松本智津夫被告第78回公判
1998/5/8
(毎日新聞より)



裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:西村 逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら4人
弁 護 人:渡辺  脩(64)=弁護団長
      大崎 康博(64)=副弁護団長ら12人
被   告:松本智津夫(43)
検察側証人:楜沢 唯幸(57) 太田 辰夫(45)=以上長野県警警察官
      林  泰男(40)=元教団「科学技術省」次官
(敬称・呼称略)


 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第78回公判は8日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、松本サリン事件の捜査にかかわった長野県警の警察官2人に対する証人尋問と、地下鉄サリン事件で実行役の一人とされる元教団幹部、林泰男被告(40)に対する8回目の弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は110人で、過去最低だった。

 午前9時57分、開廷。松本被告は前日と同じ紺のTシャツにジャンパー姿で、静かに席についた。傍聴席最前列には教団の荒木浩・広報副部長が座り、松本被告に視線を注ぐ。

 この日最初の証人、長野県警の楜沢(くるみさわ)唯幸氏に対する検察側主尋問が始まる。30年近く鑑識捜査にあたってきたベテランだ。松本サリン事件では、犠牲者1人を出した明治生命寮の実況見分にあたった。
 松本被告は黙って証言を聞いている。机の上で組まれた両手は透き通るぐらいに白い。逮捕から3年たとうとする歳月を、物語っているようだ。
 主尋問が終わり、弁護人が反対尋問に立つ。楜沢氏は事件当時、同県警鑑識課の第4機動鑑識班に所属していた。松本サリン事件では、第1から第4まですべての機動鑑識班が現場に出たという。
 弁護人「今回は実況見分で始め、後に検証に変えたそうですが、その違いを聞かせてください」
 証人「検証は強制捜査、実況見分は任意捜査の一環です」
 弁護人「任意の実況見分なら利害関係人の承諾を受ける。明治生命寮ではだれの承諾を受けましたか」
 証人「管理人です」
 弁護人「なぜ302号室だけ検証許可状が請求されたのか分かりますか?」
 証人「たぶん、榎田(哲二)さんが亡くなられたからだと思います」
 松本被告は前かがみになって、やりとりをじっと聞いている。
 弁護人「管理人の調書を見ると、管理人の家族3人とも病院に収容された、とある。あなたが書いた記憶はありますか」
 証人「はい」
 弁護人「病院に収容された人が実況見分に立ち会っていたんですが?」
 証人「私の勘違いです。病院に行ったので収容と書いた」
 弁護人「本当は収容ではない?」
 証人「はい。戻ってきました」
 弁護人は、実況見分に入るまでの経緯を細かく聞いていく。楜沢氏は、1994年6月28日午前3時ごろ、同県佐久市で「松本で大きな事件が発生した」と出動命令を受け、現場に向かった。現場に着いたのは、午前5時20分ごろ。ガスの検知器を持参したが、「すでに検知した」と言われ、使わなかったという。
 傍聴席で目を閉じる人の姿が目立つ。荒木副部長も、いつのまにかメモを取る手を休め、頭を垂れている。松本被告は、時折不愉快そうにしかめっ面を繰り返した。
 楜沢氏は明治生命寮302号室から検分を始め、他の被害者が出た部屋なども順次、検分していった。
 弁護人「検証調書を見ると『被疑者不詳による殺人被疑事件の有毒ガスの流入経路』とあるが、そういう認識があったのですか」
 証人「そうです。有毒ガスが発生し、こうなったと思いました」
 弁護人「偶発的な事故の可能性は、実況見分の段階でなかったのですか?」
 証人「殺人の可能性が強かったと思います」
 弁護人「殺人被疑事件と記載しろという指示があったのですか? それとも自分の判断?」
 証人「自分の判断というか……、そうですね」
 弁護人「有毒ガスがどちらから流入してきたのかという点については?」
 証人「実況見分中に方角的には分からなかったが、翌日には西側と分かった記憶がある」
 弁護人「有毒ガスは何だと思いましたか」
 証人「わかりません」
 弁護人「今は?」
 証人「サリンという結果が出ていると聞いています」
 弁護人「検証許可状は302号室しか出ていないのに、建物全体が検証調書になっている」
 証人「一部屋だけを書くより建物全体を書いた方が分かりやすいと思った」
 弁護人「問題があると思うが。大半は検証ではなく、実況見分でしょ?」
 証人「厳密に言えば、強制と任意の差がある。今思えば、別々に書いたほうがよかったと思う」
 11時56分、休廷。


