松本智津夫被告第74回公判
1998/4/10
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫被告の第74回公判は10日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、地下鉄サリン事件に関して、重症者の治療に当たった救急医に対する弁護側反対尋問と、実行役の一人とされる元教団幹部、林泰男被告(40)に対する5回目の反対尋問が行われた。傍聴希望者は154人だった。
◆出廷者◆
裁判長:阿部文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検察官:山本信一(49)=東京地検公判部副部長ら5人
弁護人:渡辺脩(64)=弁護団長・大崎康博(64)=副弁護団長ら12人
被告:松本智津夫(43)
検察側証人:浜辺祐一(41)=東京都立墨東病院医師
林泰男(40)=元教団「科学技術省」次官
(敬称・呼称略)
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午前9時58分、松本被告が入廷する。前日と同じ紺のジャンパー姿だ。
地下鉄サリン事件で、重症を負った男性らの治療に当たった東京都立墨東病院救命救急センター医長、浜辺祐一氏が、2月の検察側主尋問に続いて、証言に立った。
浜辺祐一証人
弁護人「救命救急センターのスタッフは?」
証人「もう1人医長がいて、医師がほかに9人、看護スタッフは48人」
弁護人「平日の午前中はどの程度?」
証人「医師7〜8人と、研修医数名、計10人前後のスタッフはいます」
弁護人「本件の(1995年)3月20日午前9時ごろは、どうでしたか」
証人「だいたい似たようなものだろうと思う」
前日までの雨が上がり、急に気温が上昇した東京都心。法廷内も蒸暑く、浜辺氏は額の汗をハンカチでぬぐった。
事件当日、墨東病院では100人弱の負傷者に対応した。救急車で運ばれたのは4人。このうち搬送時点で名前がわからなかった人が、この日審理の対象となった男性だ。
弁護人は男性のカルテについて尋ねていく。
松本被告は不機嫌そうに弁護人の方を振り返り、ぶつぶつつぶやき出した。とたんに傍聴席最前列にいたポニーテールの若い女性が身を乗り出し、メモを取り始めた。
弁護人「意識300という状態は?」
証人「最も悪い意識状態。痛覚に対し、刺激を与えても何も動かない状態だ」
弁護人「カルテに『時折左手を動かす』とあるが、矛盾するのでは?」
証人「痛覚に対する反応か、勝手に動くのかわからない。けいれんを起こすと、勝手にピクピクと動くことがある」
弁護人「縮瞳(しゅくどう)についてうかがいます」
証人「左右1・5ミリと書いてあります」
弁護人「2回目の午後2時ぐらいに左右3ミリと記載があるが、正常に戻ったということか?」
証人「正常かどうかはわからないが、大きくなったことは確かです」
弁護人「硫酸アトロピンやPAM(解毒剤)などの薬を投与したからですか。効果はすぐに出るものですか?」
証人「かなり早い段階で効果が表れます」
事件直後の男性の深刻な容体が再現されていく。
弁護人「『体の酸性が進む』とありますが?」
証人「人間の体はペーハー値が7・000と小数点3位まできちっとしています。
それが酸性に進むと心臓が弱り死に至ります」
弁護人「『ペーハー6・935』とありますが」
証人「6・935という数値は、心停止してもおかしくない状態です」
連日、死と直面する患者と向き合っている救急医の言葉は、よどみがない。
弁護人「最初に診察された時の様子を『生命の危険にさらされている』と書かれていますが」
証人「患者から伝わる重篤感です」
弁護人「放置すれば死ぬという状態ですか、ひん死の状態ですか」
証人「ひん死です。間一髪、紙一重で間にあったという感じでした」
松本被告も、浜辺氏の話に引き込まれるようにおとなしく聴き入っている。
弁護人「原因はわからないから、人工呼吸と2種類の薬を投与したと?」
証人「そうです。9時5分に到着して、20分にレントゲン室に送り込んでいます。
その15分間にすべての処置を行いました」
弁護人「昼前に信州大学の内科医から電話がありましたね。それまでは有機リン中毒、サリンは?」
証人「まったく意識にないです。『何だろう』と探っている状態でした」
弁護人「信州大の電話の前に、テレビでサリンを報じていましたが、何らかの措置を取りましたか」
証人「半信半疑でした。シアン化合物とサリンが原因として疑われて。まさに『思案』して、皆で話し合ったのを覚えています」
緊張した法廷の空気が、ふと緩んだ。「どちらにしても薬物をどっさり確保しなければいけません。墨東病院の方針を決めなければいけませんでした」
弁護人「硫酸アトロピンとPAMのストックは?」
証人「硫酸アトロピンはよく使う薬品だが、一人の患者に数百アンプルと使うので、
足らなかった。PAMはあっても数アンプルで、確保しなければならないとの判断になった」
弁護人「信州大からの電話は?」
証人「『松本サリン事件に似ていると思う。もしそうなら、硫酸アトロピンやPAMが有効だ』という話だったが、半信半疑で電話を切りました」
弁護人「有機リン中毒と判断した理由は?」
証人「有機リン系の治療をやってみよう、あたったらいいという程度の判断で、間違いなくこれでいいという判断ではない」
11時58分、休廷。
午後1時13分、再開。
弁護人「(事件)翌日の3月21日に血圧が下がったが、なぜか」
証人「心電図をとった結果、心臓に何か変化が起きたとみられた」
弁護人「20日に有機リン系毒物を吸入して、翌日になって症状が出るというのは矛盾しないか」
