松本智津夫被告第75回公判
1998/4/23
(毎日新聞より)



裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:山本 信一(49)=東京地検公判部副部長ら7人
弁 護 人:渡辺  脩(64)=弁護団長
      大崎 康博(64)=副弁護団長ら12人
被   告:松本智津夫(43)
検察側証人:牧野 義文(46)=東京医科大病院医師
      茂木  隆(46)=警視庁警察官
      樋口 伸夫(44)=長野県警警察官
      (敬称・呼称略)

 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第75回公判は23日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれた。地下鉄サリン事件の被害者の治療に当たった医師に対する弁護側反対尋問と、松本サリン事件の捜査にかかわった警視庁と長野県警の警察官に対する尋問が行われた。傍聴希望者は171人だった。
 午前9時58分、松本被告が入廷した。紺色のジャンパーにズボン姿。髪の毛がボサボサに乱れている。
 こげ茶色のスーツに身を包んだ東京医科大病院の牧野義文医師が、陳述席に座った。牧野氏が治療に当たっている女性は、31歳で地下鉄サリン事件に巻き込まれ、いまも入院中だ。昨年12月の主尋問を受けて、弁護人が反対尋問を始めた。女性は搬送時、すでに肺水腫(しゅ)を起こしていた。
 弁護人「営団地下鉄中野坂上駅で、午前8時25分前後に被害にあったと思うが、その後30分前後で肺水腫は起きるのか」
 証人「時間とガスの吸収量によって起きると考えていいと思います」
 弁護人「『下がく呼吸』というのは?」
 証人「『下がく呼吸』は、酸素が不足して、少しでも多く空気を得るため、あごを広げようとして行います。呼吸困難な状態であることを示しています」
 弁護人「『9時15分来院時、脈拍150、血圧138、呼吸24回、ただし下がく呼吸』とあります。血圧は高いのでしょうか、低いのでしょうか」
 証人「その記述に続いて『触』とあります。血圧は、普通は聴診器や機械を使って測定しますが、極めて弱くて測定できず、かろうじて手で触れて確認できたということです」
 弁護人「血圧が低いわけではありませんね」
 証人「血圧が触診でしか測れないということは、十分に血が送られていない可能性があることを意味しています」
 証人は講義を行っているかのように、ていねいに説明する。しかし、傍聴席では早くも眠っている人の姿が目につく。松本被告も目を閉じたまま動かない。
 弁護人「回答書ですが、平成7(1995)年3月20日の何時ごろに作成しましたか」
 証人「救急隊が到着して引き継ぎを聞きながら書いている。救急隊も脱力感や呼吸苦があったので、後で聞き足したこともある」
 弁護人「回答書4枚目の病歴欄に『ガス中毒か』と記載がありますが、この根拠は?」
 証人「救急隊員の報告で、『患者の病状を診ているうち動けなくなった』と。第2隊も『息苦しくなってきた』というので、何も触らずにそういう状態になればガス中毒を想定するのが一つ。発症形式から救急隊員も同じ判断をしていた」
 弁護人「サリンという情報は、警察からサリンを疑っていると聞いたということですね。20日午前11時30分となっているが、その記憶は?」
 証人「時計を見たので11時30分前後の記憶がある」
 弁護人「さまざまな情報でサリンが疑われ、PAM(解毒剤)と硫酸アトロピンを投与したとあるが、治療を始めたのはいつか」
 証人「正確な時間は記憶にない」
 弁護人「午前11時半に警察からサリンが疑わしいと連絡があり、それから投与までの時間は?」
 証人「おそらく1時間前後かかった」
 弁護人「理由は?」
 証人「それ以前にシアン中毒の治療を行っており、人工呼吸をしていた。治療の切り替えに遅れが出た」
 弁護人「シアン中毒に対する治療と、有機リン系中毒の治療とは矛盾、反発することはないのか」
 証人「お互いに干渉することはないと思う。シアンは危険度が高く、どちらか判断に迷ったらシアンを優先せざるをえない」
 「被告人、被告人、起きなさい。ちゃんと聞いていなさい」。阿部裁判長が松本被告に注意した。頭を垂れていた松本被告は、背中を弁護人に揺すられ、不機嫌そうに頭を上げた。
 弁護人「PAMには筋力を回復する効能がある?」
 証人「この女性は筋力がなくなっていましたので、呼吸をする筋力が回復しないかと思ってPAMを投与しました」
 弁護人「当日は15〜16人を診たということですが」
 証人「重篤な方もおれば、『(目の前が)暗い』という程度の軽い方もおられました」
 弁護人「硫酸アトロピンはストックだけで足りましたか」
 証人「院内で足りました」
 弁護人「PAMは足りなかった?」
 証人「投与が必要と判断した患者の分は足りました」
 弁護人「3月24日に女性へのPAMの投与を中止したと記載されてます。硫酸アトロピンについては血圧の関係で投与が難しかったとわかりましたが、PAMは短期間に集中的に投与して効果があるのでは?」
 証人「1回目の投与で、呼吸が大きくなったり、体に動きが出るなど十分な効果がなかった。この方の場合、筋力が弱っているので、人工呼吸とか、PAMの効果が不十分でも生命を維持できる処置を行っている」
 弁護人「コリンエステラーゼの値が3月24日に回復しているが、それはPAMの効果ではないのか」
 証人「コリンエステラーゼの補充のために血しょう剤も使った。その効果とも判断した」
 午後0時2分、休廷。