 午後1時12分、松本被告が入廷。ひざに手を置いて、目をつぶったまま。1時15分、再開。
 弁護人「6月30日には毒ガスの流入が西側からと見当がついたという話があったが、西側には河野義行さん宅がありますね」
 証人「河野さんの家だけではありません」
 弁護人「調書に、鳥の死がいが河野さん宅の樹木の伸びている側に集中、とあるのは覚えていますか」
 証人「覚えています」
 弁護人「有毒ガスが農薬に関係すると考えていなかったか?」
 証人「考えておりません。私はわかりませんでした」
 弁護人「敷地の実況見分で、葉や虫の死がいを集めたのはなぜか」
 証人「犯人が残した毒劇物の収集のためだ」
 弁護人「採取した物の中からサリンは出たのか」
 証人「浴室の洗面器の水から出たと聞いている」
 弁護人「葉や虫からは?」
 証人「聞いていない」
 弁護人「302号室には換気扇はいくつ?」
 証人「換気口なら各部屋ごとにあった」
 弁護人「浴室に換気口は?」
 証人「ありました」
 弁護人「浴室に入った時、異臭は?」
 証人「特別感じなかった」
 うつむいたまま動かない松本被告。居眠りしているようだ。裁判長が「ちゃんと起きなさい」と注意。松本被告は「あなたなのか。裁判官なのに……」と早口でしゃべり始める。検察側は苦笑いを浮かべる。
 弁護人「空気を若干採取したとあるが、なぜ?」
 証人「空気中にガスが混じっているかもしれないと思ったから」
 弁護人「明治生命寮でほかに空気を採取したところは?」
 証人「302号室の浴室だけです」
 弁護人「空気からサリンを検出したと聞いてるか?」
 証人「聞いていない」
 弁護人「ガラス戸が全開になっていたのに加え、窓も全開状態になっていることについて、いつだれが開けたか調べたか?」
 証人「調べてはいないが、立会人の話では『窓はいじってない』と」
 弁護人「榎田さんが死んだ時、ガラス戸が開いていたと考えてる?」
 証人「わからない」
 弁護人は各部屋での検証状況について、手元の調書を見ながら細々とした質問を続ける。「4年前のことなので、調書に書いてある通りです」と答える楜沢氏。「部屋は和室だったのですか?」「記憶がないのかなあ?」。弁護人の質問攻勢に、楜沢氏もうんざりした様子だ。
 弁護人「寮全体の各部屋について、窓ガラスが開いているか開いていないかによって、被害はどうだったか」
 証人「亡くなられた302号室の榎田さんのふろの窓は全開でした。より多くガスが流入したと思われる」
 弁護人「水の入った洗面器は浴室のどこに?」
 証人「ガスがまの上では」
 弁護人「水は何分目?」
 証人「底の方に1センチちょっと。250ミリリットルの容器にほぼいっぱい採取した」
 2時35分、楜沢証人への尋問が終わった。代わって同県警鑑識課現場係長の太田辰夫氏が入った。事件当時は捜査1課強行係長。犠牲者の伊藤友視さん、瀬島民子さん、榎田さんの司法解剖に立ち会った。
 検察官「医師から任意提出を受けた3人の血液は、どうしたか」
 証人「鑑定のため、科学捜査研究所に渡した」
 「証人、ちゃんと聞いていなさい」。裁判長が松本被告をにらんだ。被告は頭を上下に揺らしながらうとうとしている。深く垂れた頭が、いまにも机に当たりそうだ。「ちゃんと聞きなさい」。再び裁判長にしかられた松本被告は、ブツブツと言ってまた頭を垂れた。
 検察官「榎田さんの血液鑑定書とその他の血液鑑定書が別々に作られているのはなぜ?」
 証人「榎田さんについては、最初に解剖して至急血液を採取し、先に鑑定しているので、別々になったのだと思う」

