じた」
松本被告がうつむきかげんで「何言ってんだよ」とつぶやく。
弁護人「出家したころの思いをもちながらサリンにかかわったというのか」
証人「仏教的行動は麻原にも基本的にはあり、思いは変わらなかった。犯罪の背後には、麻原の被害妄(もう)想が絡んでいる」
弁護人「平成6(94)年に複雑な立場になったと言われました。村井さんの指示下に入ったんですね」
証人「本当に嫌でした。周囲の人から『ごしゅうしょうさま』と言われた」
「林さんは、逃亡中にマスコミで報道されたイメージと、このように法廷で証言されるのでは全く違いますね」。弁護人はこう言って、質問を続けた。
弁護人「科学技術省次官になった感想は」
証人「苦痛以外の何物でもないです」
弁護人「銃の製造は聞いていたのか」
証人「平成6(94)年初め、知っていた。ロシア射撃ツアーに出かけたころ。アーカー銃の模造品を作るということだった。同年大みそかごろ、見本品みたいなものが完成し麻原に献上したという話も聞いた」
裁判長に「あと10分で終わりますか」と尋ねられた弁護人が首を振る。
4時47分、閉廷。