松本智津夫被告第80回公判
1998/5/22
(毎日新聞より)
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)の第80回公判は22日、東京地裁(阿部文洋裁判長)で開かれ、松本サリン事件の証拠物の科学分析を担当した警察職員3人に対する検察側主尋問と、地下鉄サリン事件で実行役の一人とされる元教団幹部、林泰男被告(40)に対する8回目の弁護側反対尋問が行われた。傍聴希望者は126人だった。
裁 判 長:阿部 文洋(52)
陪席裁判官:(48)
陪席裁判官:(40)
補充裁判官:(35)
検 察 官:西村 逸夫(47)=東京地検公判部副部長ら4人
弁 護 人:渡辺 脩(64)=弁護団長
大崎 康博(64)=副弁護団長ら12人
被 告:松本智津夫(43)
検察側証人:瀬戸 康雄(41)=警察庁科学警察研究所職員
杉本 良一(45)=警視庁科学捜査研究所職員
小林 寛也(34)=長野県警科学捜査研究所職員
林 泰男(40)=元教団「科学技術省」次官
(敬称・呼称略)
21日と同じ紺色のシャツ、ズボン姿の松本被告が午前9時58分に入廷。あごひげに白いものが目立ち、左胸のポケットに白いハンカチのようなものが見える。
裁判長が開廷を告げ、警察庁科学警察研究所の瀬戸康雄氏が証言を始める。瀬戸氏は、松本サリン事件(1994年6月27日)で被害者の血液鑑定、現場から採取された資料の分析を担当した。
検察官は分析方法などについて質問し、瀬戸氏は専門用語をまじえ早口で答える。
検察官「まとめますと、通常は1種類の分析方法なのを、4種類の方法で分析したのですね」
証人「はい。後に分かったことですが、世界で初めてサリンを使った前代未聞の事件なので、慎重を期しました」
検察官「血中の毒物含有検査結果は?」
証人「サリン化合物が検出されました」
検察官「池の水や亡くなった人が住んでいた建物の窓をぬぐったものの鑑定結果は?」
証人「サリン化合物が検出されました。採取現場でサリンを含むガスが散布されたと考えられます」
10時39分、主尋問が終わった。
10時40分、代わって警視庁科学捜査研究所職員、杉本良一氏が入廷した。杉本氏は同研究所物理科に所属し、電気関係の鑑定の専門家だ。松本サリン事件で押収された金属製のサリン加熱容器の鑑定を担当した。
検察官は、容器の加熱能力を中心に聴いた。理科の授業のようなやりとりが延々と続く。
検察官が、電力値と抵抗値の関係式を書くよう証人に求める。書き終えた証人が「これがオームの法則と呼ばれるものです」と説明。弁護団がにやにやと笑う。阿部裁判長もつられたように笑みを漏らした。
この容器のヒーターの電力は7キロワット前後。家庭用ヒーターは600ワットから1キロワットで、杉本氏は「家庭用と比べれば、かなり早く湯を沸かす能力がある」と述べた。
主尋問が終わったところで、弁護人の一人が手を挙げた。「文献は何を読んだらいいのか」。証人は「電熱工学関係の本を読んで下さい」と返す。さらに別の弁護人が「今の記号の説明を書いてほしい」と求めた。
すかさず裁判長が「それは小学生の教科書に出ています」と割って入った。後列の弁護人が「中学生ですよ」と反論。あきれた顔の裁判長が「ではIは何か、Vは何か、書いて下さい」と杉本氏に指示した。
11時20分、3人目の証人、長野県警科学捜査研究所の小林寛也(かんや)氏が入廷した。亡くなった榎田哲二さん方の浴室洗面器の水の鑑定方法について説明する。最初のガスクロマトグラフィー検査の結果から、「あまり経験したことのないものになりそう」と感じたという。さらに鑑定を進め、サリンの可能性が高いことから、微量のサリンを合成してデータを比較した。
現場周辺の池や井戸の水について、小林氏は「サリンのほか、サリン副生成物のメチルホスホン酸ジイソプロピルや分解物のモノイソプロピルを検出した」と証言した。
だが、小林氏が鑑定した犠牲者の血液からは、サリンやその関連物質は検出されなかった。