 2時55分、休廷。


 3時14分、再開。
 弁護人「事件の最初の連絡は?」
 証人「松本署管内で何人か倒れて病院に収容される事件があったので出てきてくれ、いう内容」
 弁護人「どこに?」
 証人「1課に出た。午前0時半から1時ごろだったと思う」
 弁護人「その後は?」
 証人「死亡した人が確認されたと聞いて、管理官と現場に行った。1時半か2時だった。私の運転で行った」
 弁護人「最初にどこの建物に行ったか」
 証人「亡くなった人が見つかったと聞いたから、開智ハイツです。午前3時を少し回ったころでは。3人の遺体があると聞いた」
 弁護人「他のマンションの死者は?」
 証人「車の無線だったか、現場だったか、隣りの松本レックスハイツでも亡くなった人がいると聞いた」
 犠牲者7人の遺体は松本署の道場に運び込まれ、午前7時ごろから検視が始まった。信州大の2人の医師が血液を採取した。
 弁護人「血液採取はどのような手続きか」
 証人「犯人が遺留した毒物が血液内にあると判断したので、『遺留物の領置』ということで行った」
 弁護人「この場合の遺留物とは?」
 証人「毒物です」
 弁護人「実際に採取したのは血液でしょ」
 証人は反論した。「血液の中に毒物がある。血液と毒物は分けられない」。
 弁護人は食い下がる。「体内の血液を遺留物と言えるのか」
 証人「そう判断した」
 弁護人「だれの指示か」
 証人「わからない」
 弁護人「手続き上問題があった、という認識は?」
 証人「問題があったとは思わない」
 弁護人「実況見分の際、全員から血液を採取したのは間違いない?」
 証人「はい」
 弁護人「指示を出した時点で、何らかの毒物だと認識していた?」
 証人「そうです」
 弁護人「経験から見てこんな毒物じゃないか、と見当はつけた?」
 証人「有機リン系の物質が作用したんじゃないかと。立ち会った医者もそう言ってたし、病院からも『縮瞳(しゅくどう)がある』と聞いた」
 弁護人「7人の遺族は警察署に来ていたか」
 証人「直接会っていないが、松本署の警察官が連絡を取った。血液の採取時にいたかどうかは分からないが……」
 「そうかなあ」と大声を出す弁護人。「全員は不可能だと思うよ。後で承諾書を作成したとかは?」
 証人は「私は取っていないが、松本署で連絡を取っているから……」。弁護人が「後で解剖するのに、どうしてそんなに急いで血液を採取したのか」とたたみ込む。証人は苦笑しながら「一度にあれだけの被害者が出た事件だし、毒物が何か早く究明する必要があった」とかわした。
 弁護人が、解剖に立ち会った目的を証人に尋ねる。「捜査の参考にするため」との答えに、弁護人は「そうじゃないでしょ」と詰め寄った。「あなたの作った捜査報告書には、『毒物検査を行うため』とある」
 証人「立ち会って毒物検査のため、という意味。死因が毒物と推定されたので、血液などの任意提出を受けることも仕事の中に入っている」
 弁護人「それでは捜査の参考というより、毒物による殺人の疑いがあるからということになる」
 証人「いったい何を聞こうとしているのか、よく分かりません」
 弁護人の追及に証人が戸惑いを見せると、裁判長がたまりかねたのか「何のために聞いているのか」と口をはさんだ。
 弁護人「ほかの事件で死体解剖で血液などの任意提出を受けたことはあるか?」
 証人「薬物を飲んだとか、飲まされた疑いがある場合や、身元不明の時も血液型が必要なので、先生から任提を受ける」
 弁護人「血液は容器にどれくらい入れたのか」
 証人「7、8分目ぐらい。大きい瓶で150ミリリットル、小さい方で50ミリリットルぐらいの容器だった」
 弁護人「専門書に、100ミリリットル以上は採取しなければならないとあるが?」
 16年の鑑識経験を持つ太田氏は反論した。「これまでも毒物鑑定ではそれぐらいの量で足りている」
 弁護人「伊藤さんら3人は報告書が一つなのに、榎田さんについては、血液と脳・肺の二つの報告書があるのはなぜ?」
 証人「榎田さんだけは、科捜研から早急に血液を渡してくれと言ってきたから。毒物が何かを早く鑑定したいからだ、と理解した」
 弁護人が、血液の鑑定結果について尋ねた。
 証人「毒物が検出されました」
 弁護人「何ですか?」
 証人「血液からサリンの生成物とか分解物とか、そういうものです」
 5時4分、太田氏への尋問が終了した。

代わってこの日、尋問が予定されていた林泰男被告が入廷、裁判長が「5時になったので、尋問できなくなった。申し訳ない」と伝えた。5時7分、閉廷。