 1時15分、再開。
 弁護人「9時15分の女性の来院時の状態について、死亡の可能性があったと述べておられるが、呼吸数24、脈拍数150、血圧138という数値はそれほど悪いのか」
 証人「脈拍数150はかなり高い。血液が、体内に十分な栄養を供給するように順調に流れている状態ではない。死亡するかもしれないと判断した」
 弁護人「9時45分には血圧が138から『179の81』に変化した。これは回復したのか」
 証人「脈拍数は149で変化が少ない。回復兆候はあるが、なお重篤な状態だと判断した。輸液、強心剤の投与をした」
 弁護人「9時45分になってアセトニトリルが検出された。アセトニトリルとシアンの関係は?」
 証人「アセトニトリルは体に吸収されるとシアンが作られ、中毒症状を起こす。それで治療を始めた。シアンは有機リンよりも危険な状態になる」
 弁護人「20日の時点で、シアン中毒ではない、という認識を持っていた?」
 証人「ない可能性があるとは認識していたが、毒性を考えた場合、治療を優先しなければならず、シアン中毒治療を行った」
 弁護人「原因物質について他の病院と情報交換はなされたのですか?」
 証人「治療に手を取られていて連絡が取れなかった。日本中毒情報センター、中毒110番というところにも電話を入れたが、当然のことながら話し中で、連絡が取れなかった」
 弁護人「脳の変化はどれぐらいで出てくるのか」
 証人「24〜48時間の間に脳のはれが出る。脳の表面にはでこぼこのへこみがあり、脳溝と呼ぶが、中の脳がはれてふくれるため、脳溝がわからなくなる。被害者も同様の症状だった」
 弁護人「高圧酸素療法。これは一酸化炭素中毒の時にも使われるようですが、なぜ施したのか」
 証人「一酸化炭素中毒を含め、脳に酸素を送り込めなくなる。このような場合、高圧酸素療法は進行を止める。ほかの治療を全部やって、最後に高圧酸素療法が残されたのでやった」
 弁護人「女性は、話す内容を理解できるまでに、平成7年6月の段階でなっている」
 証人「話す内容というか、会話ではなく指示を理解できると」
 弁護人「知能程度は2、3歳程度と主尋問で言ったが、もう少しいいのではという印象を受けるが」
 証人「現在面会のチャンスがあるが、『おはようございます』と言えば『おはよう』と返事をする。『どこへ行きたいですか』と聞けば『散歩』と。それ以上の複雑な会話を理解している様子はありません。だから知能としてはその程度だろうと判断した」
 弁護人「事件当日の20日まではシアン中毒の治療をして、翌日からやめたのか」
 証人「シアン中毒の治療はその日のうちにやめた。有機リン中毒は20日から後も継続していった」
 弁護人「サリンによる中毒と判断したのは?」
 証人「コリンエステラーゼの検査結果を待って、有機リン中毒に間違いないと判断した。さらに他のほとんどの患者に縮瞳(しゅくどう)が起きているのをみて、ガス体の有機リンだと推定した」
 痛々しい被害実態が、生々しい言葉で語られていき、2時45分、牧野氏に対する尋問が終了した。