検察官「科警研の鑑定ではサリン関連物質を検出しているが、この差はなぜ起きたと思うか」
証人「装置と私の手法の違いだと思います」
検察官「感想は?」
証人「科警研はサリンを念頭に鑑定したが、私が鑑定したのは事件翌日の午前中で、サリンのことは全然考えていなかった。私の鑑定方法でもしメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されていたとしても、見落とした可能性があると思います」
午後0時12分、小林氏への主尋問が終わり、休廷。
1時25分、開廷。証人として出廷した林泰男被告はグレーのスーツ姿でややうつ向きかげんに座った。冒頭から松本被告は「石井に質問する」「理解しなさい」などと発言する。
弁護人「ポアが被告の意思に沿って殺すことと理解していましたか」
証人「地下鉄にサリンをまくことの協議があった時は、ポアが殺人という認識はありました。それ以前は殺人にかかわる指示はなかったので考えたことはありません」
弁護人「(協議の時)村井(秀夫元幹部=故人)さんの口からポアという言葉が使われ、初めて殺人と認識したのですか」
証人「そうではありません。以前に(猛毒物質の)VXである人たちを殺害したと知らされた時もポアという言葉で説明されました」
弁護人「1991年10月9日、第2サティアンでの説法で、麻原ががんで死んだ信徒にポアの儀式をしたと話したそうですが、死者に対するポアという意味であり、生きている人へのポアではないのでは?」
証人「はい」
松本被告の声が大きくなり、裁判長が「被告人は静かに」と注意する。
ポアの解釈をめぐる尋問が続き、弁護人が「信仰の言葉というのは日常とある種異なる言葉として理解しないとダメではないのですか」と問う。
証人「そういう言い方をされるなら、教団内で一般の説法でも、麻原は人を殺してもいいんだということは言っていない。それは裏の言葉で、一般のサマナに対して殺すことイコールポアとは使っていない。しかし、殺人というのが裏の意味であり、重要だ」
尋問は、地下鉄サリン事件の準備状況に移る。
弁護人「上九一色村の教団施設で遠藤(誠一被告)さんから錠剤を受け取ったと言うが、何の、どのような解毒剤と言われた?」
証人「解毒剤とは聞いたが、説明はなかった」
弁護人「あなたはどう思った?」
証人「サリンを吸った時に、薬を飲んでおけば影響が少なくなると」
サリンの入った袋の配布に質問が及ぶ。
弁護人「内袋が破れたものが残っていたので、あなたがそれを引き受けたという証言があったが」
証人「そういう言い方ではありません。私が手に取ってしまったから引き受けた」
弁護人「その際、破れたという話は」
証人「あったから私が確認するために手に取って、それを離さないまま、引き受けた」
弁護人は、事件当日に乗り込んだ駅が、検察官調書と公判での証言とで違う点を追及した。
弁護人「実行直前にどこから乗ったか覚えてないの」
証人「通常では考えられない精神状態で、他の部分も記憶はあいまいだった」
弁護人「上野駅から乗れという指示だったよね。仲御徒町駅からなぜ引き返さなかったの」
証人「上野駅から乗りたくないと思っていたから。戻ることは考えたくなかった」
弁護人「指示に逆らいたかったの」
証人「はい。すべての指示には逆らえないが、自分ではそれぐらいだった」
弁護人「犯行についてはどう考えていたの」
証人「やりたくなかった。何もしないで(降車予定だった)秋葉原に行きたかった」
弁護人「サリンの袋を破ることには逆らえないと思っていたの」
証人「はい」
弁護人が「なぜ」と問うと、証人は再び困った様子で「どう説明したらいいんでしょうね。もともと大きな目的で、命令を違えるのは反逆行為ととらえられると考えた」と答えた。
弁護人「警察関係以外の他の乗客に被害を及ぼさなくてもいいと思った」
証人「そう思ってではなく、この計画自体が無意味と思っていました」
