林郁夫被告に無期懲役判決
1998/5/26
(毎日新聞より)
1995年3月、死者12人、負傷者5000人以上を出した地下鉄サリン事件の実行役の一人とされ、計6事件で殺人、殺人未遂罪などに問われた元オウム真理教幹部の林郁夫被告(51)に対し、東京地裁は26日、求刑通り無期懲役を言い渡した。
山室恵裁判長は、地下鉄事件を松本智津夫(麻原彰晃)被告(43)を首謀者とする組織的な無差別大量殺人と認定したうえで、容疑者が浮かんでいない捜査段階での林被告の供述を「自首」と判断し、事件の全容解明に貢献し、教団の将来の凶悪犯罪防止に影響を与えた点を考慮した。地下鉄事件の殺人と殺人未遂罪で起訴された14被告の中で判決は初めてで、他の被告や松本サリン事件の公判などに影響を与えるとみられる。
判決は「地下鉄事件の残虐性、結果の重大性、遺族の処罰感情などから考えると、被告の刑事責任はまことに重大でこれを償うには極刑で臨むほかない」と述べた。しかし、「自首したのを皮切りに捜査や公判を通じ自己の知る限りを詳細に供述し、教団の犯罪解明に多大な貢献をした。供述で松本被告ら上層部の検挙につながり教団の解体と、将来の組織犯罪防止に貢献した」と評価した。
また「『やっぱり生きていちゃいけないと思います』との被告の言葉は自己保身の意図はうかがわれず、極刑を覚悟したうえでの胸中の吐露であって反省、悔悟の情は顕著である」と理解を示した。
最後に「事情に鑑みると死刑だけが正当な結論とはいい難く、無期懲役をもって臨むことも刑事司法の一つのあり方として許されないわけではない」との考えを示した。
林被告が問われたのは地下鉄事件のほか、東京・目黒公証役場事務長の逮捕監禁致死や元信者監禁など5事件。判決言い渡しは午前10時から始まり、山室裁判長は主文(量刑部分)を後回しにし、判決理由から朗読した。
、地下鉄事件を起こした松本被告らの動機について「教団施設に強制捜査が入るのを阻止するため首都圏を大混乱に陥れようと考えた」と認定し、「発想は稚拙、短絡的で、自己中心的体質に根ざしたもの。教団の反社会性、武装集団としての性格が事件を引き起こした遠因。組織防衛という愚劣で矮小(わいしょう)な目的のため、被害者は理不尽な犯行に巻き込まれ、遺族、被害者の多数が被告らに極刑を望んでいるのは当然」と非難した。
林被告の役割については「事件の謀議に加わり、サリンを発散させただけでなく、自らの判断でサリン中毒に備えて実行役に解毒剤を渡すなど重要な役割を果たした」と指摘し、「医師としてだれにも増して人命の貴さを理解していたはずなのに卑劣な行為によって悲惨な結果を招いたことは非難されなければいけない」と述べた。
公証役場事務長の事件についても「医療技術を悪用し、医師の名を汚した。この点も看過できない」と責任の重さを指摘した。
林被告は捜査、公判段階を通じ一貫して起訴事実を全面的に認め、遺族や被害者に謝罪を繰り返した。弁護側は、地下鉄事件についての林被告の供述は「自首に相当し、刑を軽減すべきだ」と主張し、「役割も松本被告に従属的だった」と寛大な判決を求めた。
検察側は3月2日の論告求刑で、本来は死刑が妥当としながらも(1)自首で真相解明が図られた(2)公判でも起訴事実を認め、改しゅんの情が顕著(3)遺族の処罰感情が一部和らいでいる(4)自首で将来の凶悪な組織犯罪防止に貢献した――との理由から、無差別殺人としては異例の無期懲役を求刑した。
林被告は95年4月8日、逃亡先の石川県内で逮捕され、同年5月6日に地下鉄事件でサリンを散布したと供述し、事件の全容解明につながった。公判でも事件の詳細を供述し、松本被告ら他の被告の公判に証人出廷し、真相を話すよう呼びかけた。
地下鉄事件で5000人以上に上った負傷者のうち、東京地検は傷害の裏付けの得られた3794人について起訴し、さらに昨年12月には、審理の迅速化のため重症者14人だけに負傷者を絞る訴因変更を行った。
<判決が認定した事実>
林郁夫被告は、(1)1995年3月20日午前8時ごろ、共謀して営団地下鉄日比谷、千代田、丸ノ内の3路線5本の電車内で、サリン入りの袋を傘で突き刺してサリンを発散させ、計12人を殺害、14人に重症を負わせた(殺人、殺人未遂罪)、(2)女性信者の所在を聞き出すため95年2月28日、兄で東京・目黒公証役場事務長だった仮谷清志さん(当時68歳)を教団施設に拉致(らち)し、翌3月1日、麻酔薬の大量投与による心不全で死亡させた(逮捕監禁致死罪)、(3)95年3〜4月、仮谷さんを拉致した元信者をかくまって整形手術し、指紋を消した(犯人蔵匿・隠避罪)、(4)94年11月〜95年2月、麻酔薬約1700グラムを密造(薬事法違反)、(5)94年12月〜95年3月、女性信者2人を教団施設に閉じ込めた(2件の監禁罪)