 代わって松本サリン事件の捜査を担当した警視庁碑文谷署員の茂木(もてき)隆氏が証言に立つ。茂木氏は、松本サリン事件の噴霧器設置車両を撮影したネガフィルムの任意提出を受けていた。
 検察官「ネガフィルムはだれから入手したか」
 証人「警視庁捜査1課の殺人犯捜査係にいて、(山梨県)上九一色村の竹内精一さんから任意提出を受けた」
 茂木氏は当時の捜査1課管理官の指示で、竹内さんから1995年6月、ネガフィルムを受け取った。事件後に噴霧装置を取り外していたサリン噴霧車が、事件8カ月後の同年2月、上九一色村で自損事故を起こしたところの写真だった。
 検察官「車種は?」
 証人「アルミコンテナ車です」
 検察官「写真はどうやって入手したのか。なぜ竹内さんに聞いたのか」
 証人「竹内さんはオウム真理教の反対運動の会長のようなことをしていたので、本人が撮影したか、あるいは撮影者が分かると思った。下命を受けたその日に電話して、95年2月にアルミコンテナ車が自損事故を起こし、写真撮影した、ということだったので、任意提出を求めた。快く承知してくれた」
 検察官「アルミコンテナ車の行方は捜査したか」
 証人「はい」
 検察官「どうなっていましたか?」
 弁護人が異議を唱えた。「裁判長、立証趣旨では、ネガの任意提出と焼き付け作業だけになっているのに……」。これに対し、裁判長が「『等』と書いている?」と尋ね、傍聴席から小さな笑い声が起こる。
 検察官「関連事項ということで……」
 裁判長「どうしても必要ですか」
 検察官「じゃ、またということで」
 3時3分、休廷。


 3時21分、再開。弁護人が反対尋問を始める。証人がネガフィルムの任意提出を受けるまでのいきさつを尋ねる。「竹内さんの名前は、どうして出たのか」。
 証人「(95年)5月ごろに会っていたから」
 弁護人「上司はどんな指示をしたのか」
 証人「写真を撮った人がいる。反対運動をしている人だが、その人から写真を入手しろと言われた」
 弁護人「だれに聞いたらいいのか考えた?」
 証人「考えました。私の判断で竹内さんに聞くことにした」
 弁護人「会うのを約束したのはその時?」
 証人「そうです」
 弁護人「4枚の写真の下側に日付が写っている。撮影年月日は直接、竹内さんから聞いた?」 証人「任意提供を受けるまで聞いていない。焼き増しした時に確認した」
 弁護人「竹内さん自身はプリントを見たの?」
 証人「見ていない。確認したが『見当たらない』と。それでネガだけ任意提出を受けた」
 3時47分、茂木氏への尋問が終わる。3時49分、19年間にわたり鑑識捜査を担当してきた長野県警鑑識課の樋口伸夫氏が入廷した。検察官が松本サリン事件当時の行動を尋ねる。
 証人「県警本部鑑識課の指示で、松本署刑事課鑑識係長として、北深志1丁目の開智ハイツ、松本レックスハイツ、明治生命寮の周辺と駐車場の実況検分と資料採取を行った」
 検察官「指示内容は?」
 証人「北深志1丁目付近で多数の死傷者が出ており、何者かによる嫌疑もあるため、場所や手段、方法を調べるように言われた」
 検察官「着手日時は」
 証人「94年6月28日午前6時です」
 検察官「当時、原因は何か推定できたか」
 証人「何らかの毒性ガスが原因と考えたが、何かは分からなかった。ガス漏れの線は薄いと思った」
 検察官「いつまで?」
 証人「同年7月5日午後9時15分までです。実況検分の範囲が広範囲で、草木の枯れが日を追うごとに変化が表れた」
 法廷内はむし暑い。刑務官が脱いだ帽子についた汗をハンカチでぬぐう。
 検察官「池、建物の周辺などについての距離が書いてありますね。測定したのはなぜですか」 証人「池周辺の枯れが著しく、池が発生源じゃないかと考えたからです」
 検察官「駐車場を27区画に分けて土砂を採取してますね。1区画の大きさは?」
 証人「2メートル四方です」
 検察官「どうしてそこの土砂を採取したのか」
 証人「何者かが毒物を発生させたとすると、駐車場東側が発生源と考えられたからです。わずかに白く土砂が変色していました」
 検察官「白い変色は何だと思いましたか」
 証人「犯人が発生させた毒物だと思いました」
 検察官は、土砂の採取方法などを確認する。
 主尋問が終わり、4時10分、閉廷。松本被告は傍聴人が全員退廷するまで、ピクリとも動かなかった。