松本智津夫被告第71回公判
1998/3/26
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第71回公判は26日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、地下鉄サリン事件で実行役の一人とされる元教団幹部、林泰男被告(40)に対する2度目の弁護側反対尋問と、坂本堤弁護士一家殺害事件で坂本弁護士の遺体を解剖した医師に対する2度目の反対尋問が行われた。傍聴希望者は154人だった。
裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:山本 信一(49)=東京地検公判部副部長ら4人
弁 護 人:渡辺 脩(64)=弁護団長
大崎 康博(64)=副弁護団長ら12人
被 告:松本智津夫(43)
検察側証人:林 泰男(40)=元教団「科学技術省」次官
伊藤 順通(67)=東邦大名誉教授
(敬称・呼称略)
午前10時11分、紺のジャンパーとジャージー姿の松本被告が入廷した。交通渋滞で護送車の到着が遅れたため、10時の開廷時刻がズレ込んだという。続いて同13分、灰色のスーツ、白シャツに身を包んだ林被告が深々と一礼して入廷した。
「前回、教団の狂った部分には麻原さんの被害妄想が絡んでいる、と話されましたね」。弁護人の質問が始まった。
証人「はい」
弁護人「被害妄想とは、具体的には?」
証人「当時、『教団が毒ガス攻撃を受けている』とか、『宇宙衛星から電磁波攻撃を受けている』とか。あとは『電話を盗聴されている』とか」
弁護人「それは麻原さんがそう言ったのですか」
証人「麻原だけではないが、麻原が言ったことが中心でした」
弁護人「村井(秀夫元幹部=故人)は現実と空想の区別がつかない、と言ったことがあったが」
証人「村井はそういう傾向がありましたが、村井は麻原に迎合するというか、麻原の喜ぶような考え方をするというか。麻原が言うと、それを助長するようなことを言った」
松本被告にも「さん」と敬称をつける弁護人、かつての「尊師」「仲間」を呼び捨てる林被告。松本被告は右手を頭のてっぺんに当て、左手を胸に当ててぶつぶつつぶやき始めた。
弁護人「林さんは、ほかの法廷では『村井が麻原を狂わせている』と証言しているが」
証人「村井にポイントを当てて証言するとそうなる。何もないところから村井が言い出すはずはありません。発端は麻原です」
弁護人「ボツリヌス菌の散布を当時知っていたか」
証人「知りません」
弁護人「平成4(1992)年12月13日の麻原さんの説法に、『12月初頭に大量の毒ガスを吸って、40・3度の高熱を経験した』とある。記憶はあるか」
証人「特定できる記憶はない」
弁護人「前回の証言で、サリン、マスタードガス、ソマンの説法があったと言われてますね。平成5(93)年4月9日の説法で日本の再軍備の話があり、サリン系の兵器に触れているが、この説法のことか」
証人「ちょっと特定はできない」
弁護人「あなたはワークで盗聴をしていたでしょ。炭疽(そ)菌で攻撃されたというのは聞いてないのか」
証人「聞いてません」
弁護人「ボツリヌス菌も含めて以前にも聞いていないか」
証人「以降なら」
弁護人「いつ?」
弁護人は勢い込んだ。
証人「平成6(94)年秋にはいろんなことを聞いた。トラックでサリンのような人体に悪影響を与えるものをまくというような」
弁護人「どう思った」
証人「杉本(繁郎被告)君は『とてもバカらしい』と話していたので、同じ気持ちを持った」 弁護人「どうして教団に残ったのか」
証人「教団は、今から思えば恥ずかしいが、精神修養できるものはあった」
弁護人「毒ガスが検知されたのは聞いていた?」
証人「私自身、機械を使ってテストした。(山梨県)上九一色村の施設周辺では反応が出ましたが、あのへんは周りが牧草地でたぶん農薬をまいていて、そういう反応が出たのではと思いました。特に第2サティアンのある第1上九は、近くに農薬工場があり、かなりにおいが流れてきていて、それを検知してもおかしくないと思いました」