林被告はその後の質問に対しても「やりたくないという思いはずっとありました。でも止めることはできないという思いが強かった」「どこにいてもじっとしていられなかった」「心の中で嫌だと思い続けていました」と、ためらい続けていたと証言した。
弁護人は、その「ためらい」にこだわる。「盗聴行為とか(麻原さんの命令を)拒否したことがあるようだが、理由をつけて実行しないということは考えなかった?」
証人「考えられなかった。実行直前、上野駅で降ろされるまで他の者と行動して、監視された状況にあった。降りた後、止めるような何らかのアクシデントが起きてくれればいいと思ったが、起きなかった」
弁護人が「本当にやりたくなかったかどうか疑問だ」と大声になる。つられて証人も「教団では自白強要剤を使っていたし、ウソは後々発覚する可能性が高い」と声を大きくした。
弁護人は「周りに危害が及ばなければいい、と念じた人が(サリン入りの袋を)4回も突くの」と、皮肉を込める。証人は「分からない」と声を落とした。
3時2分、休廷。
3時20分、再開。
弁護人は、駅の図面を書かせ、状況を細かく確認していく。
袋を傘で突き、サリンを発散させる状況に尋問は移った。「ぎゅうぎゅうではなかったが、周りの人と肌がつくぐらいの込み具合」の電車に乗り、「何も考えられない状況」で時間を過ごし、秋葉原駅に着く前にサリンを漏出させた、と林被告は証言した。
弁護人「突く時に息は止めたの」
証人「指示があったので、そうしたと思う」
弁護人は「自分の命を守るための指示なら守っているじゃないか」などと、矛盾した心理を突く。証人は丁寧な口調で「分からない」と繰り返した。
弁護人は、サリン発散後の状況を確認していく。
弁護人「精神的な葛藤(かっとう)は?」
証人「怒りが中心。自分と、自分に指示を与えた者に対するものだ。自分に対しては、指示通りに行動してしまったという怒り」
弁護人が「いくらでも引き返すチャンスあったよね」と再び皮肉を込めると、証人は「チャンスとは?」と問い返した。「やらないで済ますこと」と弁護人が声を荒らげる。「そうせざるを得ない状況だった」と証人がやり返す。
弁護人「そうせざるを得ない状況なのに、なぜ怒るの。自分が情けないと?」
証人「無性に腹立たしかった」
弁護人「他の者への怒りとは」
証人「私に指示を与えてきた井上(嘉浩被告)、村井、根本的に指示を与えたであろう麻原、そしてもともと計画を考え出した者たちだ」
弁護士は、渋谷のアジトに帰ってからの様子を尋ねる。証人は「騒ぎになった、つまり計画が成功した、という話があった。(井上被告は)単純に喜ぶというのとは違うが……ある程度の満足感、達成感というような言い方をしていた」と証言した。
証人は、犯行声明を出す計画があったことなどについて証言していく。
弁護人「報道でサリンの被害を見て複雑な気持ちだったでしょうね」
証人「はい」
ここで、松本被告が「一つだけ聞いていただきたいことが……」と大きめの声で切り出した。だれに向かって訴えているのか分からない。質問を中断された弁護人は制止もせず、後ろを向いて苦笑を浮かべた。
弁護人「マンションで新実(智光被告)さんから『これで1カ月ぐらい(強制捜査が)延びますかね』と聞かれ、あなたが『よくて1週間ぐらいじゃないですか』と答えているが、どう思っていたの」
証人「すぐにでも強制捜査が入ると思っていた」
弁護人「ではなぜ1週間と言ったの」
証人「1カ月と麻原が言っていたと聞いたので、完全否定することは言いづらかった」
弁護人「教団が強制捜査をされて、壊滅するとは思わなかったのですか」
証人「それは考えませんでした。教団はサマナの信によって支えられ、それが崩れないと壊滅するとは思いませんでした」
「NHKの小論文講座を一緒にやって……」。5時前になって、松本被告の不規則発言が続く。裁判長が「静かに」と注意しても、止まらない。
弁護人の質問が終わる。裁判長が、検察側に比べて圧倒的に長い弁護側の質問時間を指摘し、「もう少し要点を」と要望する。
5時3分、閉廷。