証人「可能性として、(有機リン系毒物が)残留して悪さをしたのではないかと考えている」 「ということは、ほかの可能性も?」。弁護人は、男性の死因について証言のスキを突こうとする。
男性が陥った「記銘障害」は本当に地下鉄サリン事件のせいなのか。弁護士は専門用語を交えて細かく詰めていく。
弁護人「PTSD(心的外傷後ストレス障害)ではないと、どうして言い切れるのですか」
証人「PTSDについては書物による知識しかありませんが、男性の症状はそれとは全く違います」
弁護人「具体的には?」
証人「(男性には)記憶障害がありましたが、PTSDではそのようなことはありません」。浜辺氏は明快に断じた。
弁護人「その後、現在はどうですか」
証人「記憶力は全く改善していません。自分のしたことをメモを取りまくっている。それでなんとか一人で生活できる」
弁護人「何年かたっていますが、現時点でも回復していない?」
証人「そうですね。プライバシーにかかわることですが、職場は解雇されています。お母さんも『危ないね、一人で置いておけないね』と言っていました」
弁護人「改善の見込みは?」
証人「臨床医としてはあってほしいと思う。だが改善の確率は答えようがない」
3時2分、浜辺氏への尋問が終了し、休廷。
林泰男証人
3時22分、再開。林被告が入廷した。弁護人は前日に続いて、地下鉄サリン事件前日の行動を尋ねる。
弁護人「かつらと衣類を買った後、実行役の3人と平田(信容疑者)とで眼鏡屋に行きましたね」
証人「眼鏡屋は私と平田の2人だけです」
弁護人「眼鏡は?」
証人「私は自分の分一つだけ買いました」
林被告は、いったん駐車場に戻った後、京王デパートの地下食料品売り場に向かった。
弁護人「平田さんと2人で?」
証人「平田、豊田(亨被告)と3人で行っています」
弁護人「デパートで平田さんとどんな話をしたのか」
証人「地下鉄サリンについて、『こんなことをしても、どうせうまくいかないだろう』と話をした」
弁護人「どうして?」
証人「村井(秀夫元幹部=故人)の性格や教団のそれまでの数々の失敗がありましたから。村井はアタッシェケース事件でも失敗しているので、今度もうまくいかないのではと思っていました」
弁護人「でも松本サリン事件はうまくいったでしょ」
証人「あれは非常に例外的で、なにかの間違いと思いました」
弁護人「サリンさえできれば実現可能だったのでは」
証人「想像していなかった。それは平田君も同じように思っていました」
弁護人「平田君はどう思っていたのか」
証人「平田君は霞が関のアタッシェケースと仮谷(清志)さん(事件)があって、
『もう二度とそういうことはしたくない』と言っていました」
弁護人「3人でいた時、携帯電話があった?」
証人「いや、平田と2人の時だと思います。内容は覚えていないがドキドキした。
自分たちが遊んでいるところを見透かされているように思ってです」
弁護人「杉本(繁郎被告)さんが『ホテルを探しておかなくていいのか』と電話したのでは?」
証人「杉本さんはウソを言う人ではないので、それが正しいのではと思います」
弁護人「3人で今川のアジトに戻ったのは午後6時半か7時ごろですか」
証人「そうです」
弁護人「その後、井上(嘉浩被告)さんが来たでしょ。具体的話になった?」
証人「非常に短時間で指示の確認があった」
弁護人「運転手役が代わったことを井上さんから言われた?」
証人「はい」
弁護人「井上さんは運転手役が代わったことを『麻原さんが決めた』と言ったの?」
証人「はい。明確に記憶しています」
弁護人「村井さんから、『尊師が運転手役を決めた』と井上さんが聞いて、あなたに伝えたのか?」
証人「わかりません。井上君が直接麻原から聞いたと感じましたけど」
弁護人「運転手役や実行役は井上さんが決められるの?」
証人「決めて行うのは不可能。役割分担は、麻原の意思があって行動しないとポアが成り立たない。意思に反して弟子が行っても、ポアにならない」
弁護人「井上さんや村井さんなら決められるのでは」
証人「人選は不可能だと思う」
弁護人の質問は、地下鉄サリン事件前日の宗教学者の元自宅爆破事件に移る。
弁護人「なぜ(現場の)家に行ったの?」
証人「井上君に軽い感じで『よかったら来ない?』と気軽に呼ばれたので。そんなことになると思わなかった」
弁護人が交代する。
弁護人「(宗教学者の元自宅)爆弾、青山総本部火炎瓶事件の目的は井上被告からどう説明された?」
証人「説明された記憶はない。私自身は騒ぎを起こして警察を混乱に陥れるというのがあったと思う」
弁護人「渋谷アジトで運転手が新実智光被告に変更されたね。理由は聞いたか」
証人「新実は自治省だった。麻原は身近な自治省を気軽に使うことができたし、自治省は教団内外の監視役で、このときも全体の監視役をやるのだと思った」
弁護人「北村浩一(被告)君が運転手に選ばれているね。どんな関係か」
証人「麻原の外出のとき運転に同行したことがあるが、個人的な付き合いはなかった」
林被告は、抑揚のない声で淡々と尋問に答える。松本被告が「オウム真理教の本質は……」などとつぶやいても、動じない。
弁護人「外崎(清隆被告)さんも選ばれているね。あなたとの関係は?」
証人「劇の照明係を一緒にしたことがある。一緒に食の破戒もした」
弁護人「オウム食以外のものを食べることか?」
証人「はい」
弁護人「高橋克也(容疑者)との関係は?」
証人「実家に行ったことがある。両親を勧誘する目的だった」
弁護人「渋谷アジトでふろに入っていますね」
証人「覚えていません。ただ想像すると無精ヒゲも伸びていてみっともないので、さっぱりしたいと思ったと思います」
弁護人「ほかの人は?」
証人「実行役は全員入りました」
5時3分、閉廷。