弁護人「他の人に、それは言ったの?」
証人「杉本君や平田(信容疑者=特別手配中)君とは話しました」
弁護人「その他の人にどうして言わなかった?」
証人「麻原が毒ガス攻撃を受けたと言っているのに、そうじゃないとおおっぴらに言うのは、はばかられる雰囲気でした」
松本被告がしかめっ面でしゃべり始める。
弁護人「平成6(94)年3月、毒ガス攻撃を騒いでいたころ、麻原さんたちが家族で移動した?」
証人「2月下旬に中国から戻り、第6サティアンが毒ガス攻撃を受けていると。『家族たちが死ぬところだった。教団施設にいたら殺される』と、いろんな所を転々とした。私は千葉と沖縄に同行した」
弁護人「麻原さんは本当に毒ガス攻撃を受けていると思ったんでしょ?」
証人「どこまで本気にしていたか、はかりかねる。私と平田君は『もし、毒ガス攻撃を受けていても、自分だけ逃げるのはあさましい。それに教団にだけ毒ガスをまくのは不可能』と話していました」
弁護人は地下鉄サリン事件にかかわった動機について尋ねた。
弁護人「他の信者は『麻原さんを信じていた』と言っているが、林さんは麻原さんと全然違っていた。そこがよく分からない」
証人「麻原は狂っていたとしても、麻原が当初、説いていた仏教の根本的な教義は正しい」
弁護人「麻原さんが狂っているというのは?」
証人「毒ガス攻撃を受けているとの被害妄想は狂っていると。ただ、それ以前の仏教的な教えはそれなりに正当だった。麻原が仏教の教えから逸脱していった部分には、ついて行けなかった」
弁護人「逸脱とは?」
証人「サリンを作ったり、自動小銃を作ったりという部分です」
弁護人は、94年に教団が「毒ガス攻撃を受けた」として、林郁夫被告が信者の健康調査を行った経緯について尋ねた。
弁護人「毒ガスが検出されている、毒ガス攻撃を受けた可能性がある、との結果だったが、そうは思わなかったと」
証人「そうです」
弁護人「林郁夫さんは『逮捕後までだれかが何かまいたと本当に思っていた』と証言している。あなたは本当のことと思ったのは一度もなかったですか」
証人「確信したことはありません」
弁護人「村井さんは?」
証人「信じていたと思います」
弁護人「麻原さんは」
証人「僕が見る限りは信じていたと思います」
弁護人「井上(嘉浩被告)さんは?」
林被告は「かなり信じていた」と切り出して、エピソードを付け加えた。「彼が早稲田大学の近くに部屋を借りた時に『毒ガスをまかれた』と言ってきたことがあった。鼻からだったか血を流して。その時の話しぶりは、本当に信じている、と感じました」
松本被告は目を閉じたまま動かない。質問は、94年に第7サティアンで起きた異臭騒ぎに移った。
弁護人「知っていた?」
証人「第7サティアンで事故があったことは多くの人が知っていました。事故直後に多くの信者が道路に出て座り込んでいるのを見ましたから」
弁護人「平成7(95)年に近くの工場主を『毒ガスをまいた』として告訴した。どう思われましたか」
証人「告訴前に青山(吉伸被告)さんから電話がありました。『あの工場から毒ガスがまかれた証拠はないか』と。ありえないと思いましたが、そうは言えないので『証拠はありません』とだけ伝えました」
弁護人「平成7(95)年の4月に入り、村井さんが記者会見で『殺虫剤の一種を作ろうとしたが、廃棄した』と言っている。どう思ったか」
林泰男被告は「うーん」と1分近く考え込み、続けた。「そういう言い訳をしようと話し合っているところに立ち会ったことがある。農薬のプラントとマスコミに発表しようと、村井と上祐(史浩被告)が話していた。4月の1日か2日です」
具体的な証言に、法廷にはメモを取ろうと身動きしたり、紙のこすれ合うような音が広がった。林被告はよどみなく続けた。「その時はそうした行為に対する思いより、自分は地下鉄サリン事件を起こした後なので、やりきれないというかむなしい思い、否定的な思いはありました」
松本被告の独り言が低く響く。弁護人はやや考え込んだ後、質問を変えた。
弁護人「麻原さんの部屋にもコスモクリーナー(空気清浄機)があったか」
証人「はい」
弁護人「窓もすべて密封していましたね」
証人「教団施設のすべての窓を密封するようにと指示があった」
弁護人「毒ガスが室内に入ってくると?」
証人「はい」
弁護人「林さんは?」
証人「私の部屋の窓は工事させませんでした」
弁護人「ほかの人も断っていたのか」
証人「おそらく私一人でしょう」
弁護人「平成6年になると、強制捜査がうわさになりましたね」
証人「はい、何回も。記憶にあるのは平成6(94)年夏。宮崎の旅館経営者が拉致(らち)されたことに関し、捜査が入るのではないかと。同年の秋には、上九の住民への盗聴で。平成7年1月の新聞報道、仮谷(清志)さん(監禁致死)事件でもあるだろうと言われました」
弁護人「麻原さん、村井さんからか」
証人「麻原から直接はないと思う。宮崎の件は村井ということはないです」
松本被告は、がっくりとうなだれて眠っているようだ。
弁護人「強制捜査があったらどうしようと?」
証人「心の中では強制捜査に入ってほしいという思いもありました」
弁護人「あなたは強制捜査があってほしいと思っていたのか」
証人「松本サリン事件後、そのように考えていました。自分としては身動きがとれない状態になっていて。教団はバカなことをしなくなると思いました。あとは、すべては消滅してしまうかもしれないという二つが考えられました。自分としては、私が出家した当時の純粋な宗教活動だけをする教団に戻ってほしかった」
裁判長が眠っている松本被告をにらみ、「被告人、ちゃんとしていなさい」と一喝。松本被告は「何だよ」と言い、裁判長をしばらくにらみ返す。裁判長は口をへの字にして視線をそらす。 弁護人「平成7(95)年1月に阪神大震災が起きたことで、強制捜査が延びたと思っていましたか」
証人「井上君から『麻原がそんなことを言っていた』と聞いていたので。地震の被害で捜査が延びたと思いました」
裁判長「今日はこのへんで。明日の午前10時に来て下さい」
11時59分、林被告が退廷し、休廷。
午後1時15分、再開。伊藤順通(まさみち)東邦大名誉教授の反対尋問が12日に続いて始まった。
伊藤名誉教授は、胸部の血痕について「体が自由に動いている状態の打撲と思います。横になっているような時ではない」と証言する。
裁判長が、熟睡しているような松本被告に「被告人、起きて下さいよ。よく聞いて下さい」と声をかけた。松本被告ははっとしたように顔を上げ、伸びをするようなポーズ。ぶつぶつつぶやきながら薄笑いした。
弁護人が頭部の骨折について尋ねる。
証人「数回は打撃が加わっているとみるべきだと思います」
弁護人は「169センチ、男。血液型はO型。坂本堤、33歳と推定」と鑑定結果を読み上げ、33歳とした根拠を問う。
証人「それはちょっと難しい問題。坂本さんとすれば当時33歳であった」
弁護人「年齢は死体から判断したのではない?」
証人は「血液型や歯の特徴などから坂本堤さんとすれば33歳」と繰り返し、弁護側から笑いが漏れた。
3時3分、休廷。
3時23分、再開。松本被告は空(くう)に指で文字を書くような仕草をし、鼻をこすり目を閉じた。
弁護人「他殺というが、けい部圧迫なら、首つりとか過失死ということもあるのではありませんか」
伊藤名誉教授は強い口調で、「私の経験では自殺にはあたりません」
弁護人が交代。頭と胸の骨折について「凶器は?」と尋ねる。
証人「ほぼ同一の表面積が小さく、先端が鋭利でないものと思います」
弁護人は「証人が、実行犯とされる人の自白を知らないで死体を見れば、頭がい底粉砕骨折を死因と判断するのが普通ではないか」と主張。「結論に至るプロセスが、あまりにも肉眼に頼った独断ではないか」と続けた。伊藤名誉教授は、「長いことやっていれば、だれでも判断がつくことです」と述べた。
弁護人「あなたの証言が一貫しないのは、どういうわけですか」
証人「証人席というのは、今も何か怒られているようで、精神衛生上悪い状態です。しかも長時間で、私の心も乱れます」
弁護人「こんなおとなしい質問で乱れるなら、あなたは弱い」
裁判長が「けっしておとなしくはないですよ」と、口をはさむ。
遺体がドラム缶で運ばれたことと死斑(しはん)の状態の関連を問い、反対尋問が終了した。
5時6分、閉廷。